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2019年

12月22日、『貴重な自然をたずねる 村上・関川の湧き水』(非売品)が当たった。ぱらぱらとめくってみると、集落の人しか知らない湧き水がいっぱいある。これはマニアックな本だ。少しずつ訪ねてみたいと思う。

12月21日、新成人メンバー特別イベントの昼公演に当たる。娘と同じ1999年生まれの5人による公演だ。はじめての家内、娘と3人で、しかも最前列だ。劇場公演9回目。

12月14日、『山の本』冬号が届いた。8回続いた「越後の山と森を歩く」がこれで終わった。まだネタはあったのだが、2ページ分の文章を生み出す時間がなかった。余裕ができたら、続編を書かせていただきたいと思う。

12月3日、11月27日に車のベアリングが壊れた。それ以前に新車を注文していたので、直さないでずっと代車に乗っていた。大安ということで、やっと納車になったが、前の車に乗って最後に家族でドライブできなかったのが心残りだ。

12月1日、竪堀の反対側のウラジロガシが気になったので、竪堀コースを一旦下り、反対側のチマキザサの藪をこいで、ウラジロガシの根元まで行ってみた。まわりを探すとスギ林のなかにたくさんのウラジロガシを発見した。

11月30日、お城山の東斜面にはもう1本道がある。搦め手道である。国道からの登り口がわからないので、中世散策コースの途中から下った。そして、国道を南下し、再びお城山に登り返した。竪堀の反対側に大きなウラジロガシを発見した。

11月23日、これまでお城山の東斜面のスギ林を歩いたことがなかった。そこで、山頂から南東方向のスギ林を下り、国道7号を数百メートル北上して、神社から再びスギ林を登り返した。

11月21日、関川村で開催された藤島蔵書研究会に参加した。藤島玄さんを巡る研究発表会だった。同じように白山書房の季刊『山の本』に連載している深田久弥研究家の高辻謙輔さんに会うことができた。

11月17日、午前に新保岳に登った。記録を調べたら、22回目だった。新保岳往復が20回で、蒲萄山地縦走が2回だった。山頂で1時間休みたかったが、風が強く寒かった。50分足らずの休憩で、山頂を後にした。

11月16日、白山書房の季刊『山の本』に連載していたコラム「越後の山と森を歩く」をとりあえず8回で終えることにした。まだ「珍しい海岸アカマツ林」など書くネタはあるのだが、その文章を書くために調べたりする時間がないのである。

11月11日、午前に視察者を構内案内している時にコナラ林でナメコを見つけた。そこで、昼休みにそのナメコを採っていたら、慌てて社長が走ってきた。どうやら、社長は以前からこのナメコに気づいていて、採るのを楽しみにしていたようだった。

11月5日、職場をうろついていたクマが国道で交通事故にあった。これで職場のクマがいなくなったと思っていたら、事故の翌日もカメラに映っていた。これまでのカメラ映像をよく見ると、どうも2個体のクマが職場にいるようだ。

11月3日、母と義母を連れて、奥胎内に紅葉を観に行った。奥胎内ヒュッテの前に大勢の人がいるのだが、誰もテーブルに座っていない。近づいてみると、カメムシが数匹いた。そのカメムシを追い払い、テーブルでお茶を飲んだ。

10月26日、今年も朝日スーパーラインが通行止めで、猿田川の川原でたき火宴会ができなくなったので、三条市の山仲間の山小屋で、たき火を囲みながら酒を飲んだ。スギ林の中の小屋だったが、近くに池もある素敵な場所だった。

10月4日、下渡集落近くで、コクサギを見つけた。葉の付き方が特徴的で、「コクサギ型葉序」と呼ばれる。さらに、下渡山登山口にたくさんあってビックリした。車に乗っていると気づかないが、歩くといろいろな発見があって楽しい。

9月23日、白鷹若鮎マラソンで10キロを走る。1時間を切るペースで走ろうと思い、最初に1キロは6分2秒。徐々にペースを上げて、8キロから9キロの1キロは5分を切るペースに。結果は55分台。しかし、右ひざはさらに悪化。

9月16日、1週間後は白鷹若鮎マラソン大会だ。これまで約10年間ハーフを走ってきたが、今年は10キロにした。右ひざに違和感があり、長い距離は走れないからだ。思い切って、しばらく走るのを止めた方が良いのかもしれない。

