新規サイト001


32 大境山で発見した金属プレート

「5回以上登っていて、最近10年以上登っていない山に登る『終活登山』」として、従兄弟のSさんと大境山に登ることにした。Sさんは家内の本家の法事で意気投合してから時々一緒に山に登っていて、実際は家内どうしが血のつながっている従姉妹である。

 大境山に最初に登ったのは、1995年10月になる。インターネットを始める前のことで、登山情報はアマチュア無線仲間から入手した。その後、坂本俊亮著『山形百山』(1991年)に登山ガイドがあることを知った。これまで合計6回登っているが、最後に登ったのは2005年6月のことで、もう20年近くも登っていないことになる。

 登山口に着くと既に一台車があり、我々の後に二台続けて車が止まった。四台とも新潟ナンバーである。

 山形・新潟県境で腰を下ろす。Sさんはコシアブラ採集で忙しい。最初に登った時は新潟県側に入ってからの下りが藪だったが、その次に登った時から登山道では藪らしいところはなくなっている。

 山頂手前の池でいつものようにマメシジミを探す。しかし、何度探してもこの池ではマメシジミを確認できない。

 山頂に着いて休んでいると、Sさんが三角点に近くで小さな金属プレートを発見した。中央に「関川村山の会」とあり、その上には「1966.5.29 CHIYOKICHI TAKAHASHI」、下には「DAIROKU HIRATA」と刻まれていた。

 高橋千代吉さんと平田大六さんが登山した時のものである。「時期的に日本山岳会越後支部が新潟県境踏査をした時のものかもしれない」と思い、家に帰ってから確かめることにした。(次回に続く)