2010年
12月31日、テレビ廃棄のエコポイントが今日までなので母のテレビを電気店に持って行き、昨日から寝かせておいたうどんを打つ。その一部で焼きうどんを作ったり、普通に食べたりして、紅白を途中まで観て寝る。元旦の天気は少しずつ良くなっていくようだ。
12月30日、息子と一緒に元旦マラソンコースを走る。中学男子は3キロと5キロのどちらかを選べるのだが、今年は5キロだと思って来年も5キロを申し込んだら、今年は3キロだったことが判明。そのため本番前に一回5キロコースを走ったのだが、元旦は吹雪らしいので適当に走るしかないだろう。
12月19日、国道7号のTUTAYAまで本を買いに自転車の息子と一緒に走る。午後は女子実業団駅伝を観る。3区に実力者が集中したため、5区を区間賞で走った天満屋がトップに。アンカー浦田はアルバカーキでの月1200キロを超える走り込みで余裕のゴール。
12月4日、まほろば温泉で無線の忘年会。14時に買い出しをして、15時にまほろば温泉へ。すると会場が開くのが16時からだという。それでもなんとか15時30分までには会場に入れてもらって、おでんを作りながらJ1最終戦を観る。18時には全員が集まり、開宴。
11月30日、立山の室堂でなだれがあり、スキーやスノーボードをしていた人が死傷事故にあったようだ。15年以上前になるが、11月から新雪を求めて室堂周辺で遊んでいた者としては気になるニュースだ。それにしても、同じ名前とは・・・。
11月28日、母親の部屋のテレビを買いに行く。新潟では行列が出来ているそうだが村上ではそれほどでもない。母の部屋にちょうどいいくらいの大きさのテレビに決めると、配達はなんと2月7日だという。2ヶ月以上待たなければならないとはこれまたビックリである。
11月27日、天気がいいので、海岸ではなく林道海府南線を走りに行った。鷹取山の登山口に1台車が止まっている。そこからさらに1キロくらいの行き止まりまで走ったら、バードウォッチングしている女性がいた。話していたら、自分の知人を4人も知っていてビックリした。
11月25日、藤田市男さんの講演会に行く。「家族っていいの?」という演題で、自分のエッセイを時々読みながらの1時間半だった。本以外の話も聞けて良かった。来年早々にはまた新しい本が出るという。笹川流れマラソン大会でまたサインをもらうことにしよう。
11月23日、国際千葉駅伝を観る。学生選抜がケニヤ、日本代表を押さえてトップでゴール。1区でトップとそれほど離されず、3区で追い上げ、4区の西原がトップに立つが、5区ではほぼ同時にアンカーにタスキを渡す。結局気持ちの差がタイム差になったような気がする。
11月21日、坂本龍一さんが代表を務める「モアツリーズ」、新潟市、WPPC(木質ペレット推進協議会)の調印式と現地視察が新潟市秋葉区で行われた。テレビに映らないように、カメラから逃げまくったけど、その逃げる姿がしっかり映っていたのには笑ってしまった。
11月14日、長岡へ行く。まずは久しぶりの青島食堂のチャーシュー麺。でも、チャーシューが少なくなったような気がする。だって、麺が見えるもの。それからポンペイ展。確かにゲーテの言葉どおり、「悲劇がこれほど後世のためになることはない(だったかな)」と思う。
11月13日、1ヶ月くらい前から用意をしていたのだが、やっと雪割草の植え替えをする。午後の買い物をした後で、中州公園に向かって走る。先日聞いた鷹取山の登山口を確かめようと思ったが、朝ランの疲れか脚がすごく怠いので諦めて中州公園一周コースで帰る。
11月7日、列車に乗って新潟市のユニゾンプラザへ行く。予想はしていたが、男性がほとんどいない。会場に集まった約130人のうち、男性は10人くらいだから1割弱だ。2時間ほどの時間を過ごし、家族へクリアファイルの土産を買って村上に戻る。
