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2023年

12月29日、紀伊国屋での写真集お渡し会が当たった。家内は新宿の紀伊国屋だと思い、慌ててスマホで検索していた。安心してください、新潟ですよ。

12月24日、吉田正記念オーケストラのコンサートに行った来た。演奏の合間のトークや、オーケストラをバックに歌唱など、これまでのオーケストラの概念にはない面白いコンサートだった。

12月20日、マリンピア日本海、新潟市美術館展、新潟市歴史博物館みなとぴあをハシゴした。平日だし、冬で寒いし、人が少なくてゆっくり鑑賞できた。

12月13日、酒田市美術館に行って、「中島潔展」を観てきた。6月の「白籏史朗展」を3人で3300円の年間券を買ったので、夏の「サンリオ展」に続いて3回目だ。何回生まれ変わっても、絶対に自分には描くことができない絵だった。それから山居倉庫によって、家内の友達の和菓子屋に行った。

12月10日、今年で活動を終えるフルート笛人の本宮宏美さんのコンサートが、村上で午前午後と2回あるので、家内と二人で行った。午前と午後は半分くらい曲を変えてくれたし、5年前のコンサートでCDを買っているので、聴きなれた曲が多くて楽しかった。コンサートを終えて、最後のアルバムを買って、色紙にサインをしていただいた。

12月3日、NGT劇場公演「リバイバル公演」の千秋楽夜公演に行く。座席が悪いと柱の陰になったり、立ち見になる。139番以内を願っていたら、22番で最前列右から2番目だった。今年の運はまだまだ使い果たしていない。

11月28日、今年の運はまだ使い果たしていなかった。12月3日のNGT劇場公演「リバイバル公演」の千秋楽夜公演が当たったのだ。千秋楽公演は昼と夜があり、メンバーから判断すると夜公演の方が倍率は高いはずだ。

11月19日、買い物をしたら、くじを2本引けることになった。家内とそれぞれ1本ずつ引いたら、家内は100円の割引券だったが、私は3000円相当の鮭の味噌漬けが当たった。「今年の運を使い果たしてしまいましたね」と店員に言われるが、そういうわけには行かないのだ。

11月15日、ちょうど1年前に行った「浜田広介記念館」にまた行ってきた。その後で、道の駅高畠によって、高畠ワイナリーに行く。家内は試飲するが私は飲めない。さらに道の駅米沢に立ち寄ってから、辛みそラーメンを食べる。本命の店が休みで食べられなかったが、やっぱり本命の店の方がうまいような気がする。

11月11日、藤井竜王が圧倒的な強さで、竜王のタイトルを守った。37手詰は解説者もわからなかったようで、ネットでは「解説者も投了させた」と表現されていた。一発勝負では負けることもあるが、複数回対局するタイトル戦で負け越すことはしばらく無いような気がする。

11月8日、先日の二王子岳は一番に山頂に着いて、山頂にいる間に女性が2人登ってきた。1時間山頂で休み、下っている途中で5人の男性とすれ違った。その5人のうち、4人がYAMAPにアップしていた。前日の5日は日曜日なのにゼロなのだが。

11月6日、二王子岳に登った。1年で3回登ったのは、初めてだ。これで通算30回目。ただし、最初に登ったのが1982年だから、1年では1回未満の登山になる。登山者を数えたら、自分も含めて男6人、女2人が登っていたが、全員単独だった。平日だからだろうか。

10月26日、万代島美術館に行き、「イッタラ展」を観てきた。ガラスの世界も奥が深いものだ。特に木でガラスを整形している作品が興味深かった。何度も整形していると焼け焦げてくるのだから、同じ作品が二つとないことになるのだろう。

10月25日、5回以上登っている山で、最近10年間登っていない山を「終活登山」として登ることにしている。今日は10年ぶり、16回目の光兎山に登った。登山者は他に3人で、いずれも20分以内で下っていったが、1時間ゆっくりと山頂からの景色を楽しんだ。

