2018年
12月23日、新発田市の要害山から大峰山まで歩く。新発田の要害山に登ったのは20年以上前のことだ。その後、箱岩峠まで歩けると聞いていたが、今日まで歩けずにいた。来年は要害山から白鳥山まで歩いてみたい。
12月15日、新潟駅から新潟市観光循環バスに乗って新潟市美術館に「ピカソ展」を観に行く。窓の外を見ると、ブナが20本ほど植えてあってビックリ。古町でお昼を食べて、歩いて万代を経由して新潟駅に戻る。
12月14日、「越後の山と森を歩く」の4回目「越後に最も多い樹木はブナ」が掲載された『山の本』冬号が届いた。「ハガキだより」で初めて「『越後の山と森を歩く』がよかった」とあった。さらに面白くなるのはこれからだ。
12月2日、2日目は昼の列車まで自由行動なので、下田海中水族館に行く。イルカとアシカのショーを見て、常緑樹に覆われた下田城跡を越えて、土産を買いながら伊豆急下田駅に戻る。
12月1日、伊豆へ行く。ペリー上陸の碑から地元のボランティアの案内でペリーロードを歩く。日米下田条約を締結した了仙寺で話を聞く。ホテルに戻って伊豆限定のビールを飲みながら、〆に金目鯛に煮付を食べる。
11月23日、「イクネスしばた」で椎名誠さんの講演を聴く。椎名さんの講演を聴くのは2回目になる。最近の著書『本の夢 本のちから』が演題で、小学生の時に読んだ『十五少年漂流記』の島を探し旅したことなどが聴けた。
11月11日、沼山の登山道を教えてもらい、1時間ほど登った。尾根が細くなり、落ち葉が溜まって滑りやすくなってきたところに、家内から「恩師が亡くなり、弔辞を頼まれた」とメールが来る。そこで、引き返し村上に戻る。
11月10日、飯豊連峰の門内小屋と頼母木小屋を管理する「飯豊・胎内の会」の総会が小国町の泡の湯温泉であり、懇親会に招かれた。二次会で、高桑信一さんに「早く腹をくくれや(入会しろ)」と脅される。
10月14日、月山龍神マラソンを走る。フルから6日後だから、10キロを走る。早期申し込みのつや姫や、抽選でいただいたお菓子の詰め合わせ、ゴール後の弁当といも煮など、参加費の元が取れたマラソン大会だった。
10月8日、新潟シティマラソンでフルを走る。2週間前の白鷹ハーフで痛めた右ひざ次第でリタイヤも予想されたが、走り始めるとなんとか中間点まで持ちこたえてくれた。あとは消炎スプレーを吹き付けながら、サブファイブでゴール。
9月29日、小田和正さんのライブに行った。「秋の気配」を聴いたのは高校生の時だった。そして、大学生になってから「さよなら」がヒットしてオフコースは全国区になった。40年前が甦ってきた一日だった。
9月23日、白鷹若鮎マラソンでハーフを走った。15キロ過ぎから、ふくらはぎの痙攣で1キロ走っては立ち止まることを繰り返した。結局2時間1分32秒でゴール。暑かったが、10か所近くあった給水所に助けられた。
9月16日、村上市のフィッシャーズ(本間釣具店)で仕事関係者から突然声をかけられた。「武田さんて、釣りするんですか?」。確かに彼は、私が山に登ることを知っているくらいだろう。山に登り、釣りをし、フルマラソンを走り、NGT劇場に行く。今年は庭でメロンを作ったみた。
9月14日、季刊『山の本』秋号が届いた。次号からはブナが3回続くので、内容が重ならないように、一気に原稿を3回分書いたのだが、これから見直さなくてはいけない。冬号の〆切がもう1カ月後に迫っている。
9月9日、燕市出身の本宮宏美さんのフルートを家内と一緒に聴いた。村上市合併10周年記念コンサートであり、無料である。ただし、CDを2枚買ったので、有料とほぼ同じである。天気予報のバックに流れている曲などがあり、ちょっと感動。
9月4日、8月15日に関川村の歴史とみちの館で行われていたOBの油絵の個展を偶然見ることができたのだが、そのOBからお礼の手紙が来ていた。優しい言葉に退職して趣味に没頭している姿がうかがえた。
9月2日、かみはやし穀菜(こくさい)マラソン大会。ついに10キロで52分台に突入。これでは絶対10月のフルマラソンをサブフォーで走れるわけがない。ただ、7年ぶりに娘も参加して、久しぶりの親子3人でのマラソン大会だった。
