2024年
11月11日、一昨日登った要害山にセンブリが咲いていると知り、要害山に向かう。センブリは登山口から馬洗場の少し上まで咲いていた。首切り清水からのろし山、物見山を経由して要害山に至る。これで要害山は通算20回目。
11月10日、息子と一緒に日本国に登った。5月に3回登っていて、今年4回目。最初に登ったのが1988年で、通算10回目になる。蔵王堂登山口に下りて、白山神社の大杉を見る。5月には気づかなかったが、スギの樹幹に落葉広葉樹が5樹種も着生していて驚く。トチノキはリスが運んだのだろうか。
11月9日、令和4年8月の豪雨災害以来、登山禁止になっていたと思っていた要害山に向かったところ、しばらく前から解除されていたようだった。10人以上の団体を追い越し、たった一人の山頂で1時間近く過ごす。下りは馬洗場から初めてのルートを下った。
11月8日、山仲間の女性二人が瀬納温泉で湯でゆで卵を作りに来るという。9時に待ち合わせるが、雨なので三面川右岸に行き、鮭の様子を見に行く。雨があがり、温泉の湯でゆで卵を作る。ジャガイモとサツマイモも一緒に茹でて話が弾む。
11月4日、ウライ漁を見ようと9時過ぎに鮭孵化場に行くが、まだ鮭があまり遡っていないのか、ウライ漁を始める気配がない。しかたないので、準備をして下渡山に向かう。下渡集落の入り口と下渡山登山口でコクサギを確認する。
10月31日、瀬波温泉トンネルから物見山経由で山居山に登る。お湯を沸かして、カップラーメン。羽黒神社に下りて、羽黒口から臥牛山南斜面を登る。道は荒廃していて、チマキザサの藪で道を失う。トラロープを発見するもチマキザサの藪が続く。中世遺構コースには進まず、直登して臥牛山に至る。
10月29日、山元遺跡に登る。居住域から越後平野を眺める。座ってコーヒーを飲むつもりだったが、適当な座る場所がなく、アカメガシワが伸びていて立ったままでないと日東道が見えない。墓域を見て、居住域との間の沢を下って、車道から車に戻る。
10月26日、酒田市美術館で黒井健絵本原画展を観に行く。一昨年の新津美術館に次いで2回目だ。昼は酒田ラーメン3店目の新月。ワンタンメンを食べる。山居倉庫に行って、お世話になった親戚へのお礼の品物を買う。その後、家内の知人の和菓子屋に行く。
10月25日、8月以来、下渡山を一周する。結局、9月に登り損ねてしまい、下渡山の全月登山は来年にお預け。ミヤマガマズミ、ナナカマド、サルトリイバラ、アズキナシの赤い実が目立った。ツルリンドウの他に、ヤマツツジ、ユキツバキ?の花も確認した。
10月22日、ボイルホタテでハゼが釣れると知り、三面川河口で試してみた。第一投でも第二投でも釣れる。「今日は爆釣だ!」と思ったが、長くは続かない。でも、ホタテ1個で2時間遊べることがわかった。ハゼの天ぷらが美味しかった。
10月21日、数日前、久しぶりにお城山に登ったら夏から楽しみにしていたサルナシの実が誰かに採られて全部無くなっていた。ところが、石垣のまわりを刈払った場所で新たにサルナシの実があるのを発見した。熟した実を2個採り、デザートにして食べた。
10月13日、世間は3連休。紅葉の山情報が入って来るが、瀬波海岸を6キロ散歩。岩船夕日の森森林公園の貝殻ベンチで休もうと思ったが、休日で公園を訪れる人が多く、少し戻った東屋でインスタントラーメンを作る。家に帰って、午後は野球とサッカー観戦。
10月5日、芥川賞受賞作『バリ山行』を読んだ。『山と渓谷』10月号にも、「今月の人」、「インタビュー」、「今月の本棚」で『バリ山行』が取り上げられていた。登山SNSを使った藪山登山は今風だったが、仕事小説として割り切って読めば面白い小説だった。