10月22日、朝食を食べ、太夫浜霊園にあるという三角点を探しに向かうが、藪でわからない。安古左エ門の観音像を見て、太夫浜諏訪神社で仲間と別れる。村上に帰る途中で聖篭町の位守山を発見し、アベマキ林を登る。

10月21日、午後から海辺の森キャンプ場に向かう。午後2時を過ぎると、次々に仲間が集まってくる。常設テントで映像と宴会の準備をする。午後4時から映像を見ながら、7月に遭難した山仲間を偲んだ。

10月18日、庭木の冬囲い体験に参加した。午前は座学、午後は冬囲いの実習。3種類の結び方を教えてもらったが、次の結び方を習うと、すぐに前の結び方を忘れてしまう。最後に庭木の竹支柱を作って終了。

10月14日、去年、五頭山で遭難した男性がどこから小倉沢に踏み込んでしまったのか確認しに行く。五頭山から松平山方面に向かうと、反射板跡の手前に大日清水の標識があった。ここから小倉沢に入ってしまったと確信した。

10月9日、雨の朝、テントを片付け、炊事場の端でホットサンドを食べる。その後、加治川、胎内、関川の道の駅による。「平田大六 卒寿の履歴展」を大六さんの解説付きで観る。

10月8日、「いいねっか村上」から戻ってきた家内と息子を車に乗せて、新潟市の海辺の森キャンプ場に向かう。一番北の端のテントサイトにテントを張り、パスタ、チーズフォンデュ、焼肉、ビーフシチューを作る。

10月2日、笹川流れに向かっている途中で道路にいたハトを見つけた。アオバトだ。山ではよく鳴き声を聞くが、これまで姿を見たことがなかった。たぶん海水を飲みに来たのだろう。しかし、波が荒くてためらって道路にいたのではないだろうか。

9月20日、栃尾に行き、星長豆腐店でおぼろ豆腐を買う。それから栃尾美術館に行き、中原淳一展を観る。初期の作品は傾倒していた夢二に似ているが、だんだんと独自の世界を創っていく。栃尾道の駅で油揚げ定食を食べて、長岡経由で村上に戻る。

9月11日、二王子岳に登ろうと思ったが、なかなか家を出る気にならず、家から下渡山〜臥牛山〜山居山〜物見山〜浜山をぐるっと一周した。7時間以上で、二王子岳より時間がかかった。

9月10日、息子が「たいない高原マラソン」に出場した。当日に限り参加者とその家族が胎内市の3つの施設に無料で入ることができるので、胎内昆虫の家、胎内自然天文館、クレーストーン博士の館に行った。家に戻ってシャワーと昼食の後、急いで笹川流れに向かった。

8月23日、万代島美術館の「ヨシタケシンスケ展かもしれない」に行く。大学時代に造形を学んでいたそうで、3次元と絵本の2次元を組み合わせた展示だった。大人向けの絵本作家だと思っていたが、夏休み期間と言うこともあって子供も楽しめる内容だった。

8月10日、家族4人で、松代へ墓参り。その後、松之山の美人林と大厳寺高原に行く。大厳寺高原のキャンプ場が今どきに変わっていてビックリ。松之山温泉でわらじカツ丼を食べ、松代へ戻って農舞台を経由して、親戚に挨拶に行く。

8月2日、家族4人で酒田市美術館に行き、「サンリオデザイナーのお仕事展」を観る。それからイヌワシ未来館に行き、少し戻ってイオン三川で昼食。さらに11年ぶり4回目の加茂水族館に行く。

7月30日、5年ぶりに白布峠から西吾妻山に登った。村上から一番近い、ブナ林からオオシラビソ林の森林変化を観察できるルートだ。西吾妻山は4回目だが、訪れる人は多いものの、長居をする人はいない。ほとんどの人が1分以内で立ち去る。