8月19日、姥沢駐車場から月山に登った。これまで6回くらい姥沢駐車場から登っているが、いずれも春のことで無雪期は初めてだった。下りは姥ケ岳にも登って、のんびりとコーヒーを飲む。リフトを利用する登山者が多いようだ。
8月15日、「藤島蔵書」の会員の更新に、関川村の歴史とみちの館に行ったところ、10年くらい前に退職した仕事関係者の個展が開かれていた。退職後は趣味を持つことが一層人生を充実させることになるが、久しぶりに会ったその人は楽しそうだった。
7月30日、富士山6合目で、低体温症で亡くなった男性は父の従兄弟だった。本人の記憶はないが、亡くなった人の父親は祖母の兄弟だから、子供の頃に何度か会っている。まさかこんなことで親戚の訃報を知るとは思わなかった。
7月26日、公演の演目が「逆上がり」公演になったので、家内と二人で観に行く。ファミリー席が右側の1列目と2列目になって驚く。こんなに前ならペンライトを買わなければいけない。公演の最初に寸劇があるのが面白い。劇場公演7回目。
7月22日、息子と白布峠から西吾妻山に登った。これまで吾妻連峰の主な稜線を歩いていたのだが、白布峠から登っていなかった。ブナ林から亜高山帯のオオシラビソ林を登る。教科書的な森林の推移であった。
7月8日、庭のブナにゴマダラカミキリがいた。この季節、ノリウツギの花にアカハナカミキリが飛来することは何度かあったが、いったいなぜ我が家に来たのだろうか。しばらくしたら、今年咲いたばかりのシベリアアンズの枝をかじっていた。
7月1日、足の松尾根に登る。記録を調べたら、なんと18年ぶりである。2000年に胎内尾根〜足の松尾根を一人で日帰りして以来だった。頼母木小屋で亀山さん、W高橋さんに会う。そうめんを頂き、15時に下山する。
6月30日、イタリア軒の割烹「蛍」のランチが当たったので、家族で食べに行く。20年ぶりくらいに西堀を車で走る。その後、新発田で買い物をして村上に帰る。
6月24日、ブナ林の低木層を優占するユキツバキの写真を撮りに奥胎内へ行く。バードウォッチャーがいっぱいいて、ビックリする。それから山形県小国町の温身平らへ。以前訪れたのはどちらも15年以上前のことだ。
6月20日、関川マラソン大会に前村長がいたので、『山の本』夏号を差し上げたところ、丁寧なお礼の返事が届いた。「我々は貴重な体験をしているのかもしれませんね」と手紙には書かれていた。
6月17日、関川マラソンを走り、息子が当てた1万円のクオカードで夕食。その後、息子と岩船港に行き、1時間ちょっとでイワシを47匹釣る。そのイワシはマリネ、つみれ、かば焼きとなって食卓に上がった。
6月15日、1泊2日の出張から戻ると、『山の本』夏号が届いていた。連載コラム「越後の山と森を歩く」の二回目が掲載されているからである。季刊だから年4回といっても、三回目の原稿〆切まであと一カ月しかない。
6月10日、中島台レクリエーションの森は2回目だが、「あがりこ女王」を見るのが目的だ。「勝ったな」と一言。奈良白滝、元滝を見て、三崎公園で昼食。釜磯の海岸湧水に感激。最後は山五十川集落の玉杉を見る。
6月9日、鳥海ブルーライン登山マラソン。十六羅漢駐車場から大平山荘までブルーラインを登る大会で、今年で4回目だ。選手宣誓をしていた60代の女性と並走するが、最後に突き放されゴール。コンビニで買い出しをして、中島台レクリエーションの森に向かう。
6月3日、朝息子と一緒に岩船港に行く。昨年はまったく釣れなかったが、今年はアジやイワシが釣れているからだ。4時前から釣りはじめ、約1時間で41匹の釣果。だが、日曜の朝は釣り人が多い。
5月29日、松平山で遭難していた親子が発見されたが、県外からわざわざ松平山に登り、遭難レポーターまがいのことをして、インターネットにアップしている人はどういう神経の持ち主だろうか。
5月27日、母、息子と松代に行く。母の実家で荷物を降ろし、冬に亡くなった2軒の悔み。墓参り、塩漬けウドの蓋にするウドの葉採取、そして美人林へ。『山の本』の連載コラムの写真を撮るためだが、なかなかいい写真が撮れない。
5月20日、長井市の白つつじマラソン。最近はマラソン大会でしか走っていないと言うくらい走っていない。峠越えの往復があるので、登りだけ頑張る。タイムは51分台。45分を切れなくなってから何年目だろう。
