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2015年


12月23日、奥月山登山口から月山神社を経由して、月山(点名)に登る。全体的に尾根は藪が薄く歩きやすかった。月山には2005年に海から登ったことがあるので、これでまた海から蒲萄山地の稜線に至るルートが増えた。

12月13日、まほろば温泉での忘年会を終えて、関口集落の三吉山と荒城山に向かった。16年ぶりのことなので、以前どこから登ったのか思い出せない。三吉山と荒城山の間からは下渡山〜新保岳の蒲萄山地南部の山がよく見えた。

12月12日、午後からIさんを誘って三吉様に登った。この2カ月で3回登ることになったが、Iさんと山頂の石碑を発見したのは14年前のことである。14年前にIさんと二人で吉浦集落から早稲田集落まで歩いた山行が甦ってきた。

11月23日、家から歩いて下渡山に登った。下渡大橋と瀬波橋を一周するコースである。天井山付近を散策している山仲間から電話がかかってくる。三面川のそばに静かに立っていると鮭が気づかずに泳いで行く。

11月22日、鷹取山に登った。登り始めて、すぐに登山者とすれ違った。仕事でお世話になった人だった。家が寺尾集落なので、鷹取山から林道海府南線に下って、あとは歩いたり走ったりして戻るという。

11月21日、仕事仲間と荒川山(コマタ)に登ることにした。荒川山は去年の夏に登ったことがある。2人を案内するような感じで一周した。アクティブスキンの長袖の上にマラソン大会のTシャツを着た。なかなかいいんじゃないか。

11月20日、新発田市の滝谷森林公園で飲み会があるので、途中の山に登ることにした。天気予報が外れ雨だったので、牟礼山に登った。壊れた折りたたみ傘のネジを取りつけたストックで、記念撮影。

11月7日、仮称「あがりこ女王」の秋の姿を見たくなった。車を止めて、尾根に取りつく。ユキツバキのすごい藪だ。踏み跡を期待していたが、踏み跡どころか鉈目もまったくない。1時間10分で「あがりこ女王」と再会した。

11月3日、沼沢茂美さんの作品を観に行ったら、会場の入り口で息子の小学校時代の先生に会う。「夭夭亭のブログで武田さんのこと見ましたよ」というのである。どうも酔っぱらって、ブナのあがりこについて熱く語っていたらしい。

11月1日、新潟に行き、モンベルでアクティブスキンの上に着るシャツを買う。その後ホテル日航新潟に行き、モンゴル研修生の報告会と歓送迎会。去年は新潟駅行の20時半のバスに乗れなかったが、今年は無事に乗れた。

10月31日、ファイントラックのアクティブスキンを買った。1月3日に二王子岳の六合目まで登った時に、あまりの汗に「このまま停滞でもしたら、低体温症で死ぬ」と思ったからである。どれくらい効果があるか楽しみだ。

10月25日、いつもは宿泊場所の近くの藪山に登っていたが、今年は先日登った三吉様に登ることにした。道の駅に集合し、乗り合わせて登山口へ。冷たい風が吹く中、昼食を取り下山。

10月24日、毎年恒例のたき火飲み会。しかし、夕方は雨の予報。とりあえず雨が降るまで、外でたき火。16時半頃に雨が降り始めたので、宿泊施設に入って二次会。夜中になって雨があがったので、再びたき火で三次会。

10月18日、山頂から三吉様の写真を14年前に一緒に登った山仲間にメールで送ったところ、「懐かしいですね、今宵は一献いかがですか」と返信があり、午前様。職場の同僚からもらった雪割草を庭に植える。

10月17日、早稲田集落の塩の道を辿る自然観察会の知らせが市報に載っていた。しかし、その日は所用で参加できないことがわかった。それで一人で登ることにしたが、登山口を発見するまでに一時間かかった。久しぶりの三吉様だった。

10月11日、12回目のフルマラソン。「今回はキロ6分で行こう」と走り出すものの、いつものキロ5分半ペースに。しかし、それも30キロまで。あとは徐々にペースが落ち、4時間8分でゴール。

10月10日、子供と一緒に新潟シティマラソンの受付に行く。万代で買い物をして、朱鷺メッセへ。Tenyのお祭りで、日本テレビの桝太一アナウンサーやふなっしーを生で見ることができた。

10月4日、ジタバタしてもしょうがないのだが第二弾。家から海岸線を北上し、林道柏尾猿沢線を走る。虚空蔵グリーンパークの遊歩道を歩き、虚空蔵山へ。国道7号へ下り、三面川右岸を走り下渡山を登って家に戻る。

9月27日、家から走って神林の要害山に登り、また走って家に戻る。往復30キロくらいか。この時期になってジタバタしてもしょうがないのだが、新潟シティマラソンに向けてまったく走っていない。何とか制限時間内にゴールしようと思う。

9月23日、息子と月山に登る。月山は10回くらい登っているが、息子は3回目で7年ぶり。オオシラビソを遠望し、山頂へ。いつもの岩は誰も座っていなかったので、そこで昼食。