9月15日、MGCをテレビ観戦した後で、家内がMCをしているトライアスロンのゴール付近に向かう。しばらくしたら、同僚が走ってきて応援する。ホリエモンも走っている。マラソン大会と違って、細い人ばかりじゃないのがトライアスロンのいいところだ。

9月8日、かみはやし穀菜(こくさい)マラソン大会。右ひざに違和感があるので、娘と一緒に5キロを走る。娘は2年連続で7位で入賞を逃す。去年のタイムなら6位だったのに、去年ほどランニングしていなかったからなあ。

8月31日、午後から「村上・岩船地域の医療を考えるフォーラム」に行き、三浦豪太さんが父の雄一郎さんと一緒にエベレストを登った話などを聞いた。シンポジウムでは平田大六さんのタイトルとはまったく関係ない話に笑った。

8月13日、松代へ墓参り。集落の入り口には不気味な案山子が立っている。親戚を回って、農舞台へ。初めて里山食堂で昼食をとる。十日町のクロス10に寄って、村上に戻る。

8月11日、息子と一緒に鳥海山に向かった。6時前に鉾立駐車場に着くと満杯だったので、数百メートル手前に戻って車を停める。千蛇谷から七高山へ登って外輪山を下る。

8月2日、仕事が終わってから家族を連れて「田んぼアート」を観に行った。よく見れば稲穂ではなく、稲の葉の色が違うのだった。それから布部のやな場へ行ったが、アブがすごく車から降りることもできなかった。

7月27日、母の借りていた畑をこなせなくなったので、近所の知人から軽トラを借りて片付けた。ついでに家の周りのゴミも処分した。3往復かかると思っていたが、2往復ですんだ。テレビで角田山登山のガイドを高校の恩師がしていた。

7月7日、村上大祭。家内と二人で村上駅へ巫女舞を観に行く。山仲間が馬を引いている。夕方から数年ぶりにおしゃぎりを観に行く。マラソン大会と同じで、観ている人よりもおしゃぎりを引いている人のほうがやっぱり楽しいんだろうな。

6月22日、成人式に着る娘のドレスを買いに行く。村上市の成人式は8月だから、着物を着る女性はほとんどいない。浴衣も少ない。ドレスが圧倒的に多いは3年前の息子の成人式で知っている。

6月18日、既に寝ていたところに、大きな地震。心配する親戚から電話が来るが、なんの被害もない。アルコールを飲んでいたので、家内の運転で職場に向かう。職場もなんの被害もない。

6月16日、関川マラソン。今年はハーフではなく、右ひざが痛いので12キロ。雨の中ポリ袋を被って走ったが、暑くて被らなかった方が良かったみたい。ビンゴ大会で久保田千寿が当たる。

6月15日、胎内の巨大ブナ学習会。季刊『山の本』に連載しているコラム「越後の山と森を歩く」に沿った内容を話す。今後は「あがりこ」に関する内容を充実していきたい。

6月9日、中島台レクリエーションの森に行く。2時間半かけて、ゆっくり散策。それから元滝を見て、象潟の道の駅へ。さらに三崎海岸のタブノキを見る。これでなんとか15日の準備ができた。

6月8日、鳥海ブルーライン登山マラソン。右ひざが痛く、標高差1000m17キロは無理かなあと思って受付したら、ゴール地点の大平山荘が電気系統の故障で使えず、10キロに変更。なんとか1時間ちょっとで走った。

5月25日、「専門家」とか「歴史をひもとく」なんて書かれるとすごいプレッシャーだなあ。「偶然できた」とか「よくわからない」というのが答えなんだけど、それを説明するのが難しい。

5月19日、白つつじマラソン大会。息子と二人で10キロを走る。昨年秋から右ひざが痛く、ほとんど走っていない。なので55分を切るのがやっと。それでも暖かくなってきたので、なんとか膝の痛みは薄れてきたのだが。

5月12日、母の足が悪くなり畑作業ができなくなったので、プランターで野菜を作ることにした。プランターを10個用意し、キュウリ、トマト、ピーマン、ゴーヤの苗を買ってきて植えた。

5月6日、朝早く起きてテントを片付け、上越市立水族館「うみがたり」に向かう。連休最終日だから、それほどの混んでいない。それから日本海沿いに北上し、柏崎市の御島石部神社でスダジイ林の写真を撮る。

