1999年
12月31日、2000年問題なんて人為による故意の事故以外たいしたことは起きないと思うが、ミレニアムだとか何とか言っても例年どおり寝て年を越すことにしよう。4月からありがとうございました。来年もよろしくお願いします。朝4時25分。
12月30日、「みんなミネラルウォーター、買ってるのよ」と家内が言うので、「水なんて庭の雪から作ればいいじゃねえか」と答えていたが、とうとう雪が全部解けてしまった。押入れにはちゃんとミネラルウォーターが入っていた。
12月29日、郵便局に行く途中でその家の前を通ると、「後藤」のお姉さんがいた。家は「後藤」のお姉さんの妹の家族だったのだ。数年前に母を連れて行ったことがあるので、母は懐かしくお姉さんと話していた。
12月28日、粟島でいつもお世話になっている民宿「後藤」は五人姉妹なのだが、そのうちのひとりの家族が近くに越してきたことがわかった。もっと早くわかっていれば、年賀状にもひとこと書けたのに……。
12月26日、山形県温海町の源蔵山に登る。一般の登山対象になっていない山なので、人臭さがなく1箇月ぶりの山行を楽しんだ。しかし家に戻ると「娘の紙オムツを洗濯機で洗ってしまった」とパニックになっており、すぐに現実に戻される。
12月24日、家内と息子がケーキを作っている間、娘に佐野洋子さんの「わたしクリスマスツリー」を読んであげた。佐野洋子さんの絵本は大人も楽しめるものだが、大きくなったらこの絵本の意味をわかって欲しいと思いながら読んだ。
12月20日、村上では雪が20cmくらいだったが、朝除雪車が通ったため、出勤前に車の前の雪を片付ける。職場に行くと積雪は48cmで、30分くらい雪と戯れる。降りはじめの雪で、かなり重い。
12月19日、代官山での披露宴が21時をまわったため、新宿からムーンライトで早朝村上に帰ってくる。村上は5cmくらいの雪が積もっていたのでタクシーで家まで帰る。夕方には10cmを越えて、夜になって除雪車も出た。
12月18日、代々木駅前の教会での従姉妹の結婚式まで時間があったので、近くを散策していたら石井スポーツがあった。二階に上がると、椎名誠さんとかとよく出てくる越谷さんがおられた。18時過ぎから代官山で披露宴。
12月17日、家に帰ったら「山の本」30巻が届いていた。白山書房のミノーラ社長に名前を覚えられ、「こいつなら絶対買うはずだ」と知られてしまったら、少しくらい文章が載っても送られてこなくなったのかと心配していたが、杞憂だった。
12月16日、「山の本」30巻は羽田寿志さんが投稿する番だったが、〆切に間にあわなかったのか無かった。ところが「読んでみました」に自分の文章が載っていたので「買わないで済む」と思って急いで家に帰ったが、「山の本」は届いていなかった。
12月15日、「ホームページを見ていたら、自分の名前が出てきて死ぬほど驚いた」と浦和浪漫山岳会の高桑信一さんからメールが来た。こっちこそ高桑さんからメールが来て「死ぬほど驚いた」。やはり下田の毛無山に登った共通体験があるからか。
12月11日、母とふたりで日帰りで松代の実家に帰る。実家のまわりにはまばらに雪があり、多い所は5cmくらいあった。実家にいる間に、雨はみぞれから雪になった。標高200mだが、村上の標高4、500mに相当するようだ。
12月7日、朝のNHKニュースに毛利子来さんが出ていた。「あなたの子供はあなたが一番良く知っています。人の言うことは気にしないことです」という色紙を持ちながら話をされていた。少しクセのある人かなと思っていたが、柔和な感じだった。
12月6日、指しゃぶりをなかなか止めなかった息子が、鋏で左手親指を切ったのでキズバンを巻いたら指しゃぶりをしなくなった。3、4日後に恐る恐るキズバンを取っても、指しゃぶりをしなくなった。これが本当の「怪我の功名」だと思った。
