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2024年

5月11日、西山古道を登り、ブナ巨木を確認する。虚空蔵峰から飯豊連峰展望台に至るが、早いせいか誰もいない。高坪山を往復して、道の駅胎内に向かう。数年ぶりだが、藪化が進んでいるようだ。

5月10日、烏帽子岳と朝日連峰の確認のため、双眼鏡を持って日本国に登る。朝日連峰北部は以東岳だろうか。山頂からは先月登った烏帽子岳が確認できる。誰もいない山頂で1時間弱過ごすと、山形の登山者が4人登ってきた。

5月9日、家から歩いて下渡山に登る。瀬波大橋から通り抜けできないが、羽下ケ渕集落経由で下渡集落に至る。花は少なくなったが、サワフタギとエゴノキが花の準備をしていた。樹木は95種、確認する。

5月6日、鷲ケ巣山の元雨量観測所近くにある標識を飲み込んでいるブナを確認しに行った。そろそろ完全に飲み込んでいる頃だと思っていたが、思いのほか成長が遅く、もう5年くらいかかりそうだ。その後、樹木リストを作るために下渡山に登る。

5月5日、初めて日本国の山開きに参加した。8時前から歩き始め、森林の様子を眺めながら登り、9時過ぎに山頂に着く。10時になって豚汁サービスを待って、ホタテの炊き込みご飯のおにぎりを食べる。帰りに白山神社の大杉と筥竪八幡宮を見る。

5月4日、のんびりと朝食をとり、片づけをして家に戻る。家族でのキャンプはなぜか2日目の朝に雨が多いのだが、今日は晴天。いつものホットサンドを食べ、テントを乾かす。帰りに指合集落の神社によって、ブナの写真を撮る。

5月3日、家族でお昼前に南大平キャンプ場に行って、テントを設営。懸賞で当てた岩手牛のステーキなどを作り、軽くビールで乾杯。夕食には娘も加わりにぎやかになる。

4月30日、下渡山に登ってから1週間が経っていたので、慌てて登ってきた。先週と比較して、タニウツギ、ウゴツクバネウツギ、アズキナシ、ウワミズザクラなどの花が新たに咲いていた。今が一番下渡山で花が多い季節かもしれない。

4月29日、櫛形山脈山開きに参加した。山開きに参加すること自体が初めてだ。市役所に集合し、関沢森林公園までバスで送ってもらう。それから思い思いに白鳥山まで歩き、白鳥公園で待っているバスに乗って市役所まで送ってもらう。

4月28日、奥胎内に行き、シシノクラの森とは異なる尾根に登り、ブナのあがりこを確認した。それにしても、雪上で運び出せないような場所になぜ、あがりこがあるのだろうか。胎内川に伐って流したとしか考えられない。

4月27日、山熊田のブナ林ウォーキングに初めて参加した。これまで一人でも歩けると思っていたが、とんでもない間違いだった。途中から道は不鮮明になり、山熊田のマタギが先行して藪を刈払いながら二ノ俣峠に達した。

4月26日、早稲田の三吉様に登って、炭焼きの話を聞いた。早稲田集落では約60年前まで盛んに炭焼きが行われていて、山で炭を焼いて運び下し、炭を貯めておく小屋が20くらいあったそうだ。そこから大八車でさらに集落まで運ぶのだが、リヤカーになってからかなり楽になった。

4月23日、午前に時間ができたので、下渡山に登ってきた。オオカメノキはそろそろ花が終わりかけ、ヤマツツジやミヤマガマズミが咲いていた。ウワミズザクラ、アズキナシ、ウゴツクバネウツギは蕾。これから週1回登って下渡山の花暦を作ってみようかな。

4月21日、久しぶりに北赤谷峠から烏帽子岳に登った。記録を調べたら27年前は峠から山頂まで35分で登っているのに、今回は1時間もかかってしまった。写真を撮りながら、ゆっくり登ったこともあるのだが、体力の衰えは確実に進行している。

4月20日、酒田市美術館で「ディズニー キャッツ&ドッグス展」を観る。3人で1年パスポート3300円を利用し、4回目。昼食は満月でワンタン麺。人気店らしく、開店前から約30人が並んでいた。その後は、いつもの山居倉庫。

4月18日、旧山北町越沢集落周辺を散策する。30年前と比較して、かなり山が荒れているような気がする。大里神社で大きなブナを発見した。標高は約30m。これも植栽したものではなく、残されたものではないだろうか。