9月29日、村上笹川流れトライアスロンのボランティアに参加する家内と子供を会場に送り、11時過ぎに自転車で様子を見に行く。結局、最初から最後までボランティアに付き合うことになり、午後2時まで会場で過ごす。最後の選手は、村上市の80歳の男性。家族の応援を受けて無事にフィニッシュ。
9月25日、録画してあった「マウンテンドクター」を最後まで観た。テレビドラマはまったくと言って良いほど観ないのだが、山が舞台なので面白かった。家内と二日続けて、三面川の中洲公園を散歩した。ちょうどオニグルミが落ちていたので、拾いながらゆっくり歩いた。
9月15日、毎月15日、あるサイトに「村上・岩船の山と森を歩く」というコラムをアップしている。すでに今年度分の原稿はできていているのでアップするだけなのだが、とんでもないできごとがあり、あやうくアップできない事態になることだった。なんとかコラムに穴を開けることがなく、今日無事に30回目をアップすることができた。
9月8日、胎内高原マラソン大会。息子は20代男性の部で、なんと2位だった。高校生の時、ある大会で2位になったことがあるが、その時出場者は2人だけだった。今回は6人だったので、少しはレベルが上がったか?しかし、同じコースを走った60代男性の従兄弟Sさんよりも約6分遅いタイムだった。
9月1日、家内が9月22日に胎内市で行われる板額御前のイベントに参加するので、その場所の下見に行った。その後は、胎内高原マラソンに出場する息子がコースを試走した。息子が胎内高原マラソンに出場するのは2回目だが、去年と大きくコースが変わったからだ。
8月29日、家内が録画していたテレビドラマ「マウンテンドクター」を8回分、2日間で観た。ヘリコプター、高地肺水腫、ICU……、37年前の夏を思い起こさせるドラマだ。DVDかBLにダビングしようと思っていたのだが、トイレに行っている間に、家内が1回目を消去してしまった。
8月26日、お城山に登った。昨日の雨で七曲りの砂利が流れ出し、階段に散らばっていた。階段が徐々に崩れているのと、階段を歩かずに階段脇を歩く人がいるため、その場所が水路のようになって、砂利が流れたようだ。階段の修繕をそろそろした方が良いと思うのだが。
8月25日、家族で酒田市美術館に行く。年間パスポートを更新したので、これからまた1年間楽しめる。お昼は前回と同じ花鳥風月。その後、玉簾の滝を見に行く。目測で落差30m弱と判断したが、どこを見ても63mと書いてある。新潟県の有名な滝でも落差が2分の1以下に見える滝があるから許すことにしよう。
8月23日、今年2回目の二王子岳に登る。5時40分に登り始めるが、前回よりも時間がかかる。5合目で休んでいると知人が現れ、越しつ越されつ山頂へ。山頂は曇っていて、のんびり2時間休む。下山にツノハシバミの実を採集する。少し早かったが、懐かしい味。
8月19日、32年ぶりに南蔵王を歩いた。32年前と同じように不忘山まで行こうと思ったが、朝露に負けて、屏風岳で引き返した。お釜の駐車場に移動し、熊野岳を往復。お釜の向こうに屏風岳が見えた。対象的な蔵王の姿を1日で楽しめた。
8月10日、4時15分にライトを片手に大鳥池を出発。7時半に以東岳山頂に着くが、寸前でガスに覆われてしまう。短パン、半袖なので寒い。30年ぶり5回目の以東岳山頂。30分休んで下る。大鳥池で昼食をとり、12時下山開始。14時40分に泡滝ダムに到着。
8月9日、泡滝ダムをスタートし、9時に大鳥池に着く。以東岳山頂がガスに覆われているので、テントを張り三角池や東沢を散策する。本を忘れたので、大鳥小屋の本を借りてベンチで読む。2000年10月に化穴山に登って以来、24年ぶり6回目の大鳥池を堪能する。
8月2日、家内、息子と月山に登った。息子は6回目だが、家内は初めてだった。登りは何度も休みながら、4時間かかった。神社の手前にある三角点で記念撮影。イイデリンドウに似たミヤマリンドウがあると30年前に聞いたことがあるが、なかなか見つけられない。