12月5日、昨日買ってきた毛利子来著「子育て迷い解決法 10の知恵」を子守りをしている家内に読んで聞かせたら、「そんな本、全然役にたたないんじゃないの?」と言った。これまでの育児書を盲信している人には、この本を理解できないと思う。
12月4日、「藪山ネット」の顔合わせで、新潟で飲む。18時から始まる飲み会に、14時から新潟に着いたので余計な買い物をしてしまう。今回は有田家にビバークせずにすんだが、村上駅手前で降りてしまい、思わぬ出費となってしまう。
12月1日、天気が回復したので、早稲田集落のブナ林に設置してあるシードトラップを回収しに行く。今年は春先かなりブナの花が咲いたが、ほとんどしいなだ。これは全国的な傾向らしい。
11月27日、朝起きたら少しだけ雪が積もっていた。弟家族が来るので、玄関に小さな雪だるまを作っておいた。息子と従兄弟の祥泰は大騒ぎで、子供4人に大人5人が振り回された1日だった。
11月25日、昨日今日の新潟日報を見て驚いた。登山者が道に迷っただけで、アマチュア無線を利用して警察を要請しているのである。なぜ家にだけ連絡をしなかったのか。警察を要請する場合は、怪我や病気で動けなくなった時だけである。
11月21日、朝天気が悪かったので、黒川村の大樽山に予定を変更した。尾根沿いにはうるさいほどのマーカーがあり、大樽山はかつてのロマンを失ってしまったようだ。帰りに関川村の杉王山に登ったが、こっちは予想以上に展望がきく山だった。
11月20日、「とやま県境踏破 無雪期」を読み終える。県境からわずか100m程度を誤差としか考えないほど忠実に県境を辿り、さらに無雪期にこだわった姿に感動した。明日は久しぶりの山だが、自分には雪のない藪山を歩けるだろうか…。
11月19日、去年の今日村上では2、30cmの雪が降り、スギのみならず、まだ着葉していたコナラやクリなどの落葉広葉樹がたくさん雪害を受けた。そこで写真を撮りながら、下渡山を一周した。
11月17日、新潟大学に行ったついでに生協に寄り、菊沢喜八郎さんの「森林の生態」を買う。学生時代の同名の本の新しいシリーズだが、「まえがき」で自分の研究対象にもしている樹木たちにも感謝しているあたりは、いかにも菊沢さんらしい。
11月16日、「岳人12月号」に三条市の男性の記録があったので買う。これだけの内容をわずか5ページでまとめてしまうのはもったいない。「関東ぐるり一周山歩き」という本もあることだし、やはり書籍でもっと深く紹介してほしいと思う。
11月15日、娘を初めてお風呂に入れた。息子の時、新潟市民病院で汗だくになって入れたことを思い出した。今日は息子が一緒に寝てくれたが、家内に「どうせまた先に寝たんでしょ」と言われた。子供二人に大人三人が振り回される日が続く。
11月14日、家内と娘が神林の実家から帰ってきた。これまで一緒に二階で寝ていた息子が私が寝たとたん、布団から抜け出し、一階に下りて家内と寝ていた。
11月13日、松代町の実家の冬支度をして村上に戻る。実家のまわりのブナも半分以上葉を落とし、松代町も冬の準備をしているようだ。これまで宝珠山が北限だったエチゴマイマイが松平山で発見されたという情報が入り、ビックリ。
11月9日、夕方になってから有田克博さんが職場に石黒山付近で採ったキノコを持ってやって来た。ナメコの他、ブナハリタケ、ムキタケなどだった。この時期は土日になると石黒山付近はナメコ採りでいっぱいになる。
11月6日、15時を過ぎてから、神林村大池に母と長男を連れてハクチョウを見に行く。しかしハクチョウは少なく、オナガガモ、ハシビロガモ、ホシハジロなどがいた。それにしても売っている餌の袋をその場に捨てて帰る人の多いことに驚く。
