2008年
12月31日、子供と一緒にそばを打つ。それをお昼に食べて年越し。午後からは関川マラソン大会でもらった温泉の優待券が今日までなので母と二人で入りに行く。家に戻ってきたところで、子供の同級生のお母さんが走っているのを発見。負けずに明日のために2キロばかり走る。
12月27日、いつもより2日早い正月休み。で、パソコンで入力しようと思ったら、入力方法のマニュアルを職場に置いてきてしまった。年末は掃除でもしてろってことか。そういうわけで、午前は掃除、午後から2時間ほど走りに行く。元旦マラソンの練習か、いつもよりも走っている人が多い。
12月20日、12月なのにいい天気。娘をわらべうたの集まりの送り迎えの間ランニング。お昼を食べてちょっと買い物に出かけて16時近くなってからまたランニング。瀬波海岸では夕日が水平線に沈みそう。いつもは雲の中に沈むのだけど、今日は1年に何日もない海に沈む夕日を見た。
12月14日、お昼過ぎの13時半頃。今日は駅伝でもあるんじゃないの?と気づいた時はもう5区になっていた。ホクレンの赤羽はすごかったが、脇田もすごい。脇田の頑張りで豊田自動織機が優勝できたようなものだ。それにしても小出代表はどうしてこう女性を乗せるのがうまいのだろう。
12月13日、大学の先輩であるミ口さんの教授昇任祝賀会が新潟であった。ミ口さんの同級生も何人か来ておられたのだが、名前と顔はわかるものの一致しない。だって、25年ぶりくらいの人もいるわけだから。でも、25年も経っても昔の面影があるのは面白い。自分だって同じなのだが。
12月7日、「スパリゾート ハワイアンズ」から、「アクアマリン福島」へ。「マリンピア日本海」のように、ペンギンもイルカもラッコもいない。でも水の生き物を勉強させるなら、こっちだ。遊園地と博物館の違いだろう。それから「ららミュー」へ。寺泊の鮮魚センターのようなものである。
12月6日、職場の旅行で福島に行った。あぶくま洞は3回目になる。3回目ともなれば、感動も薄れてくる。それでもやっぱり鍾乳洞は楽しい。それから「スパリゾート ハワイアンズ」へ。炭坑業から180度転換した「常夏の楽園」。「常磐ハワイアンセンター」から名前も対象も変化して今日に至っている。
12月5日、新潟マラソン大会の記録集が届いた。同封の紙には、来年は国体が開催されるため、11月1日の開催と書いてある。これは理解できる。しかし、再来年の「新コース」の準備のため、フルマラソンは実施しないというのである。会場をビッグスワンに変えるのだろうか?
11月30日、昨日と変わって荒天。新潟に行く家内を駅まで送り、買い物をして関川村へ。ある店で朱鷺の情報を訊くと、「天気が良ければ、あそこにいるはずなんだけど、今日は天気が悪いから林にでもいるんだろう」という回答。雪が降るまで天気のいい日が何日あるだろうか。
11月29日、午前は家族総出で畑仕事。ネギと大根、キャベツ、カリフラワーを採る。明日は雨だから今日稼がなければいけないのだ。午後は中条に行って、飯豊と櫛形の地質の講演を聞く。地上だけでなく、岩を見るだけでと山の成り立ちが想像できるなんて面白い話だ。
11月24日、歴史博物館へ金印を見に行く。今日が最終日だし、これを逃せばほぼ一生見る機会がないと言ってもいいくらいだからである。それから、自然科学館の無料券が最終日なので、急いで高速で行く。3年ぶりくらいだが、特別展以外はほとんど変わっていない内容だ。どうする?