11月6日、村上市ふれあいセンターで「秋の祭典」。久しぶりに演劇に出演する家内を観て、二人の母を置いて子供を連れて家に戻る。家内も母も昼過ぎまで戻らないので、お昼ご飯を作って子供と食べる。娘の出演は明日だが、先日観たので勘弁してもらおう。
10月31日、やっと眠れたと思ったら、7時には起きてくる人がいて起こされてしまう。ふつか酔いではないが、汗を出しに高坪山に登る。台風の影響で風が強い。反射板からは少し白くなった山々が雲の間に見える。久しぶりに荒島城コースを下る。
10月30日、毎年秋にやっている野外飲み会だが、台風の影響で天候が悪いので、今年は虚空蔵山荘で集まることになった。今年は高桑さんと岩城さんをお迎えしてにぎやかな宴になった。寝たり起きたりの繰り返しで、最後に寝たのが5時過ぎ。
10月28日、ドラフトで日本ハムが齋藤佑樹を引き当てた。30年以上の日本ハムファンとしては手放しで喜びたい。ダルビッシュらとともに北海道日本ハムを盛り上げていってほしい。そして、来年はリーグ優勝、日本一を奪還してもらいたいものだ。
10月24日、全日本大学女子駅伝を観る。仏教大学の圧倒的な強さが目立ったが、名古屋大学の鈴木亜由子の走りが目をひいた。中学から注目されていた選手のようだが、公立高校から陸上の強い私立大学を選ばず、名大に進学。こんな人もいるんだなあ。
10月13日、東京マラソン落選のメールが届いた。10倍近いので「2年連続で当選するわけはない」と思っていたが、やはり残念だ。ところが、ランニング仲間の男性は「今年も当選した」という。「外れる気がしねえなあ」と言いながら酒を飲んでいる姿が目に浮かぶようだ。
10月10日、新潟シティマラソン。今年は練習不足なのでサブフォーは無理だとわかっていたが、サブフォー目指して走る。しかし、30キロからペースが遅くなり、結局4時間2分42秒でゴール(ネット)。当然の結果だと思うが、来年に向けて頑張ろう。
10月7日、先週土曜日の代休。まずは小学校のマラソン大会を観戦。娘は全く練習していないので、ついに3位に落ちる。それから病院。心エコー、大腸検査も異常なし。そして、三面川河口で釣り。スズキの子供が13匹、ハゼ5匹、不明種2匹だった。
9月27日、新潟シティマラソンのプログラムやナンバーカード引換証が送られてきた。「原則として前日受付」となっているが、前日から受付のために半日も使っていられない(金もかかるし)。当然「やむを得ない事情」で、当日受付になる。でも、1万人規模になってきたらどうしよう。
9月26日、村上・笹川流れトライアスロン大会の応援に行く。スイム会場でスタートを見て、すぐに家に戻る。そうしないと家のまわりが閉鎖されて家に帰れなくなるからだ。家に戻って、バイクの応援。そして、さらにランの応援。村上春樹さんは去年よりもかなり疲れているようで、遅い順位だったと思う。でも、毎年出場してくれるのが嬉しい。
9月19日、6時に50キロウオークスタート。15キロまでは時速6キロで歩くが、それから息子の歩きが遅くなる。桃川峠を越えて、中束集落の公民館でやっと中間地点。さらに田麦峠を越えて、大栗田へ。「脚が痛い」という息子をなだめながら、なんとか40キロ地点の門前に着く。門前からの直線が辛いが、山辺里公民館のトイレで飲み物を補給しラスト5キロ。17時関門の東中学校も16時前に通過し、ゴールへ向かう。しかし、ゴールがわからず、2分ほど遅くなる。
9月18日、今日は近所の学校の40キロウオークで、明日が息子の学校の50キロウオークである。明日のためにスーパーへブドウ糖飴を買いに行ったら、クエン酸飴と並んで売り切れていた。しかし、隣のドラッグストアにブドウ糖飴が売っているのを知っているので無事にゲットした。