5月13日、4時過ぎから雨が当たりはじめ、急いで家族を起す。コンビニで朝ごはんを買い、ゆっくりと能登半島を反時計回り。能登島の「のとじま水族館」で初めてジンベイザメを観る。漁師丼を食べて、あとはひたすら村上に戻る。
5月12日、有磯海パーキングで富山ブラックラーメンを食べ、千里浜へ。それから見附島、ゴジラ岩、千枚田を経由して、輪島の袖ケ浜キャンプ場でテントを張る。他は2組しかいなく、残飯を狙うカラスとトビの方が多いくらいだ。
5月6日、息子と一緒に櫛形山脈を縦走する。4年前は金塚駅から中条駅へと歩いたが、今回は中条駅から白鳥山に登り、鳥坂山〜櫛形山〜大峰山〜願文山を縦走し、金塚駅に降りた。
5月5日、夕方、息子と岩船港に行く。海は荒れていて、とても釣れそうにない。我々は10分もかからず家に戻れるが、1時間以上かけて山形から釣りに来た人が可哀そうだ。車で泊まっても、明朝は変わらないだろう。
5月4日、弥彦で開催されている故天野尚さんの写真展を観に行く。季刊『山の本』で連載している「越後の山と森を歩く」の8回目に天然スギについて書くことにしているので、「金剛杉屹立」の大型写真パネルを見たかったからである。
5月3日、NGT48の「2月・3月のお客様生誕祭」の息子と一緒に行く。万代を歩いていると「青年海外協力隊」のテントがあり、高校の恩師が立っていた。しかも、この3月に大学院を修了したばかりの後輩も一緒だった。劇場公演6回目。
4月30日、下渡山登山道の樹木名付けの仕上げをする。山頂で咲いていたミヤマガマズミの地面にはツタウルシが広がっていたので、学校に注意を促すよう連絡することにしよう。夕方は岩船港に釣りに行く。
4月28日、瀬波小学校の下渡山登山があるので登山道脇の樹木に名前を付ける。夕方は陸上自衛隊東部方面音楽隊による村上市制施行10周年記念コンサートを聴きに行く。
4月22日、温海さくらマラソンで30キロを走る。2週間前の笹川流れマラソンで痛めた左ひざをかばいながらだったので、初めて3時間を超えた。夕方は息子と海へ行く。ウツボみたいな魚が釣れた。
4月16日、外仕事から戻ってきたら、『早稲田里山の自然と歴史』(早稲田里山研究会)が机の上に置いてあった。思えば2001年4月1日に吉浦集落から早稲田集落まで歩き、「太平山」の石碑を発見したのがはじまりだった。
4月14日、お城山を登った後で下渡山に向かう。瀬波小学校の学校登山がゴールデンウイーク中にあるので、樹木に名前を付けるためだ。約100樹種あるのだが、そのうち20種弱に絞り込むのが難しい。
4月8日、笹川流れマラソンに参加して約10年目で最悪のコンディション。霙交じりの約2時間。低体温症で倒れているランナーがいる。自己ワースト記録の2時間越え。2週間後の温海さくらマラソンが不安になる。
4月6日、昼休みに職場の裏から歩いてミズバショウを見に行った。集落の人たちが広場の脇に植えたようで、きれいに並んで咲いていた。昨日構内に落ちていたクマの手はキツネか何かに持ち去られたようだ。
4月5日、娘の入学式を祝うかのように、シベリアアンズが咲き始めた。雪割草はもう終わりだが、コシノコバイモとミチノクエンゴサクは長く花を維持している。オサバグサの蕾も頭をもたげてきた。宣誓を読む娘よりも親の方が緊張した。
3月31日、雷集落から周辺の山を歩く。ブナ二次林を登って、663m峰を目指す。スギ林を抜けて広葉樹林を登り、630m峰に着く。左太ももが痙攣気味だったので、ここで下ることにする。下りは迷いながら駐車地点に戻る。
3月25日、荒川集落の先からあるピークを目指すが、地形図で確かめても現在位置がまったくわからない。標高300mでしかないのに、下ることにする。山仲間のIさんが近くに来ていたので、無線で連絡を取りあい、一緒にお昼。
3月24日、あがりこ姫経由で蒲萄山に登ろうとしたが、歩き始めて30分で雨が降り始めたので車に戻る。それから山熊田集落まで行き、柏尾集落に戻って林道海府線の展望台でお昼。
3月18日、新潟ハーフマラソン。なんとバースディラン。しかし、相変わらず走っていないので2時間を切るのがやっと。笹川流れまで3週間あるので、走りこまなきゃいけないなあ。