11月5日、小春日和のなか、糸魚川市明星山南壁を見る。去年もここに来た時、南壁を攀じ登っている2人がいたが、今日は2×3の6人だった。アブミに足を掛けたまま宙吊りになっている女性がいて、トップからザイルで引っ張り上げられていた。
11月3日、朝食堂に行くとテーブルの上に醤油がこぼれ、食いかけのサツマイモの天ぷらが散らかっていた。昨夜テレビの前でうたた寝をしている間に長男がしでかしたらしい。朝ごはん前に村上市の浜山に登る。
11月1日、午前に長男を連れて幼稚園に入園の願書を出しに行く。はたしてあと5箇月でまともな子供になってくれるのやらと心配だったが、親バカか他にも長男のように幼い子供がいたので少し安心する。大化けを期待しているのは親だけか。
10月30日、午後に家内と長女が退院し、実家に帰る。家内の実家でみんなで食べようと買ったショートケーキを長男が箱ごと振りまわしてしまい、なかのケーキはぐちゃぐちゃになっていた。ぐちゃぐちゃにした長男だけが、ケーキをよく食べなかった。
10月29日、3、4日前から腰痛になり、病院に行ったらブロック注射をされた。そう言えば去年の今ごろも腰痛になり、烏帽子山登山直前で、不安になり病院に行ったことを思い出した。明日家内と長女が退院だというのに……。
10月27日、書店に注文していた池原等著「とやま県境踏破 無雪期」が届いた。まだ「はじめに」と「あとがき」しか読んでいないが、「この踏破は私一人だけでは決して完結できなかった」という文章が、著者の山に対する謙虚さを物語っている。
10月26日、午後から休暇をとり、市役所に出生届を提出する。長男・息子(まなと)が生まれた時から、次に女が生まれたら「きえみ」にしようと思っていた。漢字解釈は、春夏秋冬いつも笑顔でいるように、「季笑」とした。
10月25日、職場の一般公開。遠山実さんは「森林管理所(旧営林署)に重蔵山まで道をつける許可をいただいた」と言っていた。有田克博さんは最後までいて、残ったお土産を全部持って帰って行った。
10月24日、父の命日。早朝アジ釣りをしようと海に行ったが、波が高くて帰ってくる。古い野帳を見ていたら、学生時代の山行記録を発見した。記憶が不鮮明だった巻機山〜中ノ岳の山行は、本谷山でテントを張っていた。
10月23日、山仲間の女性が「関川村三角点の登山口がわからない」と言うので、登山口まで案内した。畜産団地の登山口は工事のため、以前とかなり様子が違っていた。これでますます三角点に向かう登山者が道を間違えやすくなるかもしれない。
10月22日、16日に生まれた長女がなかなかミルクを飲まなかったが、やっと飲み始めたと思ったら黄疸が出て、保育器に入れられてしまった。夕方長男と海に行くとタコを採っている人が何人かいた。
10月21日、朝日村早稲田集落のブナ林にしかけたトラップの回収物の分類をする。春先はかなり花が咲いていたのだが、しいなが多い。本格的な落下はこれからだろうが、今年はあまりブナの種は期待できないのかもしれない。
10月19日、久しぶりにいい天気になった。通勤の車窓から白くなった朝日連峰が見えた。職場の窓からも真っ白な飯豊連峰が確認できた。お昼に家に戻り、家の窓から見える一番高い山である以東岳をプロミナーで覗くと、以東小屋が見えた。
10月16日、午前中寒冷前線が通過し、海は荒れ、いよいよ寒くなってきた。山は雪が降っているのだろうか。5年前の今日、村上に帰る私を玄関で見送ってくれたのが、私が見た父の最期の姿だった。そして5年後の今日の夕方、長女が生まれた。
10月15日、新潟日報に三条市の男性が新潟県境を単独で縦走したという記事が出ていた。しかし県境を大きく逸脱している場所が多く、また車道も歩いたか疑問もあり、県境縦走と言えるのだろうか。日報の見出しがオーバー過ぎるような気がする。