7月25日、古本買取サービスで送料無料のクーポンを利用して本を送った。送った本は事前に古本買取サービスのホームページで買取価格が最低でも10円以上の値が付いているものだった。しかし、ほとんどの本を買い取ってくれなかった。どういうことだろう。
7月24日、久しぶりに無線仲間の飲み会があった。たぶん5年以上集まっていなかったと思う。集まったのは6人で、他の5人は全員自分よりも年上だ。未だに仕事をしている人が2人。奥さんに先立たれた人が2人。それぞれの人生、生き方は自分で選んでいかなければならない。
7月23日、栃尾美術館に行って星野道夫写真展を観る。星野さんの写真を最初に見たのは、学生時代の雑誌『アニマ』だったと思う。若くして亡くなられてしまったが、こうして写真や活字が残るのは素晴らしい。その後は道の駅や星長豆腐店に行く。
7月17日、朝のそうめんを食べ、午前9時に解散。急いで村上に戻り、シャワーを浴びて昼食を取り、日東道のトンネル見学に行く。参加者は16人。トンネル入口から220m。記念写真を撮る。実際に掘っている場面も見たかったが、危険なんだろうな。
7月16日、五頭山登山口に6人が集まる。そのうち、2人は初対面。三の峰から前一の峰に登って、のんびりと昼食。風は強いが、予報よりも天気はいい。下りは五の峰からスキー場ルートは扇山経由のプチ藪こぎ。どんぐりの森で宴会。
7月7日、村上大祭。なんとか雨は降らなそうだ。数年前から本間日陽さんが村上大祭に来ているのだが、これまで休みが合わなく観たことがなかった。自転車で田村酒店前まで行き、30分ほど大勢のファンと一緒に過ごした。
6月30日、午前は町内の調整池の草刈り。お昼を食べて、新潟に向かう。NGT48の真下華穂さんの卒業公演を観る。手紙は父親からだった。卒業企画実行委員会が作った「2256日の軌跡」が凄い。これは真下にとって宝物になるだろう。
6月27日、中条駅から櫛形山脈を縦走し、金塚駅に下山した。家を5時に出て、17時に帰宅の12時間行動。夏山に向けての体力づくりと割り切っているが、やっぱり自分らしい山行ではない。もっとゆっくり山を楽しみたい。
6月23日、胎内市美術館に行ったついでに、胎内高原マラソンのコースを下見する。去年は奥胎内への道路を使ったコースが含まれていたが、今年はそのコースが無くなった。そのため、かなりのアップダウンのコースになった。久しぶりにマラソン大会に出るか考え中。
6月21日、今年初めての二王子岳に登る。一番乗りだと思っていたら、前日山頂に泊った男性が下りてきて、さらに先に登っていた男性が下りてきた。1時間近く誰もいない山頂でパンを焼く。パンを食べ終わった頃に人が集まりだす。久しぶりに二本木山にも登る。
6月16日、息子が関川マラソンに出場するので、家内と一緒に応援に行く。約40年前に新潟市の古本屋学生書房で購入した『越後山岳第6号』のサインについてD6さんに訊ねたところ、「藤島にしては字が上手だが、藤島玄が書いたものだ」と教えていただいた。
6月13日、山仲間と新潟市にある海辺の森キャンプ場に集まる。午後3時からビールを飲みながら、持ち寄ったものを食べて山談義。気温がだんだんと低くなり、二次発酵がなかなか進まなかったが、真っ暗になってやっとパンが焼きあがった。
6月8日、先月大境山で発見した金属プレートが気になって、『越後山岳第6号 越後の国境踏査報告書』を見てみた。予想した通り、県境踏査の時に関川村山の会の高橋千代吉さんと平田大六さんが残した金属プレートだった。
6月7日、D6さんの90歳、125回目の光兎山登山に刺激されて、17回目の光兎山に登ってきた。ヒメサユリもなんとか間に合った。12時少し前に山頂に着いたので、もう誰もいない。山頂で初めてパンを焼き、まわりの山々を見ながら食べる。
