2009年
12月31日、朝からうどんをのして切る。関川ウオークロスハンティングで、温泉利用券が当たった。一昨年と同じなら、5000円分の券が2枚だ。紅白はいきものがかかりの「Yell」を聴けばいいだけ。母の部屋でK−1を観ていたが、吉田VS石井の直前で寝てしまった。
12月30日、そば打ちはあきたので、今年はうどんにした。そば打ちと基本的には同じなのだが、足で踏みつけるのが面白い。娘はこね方が足りないのか、体重が軽いこともあって、うまく広がらない。一晩ねかせるのかと思ったら、3時間くらいでいいらしい。でも、切るのは明日にしよう。
12月29日、息子と家からお城山に登りに行った。アラレが降るような天気で、下りてくる人はいるが、登る人はいない。途中で会った人に「今朝、大町辺りにいませんでしたか?」と訊かれる。今朝はランニング姿なのに、帽子を目深にかぶった登山姿と同一人物だというのがわかるとはすごいじいちゃんだ。
12月20日、母と雪の中、畑に野菜を採りに行った。ふと、松代にいた頃に両親と畑に行って、雪の中から野菜を掘り出した時のことを思い出した。わずかキャベツ2つと白菜1、それにネギを数本だったので、すぐに終わったが、なんだか松代の生活に戻ったような気がして懐かしくなった。
12月13日、実業団女子駅伝を観た。3区で5人並ぶ展開。「駅伝じゃないみたい」と千葉ちゃんの解説。5区で大平の快走。天満屋のアンカー浦田の逆転劇を見たかったが、ちょっと離されすぎた。それにしても区間賞が一人もないのに、優勝とは「駅伝はやっぱり総合力」なのである。
12月12日、ランニング仲間のご夫妻と一ノ瀬さんの別荘で「東京マラソン前祝い」をした。ご主人は久しぶりのフルマラソンらしく、「走れるかなあ」と言う。全部走ろうとせずに、途中で歩くつもりなら大丈夫だと思うが、問題は過去の力を信じて、ついには脚が痛くなって歩くことができなくなるのが不安なのだ。
12月9日、「たぶん合格していると思うけど、もしかしたら落ちているかもしれない・・・」すごく不安だったが(3アマの時よりは自信があったが)、試験結果通知のハガキを開くと「合格」の2文字。結果は「法令」が2問間違っていただけで、「物理・化学」と「性質・消火」は全問正解だった。
12月5日、FM−PORTの遠藤麻理さんから「お札」が届いた。この「お札」は恋愛成就には余り効き目がないが、試験にはすごい効き目があるらしいのだ。「お札」を見てビックリ。これはすごい。遠藤麻理ファンなら絶対に欲しいかも?「魔よけ」にもなるのかなあ。
11月29日、忘年会が終わり、まほろば温泉に入って家に戻ると、誰もいない。それでまた三面川の鮭を見にランニング。昨日みたいに鮭がいない。脇には網が干してあるから、網で獲ったのではないか。それで夕方また見に行くと、鮭が増えている。とにかくたくさんの鮭が遡っているのだ。
11月28日、鮭がかなり遡ってきているようなので、ランニングついでに見に行った。瀬波橋からは数匹見えただけだったが、ふ化場前には川の中には真っ黒になって鮭がいる。こんなに鮭がいるのを見るのは初めてだ。午後3時半を過ぎてから無線の忘年会で道の駅「朝日」に向かう。
11月27日、カードなんてめったに使わないから、ちゃんとエントリーされたのか不安だったが、請求明細書が来て「10,500円」と記されていて、やっと安心した。いよいよ、あと3ヶ月に迫った。関連本見てるだけで緊張してくる。とにかく風邪をひかないように体調管理に気をつけたい。
11月21日、FM−PORTの遠藤麻理さんが道の駅「朝日」にセーフティドライブキャンペーンに来たので、子供を連れて行った。写真で見るよりも顔が小さく(失礼)、ちょっとびっくりした。子供はステッカーにサインしてもらって、大喜び。でも、子供は遠藤麻理さんが誰かわからないんだなあ。
11月15日、すごい風。新潟に向かった家内は新発田を過ぎた所で列車が止まって、そのまま戻ってきた。第1回横浜国際女子マラソン大会を観る。25キロ過ぎで解説の高橋尚子さんが「アビトワ選手の調子がいい」と言うと、そのとおり30キロ過ぎから独走してそのままゴールした。