10月14日、漸くホームページに写真を2枚アップロードした。1枚はフィルムスキャナーを利用し、もう1枚はスキャナーを利用した。村上市の無線仲間の阿部さんからイナダを2匹もらう。熱燗がおいしい季節になってきた。
10月11日、母と二人で早朝村上市野潟に行き、アジなどを釣っている人の様子を見る。これなら二人で2、30匹は釣れそうだ。
10月10日、昨日おばちゃんたちはスギヒラタケ採りに夢中だったが、ナツハゼの実を採り忘れてしまった。そこで母と二人でもう一度要害山の登山口に向かい、ナツハゼの実を採る。
10月9日、2歳7箇月の子供を連れて、神林村要害山に登る。途中から背負う覚悟だったが、だましだましジュースを飲ませ、手を引っ張っていたら、山頂まで歩いた。下りは昼寝タイムで背中で寝ていた。
10月1日、アマチュア無線で知り合った村上市の市ノ瀬さんから、二王子岳登山顛末記が届く。おもしろく読ませてもらったが、6日間の入院くらいではまだ甘い。
9月30日、羽田寿志さんと佐藤レイ子さんを連れて泥又川でイワナ釣り。ビール片手に釣りをする羽田さんとイワナが釣れないのでアブラハヤ釣りに興じるレイ子さんに手を焼くが、夢だった30cmオーバーの37cmのイワナを釣り上げた。
9月24日、新潟日報によく投書される松代町の高橋八十八さんから「わが玉石集 第5号」が届く。高橋さんは私の実家と同じ集落の生まれで、母と従兄弟と高橋さんの姪が結婚しているという関係になる。
9月23日、鈴木竿山さんの「山釣りの旅」を買う。鈴木竿山さんも浦和浪漫山岳会の池田知沙子さんと同じように今年になって亡くなられてしまった。ふたりとももっと文章を読みたかった人である。
9月20日、10月24日(日)に行われるTeny朝日村自然学校の石黒山登山ガイド兼自然観察指導を頼まれる。10月から山休に入ろうと思っていたのに…。
9月19日、羽田寿志さんとふたりで朝日村の重蔵山に登る。予想以上にいい山で、山頂で2時間休んだ。これも峡彩ランタン会が去年かなり刈り払いをしてくれたおかげである。感謝、感謝。
9月16日、長岡駅裏の「とうちゃんラーメン」を楽しみにしていたのに、定休日だった。
9月15日、羽田さんと重蔵山に登る予定だったが、大雨で中止にする。
9月11日、右折するため減速・停止しようとしたところ、後ろからシートベルトをしていなかった軽トラに追突される。事故処理後病院に行くと別の事故を起こした人もいて、その人もシートベルトをしていなかったとか。県北で事故が減らないわけだ。
9月9日、浦和浪漫山岳会の高桑さんから池田知沙子さんの「追悼集」が届いていた。「浪漫」を使用した文章を送っていたのだが、「酩テイのあげく、道から転げ落ちるのは私も得意技です」という手紙が同封されていた。
9月7日、新潟駅前で新潟日報社に勤める知人と待ち合わせ、駒の小屋の管理人・米山孝志さんが駒ガ岳で撮影したシカの写真を手渡す。シカはこれまで新潟県には生息していなかったはずである。そのまま佐渡汽船ターミナルまで送ってもらう。
9月4日、「こりないめんめんとその仲間達」で糸魚川市の烏帽子岳に登る。登山道はしっかりしていたが、登山口までの道路の悪いこと。まさか車でも藪こぎするとは思わなかった。
8月31日、浦和浪漫山岳会の高桑信一さんから、「池田知沙子さんの追悼集が増刷された」と葉書が届く。さすがに反響は大きいらしい。
8月27日、昨夜八海山をしこたま飲んで、いつものように途中から記憶がない。「かあちゃんに」に呼ばれて、一緒に酒を飲んだところまでは覚えているのだが……。帰りにまた八海山を1本いただく。
8月26日、金城山の新登山口を発見し、池ノ平峰まで登ってみる。下山は長崎口へ向かったが、「越後の山旅 下巻」や「アルパインガイド谷川岳・越後三山」の地図に印された登山道とはコースが一部違い、目的を果たせず、清水集落の「雲天」に泊る。