7月21日、二王子岳に登った。4合目を過ぎたところで、訊いてもいないのに「71歳」と言う男性に追い越された。山頂まで約3時間。ガスで飯豊は見えなかったが、涼しい山頂で2時間半のんびり過ごした。二本木山への登山道が刈払われたので、秋になったら久しぶりに登ってみたい。

7月18日、新聞を開いて驚いた。東京に住む山関係者が沢登りで滑落して亡くなったのだ。死亡確認時刻は昨日の午前7時過ぎ。まさに琴沢を横断し、引き返そうとした頃だった。「虫の知らせ」というのだろうか。仲間と一緒に香典を送ることにした。

7月17日、5回以上登っていて、最近10年間登っていない山を終活登山として登ることにした。その2座目の俎倉山に向かった。だが、車を運転している時から目が霞むような感じがして、歩きだしてもなかなか足が前に進まなかった。琴沢を横断したところで、引き返し10時前には家に戻った。

7月16日、映画「大名倒産」を観てきた。藩の赤字の一部を塩引き鮭が救うという村上に関係した映画であり、CGの臥牛山の上には光兎山も確認できた。お世話になっている村上市教育委員会の職員の名前もあった。

7月5日、万代島美術館へ行き、「糸で描く物語」を観る。40人くらいのうち、男は1割に満たない。娘に連れられてしょがなく来たような父親もいる。イオン新潟東でお昼を食べ、村上に戻る。

7月2日、関川村の三角点山に登った。町内の調整池の草刈りが終わってから出発したので、11時スタート。19年ぶりだったので、前回の記憶がまったくない。へつり道が大六さんによって、新しい道になっていたりして歩きやすくなっていた。

6月24日、酒田市美術館に白籏史郎展を観に行く。3人で年間券3300円にする。父が酒田市出身で、鳥海山を父の山と呼んでいたという。美術館で軽食をすませ、家内の友人の和菓子屋に寄って村上に戻る。

6月19日、二王子岳に登った。28回目だった。去年オオサクラソウを見つけられなかったが、今年は確認できた。しかし、だんだんと確認できるオオサクラソウが登山道から離れていくのは気のせいだろうか。早く登ったので、なんとか飯豊連峰を眺めることができた。

6月18日、息子が関川マラソンに出場するので、家内と一緒に出掛けた。息子はキロ6分ペースでゴールした。やっぱり応援だけではつまらない。右ひざの状態が良くなってきたから、また走ってみようかなと思う。

6月8日、鍬江集落からブナ巨木を見に行った。鍬江集落から登るのは4回目になるが、今回は鍬江集落の駐車場に車を止めた。過去3回とは逆回りの城跡コース〜ブナ巨木〜西山古道を歩く。帰宅して、ブナ巨木を訪ねた回数を調べたら、14回目だった。

6月7日、県立植物園に行った。牧野富太郎展を観るためである。植物が好きというよりも、朝ドラが好きな女性がたくさんいた。展示ポスターが、柴田治さんが新発田治さんになっていたので、間違いを指摘して、燕のストックバスターズに向かった。

6月2日、先日不注意でコンデジを1mくらいの高さから落としてしまった。そのくらいの高さから落としても壊れないカメラなのだが、カメラ機能ではなく電池とメモリのカバーが壊れてしまった。10年くらい前のコンデジなので後継機種はないので、中古品を探したら運よく新品同様のコンデジが見つかった。

6月1日、高桑信一さんから新刊『渓の旅、いまむかし』(山と渓谷社)が届いた。「読んでいないと思うので、前著は進呈します」と『狩猟に生きる男たち女たち』(つり人社)が同封されていた。『狩猟に生きる男たち女たち』は購読すみなのだが、ありがたいことだ。