5月5日、名立大町の江野神社に成育するブナを確認する。標高は10m、日本海から300mの貴重なブナだ。それから、あさひ桜でチャーシューメンを食べ、姫川温泉に入り、ヒスイ峡を見て、高浪の池で泊まる。

5月1日、新潟県立図書館に行く。村上で本を返せることがわかり、3冊本を借りる。それから万代島美術館に行き、ソール・ライター展を観る。なんてことない写真なんだけど、構図のうまさなのかなあ。

4月29日、午後から林道新保岳線を歩く。浜新保の旧新保岳登山口付近に車を停め、1時間弱で新しい登山口に着く。それから登山道を登り始めたが、15分ほどで嫌になり、左斜面を下ると大きなブナを発見した。

4月28日、山開きの櫛形山を避けて、越後大島駅から貝附山、高坪山経由して坂町駅まで歩いた。ブナ平ではなんとか思っていた写真が撮れた。しかし、よく調べたら櫛形山の山開きは29日だった。

4月27日、自転車に鎌を積んで、村上駅裏に行く。植えたスギのまわりにイタドリが大きくなってきたので、それらを刈りはらう。今後はクズが伸びてくるだろうな。

4月17日、病院に行くため休んだので、新潟シティマラソンのエントリーをすませる。先日ハーフから10キロにしたばかりなのに、秋にフルを走れるのだろうか。

4月14日、12回目の笹川流れマラソン。ハーフをエントリーしていたが、右ひざの状態が思わしくなく、10キロに変更。無理をしないで走り、なんとか55分を切ってゴール。

4月13日、粟島汽船のニューフェリーの一般公開があり、就航前に船内を見に行った。先着500名に整理券が配られ、60番目。子供連れの家族が多いと思ったら、老夫婦が多かった。

4月6日、母の足がすっかり悪くなり、村上に来てから借りていた畑を返すことにした。しかし、20年近く使っていた畑には農機具や畑の資材だけでなく、ペットボトルやら多量の片付けなければいけない物があり、あと数日かかりそうだ。

3月23日、日本森林学会大会が終わっても仕事は続く。今日は胎内市の海岸林整備の案内をした後で、新発田市の五十公野山に向かった。赤色土壌断面だけで、30分以上話せる人がうらやましい。

3月18日、58歳の誕生日。JAに勤めていた父は、58歳の誕生日で退職した。だが、私は2年後の3月下旬まで勤めなければならない。

3月17日、無料ホームページがサービスを3月31日で止めると知らせがあり、違う無料サービスを探して何とか新しい場所を確保した。3月下旬まで、同じホームページが2箇所で見ることができる。

3月16日、母が村上に来て20年近くになるが、足が悪くなり、もう借りていた畑を耕せなくなった。そこで、暇を見て畑を片付けているのだが、あと何日かかるだろうか。最後は軽トラックを借りて、ゴミを捨てに行かなければならないし。

3月9日、息子と二人で「リアル脱出ゲーム」に参加した。実際に証拠品を手に取り矛盾を突き付け、逆転無罪を勝ち取ることができれば、脱出成功というゲームである。5〜6人の10チームだったが、脱出できたのは1チームだけだった。

3月2日、ソロ公演初日の夜公演が当たったので、娘と二人で観に行く。途中から研究生の4人がバックダンサーとして加わる。ファミリー席が右側に移動してから、はじめて最前列に座る。劇場公演8回目。

2月24日、息子と二人でわかぶな高原スキー場に行った。今年も息子がペア1日券を当てたのである。すっかり春の陽気で、10時を過ぎたら雪がグサグサになってきた。14時で止めて、道の駅で温泉に入って帰った。

2月11日、鱸ケ池から浦田山、高山を経由して、いこいの森へ。道玄池から道路を歩いて、ふれあいセンターに向かい、送電線巡視路を物見山に登って七湊集落へ。それから工事中の道路を歩いてスーパーを目指す。

1月4日、仕事始めだが、出張しようと決めていた。しかし、なかなか思うようにいかない。職場の構内にカモシカが死んでいたのだ。カモシカは国の天然記念物である。自分たちで処理するわけにいかない。仕事始めから騒動である。

1月1日、圧雪+シャーベット状の雪、空からは湿った重い雪。帽子のツバに降り積もる雪を何度か落としながら、元旦マラソンを走る。転ばない自信はあったが、それよりも体調が悪い。元旦マラソンベストよりも10分以上遅れて、56分台でゴール。