11月23日、9日と同じ内容なのだが、上級生の一人が都合悪くなって、3年生の娘がその代役をすることになった。前半の主役のようなものだがまあ声もよく出ていて、良かったと思う。夜はごほうびのしゃぶしゃぶである。なんと昨日から3連休は3日間とも鍋になったのである。
11月16日、ビールしか飲まなかったから、宿酔い無し。でも、10時に温泉に入って家に戻る。最後の東京国際女子マラソンを観る。勝って渋井節を聞きたかったなあ。加納にも勝たせたかった。でも若い選手が勝つのも、またいい。もっともっと若い選手に出てきてもらいたいものだ。
11月15日、暖かな日だった。午前の用事を終えて、午後から海岸へランニング。半袖短パンで走るのも今年最後かも知れない。家に戻って汗を流した後で、まほろば温泉へ。無線仲間との忘年会。毎年12月に行っていたのだが、12月は忙しいと今年から11月になったのである。
11月9日、村上市の「文華 秋の祭典」。昨日が踊り、今日は音楽である。娘の「越後村上わらべ歌教室」も参加するので、観に行った。しかし、息子はわらべ歌の前に演奏された琴の音の催眠術にかかってしまい、わらべ歌が終わる頃まで寝ていた。娘も舞台の上から息子が寝ている姿がわかったと言った。
11月4日、実家の最後の冬囲いをすませ、母の実家に寄る。川口サービスエリアに用があるので、十日町から堀之内に行って土佐屋で背脂チャーシュー麺を食べる。高速に乗って、新潟のゼビオスポーツで買い物をして、村上に戻る。夕方に久しぶりの10キロのランニングをした。
11月3日、祖母の一周忌の法要が行われた。副住職は私の同級生である。おときの席で、「お前に遅れたが・・・」と言って一冊の本を渡された。。『ジャンボ尾崎の勝負魂 なぜ今もなお現役で戦い続けられるのか?』(パーゴルフ新書)だ。彼はこの本を機に、来年は寺の住職になる予定だ。
11月2日、母の実家に行って、実家の初孫の顔を見た後で野々海に向かう。信越トレイルが全線開設され、西の窓のそばを通ったからだ。しかし、意地でも信越トレイルを歩いて西の窓には行きたくない。それに、「NPO法人 信越トレイルクラブ」のWSには、「信越トレイルを外れてはいけない」と書いてあるからだ。つまり信越トレイルから西の窓に入ってはいけないのである。いつものように野々海池に車を置いて、池の淵を歩く。以前のようにはっきりした道ではないが、ところどころに国有林の標識があり池の端に辿り着く。池の水は秋にしては多かったが、なんとか沢へ下りることができた。そこから沢を遡る。最初の3m滝は左側からユキツバキを掴んで登る。さらに左側の沢を進むと右側が明るくなってくる。そして、右の藪に突っ込んで西の窓に出た。初めて西の窓に行ったのが、17歳の時だから30年目になる。池塘を確認し、信越トレイルが通っている方向に向かう。信越トレイルを歩いている登山者から、「そこに入ってはいけませんよ」と言われたら、「私はこっちから来ました」と言って、池の方向を指さすつもりである。信越トレイルに一番近い場所にはやっぱり信越トレイルから踏み跡ができていた。さらに周囲を歩くと、また踏み跡を発見した。しかも、林の中に道が続いている。その道を進むと信越トレイルにぶつかった。分岐点には伐った木を積んで、「この先へは行ってはいけない」ようにしてあるが、子供でも越えられるほどである。信越トレイルに出ると野々海峠からやってきたきのこ採りの男性がやって来た。西の窓へ続く道をのぞき込んで、「縦横無尽に道があるんですね」と言う。トレイルを少し西に向かって、西の窓まで最も近い距離が約10mであることを確認する。がっかりした。「信越トレイルを外れてはいけない」とWSとあるのに、西の窓への道を造っていたのだ。いや、これが信越トレイルなのだ。NPOは西の窓へ行けるように道を造ったのだ。この道を辿れば西の窓に入ったって、トレイルを外れていることにはならないのだ。
11月1日、母と二人で松代に戻る。村上出発が七時になったので、買い物などをして家に入ったのが12時になってしまった。午後2時になると、二男のサッカーの試合が中止になったので、弟も米を取りにやってきた。天気もいいし、弟も加わって冬囲いがはかどる。
10月26日、三面メモリアルパークの近くの空き地で焚き火を囲んで10人が宴会をした後、急斜面を上って宇連萩山を目指した。途中の池は雪解け直後なら大きいのだろうが、秋では小さい池が二つだけ。三角点を囲んで少し休んだ後で、北尾根に向かってアシド沢を下って宴会場に戻る。
10月25日、「お父さんと一緒にチャレンジしよう」2回目が高根であり、ピザとバームクーヘンを作った。バームクーヘン作りはなかなか時間がかかるが、芯にした竹からあんなにうまく外せるとは思わなかった。14時に終わり、息子を一人バスに乗せて10周年記念会場にに向かった。