11月8日、子供が「エリック・ワイナイナに会いたい」と言うので、「第1回ごせん紅葉マラソン大会」に出場した。新潟マラソン大会に続いて2週連続なので、ハーフではなく10キロだ。今年は10キロを6回目になるが、やっと44分台でゴール。風が強かったが、給水が多くて助かった。
11月7日、新潟マラソン大会のテーピングサービスがとても効果があったので、薬局へ行ってキネシオテープを買ってきて自分でテーピングしてみる。でも、膝を伸ばした時にあまりシワにならないし、走っているとだんだんと膝が痛くなってくる。それでまた新しいキネシオテープを買ってくる。
11月4日、昨日と変わって天気がいい。松之山へ行き、まず美人林の様子を見る。次ぎに、大地の芸術祭の「夢の家」へ。「練習だ」と言って、母と棺桶の中に入ってみる。小千谷でラーメンを食べようと思ったら休みだったので久しぶりに「とんかつ太郎」に入る。ふるさと村にも寄り道して戻る。
11月3日、祖母の三回忌で松代に帰る。長岡から雨が降り始め、山本山トンネルを越えて川口に入ると雪が降っていた。松代の芸術も雪をかぶっている。松代では「浦田の深山(関田山脈のこと)に3回雪が降ったら、松代にも雪が降る」と言われているが、あまりに早い初雪にみんなビックリ。
11月1日、新潟マラソン大会。国体の関係で今年はフルがないので、ハーフに出場。7キロ付近で会社の同期にピタリとマークされていることに気づくが、中間点で振り切って1時間41分でゴール。フル2週間後であったことや、5日前の急性腰痛を考えれば、満足できるタイムだった。
10月31日、母を連れて松代へ行く。近所の家に挨拶をし、母を実家に残して村上に戻る途中で、十日町市二ツ屋の「もうひとつの特異点」へ行く。誰もいなくなったので、部屋の真ん中に寝転がって天井を見る。係の人から、「作者が見て欲しいポイントをよく理解していますね」と言われる。
10月25日、会場から歩いてシゲミ山を目指す。三面集落の人たちが利用したという道を使って稜線まで上がり、水平道を北西へ向かい、泥又へ下る道と分かれて、630m峰(高畑山)へ登る。さらに藪をこいでシゲミ山で次三角点を確認する。帰りは南尾根を下って、奥三面ダムへ下りた。
10月24日、去年に続いて今年も野外飲み会を実施した。16時前後に集合し、焚き火と飲み会を始める。期待した星空はなく、月もぼんやりしている。時々強い風が吹き、火の粉が舞う。焚き火の飲み会では穴が空いてもいい服を着るべきだ。遅い人は24時前後まで飲んでいたのだとか。
10月18日、3回目のフルマラソン。過去2回は新潟マラソン大会だったが、今年は国体の関係で時期がずれたのとフルがないので、長井にした。しかし、新潟と違ってアップダウンがあるコースだったのと練習不足で、昨年のタイムよりも約5分遅い。だけど、今年はこれからも練習しないといけないのだ。
10月17日、ダルビッシュがCSに登板不可能らしい。でも日ハムファンには思い出すことがある。もう30年くらい前のことだ。エース工藤が故障でプレーオフで投げられないと言われながら、プレーオフ初戦で投げたことを。大沢マジックだったが、さすがに梨田監督はそんなことはしないだろう。
10月15日、ビュープラザへTYOの予約に行く。「2月27日をお願いします」と言うと、「東京マラソンですか?」とくもり顔になる。「昨日から予約がバタバタ入っているんですよ」。でも、ホテルはまだいっぱい空いていた。スタート地点の新宿から遠い上野のビジネスホテルを予約した。当日スタート会場までのJRも楽しみなのだ。「これからトレーニングですね」と言われ、「ふだんから走っていますし、フルマラソンも2回出ています。怖いのはインフルエンザだけです」と答えて笑わせてあげた。
10月13日、東京マラソンの当選メールが届いた。応募し始めて3年目で初めての当選だ。倍率は大学入試を遙かに上回る8.5倍である。毎年冬にはトレーニング量が落ちて体重が増えるのだけど、2月28日まではこの体重を維持していかねばならない。さあ、5ヶ月後に向けて頑張ろう。
