新規サイト001


2022年

12月31日、朝テレビで新潟の山番組をしていた。今年2月の谷川岳だった。冬の谷川岳とはいえ、観光地と同じに見えた。「何が楽しいんだろう」と思ったが、山は人それぞれ、他人が何をしていようが関係ない。自分がそんな場所に近づかなければいいだけだ。

12月27日、NGT48のシングル「渡り鳥に空は見えない」は、粟島のオオミズナギドリ幼鳥をモチーフにしている曲のように聞こえる。粟島のオオミズナギドリ幼鳥は親のように海面を南に向かうのではなく、本州を横断して太平洋に抜けるのだ。そして、力尽きて地上に落下してしまえば、もう飛び立つことができない。

12月25日、時々少し早く家を出て、大池でハクチョウが飛び立つ様子を見ている。ほとんど複数で飛び立つのだが、どのように合図して、複数が飛び立つのかわからない。1羽が飛び立つと、あわてて家族が飛び立つのだろうか。

12月21日、右手人差し指第一関節にできたしこりは、「ガングリオン」だった。女性にできやすいと言われているが、男にだってできるのだ。数年前にできた膝の「皮膚腫」も老化現象なんだろうな。

12月17日、『山の本』冬号が届いた。「次号で休刊」とあったので、最後にもうひとつ何か投稿しようと思う。特集の「忘れられない登山」で思いつくのは20歳の単独行だが、とても原稿用紙6枚以上は書けないので、「いちぺ〜じ紀行」にしようと思う。

12月13日、人間ドック。健康保険が変わったので割引が効かず、正規料金で受けた。60歳を過ぎたら身体のあら捜しなどせずに、最低限の健康診断で済ませるという意見もあるが、身体のあちこちが悪いのを実感するし、とにかく働いている間は受けることにしている。

12月3日、7月に村上市文化財保護審議会の現地視察で訪れた猿沢城跡を山頂まで歩いた。それから早稲田集落に移動し、三吉様に向かった。積雪がだんだんと多くなり、山頂は50センチになった。三吉様から飯豊、朝日の他に月山まで見えた。

11月28日、日本国に登った。どうしても年内に村上市内の著名な山でブナ二次林の写真を撮る必要があったからだ。山頂まで1時間ちょっと。誰もいない山頂でインスタントラーメンを食べる。1時間ほど休んでいたら、犬を連れた女性が登ってきた。出会った登山者は10人で、女性が6人だった。

11月24日、家族で新津美術館に行き、「黒井健 絵本原画展」を観た。昼食を済ませ、平核無柿の原木を探す。原木の近くの会社駐車場に車を止めさせていただき、原木を見る。全国各地で作られている平核無柿は、この原木のクローンである。

11月21日、去年から大池にいると聞いていたが、たくさんハクチョウがいるので探す気がおきなかった。ところが、今朝大池に着いて、クルマの窓から簡単にアメリカコハクチョウを見つけることができた。カメラを向けると、警戒したのか池の中央に行ってしまった。

11月20日、ウサギを何度か連れて行った瀬波の海に行き、適当な石を拾ってきた。午後3時から庭に出すといつも座っていた場所の近くに穴を掘って、ウサギの骨と餌や花を埋めて、拾ってきた石を乗せた。

11月18日、午後3時からウサギの火葬を頼んだ。ウサギはなぜだかわからないが、火葬に時間がかかるらしい。骨を預けることもできるが、持ち帰って庭に埋めることにした。庭ならば毎日お参りができるからだ。

11月17日、飼っていたウサギが死んだ。11歳から精巣に腫瘍ができ、12歳から喉が膨らみ始めた。最近は喉の膨らみを大きくするために食べているようだった。食べているから大丈夫だと思っていたが、今朝突然ほとんど動けなくなっていた。最後は横になりながら、跳ねる動作を3、4回した。家族が朝起きて来るのを待っていたような最期だった。

11月16日、山形県高畠町に行き、浜田広介記念館を観てきた。子供の頃、枕元にあった童話集『むくどりのゆめ』を確かめるためだ。『泣いた赤おに』が有名だが、私には『むくどりのゆめ』の作者である。

11月12日、鍬江集落の西山古道を登り、ブナ巨木を確認して、城跡コースを下った。荒川運動公園側が入山禁止で、蔵王集落からの登山道もダメらしい。11時に駐車場に戻ったが、誰とも会わない静かな山だった。

