2013年

12月14日、高桑信一さんの出版祝賀会に出席した。高桑さんの希望で30名ほどの参加者だったが、あっという間に時間が過ぎた。自分の人生でもう二度とこんな集まりはないであろう。

12月2日、朝食を済ませ、早稲田大学キャンパスを散策。早稲田大学のグッズを土産に買う。御徒町のアートスポーツ(ランニング&登山)によって、東京駅から新幹線に乗る。

12月1日、母と一緒に従弟の披露宴に東京へ行く。早稲田大学には縁のない人生だったので、高田馬場駅で降りるのは初めてだ。15時から挙式、16時から披露宴で、そのままホテルに泊まる。

11月30日、職場の仙台旅行。仙台は20年ぶりくらいだ。青葉城から仙台市内を眺めてから、牛タン定食。キリンビール工場へ行き、最後は蒲鉾工場へ。

11月9日、新発田に行って、ペレット20袋購入。しかしスイッチを押しても、動く気配がない。代理店に電話したら、「ストーブ側のコンセントが緩んでいるのではなか」と言う。そのとおりだったが、去年設置したときの差し込みが不十分だったのである。

11月3日、祖母の七回忌で母と松代へ行く。まずは実家の墓参り。その後近所に挨拶して、母の実家へ。祖母の子供夫婦だけの和やかな七回忌だった。

10月26日、午前は息子が通う高校の文化祭。午後は買い出しをして、山仲間の待つ山荘に向かう。全員で9人で宴会が始まる。飲み会は10人前後がいい。

10月19日、娘が通う中学校の文化祭。午前の展示は生徒が変わるだけで、毎年同じ内容。わずかであるが、先生方の出品が楽しみだ。午後は合唱コンクール。娘のクラスが学年最優秀賞。

10月13日、新潟シティマラソン。前日やっと下痢が治ったものの、完走を目指しスタートする。しかし走り出せば、いつものサブフォーペースになってしまう。結局3回トイレにかけこんだものの、3時間53分25秒でゴール。

9月26日、東京マラソン落選のメールが届く。2年連続で当選する確率なって1%くらいしかないのでから、しかたないない。第1回から応募して外れ続けている人が何人もいるのだから、2回当選しているのは運がいいのだ。

9月20日、娘の駅伝大会を観に行く。娘のチームは第1走者が大ブレーキになり、アンカーの娘は数分も離されてのスタートとなった。でも最後まであきらめず走った第一走者とチーム全員を褒めてあげたい。

9月1日、かみはやし穀菜マラソン大会。飯豊登山が新しい靴だったせいか、右足薬指が爪下血腫になった。血を抜いて、なんとか固まったが、46分13秒。息子は55分を壁を破れない。

8月27日、頼母木小屋の管理人と別れて、地神山北峰を目指して登っているとTさんが下りてきた。地神山北峰から下り始めると日がさし始め短パンになる。12時過ぎに登山口に下りて温泉に入る。

8月26日、お二人の助けもいただき、無事に失ったストックを見つけることができた。さすが百戦錬磨のお二人である。頼母木小屋に荷物を置いて、いぶり差岳を往復する。16年ぶりだった。

8月25日、梶川尾根を登って胎内小屋へ向かう。管理人が不在だったので、登山者を水場に案内したり、ビールを冷やす雪を採ってきたりした。夜はトリプルTの3者対談。

8月13日、松代へ墓参り。まずは母の実家に行く。その後で、墓掃除と墓参り。家の脇の斜面が崩れたので、役場の人と打ち合わせを終えて、母の同級生が営む食堂でお昼。

8月5日、フライシートの雨露を乾かして、7時過ぎに切合を出発。水場で井上さんに会う。地蔵岳で軽い昼食。その後もゆっくり下って、13時前に大日杉に着く。白川温泉に入って、道の駅で「冷やしラーメン」を食べて、「ペレットマン」に寄って帰る。

8月4日、今日は切合から大日岳を目指す。飯豊本山でなんとか大日岳を見る。しかし、御西小屋まで行くと大日岳はガスの中。山頂でもガスは晴れず、誰もいない山頂でラーメンを作る。飯豊本山に戻ったころから雨が降り始め、切合に戻る。