5月27日、家内の友達夫婦が東京から来たので、村上を案内した。瀬波温泉の駐車場で待ち合わせ、噴湯公園に行き温泉ゆで卵を作って、笹川流れに向かう。海で遊んで、家に戻り、村上牛の丼に昨日釣ったアジとスズキの刺身にガラ汁でお昼を食べる。午後からは、いよぼや会館と町家巡り。

5月26日、同じ場所に既に釣り人がいるので、違う場所に息子と行く。今日はすぐにアジが釣れる。2、3尾釣ると、大きな引きがあり、ルアーを取られてしまう。その後、40センチのスズキを2尾釣る。雨が当たってきたので、雨具を着る。もう帰ろうと、砂浜に戻ってもう一度投げると60センチのスズキがかかる。

5月22日、先日の瀬波海岸の同じ場所で釣りをする。しかし、風が強くて寒い。時間帯が早いせいか、当たりもそれほどない。ようやく食いついた魚は先日のアジとは違った動きをする。釣りあげたら、サバだった。それから岩船港に移動するが、釣れないのか人は少なかった。

5月21日、元同僚と桜公園駐車場で待ち合わせ、白鳥公園に移動する。白鳥山に登り、櫛形山まで歩いて昼食。登山者は10人ていど。曇り空だったが、飯豊連峰を見ることができた。それから大峰山に向かい、願文山経由で桜公園に下る。

5月18日、仕事を終えて、海に向かう。岩船港の様子を見てから、瀬波海岸へ。駐車場から防波堤の先に進み、100均のメタルジグを投げる。何回か投げた後で、ジグを替えるとアジが釣れた。しかし、針がかりが甘く、何度もばらす。それでもアジを5尾釣る。最高は27センチだった。

5月15日、本間日陽ちゃんの一日村上警察署長就任式と春の交通安全運動に行く。40分前に行ったので、運よく最前列に並ぶことができた。交通安全運動も2巡でき、都合が悪くて行けなかった家内の分もクリアファイルと村上茶をいただくことができた。

5月10日、40年ぶり3回目の焼峰山に登った。学生時代は2回とも白新線と赤谷線を乗り継いで東赤谷駅から歩いた。初めて焼峰ノ頭まで行ってみた。景色は焼峰山よりも良かったが、自分にとって40年ぶりを大切にしたかったので、焼峰山に戻り昼食にした。

5月4日、天気がいいので、のんびり過ごす。8時から朝食。10時に撤収。温海温泉を散策し、碁石海岸でお昼を食べ、ゆり花温泉に入る。午後2時には家に着いて、テントを乾かしたり、食器を洗ったりして過ごす。天気が良いと片付けも楽だ。

5月3日、鶴岡アートフォーラムへ行き、「ピングー展」を見る。その後で1時間ほど周辺を散策する。スーパーで弁当を買って由良海岸で食べ、八森山でテントを張る。今日は3人なので、エアライズ3とタープの組み合わせ。風が強く、風力発電がうるさい。

4月30日、予報通り夜中から雨。テントの中でホットサンドを作り、雨が弱くなったのを見計らってテント撤収。家に戻ってお風呂に入って、昼食。家から近いキャンプ場だから、二日目が雨でも決行できるキャンプだった。

4月29日、家族4人で南大平キャンプ場へ行く。シートを敷いてビーフンで昼食。テントを張って、ゲームをして、午後4時から夕食の準備。キリン君で焼肉、たる丸ジュニアでアヒージョ、チーズフォンデュで夕食。

4月24日、大平集落から「右寺尾 左月山」の道標を確認し、林道海府南線を歩いて鷹取山を目指す。登山道は藪化が進んでいて、帰りは月山神社から2回道を失う。すぐに道を見つけたのだが、このままでは数年後に廃道になってしまうかもしれない。

4月14日、仕事を終えてから、秘密の花園に向かう。去年はピークを過ぎていたので、すっかり白くなっていたシラネアオイだったが、今年はまだ薄紫色が残っているくらいだった。庭のイカリソウが咲き始めたころが、一番いいと来年は時期を外さないようにしたい。