6月4日、シンボルツリーのハナミズキを9割くらい伐った。シジュウカラが巣立ったこともあるが、以前からいつ小さくしようと考えていた。決断させたのは、ハナミズキの苗木をくれた現役時代の職場の総務課長だった女性が亡くなったからだ。
6月2日、初心者樹木観察会の講師をした。雨なので野外観察は止めて、事前に観察する樹木を採取し、パワーポイントでの説明の後で室内で観察をした。野外で移動する時間が減った分、パワーポイントの時間を伸ばしたので、丁度15時に終えることができた。
5月31日、数日前から急に巣箱のシジュウカラのヒナの声が大人びてきたと思っていたら、突然巣立ってしまった。しばらく家のまわりで飛ぶ練習をして、その後電線に集まり、親と一緒に遠くへ飛んで行った。しかし、電線に集まり損ねた1羽が取り残されてしまい、ずっと電線に止まっていた。
5月26日、19年ぶり7回目の大境山に登る。駐車場には新潟ナンバーが4台。山頂は飯豊の北の展望台。山仲間と二人だけで1時間半のんびり過ごした。山頂で、1966年5月の高橋千代吉さんと平田大六さんの金属プレートを発見する。
5月24日、今年5回目の大平山。今回は山頂からブナの巨木「平太君」までの距離を確認した。山頂から下ること、標高差100m。約10分で下ったが、往復30分とした方が良いだろう。これだけ下るなら、そのまま下った方が良いかもしれない。
5月22日、今月3回目の日本国に登る。3回登って、やっとブナの様子がわかってきた。山頂でネマガリダケを採る。20年以上前の岩船地方山岳救助訓練で、ネマガリダケを見つけたのは6月下旬だったのに1カ月も早い。
5月14日、新潟県立近代美術館でジブリ展を観る。その後、真登でつけ麺を食べ、栃尾に向かう。しかし、星長も豆撰も休店。ネットで豆腐屋を探し、なんとか最低限の土産を確保する。高速使わず、12時間弱のドライブだった。
5月11日、西山古道を登り、ブナ巨木を確認する。虚空蔵峰から飯豊連峰展望台に至るが、早いせいか誰もいない。高坪山を往復して、道の駅胎内に向かう。数年ぶりだが、藪化が進んでいるようだ。
5月10日、烏帽子岳と朝日連峰の確認のため、双眼鏡を持って日本国に登る。朝日連峰北部は以東岳だろうか。山頂からは先月登った烏帽子岳が確認できる。誰もいない山頂で1時間弱過ごすと、山形の登山者が4人登ってきた。
5月9日、家から歩いて下渡山に登る。瀬波大橋から通り抜けできないが、羽下ケ渕集落経由で下渡集落に至る。花は少なくなったが、サワフタギとエゴノキが花の準備をしていた。樹木は95種、確認する。
5月6日、鷲ケ巣山の元雨量観測所近くにある標識を飲み込んでいるブナを確認しに行った。そろそろ完全に飲み込んでいる頃だと思っていたが、思いのほか成長が遅く、もう5年くらいかかりそうだ。その後、樹木リストを作るために下渡山に登る。
5月5日、初めて日本国の山開きに参加した。8時前から歩き始め、森林の様子を眺めながら登り、9時過ぎに山頂に着く。10時になって豚汁サービスを待って、ホタテの炊き込みご飯のおにぎりを食べる。帰りに白山神社の大杉と筥竪八幡宮を見る。
5月4日、のんびりと朝食をとり、片づけをして家に戻る。家族でのキャンプはなぜか2日目の朝に雨が多いのだが、今日は晴天。いつものホットサンドを食べ、テントを乾かす。帰りに指合集落の神社によって、ブナの写真を撮る。
5月3日、家族でお昼前に南大平キャンプ場に行って、テントを設営。懸賞で当てた岩手牛のステーキなどを作り、軽くビールで乾杯。夕食には娘も加わりにぎやかになる。
4月30日、下渡山に登ってから1週間が経っていたので、慌てて登ってきた。先週と比較して、タニウツギ、ウゴツクバネウツギ、アズキナシ、ウワミズザクラなどの花が新たに咲いていた。今が一番下渡山で花が多い季節かもしれない。