8月3日、息子と一緒に飯豊に向かう。大日杉から登り始めるとしだいに霧雨になる。だまし地蔵で雨具を着る。水場が近づいたところで、やっとガスがはれはじめる。切合小屋に着いてテントを張る。

7月21日、5時に登山口スタート。8時前に山頂に着くが、さらに牛ケ岳まで足を延ばす。三角点を過ぎてところで、ラーメンを作る。やっぱり巻機山は自分の原点だなあ。

7月20日、明日巻機山に登るために、息子と一緒に南魚沼市で向かう。山麓のキャンプ場にテントを張り、キリン君で焼き肉。明かりのないキャンプ場だから、すぐに寝るしかない。

7月14日、息子と「おおごと名水まつり」に行く。冬のイベントは知っていたが、こんな夏のイベントがあるのは知らなかった。初めての流しそうめんを食べる。

7月7日、新しく買った登山靴の足慣らしに瀬波温泉の裏山に整備された遊歩道を歩いてみた。何度か歩いてはいるが、初めて歩く歩道もあり、歩道上のキノコも楽しめる時間だった。

7月6日、新潟県立図書館で佐藤レイ子さんの講演「私の越後百山」があった。15年前に一緒に登った矢筈岳が懐かしかった。講演後、講師控室を訪れ、久しぶりにレイ子さんと会えた。

7月3日、7月1日から受け付けを開始した新潟シティマラソンが、わずか3日でフルの部が定員に達したそうだ。去年、9日で定員に達したので、急いで応募した人が多いのだと思うが、マラソンブームなのだろうか。

6月26日、7月6日の講演を申し込んだ。定員180人に対し、まだ余裕があると思っていたら、167番目。危ない、危ない。そして、なんと今日定員に達したそうだ。

 6月16日、第40回関川アップダウンマラソン大会。第40回ということで、会場もコースも変わった。最長距離も15キロからハーフに変更。でも、アップダウンは去年までの15キロコースよりも楽なハーフだった。

6月12日、『渓流夏号』を購入。「高桑信一と、沢のゆかいな小物たち。vol.2」他、丸山剛さんの源流カメラマンの道具の変遷」も参考になる。もちろん、釣行も楽しい。

6月9日、息子と一緒に来週行われる関川マラソンの12キロコースを試走する。もう既にコースの看板表示がされていて、迷うことなく一周する。ただし、スタート地点がわからなかったので、ちょっと距離が短かったかも。

6月8日、娘の応援に新発田の陸上競技場に行く。その後で買い物をしていると、「具合が悪いから迎えに来て」と娘から電話。すぐに村上に戻らなくて良かった。

6月2日、町内の草刈り。バーベキューは参加しないで、資料作り。夕方家族全員で水星を見に行く。海に向かう途中で一番星の金星を発見。そして、海に着いてしばらくすると水星が現れた。

5月31日、19時過ぎに帰宅し、カメラとプロミナーを車に積んで海へ向かう。水星を見るためだ。19時半を過ぎると、夕焼けの中に一番星を発見。金星だ。そして、しばらくすると金星の上に水星が現れた。

5月25日、息子と一緒に二王子岳に登る。7時から登り始めると、8時にはもう下山者がいる。登山靴だが、格好はランニングである。山頂に着くと20人以上の登山者がいた。息子と「今年の夏は飯豊に登ろうか」と話す。

5月23日、山仲間の通夜に行く。会場へ向かう道路の正面に粟ケ岳が良く見えた。山仲間がホームグランドにしてた山だ。粟ケ岳も山仲間を見送ってくれるようだった。

5月20日、山仲間の訃報がはいった。去年会ったときに、私の隣に座ったのだが、あまりビールを飲まなかった。そして、病状を聞かされた。元気になって、また山に登ってほしかったのに残念だ。

5月11日、娘の中学校行事「チャレンジ50」で、55キロを歩く。去年は35キロを歩いてから走り始めたが、今年は20キロを歩いた時点から走り始めた。タイムは7時間32分で、去年よりも約2時間早く中学校にゴールした。