11月11日、3カ月ほど前からできてきた右手人差し指第一関節のしこりを診てもらうために、手の外科病院に行った。レントゲンを撮ってもらい、12月にはMRIだという。左肩の痛みも完治しないまま1年が過ぎたが、病気との共存が続く。

11月6日、何度か目が覚めたが、4時半に起きて、消えていた焚き火を大きくする。少しずつ仲間が起きてきて、昨日の芋煮にうどんと餅を入れた朝食。五頭に登る仲間を見送り、10時に解散。仲間から大きなアルミ鍋を引き継いだ。

11月5日、6時25分、五頭どんぐりの森をスタート。三ノ峰から一ノ峰に向かう。山頂は一人だけだったが、小雨が当たり始めたので写真を撮って、五ノ峰から下る。雨が強くなってきたので傘をさして下る。どんぐりの森の東屋で仲間を待ち、午後4時から焚き火を囲んで宴会。

10月26日、十六羅漢岩からブルーラインを走り、鉾立へ。それから中島台レクリエーションの森を目指す。中型のバス2台の他、クルマが約20台停まっている。先に昼食にして、あがりこ大王、出つぼ、あがりこ女王を見る。象潟道の駅により、帰りは釜磯湧水で遊んで村上に戻る。

10月23日、先日拾ったブナ種子でブナご飯を作ってみる。メスティンの研いだ米に笹川流れの藻塩とブナ種子を入れ、固形燃料で自動炊飯。炊きあがりは薄茶色で赤飯のようだ。ブナ種子も崩れていない。子供が作ったクッキーも上手にできた。

10月18日、三条のスノーピークキャンプ場へ。どんなところか見て見たかったからだ。それから、栃尾の星長豆腐店でおぼろ豆腐を買い、栃尾美術館に行き、「齋藤槙えほん展」を観る。道の駅で油揚げ定食を食べ、新潟県立近代美術館で「ダリ版画展」を観て、与板の大判焼きを買って帰る。

10月15日、奥胎内へ行く。まずはブナ巨木へ。3回目だが、5年ぶりくらいだと思う。柵もできて、安全になった。それから奥胎内ヒュッテ周辺でブナの種子を拾おうとするが、サルがたくさんいて落ちているブナの種子を食べている。サルにはかなわない。

10月14日、本間日陽トークショーに参加する。いきなり撮影会、その後ひとりでトーク。続いて村上市長、富士美園社長と3人でおしゃべり。最後はスペシャルアンバサダーの名刺を手渡し。九州から来ている人もいてビックリ。

10月3日、蔵王の熊野岳に登った。新潟県にはない荒涼とした風景を何年かに1度見たくなる。10時半に第一駐車場に着くと、紅葉が始まっていて11時には満車になりそうだ。熊野岳まで1時間弱。インスタントラーメンを食べ、コーヒーを飲む。お釜を見ながら下って、刈田岳にも登る。

9月29日、二王子岳に登った。山頂で一緒に登った仲間と会話していると、口を挟む登山者がいる。その人の価値基準を押し付けられては困るので無視した。最近心がけていることは、山では自分から話しかけない、荒天でない限り1時間以上山頂で休むことだ。

9月21日、朝、三面川河口右岸に行くと小さなゴミが波と一緒に打ち寄せる。そこで左岸に移動するが、雨が降り出して終了。夕方、再び三面川河口左岸へ。ハゼよりも次第にクロダイの子供が釣れだし、結局ハゼ釣りがクロダイの子供釣りになってしまった。

9月17日、高坪山に登ろうとしたら、駐車場手前で通行止めだった。運動公園の駐車場に車を止め、通行止めの標識をよく見ると、「高坪山 入山禁止」とあった。念のため、駐車場まで行ってみたら、駐車場は土砂で埋もれていた。

9月11日、お城山の中世遺構散策コースを歩く。やや湿った環境なので、キツリフネが咲いていた。冬に間伐したスギ林を見て、山頂で待っている家内と一緒にコーヒーを飲む。日曜日だから人が多い。三面川の水がかなり綺麗になってきたのが、お城山の上からでもわかる。

9月10日、息子と二人で月山に登った。息子は5回目である。6時過ぎに八合目の駐車場に着き、6時半に出発する。風がやや強く、肌寒いがいつものように半袖短パンで登る。三角点で記念写真を撮り、スキー場側に歩いてカップラーメンを食べる。13時に弥陀ヶ原に着いて、一周して駐車場に戻る。