9月19日、娘と一緒に45キロを歩く。娘が中学3年の時、春はクマ、秋は台風で中止だった行事のコースだ。娘は後半かなりきつそうだったが、ゴールでは17年ぶりの村上での花火が祝ってくれた。

9月12日、二王子岳に登る。たぶん20回目の山頂。飯豊の展望は期待していなかったが、しだいにガスがあがり全貌が。登山者は30人くらいか。二本木山山頂でツェルトを張って泊まる登山者もいた。

9月9日、足寄の道の駅に寄ると松山千春さんのコーナーがある。それから高速道路で新千歳空港へ。空港内でラーメンを食べ、土産物を買う。北海道の4日間は雨が降ることもなく無事に3泊4日の旅を終えた。

9月8日、美幌峠、硫黄山、摩周湖を見る。若い頃摩周湖に来た家内は「霧で何も見えなかった」と言うが、さえぎるものがない展望。阿寒湖畔温泉に泊まる。宴会の後でアイヌの語りを聴く。

9月7日、女満別の朝日ヶ丘公園のヒマワリ畑、小清水原生花園、オシンコシンの滝を経て、ウトロで昼食。知床クルーズの硫黄山航路を楽しみ、屈斜路湖で泊まる。

9月6日、新潟空港から新千歳空港へ。8年ぶりの旭山動物園。わずか1時間半だったが、前回は冬だったので、動物たちの違う行動が見られて楽しかった。その後、層雲峡の銀河・流星の滝を見て温根湯温泉に泊まる。

8月30日、イオン新潟南店のテレビで世界陸上女子マラソンを観る。伊藤舞が7位でオリンピック代表を決めた。7位という結果には不満があるが、ずっと応援していた選手なので嬉しい。

8月27日、法務局で申請書を出す。その後、藤島蔵書に初めて行く。その間に法務局から「不備があった」と連絡があり、再び法務局に行って追加書類を提出する。なんとか司法書士に頼まなくても処理できた。

8月15日、松之山のキョロロや松代の旧奴奈川小学校などの芸術を観て、親戚にあずけていた母を迎えに行き、村上に戻る。2泊3日ではとても大地の芸術祭を観きれない。

8月14日、国道117号を十日町へ向かいながら芸術鑑賞。もぐらの館では3年前のようなグッズは売っていない。別の芸術を観ながら津南へ戻り、グリーンピア津南のカナディアンハウスにもう一泊。

8月13日、母の実家に寄って、さらに別の親戚に母をあずける。農舞台でチケットを購入して、周囲の芸術を観たあとで、絵本と木の実の美術館、キナーレなどを経由してグリーンピア津南のカナディアンハウスに泊まる。

8月2日、ご来光を待ちながら朝ビール。下りも合戦小屋でスイカを食べる。中房温泉に入り、途中のサービスエリアで桃を買って帰る。家に戻るを書評を頼まれた本が届いていた。

8月1日、合戦尾根を登る。「北アルプス3大急登」のひとつらしいが、梶川尾根と比べものにならない。合戦小屋でスイカを食べたら、一気に疲れが出てきた。燕山荘にテントを張って燕岳を往復。

7月31日、息子と一緒に中房温泉に行く。駐車場で車中泊しようと考えていたが、登山口のキャンプ場で泊まることにした。しかし、地熱のせいか地面が熱く、1400mの標高なのに寝苦しい夜だった。

7月18日、清和研二さんの『樹は語る』を一気に読んだ。当年生実生の大きさは種子の大きさと関係があると思っていたが、必ずしもそうではなく、「早く発芽した実生が大きい樹種もある」というヒントは大変参考になった。

7月12日、朝は岩船港で魚釣り。小さいがはじめてヒラメを釣った。午後は大熊孝さんの講演を聴きに行く。大熊先生の話を聞くのははじめてだが、もっと深く聞きたくなるような内容だった。

6月21日、関川マラソンでハーフを走る。暑くて何度も水をかぶりながら走った。タイムは先週の鳥海ブルーライン登山マラソンとまったく同じ1時間46分21秒だったのがおかしい。

6月13日、はじめて鳥海ブルーライン登山マラソンに参加した。十六羅漢駐車場から大平山荘までの17キロ、標高差1000メートルを駆け上るマラソン大会である。小さな大会だが、来年もまた参加したい。

6月7日、息子と一緒に岩船港でアジ釣り。小アジがそこそこ釣れたが、5時を過ぎるとまったく釣れなくなる。朝食を食べて、町内の草刈り。また息子と海に行くが、キスはまだ釣れない。

6月6日、聖篭町の二宮家の日本庭園とバラ園を観に行く。その後で買い物をして、バッティングセンターへ。100キロにするとボールがまっすぐになり、なかなか当たらなくなる。