10月13日、瀬波地区の駅伝&ロードレース大会。今年は息子も6年生になったので駅伝メンバーだが、たったの150m。写真を取り損ねるほど、あっと言う間だった。その後でロードレース。高中低学年ごとに走ったが、息子が13位、娘が6位。息子は風邪が完治していない状態で、よく頑張った。
10月12日、新潟マラソン大会。2回目のフルマラソンのせいか、去年よりも楽に走れた。関屋分水を渡ってからのラスト5キロは去年同様足が痛かったけど、去年みたいに歩くような速さではなく、しっかりと走れたと思う。記録は3時間43分39秒。去年よりも約13分縮めた。
10月5日、母と子供と一緒にハゼ釣りに行く。しかし、先日と同じようになかなか釣れない。ウグイやフグを釣った後でやっとハゼが4匹だけ釣れる。中州公園でやっているSMC駅伝大会を見に行く。それから来週の新潟マラソンに備えて21キロラン。この程度の距離で膝が痛むのが気にかかる。
9月28日、村上・笹川流れ国際トライアスロン大会。生憎波が高く、エリート部門は距離を短くしてスイムを実施したが、それ以下はビーチランのデュアスロンになった。我がチームは第3位でバイクからアンクルバンドを受け取ったが、10キロ自己ベストの42分47秒で走るものの、38分台の後続チームに越されて、残念ながら第4位だった。
9月27日、父子の行事で山形県小国町の森林公園に行く。この森は山頂の展望台へ行ったことがあるが、バンガローやキャンプ場がある場所は知らなかった。村上に戻ってきてからは、明日のトライアスロンの受付をして、選手説明会に参加。「国際」だから、外人も多く、いつもと違う感じ。
9月23日、午前中は子供と一緒に絵手紙の教室。絵筆なんて持ったのは数年ぶりだから、当然絵の具がうまく塗れない。でも下手くそでいいらしい。大人が描いたって、子供が描いたって区別がつかないくらいだ。午後は昼寝の後でちょっとランニング。日曜日のリレーメンバーとすれ違う。
9月21日、白鷹若鮎マラソン大会。雨だが、去年と違って暑くないので、キロ4分30秒でどこまで走れるか試す。10キロは45分弱。16キロ地点で4分30秒ペースから1分近く遅れるが、そこから挽回。20キロ地点で、1時間l35分切りを目指してラストスパート。1時間34分59秒だった。
9月13日、新潟マラソン用に新しいシューズを買った。アシックスも持っているが、どうも自分にはスピードが出ないように感じる。それに脚力がないせいか、30キロを超えると大腿四頭筋が痛くなる。というわけで、やっぱりアディダスに落ち着いた。走るごとに足になじんでくるのが気持ちいい。
9月7日、S&Bちびっ子健康マラソン大会。息子は3キロ15分1秒、娘は2キロ10分8秒。雨の中よく頑張った。帰りはおいしいものを食べに行きたいけど、病院へ行かねばならないのだ。でもマラソン大会の日の夜はいつも焼き肉。走って食べて今日も一日楽しかったと言えるのか・・・。
8月31日、かみはやし穀菜マラソン大会。朝は寒いくらいだったけど、9時を過ぎれば暑い。10キロのタイムは44分9秒。去年よりも7秒遅い。10キロのタイムはこれが限界かなあ。今年の10キロの大会はこれで終わりだと思っていたが、いやいやまだあったのだ。今度はリレーだ。
8月25日、東京疲れで身体が怠かったけど、海岸へ向かう。往復6キロコースで止めようと思ったが、さらに進んで10キロコースへ。すると波に打ち上げられた白と緑の海藻が芸術のようだ。急いで家に戻ってカメラを持って車で海岸へ。でも思うような写真が撮れない。
8月24日、朝母と二人で雷門へ行く。朝早いけど浅草は初めてなのである。本当は昨日上野駅浅草口近くにあるスポーツショップでシューズを買って浅草を朝ランするつもりだったが、シューズがモデルチェンジのようでショップに無かったのである。というわけで雷門往復1キロ。
8月23日、母と二人で東京へ行く。上野駅で降りて浅草口へ出る。タクシーに乗って浅草ビューホテルへ。夕方から従姉妹の結婚式と披露宴なのである。26階で眼下に花やしきと浅草寺を見ながら披露宴は進む。終わり頃になってカメラにエラーが出て、カメラが使えなくなる。
8月18日、朝は名物の霧が出る。寒いくらいだ。でも霧の上に出ると刈羽黒姫山が霧の上に浮かんでいてきれいだ。小千谷市の勝龍でラーメンを食べて高速に乗って村上に戻る。月間300キロの目標から離れそうなので、夕方から15キロ走る。何とか18日で170キロを超えたようだ。
8月17日、朝から雨である。昼近くになって車で津南町に向けて出発。「かどまん」でお昼を食べて、「なじょもん」でひまわり畑を見る。縄文時代に家を見て十日町のイオンで買い物。途中で大地の芸術祭の廃校に行く。子供はカボチャが釣り下げられた体育館や教室で絵を描いて楽しむ。