4月16日、高坪山のブナ巨樹を確認した。巨木の柵が直されているような気がする。村上市のホームページが相変わらず高坪山登山禁止なので、市役所に問い合わせたところ、今年度も登山禁止だという。今年度も鍬江集落からの登山が続きそうだ。。

4月13日、本間日陽卒業コンサート。たぶん約40年ぶりの県民会館。2階席だったが、卒業生が近くにいて関係者席のよう。アイドル人生最後の日。初めてのセンター曲「春はどこから来るのか」のとおり、桜満開の日だった。

4月12日、羽黒神社の境内に生えている大きなブナの写真を撮りに行くため、近くまで車で送ってもらった。羽黒神社から斜面を登るよりも、山居山への登山道を歩いて藪を下った方が近い。胸高直径は80センチを超えるくらいだった。

4月11日、2日に石川流域を一周した時に、登山道が開設される前に発見したD6さんの切り付けがわからなかったので、再び大平山に登って確かめてきた。次のピークの山頂付近だと思っていたら、かなり手前だった。

4月8日、ワンデーフリー切符を使って弥彦駅まで行き、、弥彦山〜多宝山を歩いた。弥彦山や多宝山のブナを再確認できた。弥彦駅には靴の泥を水で洗い流す場所やトイレに更衣室があった。土産にパンダ焼を買ったら、1個おまけをしてくれた。

4月5日、家から歩いて瀬波温泉から鱸ケ池〜いこいの森〜道玄池〜鱸ケ池を散策した。ショウジョウバカマはいっぱいあったが、カタクリを確認できなかった。桜の広場の東屋で昼食。瀬波温泉で作ってきたゆで卵入りのラーメンを食べる。

4月3日、2年ぶり、3回目の童子山南西尾根を歩いて、童子山に登る。尾根が細くなると、獣道が登山道のようになっている。童子山手前の斜面に家から一番近い雪割草の自生地がある。白花が多いが、薄い青もある。

4月2日、今年3回目の大平山。19年ぶり2回目の石川流域一周コースを歩く。前回は午後から駆け足で歩いたから、今回はゆっくりと景色や森林を確認しながら歩いた。今年初めてのイワウチワの花を見る。

4月1日、家から歩いてお城山に登る。お城山にこんなにカタクリが咲いているとは思わなかった。家に戻ってお昼を食べ、午後からは諸上寺山のカタクリを見る。諸上寺山も人が多い。

3月23日、本間日陽卒業公演を観た。座席抽選は椅子席の最後の194番。柱が邪魔でセンターが見えないフラストレーションがたまる席だが、3時間近くも立ち見を回避できただけでも良しとする。セットリストは良かったし、MCも面白かった。

3月19日、3月23日の「卒業公演」に当選した。申し込み日の2日間のうち、18日が誕生日だから絶対に当たると思って申し込んでいた。かなりの倍率だったと思う。最後の劇場公演に当たって、本当にうれしい。座席抽選も幸運を祈る。

3月14日、山熊田集落に嫁いだ大滝ジュンコさんの『現代アートを続けていたら、いつまにかマタギの嫁になっていた』を一気に読んだ。大滝さんのことは知っていたし、数年前に新潟市で行われたシンポジウムにも行ったことがある。活字にしなければ、消えてなくなってしまいそうな山熊田の文化を女性の視点から書かれていた。

3月5日、山屋(点名)に登った。チマキザサの藪が雪で押し倒されていて、三角点は確認できなかった。さらに歩道の印を確認しようと、東に進む。チマキザサの藪はいくらか薄くなり、道型が確認できるようになる。結局、里本庄集落奥の池を右回りに一周した。

3月2日、越後藪山情報ネットワークが25年間の活動を終了した。この25年間で、地形図に掲載された新潟県内の山のうち、蓬莱山と鳥越山を除くすべての山をメンバーが踏査した。このような成果をはじめから予想していたわけではなかったが、本当に素晴らしい仲間が集まってくれたものである。

2月26日、来年で年賀状を辞めるのを、今年の年賀状に予告をした。それで、もう来年の年賀状を作ってしまった。写真はすでにあるし、書く文章も決まっていたからである。

2月22日、大学の先輩である箕口先生の最終講義に出席した。講義のタイトルは、「森林の天機、ネズミのちクマでしょう −マスティングから森林・林業を考える−」。学生時代から一貫して、ブナのマスティングに関わる研究をしてこられた箕口先生の集大成だった。