4月13日、西山古道を登り、ブナ巨木を確認し、飯豊連峰見晴台でラーメンを食べる。シジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラがさえずっている。城跡コースを下り、午後の田んぼ作業を始める車が登って来る前に下り、胎内で時間をつぶし、午後3時に坂町病院に行く。

4月9日、万代島美術館で原田治展を観る。ミスドやECCジュニアは原田さんの作品だと知っていたが、カルビーポテトチップスは気づかなかった。ばかうけ展望室を楽しんだ後、青島でチャーシュー麺を食べ、ムサシ周辺で買い物をする。

4月5日、家内の車のタイヤを替えようとしたが、十字レンチで回せない。そういえば、冬前にスタッドレスタイヤを新しくしたのだった。タイヤを購入した店に電話をすると、「錆びているかもしれませんね」と答える。そこで、いつもお世話になっている店に行ってタイヤ交換してもらうと、「簡単に錆びる場所ではないし、明らかに締め過ぎです」と言われた。

4月4日、旧山北町雷集落の南西方向にある522.9m峰に登ってきた。山頂に直径5mの雪が残り、三角点が埋もれていた。ストックで突くと「カチッ」と音がして、測量ポールを発見した。三角点は倒れていた測量ポールの先にあった。切りつけが全くないブナの尾根だった。

4月2日、「NHKのど自慢」を観覧した。テレビ放映が終わった後で、チャンピョンがもう一度歌い、ゲスト二組も違う歌を熱唱した。その前後に旧神林村の指合、殿岡、里本庄の神社にあるブナ巨木を確認した。特に里本庄の神社周辺には細いブナがたくさん生えていて、標高20mからブナがあったことを確信させてくれる。

3月25日、息子が二十歳になった時に、家族で鼠ヶ関の朝日屋に寿司を食べに行った。しかし、娘の時はタイミングが合わなくて行っていなかったのだが、ようやく寿司を食べることができた。初めて念珠の松も見ることができた。

3月21日、電車で新潟に行く。まずはジュンク堂へ。2年ぶりだから、本の配置が変わっていて戸惑った。それから、万代に行き、本間日陽生誕祭を観てきた。後輩に慕われていることがわかるいい公演だった。

3月20日、家内と二人で家から歩いて人形様巡りをした。たぶんこれまで人形様巡りを目的に町家を歩いたことがないと思う。大洋盛にも初めて入ってみた。平日なのに観光客が多い。

3月18日、午後から休んで、「災害復興・防災シンポジウム」に行った。昨年8月3日の豪雨災害を振り返り、水害から命と暮らしを守るイベントである。災害に対する準備と覚悟が必要だとあらためて感じた。

3月14日、図書館に予約していた本を借りに行ったら、「付録が当たってますね」と言われた。雑誌の付録が希望者に抽選で当たるのだが、運よく当選したのだった。家に戻ってパソコンを確認すると、3月21日の劇場公演が当たっていた。さらに、春号で休刊になる『山の本』に紀行文を投稿していたので、2冊届いていた。

3月12日、20年前にいただいたギョウジャニンニクをずっとプランターで育てていたのだが、庭のすみに植え替えた。午後はフリーキャスター和田奈美佳さんの福祉講演会「生涯元気で過ごすための秘訣 〜健康寿命を延ばすための食事と運動〜」に行く。

3月8日、新津フラワーランドで花を買い、そらから燕のストックバスターズに行ったが、自分用の物は何も買わなかった。その後、初めて杭州飯店でラーメンを食べた。戻る途中で新潟のアウトドアショップで自分用の金属食器を買った。

3月7日、旧山北町の雪の積もった道路や藪尾根を歩いた。特にピークに至ったわけではない。小沢のせせらぎを聴きながら昼食をとり、車に向かっていたら自分の足跡をカモシカが横切っていた。