8月16日、子供を連れて松代に帰る。しかし、ポケモンのスタンプラリーをしながらだから大変だ。村上、胎内、新潟のセブンイレブンに寄り、十日町市に着いてからも、さらにセブンイレブンを捜す。漸く8店舗で違うスタンプを押して、実家に着く。実家に着いて久しぶりに東山集落に行ってみる。
8月13日、息子と月山登山。息子が最初に月山に登ったのは年中の時。それから7年が経った。でも幼稚園の時だから息子は全く覚えていない。私がほとんど背負っていいたから当たり前なのだが。というわけで自分で歩かせようと息子と一緒の登山。6年生だから予想以上に歩いたのは当たり前か。
8月12日、子供と一緒に恐竜大陸。それから万代島美術館。さらに「崖の上のポニョ」を観る。でも映画は期待外れ。「おわり」の字幕が出ても、ほとんどの人が立ち上がらない。「まだ何かがあるじゃないのか」と思っている人が多いのだ。やっぱりポニョは人間になることができない結末の方が良かったんじゃないのか。
8月10日、まず1回目の松代往復。いつものように黒崎Pで朝食を食べ、十日町で買い物をして、実家へ。窓を開け、家に風を入れて、美人林まで往復。お昼を食べて昼寝をして、母の実家に寄る。長岡まで下道を走り、高速で新潟まで。新々バイパスの上りはすごい渋滞。
8月4日、教育関係の講演を聞いた。あらかじめいただいたパワーポイントの資料は文字だらけだし、これじゃ眠くなっちゃうと思ったけど、講演者がうまいのか眠くならなかった。午後は昨日と同じ子供のスポーツクラブで水泳。その間に息継ぎを少なくしてクロールしたら、これまでよりも少し楽に泳げた。
8月3日、子供のスポーツクラブの水泳が終わった後で、フロアでテレビの高校野球を観る。なんと2−2で善戦しているではないか。車に乗ってラジオを聞いたら、9回裏で2アウト3塁でサヨナラ負けの危険。「3人で1アウトを取る気持ちで・・・」と祈っていたが、勝負を急いでしまってサヨナラ2ランを浴びてしまった。
8月2日、小学校のサマーキャンプ。昼間はキックベースとプール。それから水泳の後、カレーライスを作って食べて、肝試し。昼間のキックベースよりも暑い肝試しの幽霊役(と言っても、暗闇の中で水滴を垂らしただけだったが)。駆け足で走っていくので、上から水をかけにくく驚く子供はあまりいなかったが。
7月27日、酒田砂丘マラソン大会。34度の暑さ。給水所でコップを3つ受け取り、口の中と腹と背中に。しかし距離表示がない。40分経ったので、「あと1キロだ」と思って走っていたら、「あと1キロ」の表示。結局45分54秒。去年のようになかなか45分を切れない。息子は2キロ10分00秒、娘は10分6秒。
7月21日、さすがに3連休の最初に30時間で65キロ走ったせいか、走る気持ちになれない。いつものランニングコースを、息子の自転車で1時間かけて走る。海の日の瀬波海岸は大にぎわいだ。午後からはきれい館。子供と泳いだだけではない疲労感。ランニングの疲れがまだ残っている。
7月20日、今日は3時間半ほど走る。午後からミロさんのとりあえずのお祝いに行く。19時開宴というが、乾杯は19時半近く。2時間飲み放題というが、もう30分のロスである。20時半には帰らなきゃいけないから、1万円置いて店を後にする。新潟駅まで同級生と仕事の話。
7月19日、朝の3時間走を終えて、粟島へ行くという東京のテレマークスキー仲間のご夫婦に〆張鶴とウドの油炒めの差し入れを持って岩船港へ行く。昼寝をした後で、県展を観る。県展賞を取った作品はなるほどなあと思うが、他は部門によって、自分にはよくわかない作品も多い。
7月14日、「ガムシャラな風になれ」は来年行われる新潟国体のイメージソングである。CDにはオリジナルバージョンの他、ダンスバージョン、アコースティックバージョンもある。今まで小学校の運動会などの準備運動でしか聴いたことがなかったが、なかなか感動してしまうのである。
7月11日、白鷹若鮎マラソン大会のハーフと新潟マラソンのフルを申し込んだ。若鮎は新潟マラソンのステップレースだが、自分が一年間出場している大会の中で唯一公認のハーフである。あと新潟マラソンまで3ヶ月。『マラソン実戦力アップマニュアル』に従い、自分の実力に合わせて走ってみようか。
7月3日、雨の中で仕事をした。ポリシートに雨がポツポツ当たる。なんだか懐かしい音。そうだ、テントに雨が当たる音である。最近、テント山行なんてほとんどしていないし、雨が降らない日を狙って行っているから、テントに雨が当たる音なんて暫く聞いていないのだ。
6月28日、初めての駅伝大会。しかし、タスキを受け継いだものの、前のランナーは100m以上も先。しかも申告タイムとの誤差も記録しているから、時計禁止でなおさらペースがわからない。結局、自分の予想タイムよりも1分も遅かった。まわりにランナーがいないとペースがわからない未熟者である。
