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2025年

5月16日、暑いので雪を求めて五頭か二王子に登りたかったが、遅く起きてしまい10時近くから大平山登山。山頂はブナの木陰で気持ちいい。久しぶりに直降コースを下る。標高が下がるにつれて気温が高くなる。ヤマビルもあまりの暑さに出てこなかった。

5月9日、出羽街道の大沢集落〜漆山神社を往復した。石畳の一部がかつての炭焼き窯づくりに使われ持ち去られたらしいが、修復プロジェクトで直されていた。倒木が数か所あり、崩れて道が細くなっている場所もあった。それよりも「ヤマビル注意」に驚いた。こんなに広がっているのか。

5月8日、17年ぶりに櫛形山脈の法印瀑コースを歩いた。17年前は正月にチェリーヒュッテで酒を飲むためにわざわざ法印瀑から歩いたので、ほとんど記憶がなかった。櫛形山山頂で1時間休憩。平日なのでほとんど登山者が現れなかった。大峰山でラーメンを食べ、ゆっくり林道コースを下った。

5月6日、我が家のキャンプは2日目の朝が雨になることが多い。今日も夜中から雨が降り出した。雨具も長靴も持ってきていないので、家に帰って取って来る。朝食は家で沸かしたお湯でカップ麺。テントを撤収し、お昼に家でホットサンドを食べる。

5月5日、ゴールデンウイーク恒例の南大平キャンプ場。以前は県外へ出かけていたが、最近はその元気も金も無くなった。いつもの場所にテントを張っていた人が帰るところだったので、撤収を待ってテント設営。張り綱を少し忘れたが、ポリ紐で対応。昼からビールを飲める貴重な日。

5月3日、去年に続き、山熊田ブナ林トレッキングに参加した。参加者34人、スタッフ10人の合計44人で二ノ俣峠までのブナ林を歩いた。山熊田太郎と呼ばれていたブナ巨木は2年前に枯死したが、ほぼ同サイズのブナが近くにあった。このなだらかなブナ林で彷徨ってみたい。

5月1日、海側から新保岳に登るのは最後だと思い、新保岳線の起点から林道を歩き、登山道入口から新保岳に登った。登山道は利用者が少ないのか藪化が進んでいて、マーカーを付けながら登ったので時間がかかった。途中で過去最高の合計4頭のイノシシを見た。山頂で会った登山者と同数だった。

4月28日、鶴岡市の高館山や荒倉山などの日本海に近い300mくらいの山にブナが分布しているので登ってみたいと思っていたが、さらに標高が低い三瀬気比神社社叢にブナが生えていると知り訪ねてみた。標高が臥牛山の半分くらいなので規模は小さいが臥牛山と同じく貴重な低標高地のブナ林であることが確認できた。

4月26日、28年ぶり、3回目の湯蔵山に登った。過去の2回は雪の無い踏み跡をを辿ったが、今回は残雪を利用できた。元光兎と湯蔵山の鞍部の水場も残雪の上から確認できたが、もう湯蔵山に登ることはないだろう。

4月25日、『要害山の自然』(いわふね自然愛好会)にブナの記録がないので、数年前に発見したブナの確認も含めて要害山周辺でブナを探した。三の輪山で数個体のブナを発見して要害山に戻ると、要害山の山頂近くでもブナを発見した。

4月18日、下渡山に登ってから、お城山に登った。下渡山ですれ違った単独の女性と、お城山でまたすれ違った。お城山で20年くらいイチリンソウの花を見ていなかったが、予想よりもたくさん生育していて驚いた。山はやっぱり何度も登らないとわからないというか、何度登っても毎回新しい発見がある。

4月14日、午後から天気が回復したので、お城山に登って来た。20年くらい前に一度だけイチリンソウの花を見たことがあるのだが、それがいったいどこだか忘れてしまっていた。4月に入ってから探し回っていたところ、コシノコバイモ密生地の脇だということがわかった。

4月12日、少し遅くなってしまったが、畑にイモを植えた。イモを植えるなんて、たぶん50年ぶりくらいだと思う。50年前はたぶん切ったイモに灰を付ける作業しかしていなかったはずだ。10個ずつ、だんしゃく、きたあかり、メ―クイーンを3種類植えた。

4月10日、下渡山から童子山に登って雪割草を見てきた。これまで童子山南西尾根を登って、「藪尾根を苦労して登って、やっと見られる雪割草だから感動も大きい」とうそぶいて来たが、やっぱり登山道を歩く方が楽だ。でも、イノシシが年々整備してくれる藪尾根を辿るのも楽しみである。

4月8日、庭に植えているオオバクロモジの花を何度も見て、雌雄の識別方法をやっと理解できた。下渡山に登ってオオバクロモジの花を見ると、確かに雄の木から先に咲き始めている。同じく雌雄異株のヒメアオキも雄の木の方が早く花を咲かせているような気がする。

