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2021年

12月29日、『越後百山』の著者から、『絶景・世界の山歩き』が届いた。「はじめに」を読むと、『越後百山』の出版から20年目であり、「その後の登山の方向性を模索していた」とある。『越後百山』には著者と歩いた記録がいくつかあるが、私自身はこれまでの登山で山頂の樹木のリストアップでもしておけば良かったと悔やんでいる。

12月24日、ブナとウラジロガシが接している写真を撮りたくて、羽黒神社に行った。以前写真を撮ったのだが、写真を探すよりも撮りに行った方が早いと思ったからだ。それから、山居山方面に向かって山居町に下りた。どのあたりが薬師山なのかわからないが、アカマツが優占する森林が確認できた。

12月13日、早くても明日届くと思っていた『山の本』冬号が届いた。信越トレイルのガイドブックで「西マド湿原」とされている湿原を巡る記憶を終活のつもりで書いた。自分しか知らないことは、文字として書いておかなければ、何も残らないからだ。

12月11日、光兎山に向かったが、雷峰で引き返した。目的の写真は撮れたし、山頂まで登っても飯豊朝日は見えないし、寒いだけだから。登山口に戻り、家に向かっていると雨が当たってきた。雷峰で引き返して正解だった。

12月5日、なんとか天気が持ちそうだったので、10時に家を出て高坪山に向かった。久しぶりの蔵王コースを登り、高坪山から飯豊の展望地へ。ここでカップラーメンを忘れたことに気づき、おにぎりを1個だけ頬張って、虚空蔵峰からブナ巨木を見て、荒島城コースを下った。

11月16日、所用があって、実家があった十日町市(旧松代町)に行った。道の駅で美人林を間伐したブナで作った箸を買った。紅葉が一番きれいな時だ。母の実家でお昼をいただき、村上に戻った。

11月7日、焚き火を消火し、7人で立烏帽子に登る。それから、稜線沿いに葡萄鼻山に向かう。珍しいヤマグルマの藪だが、登山道のように刈払われている。葡萄鼻山から下り、炭窯跡の写真を撮る。帰りは一人で西俣コースを歩き、二人に碑に手を合わせた。

11月6日、関川村の梁山泊で焚き火をした。午後3時集合で、300m先から丸太を集めた。午後4時にとりあえず乾杯。そして、全員が集まったのは午後6時になった。夜遅くまで藪山話が続いた。

10月24日、翌月に利用する梁山泊を下見した。立烏帽子に登ったのは25年くらい前なので、記憶がまったくないからだ。梁山泊からヒカバ平へ向かう道を進み、葡萄鼻山の登り口を確認した。カメラも携帯も忘れたので、大きな炭窯跡の写真が撮れなかった。

10月19日、二王子岳に登った。炭窯跡に小さい種子の樹木が定着しやすいという仮説を検証するためだ。炭窯跡は2箇所見つけたが、残念ながら小さい種子の樹木は生えていなかった。しかし、鴨池の少し上にある2つの水たまりでマメシジミを発見したのは収穫だった。

10月16日、村上市郷土資料館の第26回歴史講座を受講した。内容は「村上・近世城郭・村上城 〜村上氏から内藤氏〜」である。知りたいことは、お城山の西斜面に広がるブナ林のことで、講座が終わってから講師に話を伺った。

10月15日、ダイソーでワッフルメーカーを買って、早速外で作ってみた。フッ素加工してあるので簡単に焼けるし、美味しい。近くのスーパーで買ったマーマレードジャムを塗って食べた。

10月9日、1カ月ぶりに三面川河口でハゼ釣りをしたが、釣果は1カ月前の半分以下だ。だから、餌のジャリメがなかなか減らない。左手に竿、右手に双眼鏡を持ち、大きな魚を掴んで飛んでいくミサゴを恨めしそうに眺めた。

10月4日、史跡山元遺跡保存活用計画策定委員会に出席した。山元遺跡とは、日東道のトンネルの上にある遺跡である。開削工事をする予定で試掘したところ、非常に貴重な遺跡が発見されたので、トンネルに工法を変更した日本で初めての事例らしい。なんとなく、熱心に藪山談義をしているのと似ている委員会で楽しかった。