9月11日、中学校の運動会を見に行く。天気はいずれ雨が降ってくる予報なので、主要な種目を優先的に前倒ししながら運動会が進んでいく。そして閉会式が終わり、片づけを始めたところで大雨。主要な種目を優先した運営がズバリ的中だ。さすがである。
9月9日、大腸検査を受ける。前日夕食の後で下剤を飲み、今日は朝から2時間かけて腸をきれいにする液体を飲む。そして午後からいよいよ大腸検査。でも検査開始から会計終了まで30分もかからなかった。検査だけで30分以上かかるってあったのに・・・。
8月29日、北海道マラソンを観る。原裕美子の復活Vだ。以前は子供のような感じだったが、髪型が変わったせいかだいぶ大人になったように見える。だが、北海道で優勝して安心してはいけない。北海道の女子には、男子のように外国人ランナーがいない。横浜、大阪、名古屋で優勝してこそ、本当の復活といえるだろう。
8月22日、第12回かみはやし穀菜マラソン大会。今年は10日前から発症した腰痛が残ったまま当日を迎えた。最初の1キロは何とか5分を切るペース。徐々にペースが落ちてきて、8キロでは40分40秒。やっぱり腰に違和感があるので力が入らない。50分30秒でゴール。これまでの10キロで2番目に遅いタイムだった。
8月9日、雨の中、6時半に白馬大池を出発。10分もすると雨が上がり、雪倉や朝日が見えてくる。10時10分に蓮華温泉に到着。お風呂に入って、糸魚川の銭形でお昼を食べる。その後でフォッサマグナミュージアムを見て、イオン新潟南店によって村上に戻る。
8月8日、5時半に白馬大池を出発。小蓮華山までは白馬岳が見えていたが、やがてガスに被われてしまう。9時に白馬岳到着。白馬山荘に下ってかきあげそばを食べて、再び白馬岳に登り返す。14時45分に白馬大池に着いて息子と乾杯。
8月7日、村上を3時20分に出る。糸魚川の蓮華温泉に7時に着いて、8時半に出発。12時50分に白馬大池に着いて、テントを張って、乗鞍岳に向かう。残念ながら白馬岳は見えない。白馬大池に戻ると職場のYさんと会う。お互い「なんでこんな所にいるの?」と言い合う。
7月18日、酒田砂丘マラソン大会。4回目になる。体調は回復傾向にあるものの、50%くらい。気温も35度だし、1時間くらいかけてゆっくり走ろうと10キロをスタートする。5キロ地点で、25分4秒。後半頑張れば、50分を切れると、コップの水を何杯もかぶる。ラスト1キロは4分17秒で、49分01秒でゴール。こんな体調でもそこそこ走れるものである。ちなみに男子45歳以上では234人中62位だった。千葉ちゃんのサインをもらう。
7月16日、高桑さんから『希望の里暮らし』が届いた。「あとがき」には、「陶器などの焼き物に象徴されるように、器の真贋を見極めるためには本物に囲まれて過ごした環境が欠かせない。つまり、彼らの子供たちは、幼いころから本物の自然のなんたるかを知っているのである。その環境を与えた親たちは、すでのおおきな仕事を成し遂げているのであり、子どもたちもまた、そうした親たちの決断と行動に感謝していいのである」とある。なんだか涙が出た。この夏子供を自然の中に連れて行こうと思う。
7月12日、私の身体は今戦っている。気温40度以上、湿度20%以下の気候で過ごした日々と。白血球は6月に受けたドック時の3倍、通常の最大値の2倍になっている。CRPもかなり高い値になっている。夜は39.3度の熱になり、とんぷく薬を飲んだ。
6月20日、関川UP・DOWNマラソン大会。蒸し暑いし、今月は練習不足で50キロくらいしか走っていなかったから身体が重い。無理をせず1時間15前後を目指す。しかし、13キロから急に脚が動かなくなり、1時間16分47秒でゴール。去年よりも4分、ベストよりも6分遅いタイムだった。