4月5日、ふたたび蒲萄集落から鰈山を目指した。先日発見したブナ巨木の胸高周囲長を測ったら、565センチだった。自分で見つけた新潟県最大級のブナ巨木だ。しかし、2本のブナが合体したように見える。池の平からは地形図を見ずに、まわりの景色だけから判断して鰈山まで歩いた。帰りは忠実に足跡を辿った。

3月31日、童子山南西尾根を登って雪割草を見ようと思って家を出たが、山に雪が積もっていたので下渡山に登る。その後、お城山に登って、今年度120回の登山達成。26日に発見した時よりももっとコシノコバイモが高い密度で生育している場所があった。

3月29日、ショウジョウバカマの無性繁殖をもう一度見たくて能化山にまた登った。途中で会った登山者が、「黄色い花を見に、次に下渡山に登る」と言う。ナニワズだと思ったら、どうもフクジュソウのようだ。「そのフクジュソウは庭に植えてあるものだよ」と教えたが、やっぱり下渡山のフクジュソウとしてネットにアップされていた。

3月27日、畑仕事の昼休みに要害山に登った。要害山の雪割草を見たのは20年くらい前の1回しかない。館岩から下りながら雪割草を探す。やっと数個体を確認して、要害山に戻り昼食。下山して、また畑仕事。

3月26日、昨日に続いて、お城山に登った。七曲りの最初の曲がりまでにコシノコバイモを18個体確認した。しかし、本丸の石垣の下にはもっと高い密度でコシノコバイモが生育しているのに驚いた。カタクリは寒いので、花が閉じていた。

3月24日、蒲萄集落からから鰈山に向かった。池の平を過ぎて急な林を登ったら、地形が複雑で地形図を見ても自分がどこにいるかわからなくなった。鰈山がわかるピークまで行き、そこで引き返した。帰りに違うルートを歩いたら、ブナの巨木を発見した。

3月23日、久しぶりに村上瀬波温泉ICを見下ろせる場所まで歩いてみた。コーヒーを飲んで引き返していたら、突然右の藪の中から20歳くらいの女性が現れた。アクセス道路の法面にある階段を登って来たが、下りが急なのでそのまま登ったらしい。その女性を連れて道路まで下った。

3月22日、新潟市の女性が20年前に粟ケ岳登山中に休んでいたところ、通りがかった見知らぬ男性から「読んでみろ」と本を渡された。だが、どこの誰の本かもわからず、読まずにずっと本棚に置いていたらしい。その女性と偶然出会い、お互いのことを話していたら、女性が渡された本は拙著だった。今日はその女性を臥牛山と下渡山に案内した。

3月17日、鬼怒川温泉から日光山輪王寺三仏堂に行き、そのまま日光東照宮をガイド付きで案内してもらう。35年前につくば研修で、日光の山を登った時に東照宮を訪れたことがあった。ガイド説明が終わった後で、急いで徳川家康の墓まで登る。

3月16日、初めての家族でバス旅行。初日は、お菓子の城那須ハートランドで昼食の後、古峰神社へ。朝雪が降ったので少し歩きにくい。その後、鬼怒川温泉に行く。温泉に入った後で、家族4人でかんぱ〜い。

3月14日、昼食が済んでから、能化山に登った。カタクリは少し葉が出ているくらい。オウレンが満開。ショウジョウバカマの葉の先端が地面に着いて、新しい個体が誕生する無性繁殖を初めて見ることができた。山頂は風が強く、すぐに下山した。

3月12日、今年5回目の下渡山に登った。山頂に着いたら、今年下渡山で3回目に会う男性がいた。下渡山では他の人に会ったことがないので、我々二人しか登っていないのではないかと思ってしまう。午後1時過ぎに男性が下山したので、ゆっくりホットサンドを焼いて食べた。

3月11日、葡萄鼻山に登ろうと思って出かけたものの、梁山泊を過ぎてウダイカンバ林で終わってしまった。葡萄鼻山は何回か登っているし、ウダイカンバ林の大きさを確認したかったためだ。ウダイカンバ林の周囲を歩いて、過去に伐採された大きさがわかった。

3月10日、自転車で瀬波温泉駐車場に行き、鱸ケ池を一周した。海に近い場所にはマルバマンサクが分布していないと思っていたが、2個体見つけることができた。分布していないことを明らかにすることは難しい。駐車場に戻り、岩船港から朝日連峰〜飯豊連峰の景色を眺めた。

3月9日、久しぶりに笹川流れトレッキングコースを歩いた。過去2回は笹川〜板貝だったので,今回は逆に板貝〜笹川を歩いた。以前の記憶がまったくなく、どこで昼食にしようか考えながら歩いていたら、沖見平まできてしまったが、日本海をながめながらのんびりできた。

3月4日、神林地区の里本庄集落にある神社から南東方向にどこまでブナが続くのか、踏査した。断続的に細いブナが生育していたが、60m峰に近づくとブナは無くなった。しかし、次のピークとの鞍部でまた1本だけブナを確認した。用水池に下り、神社方向に戻ると、神社近くにも大きなブナがあった。