9月5日、家内と娘の3人で、上堰潟のわらアートを観てきた。数年前にも観たことがあるのだが、カーナビを信じず記憶を信じたため、道を間違え、さらに駐車場まで間違えた。歩くのも嫌になるほどの暑さだったが、3つのわらアートに癒された。涼しくなったら、この公園をゆっくり歩いてみたいと思う。

8月28日、家内と息子と3人でお城山に登った。家内はやっとミズヒキを覚えたので、今度はキンミズヒキやヌスビトハギなどを教えた。下りに三の丸に行くと、クサギが生えていた。葉をちぎると、家内は察したのか、すぐに逃げた。しかし、春先のような強烈な匂いはしなかった。

8月24日、数年前に庭に植えたオオバクロモジに花芽が付いていた。オオバクロモジは雌雄異株なので、来年花が咲いたら雌か雄か確かめてみよう。根元には3本萌芽枝が伸びていた。一番成長が良く、余裕がある個体が次の準備をしているのかもしれない。

8月23日、母と息子を乗せて笹川流れを北上。碁石海岸で碁石を拾う。府屋でダイゴに行くが、予約以外は午後2時以降にならないとパンを買えないようだ。国道7号を南下し、朝日道の駅でソフトクリームを食べ、村上に戻る。

8月19日、母を車に乗せて、長井市の白つつじ公園まで行ってきた。しかし、ツツジが咲いていないこともあり殺風景で、10回以上もマラソン大会で来ているのに、母どころか自分でも初めて来たように感じた。

8月12日、家内、母の3人で十日町(松代)へ墓参りに行ってきた。墓参りをすませ、親戚に行くと、近くのブナにクマ棚のようなものができている。双眼鏡で見ると、アオサギの巣だった。いつもの大地の芸術祭を見て、村上に戻った。

8月8日、家内の実家に水を届けたついでに関川村の入り口まで行ってみた。山があちこちで崩れ、米坂線の線路がむき出しになっていた。赤字路線の米坂線がこのまま無くなってしまうのだろうか。日帰りで米沢まで行ってきたかったのだが。

8月7日、シジュウカラが家に来なくなった。巣箱を開けてみたら、裸のヒナが死んでいた。2回目の繁殖には遅すぎると心配していたが、まだ幼い番だったのだろうか。来年を期待しよう。

8月4日、遠くで稲光がするが、雨など降っていない未明だった。しかし、荒川上流付近では想像を絶する雨が降っていた。昨夜、荒川右岸に住む義母を家に連れてきて良かった。

8月3日、家内と二人で、和田誠展と田島征三展の梯子をしてきた。二人は大学の先輩後輩だと初めて知った。どちらも時間が足りないくらいで、もったいない梯子だった。

7月27日、歳のせいか早く起きることができなくなったし、暑いので7月は山に登らなかった。というわけではないが、家内とお城山に登った。暑いせいか鳥もほとんどいない。モンベルで固めた男性が何往復もしていた。

7月11日、去年秋に設置した巣箱を開けてみたら、びっしりと苔が敷き詰められていた。シジュウカラはこれから卵を産むのだろうか。今日はさかんに雄が巣箱の上の電線に止まって鳴いている。

7月6日、映画「峠」を観てきた。40年前に『峠』を読み、そして八十里峠を歩いた。河井継之助に関する本も何冊か読んでいる。率直な感想を言えば、2時間の映画にするには無理だったのではないだろうか。

6月30日、村上新聞にあった和田誠展のチケットプレゼントに応募したら、思惑通り当選した。こういうのは抽選とあるものの、気の利いたコメントを書くのが当選の秘訣となる。しかし、何度も繰り返し使えないコメントなので、次が正念場である。

6月29日、光兎山に向かったが、登山口出発が9時半だったので、観音峰でお昼を食べて引き返した。2020年に登山口から約1キロ手前のスギ林でヤマビルを確認していたが、ついに光兎山登山道までヤマビルが広がっていた。

6月13日、二王子岳に登った。避難小屋でSさんとゆっくり話ができた。油こぼしの上まで炭焼きをしていたと言う話には驚いた。二王子岳に初めて登ったのが、1982年5月。あれから40年。平日でも登山者が多くなったものである。

6月11日、胎内市でクマによる人身事故があった。今年2回行った関沢森林公園の辺りみたいだ。1回目は櫛形山からの下山、2回目は関沢森林公園でのテント泊だった。山を歩くときは、鈴はうるさいので、クマと戦うストックを必ず持ち歩いている。