2月26日、「ヒスイ文化の魅力発信リレー講演会」の2回目「縄文社会とヒスイ」に行ってきた。糸魚川市小滝や旧青海町橋立の近くで仕事をしたことがあり、ヒスイはずっと気になっていた。ヒスイ探し体験もあったのだが、予備知識がまったくない家内が自分よりも先にヒスイを発見した。

2月25日、家内と息子が新潟市マンガ・アニメ情報館に行くので、その間書店に行った。気になる本はあったが、似たような本はもういらない。他の店も覗いてみたが、結局何も買わずに帰ってきた。

2月24日、どこからやって来たのか、ヒオウギが庭の一角に生えて数年たった。どんどん株が大きくなるし、道路に近くよく見える場所なので、家の近くに移動させた。その跡には鉢のオオムレスズメを植えた。

2月12日、旧山北町に伊呉野という名前の集落があることは知っていたが、これまで中浜集落が最北だと思っていた。ところが今日、伊呉野集落が最北で、狭い道路をはさんで山形県鼠ヶ関と接していることがわかった。新潟県境は全部山だと思い込んでいたからだった。

2月7日、去年秋に五頭山で道迷いで遭難した男性は、あとから知人の知人だということがわかった。そして、今回米山で遭難した女性も知人の知人であった。どちら人も定年退職し、さらに勤めながら登山を楽しんでいたようだ。自分も気を付けなければと思う。

1月31日、20年以上前にバックカントリースキーで訪れたことがある栂池・天狗原や妙高・前山で雪崩や遭難が起きている。私が滑ったのは雪が落ち着いた時期だったが、こんなに遭難が起きているのは人が多くなったからなんだろうな。

1月29日、山居山(94.3m)の北東に100m峰がある。歩道はその100m峰を通っていないので、100m峰に行ってみた。それから100m峰の南西尾根を下り、日東道のアクセス道に下りた。さらに道路を歩いて、水道施設から再び山居山歩道を歩いて、山居町二丁目に下りた。

1月23日、去年4月に見つけた国道7号よりも東側のブナを見に行った。去年は笹藪で諦めたが、雪の上を歩いて胸高直径を測定すると53pだった。それから周辺を1時間ほど散策したが、ブナは見つけられなかった。植栽した可能性は否定できないが、何らかの理由で伐り残されたのだろう。

1月22日、数年前に『山の本』に連載したコラム「越後の山と森を歩く」にそった2回目の講演をした。このコラムの執筆は自分の山と森を整理するうえで、とても良い機会だった。時間が1時間だったため、泣く泣く削除した内容があったが、少しくらいオーバーしても盛り込めば良かったかもしれない。

1月15日、10月にブナの種を蒔き、正月まで外に置いた。昨年末に雪をかぶり、低温処理ができたと思うので、正月を過ぎてからペレットストーブのあるリビングに入れた。しかし一斉に発芽せず、大きくなったブナもやしを20本ほど採って、ラーメンのトッピングにした。

1月11日、7年ぶりに「あがりこ姫」に会いに行った。ぶどうスキー場に車を止め、準備をする。向かうのはスキー場と反対側の尾根だ。木の根元で寝ていたウサギがビックリして出てくる。1時間半であがりこ姫と会うことができた。次は新緑の4月に訪れてみたい。

1月7日、時々通勤途中に大池によるが、休みなので家族で大池に鳥を見に行った。近くにはオナガガモが多く、キンクロハジロに、ホシハジロ、ハシビロガモが少しだけ。それから藤基神社に行って、初詣。

1月1日、息子が元旦マラソンを走るので、車で体育館まで送った。雨が降っていなかったら、そのまま初詣に行こうと思ったが、雨が強くなりだしたので、歩いて家まで帰った。元日は新聞販売店が休みのようなので、岩船のコンビニまで行って村上新聞を買ってきた。