10月12日、南陽さわやかマラソン大会。今度の土曜日にフルマラソンがあるので、5キロに出場。15分前に3キロコースをスタートした息子がゴールに戻ってくると同時にスタート。21分10秒で36〜49才で12位。40代だけだったら、ひと桁順位だったかも。今年も有森裕子さんと握手した。
10月8日、先週土曜日の振り替え休日。ちょうど病院の日だし、娘のマラソン大会もあるので、今日振り替えにしたが、台風通過の予報。マラソン大会はもちろん延期だし、小中学校は休校。でも、予想よりも東側を通過したので、雨風の影響はあまりなくて学校にも行けたかも。
10月4日、関川村で行われている「ウオークロスハンティング」に行く。半日で商品ゲットの魂胆である。道の駅からスタートし、まず「徒歩コース」にチャレンジ。次ぎに猫ちぐらのモニュメントまで車で移動して、「車コース」に挑む。午前中で何とか終えて、午後からは国体の銃剣道を観る。
9月27日、一週間前のマラソン大会の筋肉痛が治ったと思ったら、今度は昨日の登山の筋肉痛が始まった。それでも、なんとか2キロの距離を走り、国体のトライアスロン競技を観に行く。スイムを観て、歩きながらランの応援をする。都道府県の精鋭たちはスイムとバイクを終えた後でも、私の10キロよりも速い。
9月22日、朝はホットサンドだ。朝食を終えて残った薪で焚き火をしていると、雨が当たってくる。急いで片づけて家内の実家に行き、お茶をいただいて、関川村のゆーむへ行く。6月の関川マラソンとウォーククロスハンティングで当たった入浴券プラス1枚の入浴券を買って温泉に入る。
9月21日、山形県小国町の横根キャンプ場が閉鎖してしまったので、結局家内の実家近くのキャンプ場へ行く。きりん君でバーベキューをして、あとは寝るだけだが、さすがに子供たちは興奮して眠れないようだ。子供が寝静まってから、焚き火をしながら静かにワインを飲む。
9月20日、白鷹若鮎マラソン大会。去年、ハーフペストを出した大会だが今年は暑くなりそうなので、ゆっくりスタートする。10キロ過ぎからペースを上げるが、15キロ過ぎから痙攣の兆候が現れる。無理をせず、かつ無理をしながらキロ5分ペースで走り、なんとか1時間40分を切る。
9月19日、1ヶ月前に近所に焼鳥屋ができた。瀬波祭りに合わせてということだろうが、結構並んでいて買うことができなかった。最近は混んでいないようなので、昨日はモモ、今日は皮を買ってみた。しかし、強火で焼きすぎてネギが真っ黒、肉も焦げている。もう、買わなくていい。
9月17日、3日連続で大学に通った。3日連続で大学に行くなんて学生の時以来だ。夏休み期間中で第二食堂は休みらしいので、第一食堂へ行くと脇にコンビニができている。30年も前に自分がここで過ごしていたなんて今では信じられない。でも、先生は変わらないんだなあ。
9月11日、八王子駅から北に向かって走っていくと小宮公園に行き当たった。雑木林の公園である。歩道にはチップが敷いてあるが、木製の橋も多い。草は橋の高さまで伸びてこないのだから、定期的に草の刈り払いをするよりも金がかからないのだろうな。でも、ちょっと変だよな。
9月6日、中学校の運動会。やる気はあるんだろうけど、綱引きで裸足の中学生が何人もいる。当然裸足の人間がが少ない方が勝ち上がっていく。たぶんバスケットシューズのような走りにくい靴だから裸足なんだろうけど、足を洗わなきゃ靴を履けないので裸足のままなんだろうなあ。
9月5日、新発田市で「ウオロク&SBちびっこ健康マラソン大会」がある。今年は息子が中学生になったので、出場するのは娘だけだ。ライバルKちゃんとの争いは3連敗。それでもなんとか2キロを10分切るタイム。9分30秒くらいで走れれば、学校のマラソン大会でも1位になれるのだが。
8月30日、北海道マラソン大会をテレビ観戦する。女子のトップランナーにまとわりつく男性ランナーに注目だ。2年前までは胸に「のり子大好き」だったが、今年は帽子に「のり子」とだけ書いてある。その帽子を盛んに脱いだりかぶったりしている。しかし、最後は嶋原に付いていけず、2位の尾崎に付いていた。
8月23日、かみはやし穀菜マラソン大会。夏の大会だが、ここ2年間は10キロ44分台前半。44分切りを目指して走り出すが、グランドを走っている時から調子があんまりよくないのがわかる。5キロ地点でも去年より1分30秒ほど遅い。結局46分前後でゴール。でも、順位はほとんど変わりない。