6月27日、女子1万メートルをテレビで観た。渋井、赤羽、福士の3人に絞られる。ラスト2キロで福士がスパート。しかし、赤羽、渋井が続く。今度は赤羽がスパート。しかし、福士が追いつく。ラスト1周。赤羽がスパート。そして最後に渋井が巻き返す。まれに見る感動のレースだった。
6月22日、「せんべい王国」があるのは以前から知っていたが、子供を連れて行ったら喜ぶだろうなと思い、行ってみた。思ったよりも小さかったが、子供たちは大喜びだ。でも、せんべいに絵を描ける手焼き体験は2枚で600円は高すぎる。今度は「きりん君」を使って家で焼いてみよう。
6月21日、家内を送り、娘を送り、息子とお城山に登ろうと駐車場に向かっていたら、車がプスンプスン。JAFを呼んで、自動車屋で部品を交換して午前は終わってしまう。それにしても暑い。こんな暑さの中で走ったらどうなるのだろうって思ってみたが、やっぱり涼しくなってから走っただけである。
6月15日、3年目になる大石ダム湖畔UP・DOWN関川マラソン大会。少なくとも去年のタイムを更新しようと思うが、10キロ地点で去年よりも1分半ほど遅い。それでもラスト5キロを頑張り2分縮める。家に戻ってから、子供は今日の作文を書いて、きれい館に行く。あ〜、疲れた。
6月14日、今朝地震があった。次々とテレビに映し出される被害の映像。そして駒の湯が・・・。今から10年前のことだが、ゴールデンウイークに何度か駒の湯キャンプ場にテントを張り、クロパインカップに出場。その度に入った温泉だった。確かにキャンプ場から下ったところだったが、土石流とは。
6月12日、温海さくらマラソン大会の記録集が届いた。去年よりも3分半遅かったが、去年は40代で51人中30位だったのに対し、今年は44人中21位である。やっぱり暑くてランナーは辛かったのだろうか。『岳人』7月号も届いた。町田さんをインタビューした高桑さんの文章がいい。
6月8日、子供を連れて新潟に行く。ロフトで娘の欲しい物を買い、食事をした後で、息子とボウリング。娘はボールを拭く係だ。息子はノーガーターレーンにしても、ノーガーターレーンを飛び越えてガーターにするほどだ。3ゲームずつしたが、スコアがだんだん減っていくのは歳のせいか。
6月7日、2週間前ほどからの腰痛がなかなか治らないので病院に行った。確か去年も同じ頃、腰痛になったように思う。我慢できない痛みではないのだが、関川マラソン大会に備えて痛み止めをもらいたいだけなのである。病院の帰りに六斉市に行って、ぽっぽ焼きを買う。
5月31日、昨日の火葬に続き、今日は葬儀である。家内の実家に迎えに行くと、隣の家もおばあちゃんが亡くなったようで慌ただしい。荒川の親戚も1回しか車で行ったことがなかったが、何度も通って道がわかるようになった。しかし、今度母を連れて行くことくらいしかないのが残念である。
5月25日、新発田に行って買い物をして、いつものように遊んで戻って、きれい館へ。大人の回数券があるのだが、期限が6月までなのである。というわけで、子供の券だけ買う。でもあと毎週行くわけにいかないから、仕事帰りにも行かなきゃいけないだろうな。疲れが残らないようにしないと。
5月24日、小学校の運動会。午後から雨の予報が、朝になったら1日曇りに。息子は小学校最後の運動会なのでリレーも頑張った。でも親との二人三脚はダメ・・・。娘の借り物競走は野球帽をかぶり、シマシマのシャツを着て、ベルトをして、眼鏡をして、そばにいたから1番でゴール。
5月18日、全国白つつじマラソン大会。朝はやっぱり左膝が痛い。慎重にキロ4分40分で走り、先週と同じようにラスト1キロをスパート。気持ちよく前を走っていたランナーを数人追い越してゴール。でも去年よりも約1分遅い。今年と去年を比べると天気がいいとタイムが遅くなっている。
5月13日、仕事を終えて20時頃家に戻ると、空には星が見えた。北斗七星と北極星を確認し、家に入って、空の絵を描いて息子に説明。そして外に連れ出し、北斗七星を教えて「北極星はどこだ?」と訊くとすぐにわかる。残念ながらカシオペア座は近くの家に隠れていて見えない。
5月11日、全国白川ダム湖畔マラソン大会。汗かきの私には雨の方が速く走れるのか、雨だった去年と比べて約30秒遅い45分51秒。左膝の不安を抱えたままだから、しかたないものの、それでもラスト1キロは4分前後と頑張った。子供たちも2キロ10分切りまでもう少し。
5月10日、『岳人』の岩城さんから、「町田さんにインタビューすることになったのですが、何か訊きたいことはありますか」とメールが来た。町田さんが以前「毛猛と矢筈に登山道ができたら日本の山はおしまいだ」と書いていたのを見た記憶がある。マイナー名山に標柱を建てる山岳会や必要もない登山道を開設する団体に苦言を呈してほしいと答えたのは言うまでもない。
5月6日、庭のトチノキが電線に届いてしまったので、枝を下ろす。葉が茂る前に下ろせばいいものの、こんな時期になってしまったから、かなり困難だ。午後からは子供を連れて羊の毛刈りを見に行く。仕事を終えた家内と合流し、岩船の餅まきに行く。子供にとっては貴重な体験である。