5月5日、一週間前の滑落記事が気になって、光兎山に登る。登山口で多摩ナンバーの登山者にあいさつをし、山頂に着いたら、これまた神奈川県の登山者。滑落した登山者も関東からだったが、どうしてこんなに関東からの登山者が多いのだろう。

5月4日、娘の陸上大会を観に胎内へ行く。娘は明日から出かけるので、競技が終わったら、すぐに連れて帰る。息子に買い与えたスマホの使い方がわからなくて悩む。

5月3日、ランニングをしていたら、ちょうどブナが開葉しはじめたお城山が見えた。そこで、下渡山のブナを探しに行く。15年前に見つけたブナを何度登っても再び探せないのである。だけどやっと、下渡山のブナを見ることができた。高校二年生になって、やっと息子にスマホを買い与える。半年前のスマホは0円なんだねえ。

5月2日、白山書房から『山小屋からの贈りもの』が届いたが、「書評本は同封の封筒にてご返却ください」とある。もらえるんじゃなかったのだ。「薄謝」は掲載本だけかもね。

5月1日、白山書房から、『山小屋からの贈りもの』の書評依頼が来た。適任は他にいるのだが、内容紹介でかまわないというし、600字程度だから引き受けることにした。それでメールをよく見たら、「お引き受けいただけるようなら、すぐに本を発送します」と書いてある。とぼけて、白山書房からも一冊もらうことにしよう。

4月30日、光兎山で滑落事故があったと新聞に出ていた。そのパーティは頭布山へ向かう予定だったらしい。しかも埼玉県の登山者である。去年光兎山に登った時に、「頭布山の下見に来ました」と言っていた関東の集団の誰かなのかもしれない。

4月29日、息子と一緒に日本国に登り、昼過ぎに家に戻ったら、つり人社から高桑さんの『山小屋からの贈りもの』が届いていた。私のことを「有名人好き」と書かれていたが、丸山さんの名刺をいただこうとしたのはわずかに残っている拙著を送りたいと思ったからである。その後運よく丸山さんと丸森尾根を一緒に下ることになり、連絡先を教えていただき、無事に拙著を送ることができた。自分が登場しているところだけ読んで、久しぶりの2時間のランニング。そして夕方はキリン君でバーベュー。

4月22日、仕事を終えて家に戻って庭を見たら、ウソが死んでいた。今朝、生垣のイヌツゲの中に入って出てこないと思っていたら、弱っていたようだ。そっと庭に埋めることにした。

4月13日、娘の陸上大会の帰りによった書店で、『にいがた名滝案内』というムックを買った。沢登りをしなければ行けないような滝はないが、けっこうマイナーな滝が紹介されている。

4月11日、ピロリ菌陽性。「除菌しますか?」という主治医の問いに、思わず「はい」と答えてしまった。薬局に行くと、下痢などの副作用が。主治医は何も言わなかったのに。

4月8日、無線局の更新をなんとかすませた。電子申請で安くなったのはいいが、ちょっと苦労した。たぶん、わかりやすく説明していると思っているのだろうが、なかなか頭をうまく切り替えられない。

4月7日、笹川流れマラソン大会は爆弾低気圧のため中止になった。でも朝は雨が降っていないし道路は乾いているので瀬波温泉に向かってランニングしていたら、明らかに泊まりで出場しようとしていたランナーと出会った。

4月3日、一週間ほど前に「こんな本を書きました」というメールが来て、すぐに注文した『木質資源とことん活用読本』(農文協)が届いた。これは木質バイオマスに関わる人の教科書になることだろう。

3月30日、旧朝日村の丸山に登る。旧国道を進み蒲萄峠を越えてから東に向かって、丸山の南西尾根に取りついた。山頂は1.5mくらいの雪で、ミズナラ越しに池の平がよく見えた。

3月28日、ある学生から「御礼と報告」というメールが届いた。一昨年秋に秋山郷の木の民具に問い合わせがあった時に、「鍬の諸形態」(文部省資料館紀要)という資料を紹介したら、それが大変役にたち、無事に修士課程を修了したというのだ。