8月22日、町内の夏祭り。去年は従姉妹の披露宴で東京に行っていたので、町内の公園に会場が変わってから初めてだ。去年は雨だったらしく、午前に雨対策にパイプで屋根を造ったりする。18時から開始。明日は「かみはやし穀菜マラソン大会」なので、あんまり飲めない。
8月21日、日本文理高校がベスト4に進出した。「くじ運がいい」という記述があちこちに見られる。確かに対戦した3チームはいずれも初出場。準々決勝の相手はインフルエンザでベストメンバーではなく、控え投手もいない状態。でも、「香川、石川、島根の方がくじ運が良かった」という反論には笑える。
8月8日、母を連れて松代へ日帰り。大地の芸術祭でまつだい駅前はいつもよりもかなり人が多い。まつだい駅近くの農舞台周辺にも新しい芸術作品がいくつか展示されている。それらを観ながら実家に向かい、荷物を運び入れ少し休んだ後で母の実家によって村上に戻る。
7月25日、家族で自然科学館に行く。体組成計に乗ると、体内年齢が23才と表示される。家内は12才、母も5才若い表示である。夢と希望を与える体組成計である。それからイオン新潟南店に行き、家内と子供が「ごくせん」、母と私で「剱岳」を観る。夜は無線の飲み会。
7月22日、運良く外仕事。曇り空だったし、サングラスでなんとか部分日食を見る。でも、後で考えると近くに溶接メガネがあったことを思い出した。次の2035年までは生きられないかもしれないけど、2012年の金環食まではたぶん生きているでしょう。休んで東京に行こうかな。
7月20日、午前中だけ時間ができたので、笹川流れの仲間の所に行くが、もう出発したという。お昼前と午後からはジャガイモ運び。キタアカリとダンシャク。味の違いはわからないけど、大きさのばらつき具合から品種が違うのはなんとなくわかる。庭いっぱいにジャガイモが広がる。
7月19日、子供を連れてきれい館に行く。雨だから駐車場は車がいっぱいだ。でも、中に入ると泳いでいる人はそれほどでもない。相変わらず水は冷たい。温泉プールなんだから、もう少し温度を上げてくれないかなあ。この温度じゃ冬は風邪引いちゃうんだけど。
7月18日、テレマークスキー仲間が笹川流れにキャンプに来たので〆張鶴を持って行く。柏尾集落まで行くと、なんとなく仲間の匂いがして、一発で探し当てる。だって、土砂降りの中、タープの下で酒を飲んでいるのは仲間だけである。他はテントから出ていないのである。
7月12日、第24回酒田砂丘マラソン大会。ゲストランナーが谷川真理さんで一緒に写真を撮ってもらったり、握手をしてもらったり。で、タイムは41分11秒。ちょっと距離が短いんじゃないの?まわりの人の話を総合すると800mほど短いようだ。今年はグランド外周をもう一周するのを忘れたようだ。
7月4日、会社の地域対抗駅伝大会。今年も暑い。実力が同じなら暑さに強い方が速い。今年は6キロ26分14秒。去年より約1分速かったが、シューズを変えたせいである。何足か試してみないと自分に合ったシューズを見つけられない。というか、自分に合わないシューズがあるのだ。
7月2日、池田清彦さんがこんな本も出していたのかと書店で見つけた『だましだまし人生を生きよう』(新潮文庫)を買う。特急いなほに乗って本を広げてみると以前読んだことがある。そこで「あとがき」を見ると、『生物学者』を文庫化するにあたりタイトルを変えたというのだ。だまされた〜。
6月29日、『42.19GO!!』を買う。女性漫画家がフルマラソンを完走するまでのことをマンガにしたものである。完走するまで体重はほとんど減っていないし、元々少し練習するれば完走できる体型だったのではないか。内容も『まらそんのススメ』の二番煎じのような気がする。
6月28日、村上・笹川流れ国際トライアスロン大会の応援に行く。スタート地点で建物の日陰で休んでいたら、なんと海から上がってきた村上春樹さんが隣に来るではないか。今日は作家ではなく一アスリートだから、誰も話しかけたりしない。それに外見は普通のおじさんだし・・・。