5月5日、畑のゼンマイやウドを採る。しかし、1年分を漬け込む量を採るには、まだ早い。母が実家にいる間にも大きくなりそうにない。また日帰りで来なければいけないのだろうか。母を松代に残し、子供を連れて村上に向かう。久しぶりに高速に乗らないで5時間運転した。
5月4日、母と子供を連れて松代に帰る。残雪があって、ブナの若葉が青くて、この季節が好きだ。親戚に土産物を届けるが、あまりの天気に家には誰もいない。しかたないので、車庫のシャッターを開け、中に置いてくる。十日町のジャスコに行って夕ご飯の食材を買って実家に戻る。
5月3日、まずは明日松代に帰るので、山へ行ってタケノコ掘り。母はタケノコ掘りは初めてだが、短時間で10数本掘る。母にとってタケノコとはこれまでネマガリダケだったのである。次に土産の魚と酒を買う。午後は義父の三回忌。午後一時にお寺に行って、夕方子供たちだけで食事。
5月2日、亀山さんらと鳥海山祓川コースを登って滑る。これまで鳥海山の南と西斜面は滑ったことがあるが、北は初めてだ。しかし、スキーツアーは4年ぶりである。足にマメができているようだ。ザックはデジタル一眼が入っているので重い。雪はザクザク。というわけで、思うように滑られなかった。
4月29日、子供を連れて要害山へ行く。数えてみたら息子は8回目、娘は6回目だった。だからどこで休むかわかっている。水場にヒキガエルの卵があるのも覚えている。山頂でいつものようにラーメンを作っていると、「あ〜ら、お父さん何作っているの?」とおばさんが来る。
4月26日、娘が「わらべうた」の集まりに行くので公民館に送り、そのまま息子と一緒にお城山登山。イチリンソウが花盛り。午後からは大観荘の海側にできた足湯へ母と子供を連れて行く。母と子供が足湯につかっている間、海岸をランニング。足湯の客がずらりとならんでなんか変な気分。
4月20日、温海さくらマラソン大会。30キロ。2時間39分16秒。最低でも去年のタイムを切ろうと思ったが、この暑さでそれも無理。なんとか大腿四頭筋を鍛える方法はないものか。心肺機能はまだ頑張れるのだが。地道に走り込むだけか。とにかく何とかしなければならないのだ。
4月14日、先週金曜日に納入指導があったのだが、代理店の人は指導にあたってツナギを着た。そうだ。父が退職して、次の冬に1年だけ勤めていたスキー場のツナギの出番がとうとう来たのだ。ツナギなら上着とズボンの間から粉塵が入るのを防ぐことができるのである。
4月13日、桜がほぼ満開近くなってきた。林道海府南線を走ると山も花盛り。家に戻り、山形へ雪見に行く。もう雪は1mもないようで、2週間後にはすっかり消えてしまうだろうな。帰りに荒川の桜を見に行く。無料のキャンプ場に遊歩道が整備されているから、人がいっぱい。
4月12日、新潟に行った帰りに中条のミズバショウを見るが、ハンノキがもう芽吹いていて、ミズバショウはすっかり葉が大きくなっていた。笹川流れマラソン大会の写真がアップされたので、見たらいい感じで笹川流れを走っていた。また注文するか。それにしてもうまい商売だ。
4月11日、また来年新潟県の山のガイドブックが出るようだ。それもどうも「百山」らしいが、「越後百山」とは違う「百山」のようだ。山のガイドブックは出せば、ある程度は売れるものだが、道のない山もあるようだ。高尾山での遭難騒ぎが増えているそうだが、有名なガイドブックのせいらしい。
4月6日、笹川流れマラソン大会。4回目のハーフで1時間39分31秒。自己ベスト更新とはならなかったが、何とかとりあえず1時間40分は切れた。息子は賞品ねらいだから、風邪をひいていても走ったが、娘は首が痛いとか言いだし、結局キャンセル。そのくせ夜の焼き肉はしっかり食べた。
4月5日、「一番速かったらコースがわからないので、下見に行きたい」と娘が馬鹿なことを言い出すので、笹川流れに行ってスタート地点からゴールまで一緒に1.5キロを走る。帰りに野潟の海で遊んで、瀬波をまわって諸上寺山へ上がる。カタクリが満開で散策する人がたくさんいる。
4月4日、津南へ行った。やっぱり4月の上旬は1m以上雪がないとこの時期の春って気持ちにならない。もう4月下旬のような景色だった。プランターのブナが芽吹いてきた。去年何度も枯損の危機を免れたのだ。今年はそんな心配がないように日陰において水を忘れないようにしよう。
3月30日、朝10キロ走り、町内の総会を終えて、昼前にもう一度10キロ走る。久しぶりに月間走行距離が200キロを超えた。お昼を食べて、炬燵でうたた寝をして、今度は子供たちを連れて朝日村のきれい館へ。クタクタの日曜日だから、ビールを飲んでしまえば、あっという間に寝てしまうだろう。