5月31日、母とウドを採りに松代に行く。母の実家により秋田の土産を渡して、ウドとフキ採り。私は去年植えたブナとトチノキの下刈りをする。

5月30日、2週間後の鳥海山ブルーライン登山マラソンの下見をしたあとで、中島台レクリエーションの森に行く。ここは異形のブナ林が広がる。美人林と対極のブナ林だ。

5月24日、アジ釣りの予定がボラばっかり。どうも新聞情報はあてにならない。車で岩船港に行ってみると、小さいがアジがそこそこ釣れている。朝食を食べて新発田に買い物。

5月23日、36年ぶりに松平山に登る。36年前の記憶はまったくない。ただ歩いたことを覚えているだけ。途中の雪の急斜面は藪を高まいた。息子にはいい経験だった。

5月17日、長井市の白つつじマラソン。今年で8回目。散り始めているが、白つつじはほぼ満開状態。2月から体調が悪く、10キロを48分36秒。

5月16日、朱鷺メッセへモンゴルフェアに行く。馬頭琴の寂しげな音色がいい。お世話になっている通訳のSさんらと話をする。万代を経由して新潟駅に戻る。

5月10日、息子と一緒に高坪山に登る。久しぶりだが、ブナの二次林が面白い。一周して、荒川対岸の岳薬師へ。山頂裏のあがりこを確認する。

5月6日、朝食をすませ、7時半から男鹿水族館。9年前に来たことを子供たちはまったく覚えていない。天王道の駅で野菜主体のバイキング。

5月5日、9年ぶりの男鹿半島。なまはぜ立像が迎えてくれる。寒風山と入道崎。そして、9年前に入れなかったなまはげ会館。1080円の桜島キャンプ場にテントを張る。

5月3日、一泊二日で粟ケ岳から白山を歩いた。日帰りでも可能だし、トレランで往復する人もいるが、あえて一泊することに意味がある。残雪の上でたき火をし、朝四時に野鳥に起こされる。

4月29日、湯沢の荒沢山に登る。山頂までずっと踏み跡があった。20歳のときに歩いた巻機山から平標山までが見ることができるいい山だった。

4月26日、子供に「合格したらギターを買ってやる」と言っていたので、新潟に行く。久しぶりの来るまでの万代。ただし駐車場が30分で220円。これじゃ無料の場所に人が行くわけだ。

4月19日、20年ぶりに木六山に登った。さらに南に行こうとしたが、昨日から扁桃腺が痛く、異常に汗が出たので途中で引き返した。木六山の北東にある小ピークを散策して悪場峠に戻った。

4月18日、下渡山にブナを探しに登る。ブナは樹木の中では早く開葉する樹種なので、ブナを探すのなら今だ。しかし、登山道脇ではいつものブナしか見ることができなかった。

4月12日、午前は雷集落と山熊田集落まで母と息子を連れてドライブ。午後から村中川左岸尾根から、能化山に登る。その後下渡山に登る。

3月21日、去年タラの山でブナのアガリコを発見したのでので、さらに蒲萄山地で探してみることにした。大須戸除雪ステーションから米ケ山に登り、蒲萄トンネルに向かって下っているとまたもブナのアガリコを発見した。

3月15日、町内の監事をしているので、午前は監査。天気がいいので母と子供を車に乗せて笹川流れにドライブ。初めて「眼鏡岩」を覗いてみた。

3月13日、月曜日の入試が終わってから、「できなかった」と泣きながら帰ってきたという家内の話を聞いてから、よく眠れない日が続いた。でもなんとか合格してくれた。

3月6日、一昨日に続いて子供の卒業式。遅い昼食を取り、夕飯の買い物をする。その後時間ができたので、知人から教えてもらった朝日連峰の写真展を観に行く。

2月22日、東京マラソンを観る。今井はやっと「山の神」の呪縛から解放された。ランナーアップデートを見ながら村上の知人を応援する。なんとか6時間以内でゴールしたようだ。

2月20日、日報で連載している「龍が哭く」を毎日楽しみにしている。新聞の連載小説を読むのは、たぶん30年ぶりくらいで三田誠広さんの「龍をみたか」以来だと思う。

2月12日、村上の市報の数日後に洋上発電の記事が新聞にも出た。低周波の影響は想像できないが、景観への影響なら誰でもわかる。イメージ図がないはそのせいだろうか。

2月6日、ここ数日買った苗や育てた苗を根、幹、葉に分けて重さを量る作業をしている。辛い作業だが、「きちんとデータを取れば成仏しますよ」という言葉に救われる。

1月3日、二王子岳を目指すが、天候が悪く六合目手前で引き返す。一王子小屋で昼食し、二王子神社のお神酒をいただいて旧道を下る。

1月2日、箱根駅伝を観る。往路4位以内のランナーを見ると、ランニングで手袋なしは駒大だけだった。登山だけでなく、走るのもウエアが大事だとつくづく思う。

1月1日、村上元旦マラソン。今年も路面は悪いし、雪が吹き付ける。なんとか50分を切ったものの、50分を切れなくなったら止めようかなと思う。