8月25日、駒ノ小屋の管理人である米山さんが6月に撮影したシカ(カモシカではない)のスライドが届く。確かにシカである。これはビッグニュースだ。
8月23日、実家から見附の弟の家により、先日生まれた次男の顔を見る。生まれたばかりだが、長男にそっくりなのが不思議だ。
8月21日、実家に帰る。お昼に親戚、近所が集まってお別れ会。総勢約50人。
8月19日、母が実家に帰っているので、畑に野菜を採りに行く。1日畑に行かないとオクラやキュウリがお化けのようになっている。
8月17日、「日本山岳総覧」の著者・武内正さんから手紙が来た。「日本山岳総覧」で収録した数が18032山だったが、その後の調査で現在は約19000山になっているとか。
8月16日、子供を連れて神林村のプールに行く。両腕につけた浮き袋でやっと80cmの深さを爪先立ちで立っていた子供が、深さ100cmではプカプカ浮いていたのに泣かなかったのには驚いた。
8月15日、漸く現在のパソコンにハムログをインストールする。しかしなぜか過去のRemarksが入らない。
8月14日、羽田さんと二人で朝日村の前山に登る。現在の二子島から大沢を越え前山の北を通って旧三面集落に至る道が古い地形図に印されており、その踏み跡を一部使用して登った。山頂と途中には以前登った人の赤布が残されていた。
8月13日、母を実家に残し、昼寝をしている子供を乗せて村上に戻る。高速、バイパスともにそれほどの混雑ではない。
8月12日、母と子供を車に乗せて、弟の見附の家に寄って、実家に帰る。わかっているのかいないのか子供が仏壇の木魚をたたく。
8月10日、1週間前の飯豊環状縦走の疲労は4、5日残ったが、20キロ強の荷物を背負った2泊3日の山行は、ほとんど疲労がない。夜は村上無線局の飲み会。午前様となる。
8月9日、水汲みから戻ると御西小屋に泊まっていたBBZから声をかけられる。暑いなか、飯豊本山、切合を経由して大日杉に下る。白川荘には3箇月連続でお風呂に入ってしまった。売店にトチノキのお盆が「ブナの木」として売られていた。
8月8日、切合から飯豊本山、御西まで歩いてテントを張り、西大日岳を往復する。甲子園では新潟明訓が宇和島東に勝ったとか。
8月7日、豊栄の藤田夫婦と大日杉から切合に登る。テントを張り終え、散策から戻ってきたら、学生時代の同級生の江川と逢う。ちなみにこの人、三面小屋を造った人であり、それと同じ小屋が杁差や村松白山にも造られている。
8月6日、「いまだ下山せず!」が文庫になったので再び買う。前に買った本は伯父に貸したまま返ってこない。ちなみに「岳物語」も返ってこず、新たに「定本岳物語」を買っている。石井スポーツに、頼んでおいたMSRのチタン製クックセットを取りにいく。
8月2日、午後から休み、天蓋牧場にヒマワリを見に行く。満開のヒマワリは太陽と逆の東の方向を向いていた。
8月1日、17時過ぎから子供を連れて海に行く。昨日の疲れもあるが、泳ぐより山に登るほうが楽である。
7月31日、飯豊温泉2:40---8:45飯豊本山8:55---11:00大日岳11:27---15:30北股岳15:40---16:55地神山17:05---19:30飯豊温泉。歩き通すポイントは、涼しいうちにダイグラを登ることか。でも羽田さんのように何回もこんなことはしたくないと思った。
7月27日、前社長の本間さんが職場に来て、「随想 森がみえる 心の原風景」を頂く。
7月26日、人間ドック。いつものように胃の組織を取られ、しばらく胃が痛む。おまけに瞳孔が開かれ、炎天下にまぶしいまぶしい。
7月25日、梅雨明けし無線機から山の声が聞こえるが、今年から始まった町内の夏祭り。明日人間ドックのため、ビールも飲めず炎天下でイカを焼く。終わればお決まりの反省会。いったい子供のための夏祭りなのか、大人のための夏祭りなのか…。