6月2日、仕事を終えてから岩船港で釣りをした。2時間のうち釣れた時間は30分弱だったが、釣果はイワシが15尾だった。釣りをしていると、ミサゴが魚を捕えて運んでいる姿を目撃した。今年は4月から魚を運ぶ姿を見るのは3回目だ。

6月1日、高坪山の西山古道コースを登り、城跡コースを下った。ブナ巨木に自分よりも少し年上に見える男女が休んでいた。私の一昨年の日記を見て、訪れたのが最初だと言われて驚いた。巨木を見て、西山古道を引き返すと言う。ピークを目指さない山行ができるなんて羨ましい。

5月28日、牟礼山に登った。記録を調べたら、ちょうど10回目で、5月はまだ登ったことがなかった。1時間ちょっとで山頂に着いたが、雨が降り出したので急いで下山。夕方は家内と一緒に村上の日和山に登った。

5月25日、仕事を終えてから買い出しをして、胎内市の関沢森林公園に向かった。すでにテントが4張あったが、一番上のサイトには誰もいなかった。他のテントから100m離れているので、一人だけの夜を楽しむことができた。

5月22日、荒島城跡まで登った。これまで気づかなかったクルマユリやシラネアオイを見つけることができた。それから関川村小見のサクラを見に行こうとしたら、貝附山の遭難騒ぎに遭遇した。小見のサクラは高さ3m付近まで半分の樹皮だけで生きているような状態だった。

5月16日、荒島城コースから虚空蔵峰〜高坪山を歩いた。ブナ巨木には誰が設置したのか、柵ができていた。飯豊連峰がよく見える場所には、他に3人が休んでいた。休日ならもっとたくさんの人がいるだろうから、平日登山はいいね。

5月11日、40年ぶり、3回目の菱ケ岳〜五頭山を歩いた。平日なのに登山者がたくさんいて驚いた。しかし、菱ケ岳も五頭山も山頂に着いた時は、誰もいなかった。休日なら大変な賑わいだろう。

5月8日、新津美術館に家族4人で行った。午前10時ちょうどに着いたら、約300人が並んでいた。入館するまで30分、そしてミニチュア芸術を楽しんだ。新津に行くと、花や庭木を見るのが楽しい。

5月5日、平木田駅から高坪山に登って、胎内道の駅に下りた。5年前はそのまま鳥坂山に登ったが、白鳥公園まで歩き白鳥山から櫛形山脈を縦走することにした。しかし、胎内道の駅で焼きそばを食べたりしていたため、櫛形山到着が15時半を回ってしまった。そこで先には進まず、関沢森林公園に下りて、中条駅まで歩いた。

5月4日、南大平キャンプ場にお昼を食べに行った。久しぶりに「きりん君」を使い、焼肉とシチューを作った。炊き込みご飯は火力が安定しているカセットガスを使った。テントは約30張。これまでの一番の賑わいだろう。¥

4月30日、神林の要害山には何度も登っているが、初めて不動滝から歩いてみた。大きなミズキや、オヒョウやケンポナシがあって楽しめた。首切り清水から不動滝に至る道も初めてだったが、難なく下って登山口に戻った。

4月29日、胎内市のチューリップフェスティバルに行ってきた。9時前に着いたのに、近い駐車場はほぼ満杯状態だった。菜の花に加えて、10種類前後の色のチューリップ畑が美しい。

4月26日、いわふね自然愛好会から『高坪山 自然散策ガイドマップ』が届いた。ルート図に加え、標識の写真や各種生物の写真が載っている。春から秋までの花暦が参考になる。年度末に完成する報告書が楽しみだ。

4月23日、2、3年前から気になっていた仲間町の国道7号の東側に生えている樹を確認した。この季節に芽吹くからブナだろうと思っていたが予想通りだった。畑で働いている人に話しかけたら、このブナの存在と知っていて、何かの理由で伐り残したんだろうと言っていた。

4月18日、庭木剪定講習会を受講する。「花芽形成時期と剪定時期」、「花芽形成場所と剪定場所」などが主な内容だった。無料の講習会なのに、さらに弁当とペットボトル付きだ。「樹形の整え方」については、ユーチューブを見て学ぶことにしよう。

4月13日、9回目の七湊薬師山探索。村上瀬波温泉ICが見下ろせる場所から藪をこぎ、堤に至る。堤を一周して駐車場に戻った後で、今度は薬師沢に沿いを登ってみる。これで10回目の踏査になるが、薬師如来が奉祀されていたお堂跡は確認できない。