3月24日、蒲萄の池の平を周回した。地形図と実際の山を確認しながらの6時間だった。地形図よりも山が大きい感覚を取り戻すのにかなり時間がかかったが、なんとか駐車場に戻ることができた。

3月20日、娘が信濃川駅伝に参加するので応援に行く。表彰式ではサプライズで谷口浩美さんも来てくれた。14時に侍元に行ったら、ラーメンにありつけるまで1時間も待たされた。

3月17日、稲荷山に登る。集落側から登ったら、海側にも登山道があった。庭の鉢物を畑に持って行って植える。ブナは来年の秋くらいに松代の空き地に植え直そうを思う。

3月10日、名古屋ウィメンズマラソンを観る。野口はペースメーカーの小原にドリンクを渡すなど余裕に見える。35キロ過ぎから遅れ、優勝は逃したが、久しぶりに力強い走りが見られた。

2月24日、東京マラソンを走る。3年前は雨で、上空は雪が舞う寒さだった。「今度は晴れた日に走りたい」と願っていたら、わずか3年後に当選メールが届いた。練習不足だったが、4時間30分を切ってゴールできた。

2月19日、新発田へ行く時に海岸線を通った。枯れてしまったマツはもうどうすることもできないが、このマツを利用することができないのが悔しい。欲しいところはあるのだが、遠すぎるのだ。

2月9日、息子の誕生日。今でも息子が生まれた時に義母が言った「今日は福(29)の日だって」という言葉が頭に残っている。息子は手巻きずしを食べたいというので、刺身をいっぱい買った。

2月3日、別大マラソンを観る。スタートラインに並んだ川内は顔がすっきりしたように見え、身体を絞り込んでいることがわかる。苦しい顔は相変わらずだが、中本と競り合いトップでゴールは立派だ。

1月27日、大阪国際女子マラソンを観る。福士はなかなかマラソンの結果がでない。フォームを見ると理想的な走りをしているように見えるのだが。それに対し、渋井は肩の動きが大きすぎる。

1月26日、「東京マラソン2013」の案内が届いた。2010年の日記を見て、そろそろ来るかなって思っていた。今回はスタート地点に近いホテルを予約。早朝からスタート地点の様子を楽しみたい。

1月20日、都道府県男子駅伝を観る。第一区から遅れた新潟県だが、高校生エース区間の5区で17位と好走。だが、結局35位だった。女子もそうだったが、中学生の頑張りが目立った駅伝だった。

1月19日、去年の12月13日に山から採ってきたマルバマンサクが漸く咲いてきた。まだ厳しい冬を迎えていないうちに採った枝だったので、開花のスイッチが入らずに、咲くまでに1か月もかかったのかな。

1月13日、都道府県女子駅伝を観る。1区の鹿児島県の女子高生は、実業団や大学生を抑えて、堂々の区間賞。1区で高校生が区間賞をとったのは新谷以来だというから将来が楽しみだ。

1月4日、無線の新年会。NHKの「クイズ・ホールドオン」の歴代チャンピョンが集まった番組を観ながら、酒を飲む。そして、一緒に飲んでいた仲間が優勝。NHKは出られるだけでも名誉なことらしい。

1月3日、箱根駅伝の復路を観る。今年は復路で1位の交代劇を観たかったが、1位と2位はどんどん離れていくばかり。1区間で逆転できる時間差でないと、復路は往路優勝した大学が勢いがあるのかも。

1月2日、恒例の大峰山登山。金塚駅に集合し、大峰山に向かうが、今日も天気が悪い。展望台からは何も見えない。4人で小屋で宴会をし、願文山経由で下る。帰りの列車は強風で30分くらい遅れた。

1月1日、雪が降り続く中での元旦マラソン。消雪パイプから出ている水があちこちに溜まっていて、膝から下はびしょ濡れ。水に浸かった足はちぎれそうなくらい痛い。今年は5キロ(一周と言うこと)で良かったな。