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30 早稲田集落で行われていた炭焼き
村上市(旧朝日村)早稲田集落のTさんが「高校生の時まで父親の炭焼きを手伝っていた」と言っていたので、三吉様まで歩きながら炭焼きの話を聞かせていただくことになった。三吉様とは、「太平山」と刻まれた石碑が設置されている早稲田集落背後に位置する山である(第23回参照)。
早稲田集落の旧グランドで待ち合わせ、そこからTさんの車に続いて建設中の日東道を横切り、田んぼの脇に車を止める。最近、イノシシの出没が頻繁らしく金属の柵が設置されている。その網を乗り越え、道路を歩く。
早稲田集落では、集落に近い広葉樹林は数年おきに伐採して薪として利用し、炭焼きをしていた山はその奥になると言う。時には旧朝日村を越えて、旧村上市の山まで炭焼きをしていた。旧村上市の山を、「浜山」と呼ぶらしい。
炭焼き窯は、斜面の平らな部分がある場所に造る。次に焼く原料を並べて置くためだ。その場所に柵を設置し、斜面の上から転がした丸太が止まるようにしておく。
また、炭焼き窯の補修に使う粘土をこねるための水が必要だ。水は下から運ぶよりも、上から運んだ方が楽だから、水源がすぐ上にある場所に炭窯を造る。
長さ約1mの丸太を縦に並べて、炭窯に入れる。太い丸太は四等分にする。コナラやミズナラなど質の良い丸太を主に並べ、質の悪いブナなどはその隙間に入れる。ナラの炭は売り、ブナの炭は家庭用に使う。
焼いた炭は30sを二つ合計60s背負って、山の麓にある小屋まで下す。最盛期は、早稲田集落だけで約20軒の小屋があったらしい。その小屋から早稲田集落まで大八車で運ぶ。大八車からリヤカーになって、だいぶ楽になったと言う。
※写真は、2015年に三吉様近くで発見した炭窯跡。今回、Tさんから炭窯跡であることを確認していただいた。炭窯跡にアカシデが生えているのがわかると思う。種子が小さいカバノキ科樹木は、落葉層がない場所に種子が落ちると順調に生育できる。これまで、炭窯跡でキタゴヨウ、ケヤマハンノキが更新しているのを確認している。炭窯跡は、種子が小さい樹木にとってセーフサイトなのだ(たぶん新説?(笑))。