6月27日、朝キス釣りに行くがもう釣れないのか小さいアイナメが1匹だけ。15時過ぎから関川ウォークスロスハンティングへ家族で出かける。時間的にも徒歩コースだけだと思っていたが、なんとか車コースも終了。一昨年みたいに商品券や関川村の特産品が当たらないかなあ。
6月23日、日曜日のマラソン大会の記事が日報に出ていた。写真の左側にはマラソン&山仲間の佐藤さんが写っている。思わず「写真が出てるよ」とメールをして改めて写真をよく見ると、なんと右側にも小さく自分が写っているではないか。黒の上下に額に手ぬぐいのハチマキランナーである。
6月21日、大石ダム湖畔UP・DOWN関川マラソン大会。今年で4回目の15キロである。去年の記録から1時間10分切りを目指したが、2分も遅いタイムだった。娘は3キロを14分55秒で走り、みごと1キロ5分切りを達成したので回転寿司に行った。二人とも食べるようになり、思わぬ出費だ。
6月20日、3時に起きてキス釣りに行く。暗いうちから海岸で釣る。しかし、餌は一週間前のジャリメだ。やっと生きているような餌だ。それでも2時間で11匹釣れた。両脇は釣れていないみたいだから、まずまずである。しかも、そのうちの1匹は20cmだから、刺身にもできる。朝からおいしい。
6月14日、義母を誘って新発田のあやめまつりを観に行く。会場に着いたら、「三分咲き」という表示。前日から始まったばかりだから当たり前だが。クイズラリーも新発田の同僚に電話をしてバッチリ。屋台のお好み焼きを食べて、それからユニクロとアルペンへ行って服を買う。。
6月12日、19時から坂町の山仲間の別荘で飲み会。奥さんの実家をリフォームしたのである。とりあえずビールを飲んで、〆張鶴の大吟醸と雪中梅の飲み比べ。大吟醸はどうも酒という感じがしない。雪中梅の方が大吟醸の何倍もうまいと思う。22時に家内が迎えに来て、お先に失礼。
6月11日、人間ドック。去年は心拍数が歳と同じくらいだったが、ついに44になった。あそこのベッドに横たわると気持ちが落ち着くんだよなあ。でも、その後の肺活量の測定が辛い。それでも、頑張って息をはいたら、身長、体重、年齢から推定した肺活量の120%だった。肝機能は異常なし。
6月6日、16時になって、友だちの家に遊びに行っている息子を迎えに行き、そのまま瀬波海岸へキス釣りに。初めてのキス釣りだったが、何度か当たりがあるうちに、釣るコツがわかってきたような気がする。娘も自分で投げることができるようになって、釣りに集中するようになった。
5月31日、6時頃は大雨だったのに、9時になったら雨が止んできた。1時間弱ほど町内の草刈りをしたら雨が当たってきた。その後、ブルーシートを張って、その下でフランクフルトを焼いたり、焼きそばを作った。中止になれば来週に順延なので、何とか今週で終わって良かった。
5月30日、お昼前に息子と一緒にランニング。畑道を通って瀬波海岸で給水。朝はくっきり見えた佐渡がぼんやりと見える。それから海岸沿いに北上。瀬波新田の浜では娘が野営訓練をしているので、気づかれないように遠くで見る。最後は釣具屋で釣り情報をゲットして瀬波地区一周。
5月24日、久しぶりに林道海府南線をランニング。林道の上り下りが刺激になる。午後は少し昼寝をした後で、きれい館へ。なんだかとても人が少ない。もっともここは温泉プールといいながら、水温が冷たすぎるのだ。もう少し温度を上げれば、利用客も増えると思うのだが。
5月23日、小学校の運動会。風はかなり冷たいが、なんとか雨が降らずに持ちこたえている。今年は娘ひとりだから、写真係の私は暇でしょうがない。運動会が終わって家に戻り、娘と一緒に近所の家の犬の散歩。この犬、飼い主でもない我が家族でも全く気にならないようだ。
5月17日、全国白ツツジマラソン大会。5キロを走る息子と同時スタート。1キロ過ぎの分岐点まで息子と併走し、それからペースを上げる。8キロまでは呼吸が乱れない。残り2キロでスパート。しかし、ラスト500mはヘロヘロ。45分26秒。やはりスロースタートが悪かったか。
5月16日、生け垣のイヌツゲの剪定をする。紐も張らずに適当にやったが、それなりにきれいにできた。イヌツゲを植えたときから中央にツバキが混ざっていて、今年花が初めて咲いた。ピンクの八重だった。ツバキは剪定せずにそのままだから、イヌツゲから飛び出した格好になっている。