3月29日、イオン新潟南店にはじめて行った。行く店はだいたい決まっているのだから、確かに新発田店を少し大きくしたようなものだ。だけど、モンベルのショップがあったのはビックリした。ランナーズ5月号増刊の『トレイルラン』を買おうと書店に行ったら、『トレイルランナー創刊号』なんて雑誌もあったので一緒に買ってしまった。
3月26日、最近、娘が「これ、オオイヌノフグリだよね」とか、「これはヒメオドリコソウだよね」と言う。去年教えた草花を覚えているのだ。でも、これ以上覚えようとしない。日曜日のサワラに続いて、今日は粟島から大きなアジが届く。早速、刺身にしていただく。いくら走っても体重は減らない。
3月22日、職場有志による温海温泉での送別会を終えて家に戻る。土産はいつものダイゴのパン。昼過ぎに家内が仕事から戻ってきて、家族でSLひなまつり号を見に行く。ポイントとなる地点には子供連れなどがたくさんで車の置き場所がない。家族を置いて、遠く離れて写真を撮る。
3月20日、娘が昨日寝る前に高橋尚子や谷川真理などのマラソンの本を見ていた。小2だから読めるわけはないのだが、「明日は走るから4時に起こしてくれ」と言う。でも4時はまだ暗いんだなあ。結局朝一人で走る。夕方娘を誘うと「朝起こしてくれなかったから走らない」と言う。やっぱり練習嫌いなのだ。
3月19日、鷲ケ巣山バックの朝焼けの写真を撮ろうと携帯を開くとメールが2通。列車に乗るとそれから携帯を使うまでマナーモードのままなのである。携帯なんて滅多に使わないから、1日遅れの受信となった。どちらも誕生日おめでとうと女性からのメール。女性はマメである。
3月16日、家族でわかぶな高原スキー場に行く。わかぶなは3月になると毎週日曜日は小学生は無料らしい。だからいつものように焦ってリフトに乗ることもないが、親は1日券なので元をとろうと一生懸命。ポールが設置してあったので、久しぶりにテレマークのレース気分を味わう。
3月15日、新発田へ職場の同僚がやっている雪割草展を見に行く。母は雪割草よりも手作りのひな人形が目当て。子供は車の中で待機。無線仲間の杉さんから雪割草をもらう。これで杉さんからいくつもらっただろうか。しかも当年生実生つきである。どんどん鉢が増えていく・・・。
3月9日、予想は当たらず、すごいスローペース。どうしてって思うくらい。結局大阪の森本の記録を更新できなかった。明日はもめるだろうが、今日優勝した中村が選ばれるだろう。ベテランはスローペースにリズムが乱れたのだろうか、本来の力が出せなかった。高橋が本来の調子なら・・・。
3月8日、名古屋国際女子マラソンは大阪国際女子マラソンの日本人トップの2時間25分34秒を切って日本人トップになれば北京へ行けることからスローペースになるという。本当にそうだろうか。誰が優勝してもおかしくないレース。誰かが一か八か飛び出しそうな気がするのだが。
3月7日、2月27日の新潟日報に高校の生物部の顧問が定年1年前に退職し、非常勤講師をしながら自然観察のボランティアをしているという記事があった。一方今日は高校1年の時の担任が県の教育次長に登用されるという記事が目に入った。30年以上前にお世話になった先生のそれぞれの人生である。
3月2日、いつも飲んでいながら寝てしまうから記憶がないのだが、布団に寝ていたのだから、早く寝てしまったのだろう。アルコールも残っていない。今日は天気も良さそうなので、牟礼山へ行く。風が強いので、雪庇の陰で休む。雪庇飛び降りパフォーマンスなどの芸も加わる。
3月1日、午前にパルパークへ行くと、従兄弟のSさんがいて、一緒に1時間走る。午後から藪山ネットの飲み会があるので、15時半に家を出る。会場に着くともう集まった仲間だけで飲んでいる。早く来たもの勝ちなのである。くじ引きで場所を決めて、正式な乾杯。仲間が来る度に乾杯にになる。
2月24日、横浜国際女子駅伝を観て、パルパークへ。2日続けての10キロだから、途中からスピードダウンして何とか走りきる。それにしても今月も100キロに到達しなかった。休日に10キロ走ったとしても90キロだから、やっぱり平日ランが必要になる。早く雪が解けないかなあ。
2月17日、東京マラソンを観ていたものの、昨日の飲み会の疲れがあり寝てしまう。ゴール間際で起きて、「今日も終わりか」と思って時計を見ると、まだ12時前だ。そうだ、スタートは9時だったのである。半日もうけたような気分で、14時過ぎから家から歩いて下渡山へ向かう。
2月9日、せっかく息子の誕生日が土曜日になったのに、今日は授業参観で学校。午前は娘の作文発表会、午後は息子の生活発表会を見に行く。『渓流』を買う。でも表紙の様子がおかしい。「編集後記」を見ると、今年から春号夏号の2冊ではなくなり、年1冊になってしまったらしい。
2月3日、瀬波海岸を走って家に戻る途中、「ザザー」と車が滑る音。振り向くとそのまま車は電信柱にぶつかった。バンパーとボンネットが変形しただけで、運転手は無事だったが、平日なら小学校の真ん前なので子供達が横断歩道を渡っている時間帯だった。