7月24日、20日に登った関光山山頂から北東方向に向かう道が気になり、登って確かめる。午前は天蓋牧場に行くが、ヒマワリは2分咲きだった。夕方から町内の祭りの準備をする。
7月20日、朝早く朝日村関口集落に行き、以前から目をつけていた関光山(かんこうさん)と荒城山(あらじょうやま)に登る。
7月19日、有田さんの家に行き、スイカをもらう。家に帰ると子供がすぐにスイカを見つけ、まだ冷えていないスイカにかぶりついた。
7月18日、県展を見に行く。森や山を題材にしている作品はわかったが、他は何がなんだかわからなかった。
7月17日、プールを今年初めて出して、子供を遊ばせながら、椅子に腰掛け「黒部へ」を読む。屋根からアサガオのツルが絡まる紐を張る。
7月15日、志水哲也さんの「黒部へ」を買う。「大いなる山大いなる谷」、「果てしなき山稜」に続き素晴らしい本だ。
7月11日、職場の同僚と大日杉〜五段山〜切合小屋〜大日杉を歩く。切合小屋には11時半に着いたが、ガスで飯豊本山ピストンはあきらめ、2時間休んで16時20分に大日杉に下る。御田でマメシジミを発見する。
7月10日、笹神村のワンワン動物園に行く。たくさんの犬に囲まれて、子供が半狂乱になる。
7月8日、母とふたりで二王子岳に登る。少ない登山者の山頂で、飯豊を見ながら久しぶりに二王子岳を満喫する。また鴨池でマメシジミを発見する。
7月7日、松之山町の美人林で森林浴。村上に戻ると岡本さんから「ラテルネ6号」が届いていた。自分が登った笠倉山、剛造山、芋沢山などが、違うルートから登られているので面白かった。
7月5日、朝日村の柳生戸集落周辺へ行く。ヤマビルを4匹見るが、ヒルノックで撃退する。ヒルは小さかった。
7月3日、岩船港に銀河丸が来ているというので、家族で見に行く。船員は雨の中でも「こんにちは」と明るく声をかけてくれた。
6月28日、ホームページにある「新潟森林浴の森百選」の入手方法を教えて欲しいというメールに返事を昨日送ったところ、手に入ったというお礼のメールが届いていた。自分のホームページが少しでも役に立ててうれしいと思う。
6月27日、萩本欽一さんが村上に来るというので、長男と留守番。かわりに昨日遊んできたからいいか。
6月26日、友人とふたりで猿田川から泥又川へ行き、大明神滝まで釣り登る。ブナ林と穏やかな渓流を楽しむ。日帰りだったので、大明神滝まで行くことが目的で、釣果はイマイチだった。
6月21日、山毛欅潰山の三角点の回りにあった標識の名前を調べたところ、「対空標識」と呼ぶことがわかる。またよく三角点の回りに石があるが、偶然あるものではなく、「防衛石」と呼ぶらしい。
6月20日、羽田さん、本名さん、中野さん、明道さんの4人と山毛欅潰山に登る。中津川峠までは不明瞭な道で、そこから標高550mくらいまで明瞭な踏跡があり、あとはマーカーをつけての藪こぎ。
6月15日、「山の本」第28巻が4冊届く。「こりないめんめん」3人に送付する。
6月14日、巻町の「こまどり」でミソラーメンと餃子を食べる。
6月13日、昨日の雪辱戦。今度は野潟へ行く。ふたりで3匹だけしか釣れなかったが、他の人たちは全く釣れないようだった。午後になって大学の後輩が来たので、テーブルを出そうとして腰を痛める。
6月12日、母とふたりで早朝アジ釣りをしようと馬下に出かけるが、1匹も釣れずに帰る。最盛期は2週間前だったらしい。
6月11日、フスベ沢でイワナ釣り。遡上止の3m滝で引き返す。またも尺イワナをバラす。帰りにアカイ沢から泥又川に向かうゼンマイ道の位置口を確認する。
6月9日、朝日村林道元屋敷線でクマタカを見、新四郎沢でアカショウビンの声を聞く。
6月7日、仕事が終わってから野球の試合。10キロ以上の荷物を背負って10時間近く歩いても太ももの筋肉痛しかならないのに、1時間そこそこの野球で腰が痛くなるのは何故か?