5月10日、全国白川ダムマラソン大会。5日の筋肉痛がまだとれないし、アップダウンがあるので、キロ5分ペースで入って、折り返しからキロ5分を切るペースで走って48分58秒。その後は源流の森オープニングイベントで遊んで、白川温泉の無料券を使って温泉に入る。
5月9日、母を迎えに松代に行く。ついでに松之山へ行って、志んこ餅を買って美人林にも寄ってみる。小千谷のヒグマでチャーシュー麺を食べて、見附の弟の家に米を届ける。少し昼寝をした後で、高速で村上に戻る。中之島見附からだと高速料金の1000円がもったいないくらいだ。
5月6日、家内が昼過ぎまで仕事なので、いつものように子供と一緒に要害山に登りたかったが、娘は「要害山は嫌だ」という。そこで、楽なお城山に登り山頂でラーメンを作って食べる。昨日の登山でひどい筋肉痛だから、お城山で良かったかもしれない。夕方は「きりん君」でバーベキュー。
5月5日、山形県の荒沢山直下にある反射板までの道を探索しに行く。幸い道を発見でき反射板まで登る。そこから先には馬の背があり、高所恐怖症の自分には行けなかった。でも反射板まで来られて満足。午後はヒドツヤ沢対岸の長松山に登り、午前に登った反射板を眺めた。
5月4日、お台場へ行く。マッスルパークでも各ゲームは30分以上待った。昔のゲームセンターもある。息子は「懐かしい」なんて遊んでいるが、お前はそんなゲームは知らないだろう。イタリアンレストランで食事をして、フジテレビへ。展望台に上がって、下りながらスタンプラリー。
5月3日、家内と子供と一緒にディズニーランドへ行く。2時間半も待ってスプラッシュ・マウンテン。ビッグサンダー・マウンテンはファーストパスだが、夜の9時過ぎ。風が強くて花火が中止になったのは残念だったが、夜のパレードはきれいだった。これで一生行くことはないだろう・・・?。
5月2日、母と一緒に松代に帰る。いつもは黒崎のパーキングで朝食なのだが、混んでいて栄パーキングで朝食にする。母の実家で従姉妹の子供を見て、実家に行く。ブナの新緑に囲まれた実家に着くとしみじみこの自然に生かされてきたんだなあと思う。松代の一番いい季節である。
4月25日、山仲間が無人になっていた奥さんの実家をリフォームして、この土日に展示しているので見に行った。1階の中央にコルク敷きの広間があり、薪兼用のペレットストーブが置いてある。築140年だから、天井の柱はススで黒くなっているが、白壁に良く合っている。
4月19日、温海さくらマラソン大会。2週間前の笹川流れマラソン大会の失速。1年前の温海さくらマラソン大会での太ももの激痛。慎重に入ろうと抑え気味のつもりで走り出すが、5キロ通過は過去2年間とほぼ同じ25分台。それでも今回はそのペースを維持し、2時間33分59秒でゴール。
4月12日、子供の買い物をするために新発田へ行く。途中で中条のミズバショウや紫雲寺のレンギョウの花見をしながら新発田に向かう。体操着を入れる鞄や学生服を掛けておくハンガー。息子の品物ばかり買っていたら、娘も何か欲しいという。それで娘にもキッズハンガーを買う。
4月11日、ブナの開花状況を確かめに浜新保集落から新保岳に登った。例年ゴールデンウイークまでは、林道の途中にデブリがあって登山口までいけないのだが、今冬は雪が少なく登山口まで車が入る。豊作とまではいかないが、かなりのブナが花芽を付けている。
4月5日、通算6回目のハーフ。去年のペースで走り出したが、2キロ付近で体調が悪いことに気づく。脚が重いのだ。去年よりも7分遅い1時間46分台でゴール。ワースト記録である。花粉症がまだ治らないせいか、それとも疲れが残っていたのか、原因がわからないのである。
4月4日、明日の笹川流れマラソン大会の下見に行く。今年から1.5キロと5キロが無くなり、3キロになったのだ。つまり中学生以下は5キロになったのである。それで息子と一緒に3キロコースをゆっくり走る。娘は足が痛いので出場するかどうかは明日の朝にならなければわからない。