4月10日、8年ぶりに童子山南西尾根を登った。新しい登り口を発見したのと、細い尾根にはイノシシだろうか獣道がはっきりと確認できたのが収穫だった。ごごからは関川村に行き、大蛇伝説のアニメを観る。

4月2日、従兄弟の鈴木さんと葡萄鼻山に登った。葡萄鼻山に登るのは5回目だが、残雪期の葡萄鼻山は2001年以来4回目だ。天気が良い日で、守門岳や二王子岳は何十人も山頂にいるだろうが、他に誰もいない山頂で展望を楽しんだ。

3月21日、村上瀬波温泉ICを見下ろせる場所から飯豊の写真を撮りたくて、朝ごはん前に七湊薬師山に登った。歩道の雪はすっかり解けていた。ぼんやりだが、なんとか飯豊の写真を撮ることができた。しかし、お堂跡は笹薮に覆われて探しようがなかった。

3月20日、数年前から庭に生えてきたキクザキイチリンソウ。いつになったら花が咲くのだろうと肥料を与えていたら、ついに今年蕾を付け、日に日にその蕾が上を向いていく。それにしても、実家から持ってきた山の土に根があったのだろうか。

3月16日、従兄弟の鈴木さんと蒲萄山に登った。目的のコースはあきらめたが、山頂直下でカツラの巨木を見つけたのは収穫だった。山頂からは誰もが知っている百名山よりも、ほとんどの人が知らないマイナーな山が気になってしまう。

3月9日、5日と同じように七湊のグランドから薬師山に登り、山元遺跡まで歩いてみた。インターチェンジを見下ろしながら、遠くの飯豊連峰を眺めた。それからグランドにつながる道路を歩いて戻った。グランドでは高校生が除雪作業をしていた。

3月5日、神林線4番鉄塔までの歩道を道路の取り付きから歩いてみる。61mピークから1月29日と同じルートを下るが、途中から左の沢に下りて山元遺跡に向かう。下助淵堤から山元遺跡を往復して、車を止めた場所まで戻る。

2月26日、「七湊薬師山」探しの3回目。神林線4番鉄塔を越えて、日東道を見ながらコーヒーを飲み、山元遺跡で昼食。小学校に下ってから、今度は日東道の東側の山を北上する。最も海から離れたタブノキを発見する。海蔵寺の薬師如来を見させてもらう。江戸時代にこの薬師如来が奉祀されていた場所はどこなのだろうか。

2月6日、数日前から荒川河口左岸の田んぼに茶色い鳥の群れがいるのを知っていた。しかし、他の車の迷惑になるため国道で車を駐車して双眼鏡で眺めることができなかった。今日は県道わきの田んぼにいたので、助手席の窓を開けて少しの時間、観察できた。

1月29日、再び、山居町二丁目公民館から歩き出し、最初の鉄塔から下って、沢を挟んだ尾根を登って二つ目の鉄塔へ。5日前と同じ61mピークに登り直し、七湊のグランドに向かって尾根を下っていると道が現れた。数メートルのウラジロガシがあちこちに生えていて、100年後にはウラジロガシ林になりそうだ。

1月24日、お城山から諸上寺山の間で、七湊・志田平・山居町に囲まれた山が未踏査だったので、山居町二丁目公民館から山元遺跡まで歩いた。山が低いし、林で視界が悪いので、地形図を頼りになんとか山元遺跡に辿り着き、日東道を見ながらカップラーメンを食べた。

1月23日、午後からお城山へ行く。今年になって4回目だ。日曜日ということもあるが、いつもより登山者が多く、知人に4人も会った。コロナが増えてきて、どこにも行けないので、「お城山でも行ってくるか」ということなのだろうか。

1月17日、新発田に行くついでに、弁天潟に行ってみた。近くにはマガモとオオバンがいたが、その他のカモは遠くにいて双眼鏡で観察した。しかし、遠すぎてヒドリガモなのかどうかわからない。寒くてすぐに駐車場に戻った。

1月8日、お城山に登った。山頂のベンチは雪に埋もれていたが、手すりに腰をかけてコーヒーを飲んだ。雪の1本道なので、反対から歩いてくる人とぶつかると譲り譲られ、登って下りた。なんだか子供の頃の冬の暮らしを思い出した。

1月1日、家から歩いて羽黒神社に行った。元日に羽黒神社に行くのは初めてのような気がする。最近は元旦マラソンの後に藤基神社に行くことが多かったからだ。往復1時間半。振舞われていた甘酒が美味しかった。