2月19日、今年2回目の大平山登山。鷲ケ巣山を見ながら、雷鳥飯盒でラーメンを作る。1月17日に遠くに見えた針葉樹林が気になっていたのだが、下りで確かめてみたらヒノキ林だった。藪を探したが、第三の巨木は見つからない。

2月11日、初めての写真集お渡し会。幕?の中に入り、ぼーっと立っていると係の人から「次の人、どうぞ」と言われる。写真集を渡されながら、「ありがとう」と言われるが、こちらこそ「ありがとう」と言わなければならないのだ。あっという間に、「時間で〜す」と言われ、剥がされる。

2月10日、雷鳥飯盒が届いた。さっそくメスティン用の小物をスタッキングしてみる。ケースはダイソーの300円ポーチがちょうどいい。だけどなあ、我が家のクッカー、数えてみたら30個以上あった。それぞれ使い方が違うんだけど、言い訳に過ぎないなあ。

2月7日、セカンドロットの「雷鳥飯盒」を購入した。飯盒2型が発売された時、ソロ用なのにどうしてソラマメ型に拘るのか疑問だった。ワークマンの飯盒も安くなったものの、ソラマメ型だった。そもそも飯盒がソラマメ型なのは、二つ同時にご飯を炊くときに、間を煙突にするためだったのではないだろうか。

2月4日、「あがりこ姫」に会いに行ってきた。雪が少なく藪が多く2時間近くかかった。ぶどうスキー場の放送が時々聞こえるものの、「あがりこ姫」を見ながら昼食をし、1時間過ごした。元株の周囲長は426センチだった。

2月1日、『渓流春号』を購入した。30年以上購読しているムックなのだが、もう止めようと思っていた。しかし、書店で立ち読みしていると、高桑信一さんの「源流古道」は立ち読みでは読み切れない量なので、また今年も買ってしまった。

1月28日、21キロ過ぎでペースメーカーの前に出る走りで、天満屋の前田が19年ぶりに日本記録を塗り替えた。海外ではなく、国内大会でこんな記録が出るとは思わなかった。低迷が続いていた女子マラソン界に、風穴を開けた走りだった。

1月17日、神林の大平山に登った。幸いキャンプ場まで車を入れることができ、しかも誰も登っていなかった。途中で新たに開設されていた林道を横切り、山頂で約1時間休んだ。鷲ケ巣山山頂が見え隠れしていた。下山で林道を下ってみたら、思わぬ遠回りで、登山道をそのまま下った方が良かった。

1月9日、今年2回目の家から歩いて下渡山登山。今度は反時計回りに登ろうと登山口まで行くと、ひとりの足跡が往復していた。その登山者は山頂で休むことなく、下山したようだった。山頂で1時間20分休む。東港と弥彦の間に白い山が見える。妙高火打だと思うが、次回から双眼鏡を持って登ろうと思う。

1月6日、青学逆転の秘密はシューズだった。その価格は8万円を超える。しかも耐久距離はフルマラソン1、2回分。そんなシューズを履いて走ったら、もうそのシューズ無しでは走れないだろう。でもこれって、ホワイトアウトの山にGPSを使って登ったのと同じじゃないかと貧乏人は思う。

1月4日、家から歩いて下渡山に登る。家に帰って下渡山に登った記録を調べたら、8月と9月に登ったことがないことがわかった。今年は8月と9月に下渡山に登ることにしよう。ちなみにこれまでの全月登山達成の山は臥牛山(お城山)、新保岳、二王子岳。

1月2日、箱根駅伝を観る。駒沢一強だと思っていたが、箱根駅伝は違うんだなあ。10キロの記録だけでは判断できないメンタルが重要なんだな。監督、選手、区間配置、終わってみれば、すべてがうまくいったのだが、はじめから予想することはとてもできない。

1月1日、息子が元旦マラソンを走るので、その前に村上新聞といわふね新聞を買いに行く。10時半に家を出て、元旦マラソンの応援。やっぱり応援よりも走る方が楽しいと思う。そして新潟に向かう途中、バイパスに乗る前に大きな揺れ。2018年5月に能登半島を一周し、輪島にも泊っているので心配になる。