3月29日、娘の同級生のおじいちゃんが雪割草をくれるというのでもらいに行くと、ランニング仲間2人が雪の中を走っていた。朝6時から3時間半の30キロ走である。午後は息子の卒業祝いで龍泉に入ると、別のランニング仲間と会う。そのあと四川飯店で食事。
3月22日、東京マラソン大会を観た。那須川は男女混合レースのせいもあるが、風が強い中で2時間25分台は立派だ。土佐は主人に「今日は笑顔でゴールしろ。万歳しろ」と言われていたようだが、ゴール地点では先に主人が泣いていたので、もらい泣きをしたらしい。
3月19日、曙が東京マラソンに出ると知ってから、いつ諦めるかと注目していたが、やっとドクターストップになった。だいたい芸能人とかアナウンサーに加えて走れもしない曙なんかに自由にエントリーさせるから応募が増えるんじゃないのか。東京マラソンの応募資格に「フルマラソン7時間以内の記録が必要」と加えたらいかがだろうか。そうすれば、全国各地のマラソン大会もにぎわうに違いない。
3月17日、昨日は熱が下がった娘だったが、再び熱が上がり病院に行ったら、インフルエンザと診断された。B型である。二人とも高熱で寝込んでいる。息子の卒業式は来週だから、卒業式は出られるだろうが、予行演習はほとんどできないことになってしまった。
3月16日、娘の熱は下がってきたが、学校を休ませることにした。ところが、昼過ぎに学校から電話があり、息子を病院に連れて行くと、なんと今冬2度目のインフルエンザ。これで金土のディズニーランドは行けなくなった。キャンセル料はいくらかしらないが、春休みには行かなければいけないから、余計な出費である。冬になんてどこかへ行こうと計画するもんじゃないな。
3月15日、息子が当てた一日券を使ってスキーに行こうと思っていたが、娘が高熱を出した。息子も咳き込んでいる。というわけで、スキーには行かなかった。右耳でFMのJリーグの模様を聞きながら、目では山口ハーフマラソンのテレビを観る。家の雪割草が次々と咲き出した。
3月14日、新発田で買い物をした後に雪割草の展示会を観てきた。いつもより人が多くて、確かに雪割草ブームだということが頷ける。無線仲間に今晩の酒の肴を渡し、しばらく雪割草とひな人形を観賞する。千重咲きが1500円を切るくらいでも買えるのだから安くなったものである。
3月13日、佐渡から本州に飛んでくるトキがメスばかりだから、「まるで人間のようだ」と笑っていられないが、捕獲して佐渡へ戻すというのには「ちょっと」と思ってしまう。海の向こうに広い土地が見えれば飛んで行きたくなるのは動物の本能ではないだろうか。それを餌不足だなどと勘違いしている人間は佐渡に連れ戻して、また本州にトキが渡ってしまったときに初めてそのことに気づくのかもしれない。
3月8日、名古屋国際女性マラソン大会を観た。高橋が本気で走っていれば優勝できそうなレースだった。高橋は自分の気持ちを抑えるために、あのようなウエアにしたのだろう。堀江は最後の2.195キロは最も速かったのだから、第二グループ後方ではなくもっと積極的なレースをすべきだった。
2月28日、仲間は扉山に登ったのだが、一人で二王子岳に登ることにした。二王子岳はもう春で小屋はすっかり雪が融けていた。それどころか、山頂は畳1枚分くらい土が出ていた。この日二王子岳に登った登山者は40人を超えていた。雪が融ければ100人を超えるというのも頷ける。
2月27日、藪山ネットの第2回10周年記念顔合わせ会が新発田市滝谷の農村婦人の家であった。今回は30人以上が集まったので、結局名前と顔がわからない人がいた。去年の秋に第1回10周年記念顔合わせ会をしたのだが、あのくらいの人数がちょうどいいかなと思ったりする。
2月24日、服部文祥さんの『サバイバル! 人はズルなしで生きられるのか』(ちくま新書)を買った。各節にはいろいろな人の本の文章を挿入してあって、服部さんの読書の範囲がわかる。そのひとつに村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)があってビックリした。
2月22日、海岸15キロ走って、横浜国際女子駅伝ファイナルを観て、息子の学生服を買って、また海岸を12キロ走る。それにしても、浦田が全日本に選ばれたのに、補欠じゃかわいそう。ぶっちぎりの1位なんだから、アンカーの渋井に替わって浦田を出せばって、そんなことはできない。