9月29日、奥胎内に行った。ブナの樹冠が橋の上からすぐに見える場所があって、その写真を撮るためだ。しかし、奥胎内ヒュッテから何番目の橋か覚えていない。30分くらい歩いて、ようやく浅野橋でその場所を見つけた。奥胎内ヒュッテに戻って、ビーフシチューを食べた。

9月28日、去年秋に偶然発見したサクラの花。今年は通勤路なので、夏に葉が枯れてからずっと注目していたところ、昨日サクラの花が咲いていることに気づいた。夏に葉が枯れてしまったため、冬の準備ができず、温かい秋の日に咲いてしまったのだ。

9月26日、登山道上に倒れたブナと、その倒れたブナが占めていた林冠のギャップの写真が撮りたくて新保岳に登った。もちろん登山道に倒れたブナがあることをネットで知っていたからだが、ギャップの大きさもカメラに収まる程度でちょうど良かった。

9月24日、仕事帰りに再び関沢森林公園のキャンプ場を見に行った。祝日と土曜日の間の金曜日だったが、2組のテントが張ってあった。一番上の平らな場所がテント設営に適しているようで、混んでいる日は早い者勝ちだろうな。

9月19日、仕事帰りに胎内市の関沢森林公園のキャンプ場を見に行った。駐車場は満杯でテントがいっぱい張ってあった。「どうしてこんなに人がいるんだろう」と思ったが、考えてみたら3連休の真ん中だった。今度は平日に見に来よう。

9月11日、息子と久しぶりにハゼ釣りをした。息子よりも遠くに投げたせいか、何度もフグに針を盗られた。釣果は28尾と24尾。数では息子に買ったが、総重量で8グラム負けた。クロダイ?の稚魚が1尾含まれていたからだ。

9月4日、通勤で通る国道沿いのソメイヨシノの葉が枯れているので、今年も秋の花を見られると毎日気にしているのだが、その前にニセアカシアが咲いていることに気づいた。来年は初夏にも咲いているのか確認しよう。

8月25日、昨日の夕方2回目の接種を受けた。しかし、1回目よりも痛くないし、熱も出ない。私と同じくらいの歳の人はほとんどの人が「痛いし、熱が出た」と言っているのだが。あまり副作用がないと、反対にワクチンが効いているのか心配になる。

8月21日、去年、高坪山のナツエビネの花を見損なったので、今年こそは絶対に見たいと思っていた。しかし、お盆の3連休は天気が悪くあきらめた。そして、花はもう終わっているのかもしれないと今日見に行ったら、一株だけが咲き残っていた。白紫の清楚な花で心が洗われるようだった。

8月9日、100均の品物でアルコールストーブを作ってみた。クリームケース、スチールウール、焼き物シート、くるみボタンで、カーボンフェルトだけ100均ではない。2種類作って、20分もかからない。しかし、暑くて火を点ける気にならない。

8月5日、平野選手の過去2回のオリンピックはパブリックビューイングで観戦した。子供と同じ中学校で、娘の1学年上だったからだ。残念ながら決勝に進めなかったが、これが男子パークの現在の実力なのだろう。

8月4日、昨日の夕方、1回目のワクチン接種したので腕が痛い。家内と奥胎内へ向かったものの、給水ポンプの故障でヒュッテは休業中だった。リョウブがたくさん虫に食われていた。胎内市のスーパーで買い物をして、家に戻る。

7月31日、3つ付いていたユズの実が次々と落ちて無くなってしまった。焼酎漬けにしたが、あまりにもあっけなかった。来年はもっと花を付けてくれるだろうか。花芽を付けさせる作業は、もう遅い時期なのだろうか。

7月24日、家族で福島潟に行ってきた。ビュー福島潟は車いすにも配慮した建物なのだろうが、実際に車いすを押してみても良いような、あんまり良くないような感じだった。その後、初めてオニバスを見た。カインズで買い物をして帰る。

7月18日、写真集「北飯豊」写真展が無事に終わった。この1カ月間、来館者は600人以上であり、写真展会場に足を運んでくれた人は500人以上と思われる。野島さんの写真を通して、多くの人に北飯豊の魅力を伝えることができて良かった。

7月17日、2年先輩の仕事関係者が亡くなったので、お別れに行ってきた。仕事では特別付き合いはなかったが、近所だったので子供同士が同級生だった。定年退職してわずか2年はあまりに早すぎる。

7月9日、ユズの花は結局8つ咲いたが、実になったのは3つだけだった。屋根と外壁をリフォームするために足場の邪魔にならないように剪定したのだから仕方ないが、来年はもっといっぱい実をつけてもらいたいものだ。