6月6日、村松白山から粟ケ岳まで歩く。権ノ神岳で見附市のタクシー皆川に連絡し、午後2時に加茂市の水源地で待ち合わせ、慈光寺まで送ってもらう。右脛をヒルに2箇所食われる。
6月5日、山形のお宮に行く。お祈りならいつも山で山の神様にしているのに…。
6月4日、ICI石井スポーツで5人用テントを買う。これで20年間にためたテントが5張り、ツェルトが2つになってしまった。
5月31日、お茶の水の茗渓堂で「山毛欅林より」(高見和成遺稿追悼集)を買う。高見さんの「雪の谷 山の声」は持っていないが(羽田さんから借りて読んだ)、これも素晴らしい本だ。
5月30日、松代日帰りで、母を村上に連れてくる。車で、本名さん、神田さん、山田さんと交信する。皆、山に登っていてうらやましい。
5月29日、家内と子供が電車に乗って府屋まで行く予定で、車で追いかけ途中の勝木駅で手を振っていたら、子供があまりにトンネルが多く泣いてしまっていて、そこで下りてしまった。間島のキャプテンでお昼を食べ、村上に戻る。
5月25日、青海ヒスイ峡付近に行き、帰りに麻尾山まで車で上ってみる。雨で、山頂からの展望はわからなかった。
5月23日、月山スキー場で出張クロパインカップハードクラス(ノーエッジのクロスカントリースキーによるディアルスラロームレース)に出場するが、一回戦で負ける。皆が上達しないうちに優勝していて良かった。
5月22日、職場の同僚と月山スキー場から月山と姥ケ岳に登る。他にもテレマークスキーで山に登る人がたくさんいた。夜はTAJ(日本テレマークスキー協会)の月山キャンプに参加。
5月17日、お昼を食べに、浦川原村の唐野山に登るが、「新潟の里山」の記述はデタラメだと知る。でも本があてにならないことがわかっただけでもいいか。仕事が終わってからは久しぶりに城山(安塚町)にも登る。
5月16日、10時から1丁目の公園の草刈があり、その後バーベキュー。草刈とバーベキューの間に、枯松山に登っていた佐藤正子さんと交信する。
5月15日、夜間登山の練習をしようと思い、3時40分に光兎山の登山口を出発するが、4時頃から明るくなり始め、練習にならなかった。観音峰で5分休み、5時40分に山頂に着いた。誰もいない山頂で2時間休み、9時半に登山口に下りた。
5月14日、石井光造さんの「白神山地の山々」を買う。「はじめに」を読んで、「まさにそのとおり」だと思った。私のホームページの「新潟県北の低山藪山情報」が不親切なのは、石井光造さんと同じ理由である。
5月13日、白山書房から「山の本・第28巻」に投稿していた原稿がゲラになって返ってきた。これでまた1冊「山の本」がただで手に入ることになった。
5月12日、松之山町大厳寺高原に行く。関田山脈はまだ真っ白だった。
5月9日、山形県小国町の鍋倉山に登る。山頂からは飯豊連峰が間近に見えた。とくに入門内沢出合から石転び沢がカイラギ小屋まで全部見えたことに驚く。倉手山は最近登山者が多くなってしまったが、鍋倉山は静かな山頂を約束してくれる飯豊の展望台だ。
5月8日、山に出かけようと3時に家を出るが、関川村で土砂降りになり、4時に家に帰ってきた。昼は家内、子供と樽ケ橋遊園に遊びに行く。
5月4日、2月中旬にアップロードした時に、不注意で消してしまったホームページのカウンターと掲示板を水谷さんに手伝ってもらって復活する。そして夜は村上無線局と飲む。
5月3日、実家の窓から見える蒲生城山に24年ぶりに登る。実家のある集落がよく見えた。村上に戻る。
5月2日、祖母の米寿のお祝い。初孫は辛い。
4月30日、家内、子供と3人で新潟大和に赤ちゃん写真コンテストを見に行く。かつらをかぶったり、ねじり鉢巻をしている子供は何人かいたが、菅笠をかぶっていたのは我が子だけだった。
4月29日、母を車に乗せて松代の実家に日帰り。田んぼにはまだ雪が残り、家のまわりのブナは半分くらい開葉していた。
4月28日、山北町役場から各集落に設置されている看板の資料が届く。ジャ林山の社が「清浄峰様」とよばれていることがわかる。
4月24日、朝飯前に山北町の金峰山に登る。標高200m以下でシラネアオイを見つけて喜ぶが、職場に戻って資料を見ると、「新潟県の最低は村上市柏尾の15m」とのこと。山北町の金峰山は、山形の金峰山と関係があるらしい。
4月20日、入広瀬村大白川に出張。久しぶりに雪を踏む。ブナは並作以下か?
4月18日、新潟の仲間と一緒に母を連れて神林村の大平山に登る。山頂で休んだあと、少し先の「平田大六さん」が付けた切りつけを捜しに行く。運良く見つけることができ、新道を下る。コゴミが採り頃だったが、ヤマビルも活動を開始していた。
4月17日、関川村のある山に登ろうとひとりで出かけるが、雪が予想以上に少なかったことと風邪気味で体調不良だったため、半分くらいであきらめる。夜は村上ローカルと諸上寺山で移動運用。ますます風邪が悪化する。