2月1日、5月に開催される山形県のマラソン大会を検索していたら、飯豊町の白川ダムマラソンのゲストは有森裕子さんだった。確かに町長は「来年は町制50周年」だと言っていた。長井市の白つつじマラソンは喜多秀喜さんだ。今年も行かなきゃと思う。
1月28日、福士へのバッシングが多い。でも福士だけが大阪で北京を狙って走っていた。自分の可能性を信じて。批判するなら、福士をもっと早くから追えなかった2位グループだろう。練習不足の福士よりも練習していたのに北京へチャレンジする気がない2位グループの中から次の世代が生まれるとは思えない。
1月27日、福士がああなるのは8、9割の確率で予想できたのに、それでも期待してしまったのは身近にいて福士のすごさを知っているかフルマラソンを走ったことがない人だろう。マラソンはイージーではない。それでも何度も転びながらゴールしたのは、沿道の応援があったからだろうが、福士は絶対何かを得たはずだ。頑張れ、福士。負けるな、福士。
1月26日、息子を連れてわかぶな高原スキー場に行く。雪は降ったり止んだりだが、昼になると時々吹雪が混じる。息子と何度か中級者コースを滑る。これならぶどうスキー場も下だけなら滑られそうだ。午前券なので、お昼を食べて家内の実家に寄って家に戻る。
1月20日、朝、息子と娘にスキー靴を履かせてみると、息子は小さいという。確かもうスキーを始めて3年目だから当たり前だ。スキーに行こうと思った日では遅いので、息子の新しいスキーを買いに行く。2年くらいしたら、娘も使うのだから色選びが大変だ。
1月19日、パルパークで1時間ほど走って家に戻ってくると、時々陽が射すいい天気。近くの空き地では子供たちがソリ遊びをしている。そういうわけで、子供にソリ遊びをさせている間、クロスカントリースキーで周回コースを作り汗を流す。近所の人には「変わり者」と思われているだろう。
1月17日、昨日笹川流れマラソン大会に申し込んだばかりなのに、今日は温海さくらマラソン大会の案内が届いていた。昨年は雨だったけど、今年は雨があたらないことを願う。満開の桜の中のスタート、ゴール。道路脇の草花や峠の残雪。やっぱり、自然の中を走る大会は楽しいと思う。
1月13日、昨日の午後に続いて午前も走りに行くが、やっぱり座骨神経痛が原因か左足がおかしい。今日は1時間も走らず切り上げる。午後からは女子駅伝だ。なんと言っても2区。湯田と浦田のトップ争いはファンには最高。新潟は燕の中学生が頑張ったけど、駅伝はトータル勝負だから難しいね。
1月12日、家内の車が車検なので車屋に持って行く。立ち会い車検だと2時間程度で終わるというのだ。ところが実際に立ち会っている時間は合計15分くらいで、あとは喫茶店のチケットをもらって道路向かいの店で読書。お昼は久しぶりにつきたての餅。それぞれが思い思いの方法で食べる。
1月11日、元旦マラソンの写真が予定日より1日遅れて掲載された。しかし、まともに写っていたのは自分だけで、息子は前のランナーの腕に身体が隠れ、娘は髪を振り乱して顔が半分見えない。ゴールだけじゃなく、もう一人くらいどこかにカメラマンがいればいいのになあって思ってしまう。
1月6日、宿酔いが醒めたところで、再度温泉たまご作りに挑戦。今度は9分と10分にした。やはり温泉が熱いのか、温泉たまごを少し追い越している。母は景色のいい場所だと感激し、今度はおにぎりを持ってきて、ゆで卵を作ってお昼を食べ、瀬波温泉に入るプランを考えていた。
1月5日、さっそく温泉たまごを作りに来た。71度の場合、温泉たまごは20分である。しかし、温度は80度になっている。家まで持ってくるうちに、ゆでたまごになってしまうという話も聞いた。そこで16分にした。卵をすぐに冷やすために水も持ってきた。でも、やっぱり時間が長かったのかゆでたまごになってしまった。
1月3日、元旦マラソンの後からアルコール漬けである。箱根駅伝の途中で瀬波海岸に走りに行く。時折陽が射すと暑いくらいだ。途中で伊夜日子神社に寄る。ここに来る度に「千と千尋の神隠し」を思い出す。卵をいつゆでようかと思いながら、なかなか来れない。北越はよくやった。
1月2日、毎年恒例の登山の日。法印瀑から登るが大峰山の小屋まで3時間かかった。一緒に登った仲間がそのことをしゃべったら、そのコースを歩いて下るという人が二人。天気が回復してきたからいいものの、遭難ってこんな感じで起きるものなんだなあって思った。
1月1日、元旦マラソン。心配していた天気だったが、雨も雪も止んだ。しかし風が強い。走り始めからすごく苦しい。少なくても45分を切りたかったが、去年よりも21秒遅い45分43秒。息子は3年連続で賞品ゲット。今年はなんと村上牛。走るのは後ろから片手で数えられる順位なのだが、運だけはいい。