6月12日、お世話になっている会社関係者と新潟大学の先生や学生らと馬の髪山に登る。馬の髪山には2回登ったことがあるが、いずれも秋。山頂からは残雪の飯豊がかすかに見えるが暑い。過去2回は山頂から俎倉山を目指したが、今日はおとなしく登山口に下山。
6月6日、町内の草刈り&バーベキュー。しかし、数日前から腰が痛いので、草刈りだけしてバーベキューはキャンセル。2時間も座りっぱなしじゃ、なおさら腰が痛くなるばかりだから。17時に粟島から戻ってきた叔父夫婦を岩船港に迎えに行く。叔父夫婦は初めての粟島に感激したようだ。
6月5日、叔父夫婦が粟島に旅行へ行くというので村上に来た。泊まる場所はもちろん「後藤」である。家でお茶を飲んだ後で岩船港まで見送りに行く。朝方の雨も止んで、海は穏やかだし、いい旅行になるだろう。いつもの整形外科に行って、注射とマッサージを受ける。
5月30日、小学校の運動会。日向は暑いが、日陰は風が冷たい。娘は体育係なので、開会式の聖火リレーでトップだったり、準備体操の模範演技で台の上に上がったりでかなり活躍。でも、競争は4人中3位。マラソン大会は学年で2位になるのになあ。お昼以降、原因不明の腹痛になる。
5月29日、小学校の運動会が明日に順延になったので、母と二人で松代へ1年分のウドを採りに行く。かなり大きくなっていたが、3カ所の畑に植えてあるウドを採る。ネマガリダケはもう遅くて10本くらい。フキも袋にひとつ採る。帰りに遅いお昼を小島屋で食べる。
5月16日、全国白つつじマラソン大会だが、温海さくらマラソン大会同様、ここもつぼみ状態だ。どうやら今年は10日ほど遅いらしい。もう4回目だからコースはわかっているのだが、タイムは10キロ44分46秒。他の大会が順調に記録が縮まっているのに、この大会だけは1回目を上回れない。
5月9日、全国白川ダムマラソン大会。5日の筋肉痛がなんとかとれた。最近は10キロ走っても少しも筋肉痛にならないのに、ちょっと登山をしただけでかなり筋肉痛が残る身体になってしまった。タイムはこのコースベストの45分21秒。「源流の森」は大学の先輩のコンサル会社の設計だとやっと知る。
5月5日、鍋倉山に登ろうと出発するが、思いのほか藪と急斜面に雪がはり付いていたので、潔く諦める。15年くらい前に登ったことがあるが、この道はその後ほとんど利用されていないようだ。それから倉手山に登る。鍋倉山方面の道はまだあまり藪化していなかった。登山者は全部で10人。
5月3日、母を連れて松代へ行く。田にはまだ雪が残り、田植えは5月下旬になるようだった。母の実家で3月に生まれた従姉妹の子供を見る。息子も娘も赤ちゃんを抱かせて貰う。帰りの新発田で先日予約していたウサギを買う。名前は娘が「リボン」と付けた。「リー」と呼ぶとケージの中でこちらに向かってくるのがかわいい。
5月2日、夏井川渓谷キャンプ場は思いのほか良い無料キャンプ場だった。ホットサンドを作り、テントを片づけてあぶくま洞に向かう。福島は桜が満開で夏井の千本桜などを楽しみながら運転できた。あぶくま洞は4回目。子供の目にこの空間はどのように感じただろうか。
5月1日、村上を4時に出発し、家内、子供とアクアマリンふくしまに行く。一昨年職場の旅行で行っているが、今年3月から新たにアクアマリンキッズができて、より子供でも楽しめる水族館になった。夏井川渓谷キャンプ場できりん君に興味を示した若者にペレットをあげたら、日本酒が返ってきた。
4月18日、温海さくらマラソン大会。2カ所の峠越えを含む30キロ。天気が良ければ満開の桜、ブナの新緑などを楽しみながら走れるのだが、今年は桜は咲いていないし、ブナは芽吹いていないし、おまけに冷たい雨。両腕の感覚がなくなる。恐らく走り続けていなければ低体温症で死んでしまうだろう。それでも2時間30分56秒と去年よりも3分タイムを縮めた。来年は2時間30分切りを目指したい。
