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16 女性ひとりで切り開いた登山道
佐藤れい子著『越後百山』(新潟日報事業社)を読んで、私の名前を見つけたという旧山北町浜新保集落のHさんという女性から、家に何度か電話があった。そこで、2002年9月にHさんの家を訪ねることにした。
Hさんは私の母親よりも10歳くらい年上で、御主人は数年前に他界されたようだった。御主人は林業家で、山仕事も手伝っていたらしい。そのHさんが、一人で浜新保側から新保岳まで登山道を切り開いたと言う。浜新保側からの登山道は、藤島玄著『越後の山旅』(富士波出版社)で知っていた。しかし、その登山道とは違うようだ。
翌年の2003年4月29日に、Hさんが切り開いた登山道を歩いてみた。林道脇の登山口から斜面を登り、尾根道を辿る。Hさんに教えていただいた天池(あまいけ)では、マメシジミを確認することができた。新保岳山頂に着くと、塩野町側から登った知人がいた。
「浜新保側から登ってきた」と言うと、「歩いてみたい」と答えたので、一緒に浜新保側に下り、塩野町登山口まで送ることにした。浜新保方面に下っていると、小学生数人が大人と一緒に残雪の斜面を登っているのに遭遇した。
その後村上市のSさんが、桑川小学校の小学生が浜新保側から新保岳に登ったことを知り、そのルートを辿って、新潟日報に投書した。それから浜新保ルートが一般に知られることになり、『越後百山 改訂版』(新潟日報事業社)でも、新保岳が浜新保側からの文章に書き換えられている。だが、この登山道を女性一人が切り開いたことを知る人は少ない。
*写真は天池