3月17日、枯れた庭のトチノキを伐採する。一昨年枯れたトチノキは根元にコフキサルノコシカケが生えたままで残った。去年枯れたトチノキからは、来年もエノキタケが出ると思われたが、泣く泣く伐ることにした。
3月15日、『山の本』春号が送られてきた。いよいよ依頼されていた「森林・樹木に関する連載コラム」が始まった。コラムのタイトルは「越後の山と森を歩く」にした。越後の山と森の姿から、読者が登る山の森の姿を理解できるような内容にしたいと思っている。
3月10日、去年の温海さくらマラソン大会で当てた温海温泉ペア宿泊券で萬国屋に泊まった。職場の忘年会で2回くらい泊まったことがあるが、20年前のことである。息子とのんびりと過ごす。
3月4日、11人で阿賀町の焼山に登る。高速道の下に駐車し、128m地点から尾根を登る。焼山北東の小ピークで福島との県境の景色を眺める。焼山山頂で昼食を取り、池を目指して下るが途中で尾根を間違え、林道に出る。
2月25日、息子がわかぶな高原スキー場のペア1日券を当てたので、3年ぶりにスキーに行く。息子は10年ぶりくらいだ。テレマークターンも何とか体が覚えていたようだ。
2月14日、平野歩夢君のパブリックビューイングに行った。4年前は娘が通う中学校の1年先輩だった。2回目を終わったところでトップに立った。当時の担任に「また泣きたいですね」と声をかける。最後の最後で逆転されるが、堂々の銀メダルだ。
2月13日、季刊『山の本』から頼まれていた春号の連載コラムの校正原稿が送られてきた。特に直すところもないのだが、仁川にルビをふった。コラム名の前に「新連載」とあり、少し恥ずかしいし緊張もする。とりあえず、与えられた8回分の内容が重ならないように構成を考えたい。
2月10日、1月21日に母と息子を連れて、映画「ミッドナイト・バス」を観た。今度は息子の他、家内、娘、義母を連れて観に行った。観客が映る場面が2回だと思っていたら、3回だった。あまりにも短すぎて、2回目の他に3回目に映っているかどうかわからなかった。
2月9日、瀬波小学校では毎年春に下渡山登山が行われる。そこで、学校登山の前に樹木に名札を付ける提案をしたら、校長先生が下渡集落の区長に許可を得てくれて、実行されることになった。まずは樹木リストの作成から行わなければならないな。
2月3日、午前中だけ天気が持ちそうだったので、家から下渡山に向かう。山頂では二人の女性が休んでいた。後ろのベンチに座ろうと雪を避けていると、「いい場所とって悪いわねえ。真ん中に座る?」と母親に近い歳の女性に言われ、思わず苦笑い。
2月2日、悪天候の中、娘が関東に行った。ディズニーランドに向かう夜行バスである。テストが1日延びたので、当初予約していたバスをキャンセルして、当日バスを予約し直しての即行である。
1月28日、大阪国際女子マラソンを観る。松田の力強い走りが印象に残った大会だが、安藤が苦しんでいるようにマラソンは2回目が難しい。むしろ前田が順調に記録を縮めていて期待できる。いずれにしても女子マラソンはこれから面白い。
1月21日、前売り券が知人からいただいたものも含めて8枚あるので、昨日映画「ミッドナイト・バス」を観に行った。アイドルのライブシーンでは大勢の中の左上に自分がいるのを確認できたが、撮影中にどこかの店で見つけたという犬がいい演技をしていて、完全に犬に負けたエキストラだった。
1月14日、漸く雪が落ち着いたので、家から近い調整池に行き、スノーシューで歩いた後、ステップカット付きのテレマークスキーで滑走を楽しむ。そり遊びをしに来た子供よりも長く遊んでいた。
1月8日、NGT48のミニライブを観に、万代へ行く。1時間前に並ぶと、だいたい500番目くらいだ。前から5番目くらいに同僚が見える。5時から並んだという。ミニライブの後は、手形ペイントでギネス記録の協力。
1月7日、蒲萄のあがりこブナの冬の姿を見てみたくて、ぶどうスキー場から歩く。積雪は1mくらいだったが、2時間弱で到着。カップラーメンを食べて、30分過ごす。今度は新緑の時期に来てみたい。
1月1日、元旦マラソン。マラソン大会で何度か一緒に走っているある小学校の校長先生から、「絶好のマラソン日和」と冗談を言われたが、走っている間は風が強いものの、まずまずの天候。しかし、タイムはついに50分台になる。