2月28日、今年度100回目の登山。ただし、3分の1がお城山(臥牛山)。20年くらい前に大平山からスキーで滑り降りた尾根を登ろうと思ったが、スキーで道路に下りた場所で引き返す。キャンプ場でお昼を食べ、南大平集落へ向かって歩いていると、イノシシがいた。100回目のプレゼントはこれだったのか。

2月26日、『新潟県北のソトアソビ10』を村上地域振興局のロビーで見つけたが、フリーペーパーのような冊子だった。できれば、3年くらいかけて『糸魚川の自然を歩く 地元密着型のガイドブック』(2007)のようなものを作ってほしいと思う。

2月23日、「要害山から朴坂山方面に行けるところまで行こう」と従兄弟のSさんと歩き出したものの、要害山が思いのほか強風で、あえなく要害山で撤退。足の寒さ対策はしてきたが、手の寒さがこれほどだと思わなかった。

2月15日、直登コースから大平山を往復した。登り始めが急なので反対側の斜面から登ったら、ブナの大木を発見。標高は約300m、直径は1メートル弱。山頂で休んでいたら、消防署職員が4人、キャンプ場コースから登って来た。

2月12日、雪が落ち着いたので下渡山に登った。適当な駐車場が無いので家内に途中まで送ってもらい、東登山口から登る。ベンチを掘り出し、雪のテーブルを作って、お茶を飲む。集落の登山口に下山し、三面川右岸から家に戻る。

2月3日、角幡唯介さんの『地図なき山』を読んだ。あえて予備知識を避けてきた日高山脈を地図なしで沢から沢を渡り歩いた漂泊登山の記録である。角幡さんのような「脱システム」な冒険は私にはできないが、「プチプチ脱システム」な登山は続けていきたい。

2月2日、ぶどうスキー場から明神(点名)に登った。山頂でスキー場からの音楽が聞こえたが、今シーズンで最後だと思うとなぜか感慨深かった。それから漆山神社まで歩いた。イワナ?の養殖場があるのは知っていたが、神社まで冬期も除雪されていてビックリした。

1月26日、大平山に登った。除雪は南大平集落までだったが、雪上車の跡があり、キャンプ場までツボ足で歩けた。さらに道路を歩いて、途中から尾根に取り付き、大平山を往復した。山頂標柱を掘り出して、テーブルにした。1時間ほどしたら、ガスが消えて鷲ケ巣山が見えてきた。

1月21日、下渡山に登ろうと思って車を走らせたら、道路が進入禁止になっていた。そこで鮭孵化場付近に車を止め、下渡集落から一周した。下山して、お城山に登ろうと思って車に向かって歩いていたら、雨が降って来たので諦めた。

1月19日、ぶどうスキー場から、あがりこ姫まで往復した。2015年の発見から、あがりこ姫に会うのは8回目だ。今シーズンで営業を終了するぶどうスキー場の駐車場は満杯である。あがりこ姫の正面に雪のテーブルを作り、1時間半もあがりこ姫と会話した。

1月13日、2006年以来、雪の鷹取山に登った。宮ノ下集落の神社から歩き始め、記憶をたどりながら、南東尾根を登る。途中で見つけたナメコは下りに採ることにする。ガスの山頂でカップ麺とホットサンドを食べ終わると、北側から登山者が現れ、「人がいるとは思わなかった」とお互い言いあう。

1月12日、一昨年、羽黒神社から山居山近くにある山居山よりも高い100m峰に登り、南尾根を下った。その南尾根を逆に100m峰に登り、山居山歩道を経て、山居山へ向かって歩いた。山居山周辺でのブナ探しだが、羽黒神社裏以外は見つけられない。

1月8日、昼過ぎにいわふね自然愛好会から「わからない樹木があるから、家に枝を持って行くので教えて欲しい」と電話があった。葉の無い枝よりも樹形や樹幹を見た方がはっきりするからと、雪の中、現地に出かけたら、結局1時間半の樹木観察になってしまった。

1月6日、新潟県内最大級の単幹ブナを見てきた。これで15回目だが、雪の季節は初めて。巨木のそばで昼食しようと思ったら、樹冠から雪がぼたぼた落ちて来るので、安全な場所に移動する。正午すぎたら天候が悪くなり始めたので、急いで下山。車に着いたら雨が降ってきた。

1月3日、結局、選手層が厚い青学の優勝だった。出雲、全日本で優勝できなくても、箱根にピークを合わせて来るところが凄い。原メソッド、青トレなどがあるかもしれないけど、青学ばかり強くては箱根が面白くないんだよね。来年は、他大学の躍進に期待したい。

1月2日、箱根駅伝を観る。藤原監督が好きなので中大を応援しているのだが、今年も青学が往路優勝だった。原監督の「ピクニックラン発言」が中大ランナーを奮い立たせ、復路の逆転を期待したい。駅伝観戦後は羽黒神社から、山居山を経由して家まで歩く。

1月1日、息子が元旦マラソンを走るので応援に行く。路面に雪は無く、曇り空、風もほとんどなく、絶好のマラソン日和。マラソン大会出場は2000年の元旦マラソンが最後になった。もう走ることはできないが、これからは自分ができること、自分しかできないことをやり遂げたい。