7月1日、ダイソーから通常サイズとラージサイズのメスティンが発売された。880円と1100円である。しかし、ミニメスティンと同じように村上に入るのは数か月後だろうと思っていたら、なんと村上店で見つけてしまい、思わず買ってしまった。

6月19日、文章は4分の3ができた。見つからない写真があるが、探しても無ければネガがある。しかし、記録を取りまとめたデータが見つからない。記録を一つひとつ取りまとめている時間はない。こんな時のために、電子化しておけば良かった。

6月18日、白山書房の季刊『山の本』を布団の中で読んでいる。次号の特集は、「我がふるさとの山を歩く」だ。書けるネタはあるのだが、書くための資料と写真を探し出せるかが問題だ。原稿締め切りまで約1カ月。まずは資料と写真探しからだ。

6月17日、さすがに39度を超えることはなくなったが、まだ38度台の体温が続いた。午後になって、ようやく37度台に下がってきた。夕方、病院から電話があり、「陰性」だった。私の日常の行動で「陽性」だったら、新潟県民の半分以上がすでに陽性になっているはずだから、当然なのだが。

6月16日、昨日の夕方、寒気がすると思ったら、朝の体温が37度後半だった。休みをとって、午前に近くの病院に行って抗生物質と解熱剤を処方してもらう。しかし、午後になったら体温が39度を越えた。職場に迷惑をかけないよう念のために、PCR検査を受けた。

6月14日、現在ではどこでも置いてあるダイソーのメスティン。希少価値がなくなったので、自分だけのダイソーメスティンを作ろうとしたが、アルマイト加工されているため、はっきりとした模様を浮かび上がらせることができなかった。もう一回チャレンジするか思案中。

6月2日、リサ・ラーソン展を観に行った。何気ない陶芸がどうしてこんなに魅了するのだろうか。平日なので人が少なく、他の人を気にしないで鑑賞することができた。ガチャガチャ(ではないが)を二つ購入したら、一つが通常の6種以外のラッキーキャットだった。

6月1日、なかなか花芽が大きくならないので心配していたが、無事にユズの花が開いた。剪定しなければ、どれくらい咲いただろうか。足場の中に咲いた3つのユズの花。早く日光に当ててやりたいが、1カ月はもたないだろうな。

5月22日、娘が子供のころに撒いたユズの種。アゲハチョウに食べられながらも、なんとか大きくなった。今年は外壁をリフォームするので、2週間前にかなり剪定した。その後、初めて花芽を付けていることに気づいた。たった3つだから、実になるだろうか。

5月14日、刈払い機の講習会を受けた。15m以上離れて作業するとか、斜面で刈払いをしている人の下にいてはいけないとか、町内会の草刈りを思い出すとNGばかりだった。それにしても、実技が駐車場脇の草むらとか主催者は一石二鳥だなあ。

5月4日、関川村の「歴史とみちの館」で開催されている「平田大六デザイン展」を観てきた。大六さんの多彩な才能に改めて驚かされる。私の新しい職場に「まだ行ったことがない」と言っておられたので、「夏前に企画展をしますので、ぜひ来てください」と答えた。

4月21日、新しい職場になって始めての給料日。給料は3分の1になったが、勤務時間は5時間50分だし、午後4時前には仕事が終わる。帰りには山の花を見たり、釣りをしながら家に帰る時間の余裕がある。

4月7日、高坪山に登ってきた。以前は左回りばかりだったが、最近は虚空蔵峰の巨大ブナをまず確認するために、右回りばかりだ。平日なので、登山者とは7人しか会わなかった。今年はナツエビネの花を見たい。

4月6日、母を車に乗せて、旧山北町雷集落まで行ってきた。胎内市のミズバショウは見ごろを過ぎていたが、大代集落のミズバショウはちょうど見ごろだった。例年なら1m近くあると思われる雪がわずかしかなかった。

4月1日、新しい職場に向かう途中だった。カラスが白い物体に集まっている。お幕場の大池にはケガをして、北に帰ることができないハクチョウが数羽いる。そのうちの一羽が車に轢かれたようだった。なんだか運命を感じた4月1日だった。

3月31日、いよいよ定年退職の日。職場から戻って、家内と出かけていると思いがけない人から電話が来た。渡したいものがあると言うので、受け取りに行ったら、御祝いの花をいただいた。これは大変だ。