2月15日、『渓流』を買った。1800円と本なみの値段だが、本以上に面白いから毎年買ってもう15年くらいになる。去年から年1回になってしまったのが寂しい。午前中は暖かくて、庭のフキノトウの半分くらいが咲いた。鉢の雪割草も1つだけ花が開いてきた。明日からまた寒くなるというのに。
2月14日、娘の3度目の舞台を観に行く。同じ内容を3回目だから、安心して観ていられる。女性陣は他の舞台も観ているというから、息子と二人で家に戻って、お昼を食べて一緒に昼寝。風邪だか、花粉症だか鼻水が止まらない。病院からもらってきた薬は全くきなかい。
2月11日、新潟日報事業社から出た『雪割草』を買った。だが、これは同じ著者の『雪割草』(日本放送出版協会)と内容があまり変わらない。どちらか一冊もっていれば十分で、私のようにどちらも買うバカはいないと思う。「NHKの方が売れたので、日報社からも出したのでは?」と同僚は言う。
2月1日、鳩山総務相が「市町村を合併させて大きくしていくことを、これ以上やるべきでない。かえって地域の文化を損なう」と述べたという。そんなことは合併前からわかっていたはずだが。別大マラソンを観て、今日もパルパーク。女子高生のソフトテニスを見ながら1時間のランニング。
1月31日、午後からパルパークで2時間走る。冬の天気の悪い日はパルパークが貴重だ。今月は元旦マラソン大会以外はこのパルパークで走って、なんとか月間走行距離が約120キロだ。でも、4月から金を徴収するらしい。瀬波温泉トンネルで走っている人もいるけど、あそこはちょっと・・・。
1月25日、大阪国際女子マラソン大会を観る。東京からわずか2ヶ月の渋井、初マラソンの赤羽、脇田。渋井のスパートが少し早いような気がしたが、前半一番余裕があったのは渋井だということか。息子と娘がスキー合宿から帰ってきた。村上と違って天気が良かったようで安心した。
1月24日、早いお昼ご飯を食べ、息子と娘を村上駅に連れて行く。スポーツクラブのスキー合宿なのだ。その後でパルパークで1時間走ってから、元旦マラソン大会でもらった割引券を使って、瀬波温泉の「龍泉」に行く。子供がいない夕食は寂しいものだ。大人3人でしんみりと夕ご飯。
1月18日、今日一日天気が良さそうなので、わかぶな高原スキー場に行く。ファミリーパックを買おうとしたら、スキー子供の日で小学生は無料だという。それで自分だけ一日券を買って子供と一緒に滑るつもりが、イベントも盛りだくさんで子供はほとんど滑らなかった。
1月17日、子供が来週スポーツクラブのスキー合宿なので、必要な衣類などを買いに新発田へ行く。娘のスキー用具も小さくなったので、ついでに買う。それにしても息子の小さくなったスキーを娘が使えるようになればいいのだが、二人とも同じ身体の大きさなのだから、なかなか難しい。
1月11日、都道府県対抗女子駅伝を観た。この大会は3区と8区の中学生区間がカギを握る。今回は8区で京都が逆転し、トップでゴールした。ところで、あるWSによると中学生の合計タイムのトップは京都だが、新潟は兵庫、静岡に次いで第4位なのである。新潟の中学生も頑張っている。
1月4日、10時過ぎに家内の携帯に「岩船で火事」とのメール。「知っている人がその町内にいる」と言うので、「それじゃ、見てくる」と走って30分以上経過して現場へ。ほぼ3軒の全焼のようだ。火は見えないが、まだ放水は続いている。正月なのに火事とは・・・。火は気を付けなければ。
1月2日、列車、バスを乗り継いで菅谷へ。菅谷不動尊で初詣をしてから、箱岩峠まで車道を歩いて、古城山経由で大峰山へ。山頂は20センチくらいの雪。粟島が見えるから下界は天気がいいらしい。小屋で小宴会。登山客は他に4人だけ。帰りは金塚駅まで歩いて列車で戻る。
1月1日 村上市元旦マラソン大会。受付をしていた頃は陽が射したりしていたが、10時になると雪が降り始めてきた。自分が走り始めて3年目になるが、最悪の天候だ。1周目で道路がシャーベット状になってきた。しかし、2周目からは雪も止んで身体は熱いくらいになる。