4月10日、家内と子供を連れて鱸ケ池の遊歩道を歩いてみる。温泉の駐車場に車を停めて、温泉やぐらから奥の院へ急な階段を登る。そこから管理歩道に入るが、ロープが張られていて進入禁止のようだ。鱸ケ池の歩道を歩いていくとコガモがビックリして次々と飛び立つ。
4月9日、夕方瀬波温泉の裏山にできた遊歩道を歩いてみた。温泉やぐらから遊歩道方面を歩くと、真新しい看板に「鱸ケ池治山事業地案内図」とあり、遊歩道だと思っていた歩道は管理歩道なのである。間伐材をふんだんに使っているが、急な階段があり、脚の悪い人は簡単に歩けそうもない。
4月4日、笹川流れマラソン大会。今年はとってもいい天気。トンネルの中の風も冷たくない。ハーフ4回目となれば、全コースどんな景色かわかる。復路の蓬莱山辺りの景色を覚えていないのは走りに夢中になっていたせいか。笹川流れハーフベストには及ばなかったものの1時間40分を切った。
3月21日、子供のランニングシューズが小さくなったので新発田のスポーツショップに買いに行く。それからイオンで昼食にしたが、数年前に比べてすごく人が少ない。以前は12時前から座る場所などなかったのに、半分くらい席が空いていると言ってもいいくらいだ。
3月20日、息子と二人で下渡山に登る。母も麓を散策したいと言うので、三人で登山口まで行く。マルバマンサク、オクチョウジザクラ、地面にはカタクリが咲いている。寒いのと母を登山口に置いてきたので、山頂で少しだけ休んで下る。マルバマンサクをひと枝折って、仏様に飾る。
3月14日、名古屋国際女子マラソンを観る。加納選手の有言実行だった。加納選手を最初に見たのは数年前の実業団の駅伝である。小柄ながら安定したぶれのないピッチ走法が記憶にある。資生堂の先輩である弘山選手に「あなたはマラソンに向いている」と言われていたが、当時でもう25歳を過ぎていたはずだ。そして、そらからマラソンに挑戦し、安定した成績を残していく。やはり走り方の良い選手は速いし、大くずれしないんだな。
3月7日、五泉市の「さくらアリーナ落成式」を観に行く。その前に「恵比寿」のチャーシュー麺。加藤澤男さんの講演会の後で、地元の小学生と筑波大学の学生の演技が始まる。体操なんて近くで観たことがなかったから、大学生の演技はすごい迫力。解説もていねいで、わかりやすかった。
2月28日、生憎の冷たい雨。Dブロックのスタート。はるか前方で紙吹雪が舞うのがわかる。約4分過ぎて漸くスタート地点通過。でも集団はキロ6分ペースで身動きができない状態。とてもサブフォーなんてできないので、あとは写真を撮ったり、食べ物を食べたりしてマラソンを楽しんだ。
2月27日、ビッグサイトで明日の受付をして、ブースへ。すごい人。まさにお祭り状態。新宿へ行き、スタート地点の確認。15時過ぎなのに、スタートのゲートはまだほとんどできていない。ランニングショップへ寄ってアームウォーマーを買い足し、ホテルへ行く。
2月25日、モーニングゲートにメールをしたら読まれたようで、「ラジオ聴いたよ」とランニング仲間からメールが来た。日曜日の天気は曇りから雨マークが入るようになってきた。喜国雅彦さんが『東京マラソンを走りたい』(小学館新書)の後書きで予想しているように雨になるのだろうか。
2月20日、鼠ヶ関においしい寿司屋があるというので食べに行った。久しぶりの羽越線を行きは海側、帰りは山側に座る。山には雪が少し積もっていて、古い道型がわかる。それらの道型をしらみつぶしに辿ってみたいが、なかなかそんな時間をつくれない。
2月16日、三条市のいこい食堂で中油を食べる。なんだか、きしめんみたいなラーメンである。年1回の楽しみである『渓流』を買う。執筆者紹介をみると、高桑さんが連載している「希望の里山暮らし」が『山の仕事 山の暮らし』の第二弾として春に本になるらしい。楽しみである。
