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19 終活登山
6月中旬に、前関川村村長である平田大六さんから突然電話があった。「30日の岩船地方山岳遭難対策協議会の訓練で、『日帰り登山装備』と『藪こぎでのマーキング』について指導してほしい」という内容だった。そこで急遽、30日の午後から休みを取ったのだが、当日は雨天で訓練は中止になってしまった。
7月上旬、訓練会場になるはずだった関川村の三角点山に登ることにした。登山口の空き地がきれいに草刈りされていたので、そこに車を止め、平ノ木平コースを進んだ。
三角点山を知ったのは、1993年3月から『新潟日報』に約1年間連載された平田大六さんの「平田大六の自然漫歩」だった。その時は登山道がわからなかったが、その後発行された関川村の『山岳渓流地図』(1995)を頼りに1997年5月に赤坂コースから歩いたのが初めてだった。
久しぶりに訪れた三角点山山頂は細いブナに囲まれた二次林で、三角点に腰を下ろしカップラーメンを食べた。ブナには、平田大六さんが作った「三角点山 576.5m」の標識が括り付けられていた。
三角点山は6回目で、2004年に小和田集落から登って以来だった。そこで、三角点山と同じように、過去に5回以上登っていて、最近10年以上登っていない山を調べてみると、20山近くがリストアップされた。
それから、これらの山に登ることを自分の「終活登山」とし、そのひとつの俎倉山に7月17日向かった。しかし、歩き始めて30分、琴沢を対岸に渡ったところで、なんとなく気分がすぐれないので引き返してしまった。
翌日、新聞を見て驚いた。前日引き返した時刻に、東京の知人が「沢登りで滑落して死亡確認がされた」と報じられていたのである。