3月21日、抽選結果は80番。初めての立見席である。しかし、立見席の最前列だったので、数曲目で気づいてくれた。公演後のお見送りで、娘と登った二王子岳の写真を見せると、「ホントにー!」と驚いていた。

3月20日、前から気になっていた山元遺跡に登ってみた。数年前に閉校した神納東小学校の駐車場に車を停め、校舎の裏から登る。標高40mもないから、5分もかからない。遺跡から日東道と日本海を眺めた。

3月18日、父も二人の祖父も還暦を迎えず、事故や病気で亡くなっている。だから、とにかく60歳まで生きたいと思っていた。そして、今日60歳の誕生日を迎えた。21日の公演当選の通知も届いた。

3月7日、4月からの職場が主催する探鳥会に飛び入りで参加させてもらった。鳥のことだけを考えて1時間以上過ごすのは、たぶん30年ぶりくらいかもしれない。瓢湖でカモをカウントした時以来だ。

2月27日、娘が友達とニノックススキー場でスノーボードをすると言うので、送り迎えする間に瓢湖に行ってきた。瓢湖は20年ぶりくらいかもしれない。見たことがない鳥がいたが、オオバンのようだった。

2月21日、息子が2月生まれで、私が3月生まれ。さらに5年のタイミングが重なり、一緒に免許の更新に行ってきた。受付開始直後の9時過ぎに行ったから、一番混んでいた時間帯だったかも。二人ともゴールド免許なので、すぐに終わった。

2月19日、4月から希望していた職場の採用内定通知が届いた。今の職場もあと1カ月ちょっと。早く4月にならないかなあと思う。給料は減るが、自由は増える。4月からは釣りの時間が増えそうだ。

2月14日、山から採ってきたマルバマンサクの枝をペットボトルにさしておいたら、暖かい部屋だったせいか、あっという間に花が咲いた。このマルバマンサクのように、年度末に良い知らせが花開くことを願いながら過ごした1日だった。

1月31日、菊水の空き缶でアルコールストーブを作ってみた。簡単にできて喜んでいたが、隙間が大きすぎて燃費が悪いようだ。来週もまたアルコールストーブを作るために、菊水を飲まなければいけない。

1月29日、岡本太郎展を観てきた。太陽の塔は何十回も構想を練り直しての制作だった。「芸術は爆発だ!」のフレーズが有名だが、岡本太郎展を観て「定年は爆発だ!」と思ってしまった。

1月24日、天気が良いので、買った巣箱にニスを塗ってみた。庭の雪がだんだん消えて、フキノトウが顔を出していた。このままでは開いてしまいそうだ。しかし、まだ春には早いので、雪をかぶせた。

1月21日、病院の帰りに前から気になっていた「キバコヤ」に行った。ネットで買えば送料込みで2000円以上する巣箱が1000円で買えた。キットも1000円だというが、組み立てる手間と楽しみを天秤にかけて、完成品を買ってきた。

1月15日、新発田に行くついでに、お幕場の大池に立ち寄った。大池は中央だけが水面を見せているだけで、そのまわりにハクチョウやカモたちがいた。車を降りると、餌をもらえるとおもったのかオナガガモのオスが近づいてきた。

1月9日、十日町市(旧松代町)で生まれ育ったから、除雪作業は全く苦にならないのだが、雪を片付ける場所がなくて、庭を山にしている。帝京長岡はベスト4まで進んだものの、結局序盤に簡単に先制点を取られ、決勝に進めなかった。

1月3日、箱根駅伝は最終区間での逆転優勝。結局、選手層の厚さだった。そして、その後の高校サッカー。去年の3回戦と同じ相手。先制点を入れられたが、前半すぐに追いつき、後半2点を入れて逆転。3年連続ベスト8。

1月2日、箱根駅伝を観ている間に、藤基神社に初もうでに行く。往路の1位2位はどの区間も二ケタ順位のなかった大学だった。その後の高校サッカーでは、帝京長岡が強豪の履正社を後半2点を入れて逆転した。鳥肌が立った。

1月1日、外は10cmくらい雪が積もっている。スズメが15羽くらい集まっていた。5月で11歳になるウサギに餌をあげる。数年前に元旦マラソンを申し込み忘れた年があったが、久しぶりにのんびりした元旦を過ごす。