2月10日、先週遭難があった山の麓へ行く。仕事の合間に霧に見え隠れする山を見ながら、1時間もあればどこでも下りてこられそうな山で、「なぜ」と思わずにいられない。10cmの水でも溺死するというから、どんな山でも気をつけなければいけないのだが、1日でも早く見つかって欲しいと思う。
2月9日、『小出郷山岳史』を買う。「記録も乏しく、放置すれば確実の時の流れの中に消えてゆくことがらを後世に伝えることは、誰かがやらなければならないことではないだろうか」とある。「村上でもこのような地域のとりまとめができればいいのになあ」と思う。
2月7日、別大マラソンを観る。先頭集団は牽制し合って、誰も飛び出さないところに、第3グループを走っていたランナーが追いつくという展開。あのまま1位になっていたら面白かったのに。日本人は4位が最高。男子マラソンは未だ新しい光を見いだせないでいる。
1月31日、大阪国際女子マラソンを観る。赤羽は「行けるところまで行って、膝が痛くなったら止めろ」と事前に徹底しておくべきだったのだろうな。ラストランのベテラン小幡はさすがであった。「初マラソンの選手には負けたくない」と最後は初マラソンの木崎を振り切った。
1月30日、高桑信一さんの講演に行った。「新潟ではなぜ長靴と山頂宴会が好きなのか」という疑問に対し、新潟では「山は生活の延長なのではないか」と分析していた。山の写真をはさんだ後で、昨年のトムラウシ遭難の分析。ツアー会社では避難小屋の場所取りにガイドを小屋に残しておくのを初めて知った。
1月24日、都道府県対抗男子駅伝を観る。千葉はやはりアンカーまでに1分離しておかなかったのが痛かった。千葉を追った福島の佐藤はすばらしかった。後ろから兵庫の竹沢が付いて来ていても果敢に前を走った。最初にゴールしたのが優勝だからしかたないけど、福島を優勝にしたいほどだった。
1月17日、都道府県対抗女子駅伝を観る。京都は6連覇がかかっていたが、今年の中学生は去年の久馬姉妹ほどではない、久馬姉妹も中学生の時ほどの力でない、小崎もピークを過ぎている・・・で、岡山が優勝だった。でも、岡山は強い実業団と高校があるからこその優勝だ。つまり岡山県の選手は岡山県で生まれ育った人間は中学生以外ほとんどいないのだ。どうやって、選手を選んだら実力が均衡するのだろうか。
1月11日、天気予報が曇りだったので、朝から走ろうと思っていたら、朝起きたら道路にはうっすら雪。それで、ぶどうスキー場へ行き、初滑り。午前券で4時間みっちり滑る。家に帰って軽い食事をして、瀬波海岸へ約10キロ。そして家に戻って息子と一緒に中州公園へ向かい、約4.5キロ。
1月7日、昨年の新潟マラソン大会の記録集が送られてきた。既に記録はWSで発表されているが、再度確認する。来年は「新潟シティマラソン」と名称変更し、市陸をスタートし、萬代橋、千歳大橋、関屋大橋、新潟大学構内を走って、やすらぎ堤を戻るコースのようだ。楽しみである。
1月3日、弟家族が年始に来た。息子も娘も従兄弟が来て大喜びだ。年に1、2回しか会わないのに血がつながっているのがわかるのだろうか。箱根駅伝を見る。東洋大が安定した走りで連覇した。「5区偏重」という疑問もあるようだが、早く柏原に対抗できるような選手に出てきて欲しい。
1月2日、大峰山登山。今年は金塚駅から歩く。途中の猫に生ハムをあげる。誰も歩いていないから気持ちいい。小屋に荷物を置いて、山頂まで往復。小屋へ戻るとご夫婦らしい2人がいた。13時を過ぎても登ってくる人がいる。下りは願文山経由。桜公園から金塚駅まで車に乗せてもらう。
1月1日、最悪の元旦マラソン。吹雪と圧雪。それでもスタート前の一体感は参加するランナーでなければ味わえない。雪を踏まないように走ろうと思ったけど、5分前にスタートした5キロのランナーがいるし、追い越すには雪を踏まなきゃいけない。なんとか2周走って46分43秒。