4月29日、櫛形山脈山開きに参加した。山開きに参加すること自体が初めてだ。市役所に集合し、関沢森林公園までバスで送ってもらう。それから思い思いに白鳥山まで歩き、白鳥公園で待っているバスに乗って市役所まで送ってもらう。
4月28日、奥胎内に行き、シシノクラの森とは異なる尾根に登り、ブナのあがりこを確認した。それにしても、雪上で運び出せないような場所になぜ、あがりこがあるのだろうか。胎内川に伐って流したとしか考えられない。
4月27日、山熊田のブナ林ウォーキングに初めて参加した。これまで一人でも歩けると思っていたが、とんでもない間違いだった。途中から道は不鮮明になり、山熊田のマタギが先行して藪を刈払いながら二ノ俣峠に達した。
4月26日、早稲田の三吉様に登って、炭焼きの話を聞いた。早稲田集落では約60年前まで盛んに炭焼きが行われていて、山で炭を焼いて運び下し、炭を貯めておく小屋が20くらいあったそうだ。そこから大八車でさらに集落まで運ぶのだが、リヤカーになってからかなり楽になった。
4月23日、午前に時間ができたので、下渡山に登ってきた。オオカメノキはそろそろ花が終わりかけ、ヤマツツジやミヤマガマズミが咲いていた。ウワミズザクラ、アズキナシ、ウゴツクバネウツギは蕾。これから週1回登って下渡山の花暦を作ってみようかな。
4月21日、久しぶりに北赤谷峠から烏帽子岳に登った。記録を調べたら27年前は峠から山頂まで35分で登っているのに、今回は1時間もかかってしまった。写真を撮りながら、ゆっくり登ったこともあるのだが、体力の衰えは確実に進行している。
4月20日、酒田市美術館で「ディズニー キャッツ&ドッグス展」を観る。3人で1年パスポート3300円を利用し、4回目。昼食は満月でワンタン麺。人気店らしく、開店前から約30人が並んでいた。その後は、いつもの山居倉庫。
4月18日、旧山北町越沢集落周辺を散策する。30年前と比較して、かなり山が荒れているような気がする。大里神社で大きなブナを発見した。標高は約30m。これも植栽したものではなく、残されたものではないだろうか。
4月16日、高坪山のブナ巨樹を確認した。巨木の柵が直されているような気がする。村上市のホームページが相変わらず高坪山登山禁止なので、市役所に問い合わせたところ、今年度も登山禁止だという。今年度も鍬江集落からの登山が続きそうだ。。
4月13日、本間日陽卒業コンサート。たぶん約40年ぶりの県民会館。2階席だったが、卒業生が近くにいて関係者席のよう。アイドル人生最後の日。初めてのセンター曲「春はどこから来るのか」のとおり、桜満開の日だった。
4月12日、羽黒神社の境内に生えている大きなブナの写真を撮りに行くため、近くまで車で送ってもらった。羽黒神社から斜面を登るよりも、山居山への登山道を歩いて藪を下った方が近い。胸高直径は80センチを超えるくらいだった。
4月11日、2日に石川流域を一周した時に、登山道が開設される前に発見したD6さんの切り付けがわからなかったので、再び大平山に登って確かめてきた。次のピークの山頂付近だと思っていたら、かなり手前だった。
4月8日、ワンデーフリー切符を使って弥彦駅まで行き、、弥彦山〜多宝山を歩いた。弥彦山や多宝山のブナを再確認できた。弥彦駅には靴の泥を水で洗い流す場所やトイレに更衣室があった。土産にパンダ焼を買ったら、1個おまけをしてくれた。
4月5日、家から歩いて瀬波温泉から鱸ケ池〜いこいの森〜道玄池〜鱸ケ池を散策した。ショウジョウバカマはいっぱいあったが、カタクリを確認できなかった。桜の広場の東屋で昼食。瀬波温泉で作ってきたゆで卵入りのラーメンを食べる。
4月3日、2年ぶり、3回目の童子山南西尾根を歩いて、童子山に登る。尾根が細くなると、獣道が登山道のようになっている。童子山手前の斜面に家から一番近い雪割草の自生地がある。白花が多いが、薄い青もある。
4月2日、今年3回目の大平山。19年ぶり2回目の石川流域一周コースを歩く。前回は午後から駆け足で歩いたから、今回はゆっくりと景色や森林を確認しながら歩いた。今年初めてのイワウチワの花を見る。
4月1日、家から歩いてお城山に登る。お城山にこんなにカタクリが咲いているとは思わなかった。家に戻ってお昼を食べ、午後からは諸上寺山のカタクリを見る。諸上寺山も人が多い。
3月23日、本間日陽卒業公演を観た。座席抽選は椅子席の最後の194番。柱が邪魔でセンターが見えないフラストレーションがたまる席だが、3時間近くも立ち見を回避できただけでも良しとする。セットリストは良かったし、MCも面白かった。
3月19日、3月23日の「卒業公演」に当選した。申し込み日の2日間のうち、18日が誕生日だから絶対に当たると思って申し込んでいた。かなりの倍率だったと思う。最後の劇場公演に当たって、本当にうれしい。座席抽選も幸運を祈る。
3月14日、山熊田集落に嫁いだ大滝ジュンコさんの『現代アートを続けていたら、いつまにかマタギの嫁になっていた』を一気に読んだ。大滝さんのことは知っていたし、数年前に新潟市で行われたシンポジウムにも行ったことがある。活字にしなければ、消えてなくなってしまいそうな山熊田の文化を女性の視点から書かれていた。
3月5日、山屋(点名)に登った。チマキザサの藪が雪で押し倒されていて、三角点は確認できなかった。さらに歩道の印を確認しようと、東に進む。チマキザサの藪はいくらか薄くなり、道型が確認できるようになる。結局、里本庄集落奥の池を右回りに一周した。
3月2日、越後藪山情報ネットワークが25年間の活動を終了した。この25年間で、地形図に掲載された新潟県内の山のうち、蓬莱山と鳥越山を除くすべての山をメンバーが踏査した。このような成果をはじめから予想していたわけではなかったが、本当に素晴らしい仲間が集まってくれたものである。
2月26日、来年で年賀状を辞めるのを、今年の年賀状に予告をした。それで、もう来年の年賀状を作ってしまった。写真はすでにあるし、書く文章も決まっていたからである。
2月22日、大学の先輩である箕口先生の最終講義に出席した。講義のタイトルは、「森林の天機、ネズミのちクマでしょう −マスティングから森林・林業を考える−」。学生時代から一貫して、ブナのマスティングに関わる研究をしてこられた箕口先生の集大成だった。
2月19日、今年2回目の大平山登山。鷲ケ巣山を見ながら、雷鳥飯盒でラーメンを作る。1月17日に遠くに見えた針葉樹林が気になっていたのだが、下りで確かめてみたらヒノキ林だった。藪を探したが、第三の巨木は見つからない。
2月11日、初めての写真集お渡し会。幕?の中に入り、ぼーっと立っていると係の人から「次の人、どうぞ」と言われる。写真集を渡されながら、「ありがとう」と言われるが、こちらこそ「ありがとう」と言わなければならないのだ。あっという間に、「時間で〜す」と言われ、剥がされる。
2月10日、雷鳥飯盒が届いた。さっそくメスティン用の小物をスタッキングしてみる。ケースはダイソーの300円ポーチがちょうどいい。だけどなあ、我が家のクッカー、数えてみたら30個以上あった。それぞれ使い方が違うんだけど、言い訳に過ぎないなあ。
2月7日、セカンドロットの「雷鳥飯盒」を購入した。飯盒2型が発売された時、ソロ用なのにどうしてソラマメ型に拘るのか疑問だった。ワークマンの飯盒も安くなったものの、ソラマメ型だった。そもそも飯盒がソラマメ型なのは、二つ同時にご飯を炊くときに、間を煙突にするためだったのではないだろうか。
2月4日、「あがりこ姫」に会いに行ってきた。雪が少なく藪が多く2時間近くかかった。ぶどうスキー場の放送が時々聞こえるものの、「あがりこ姫」を見ながら昼食をし、1時間過ごした。元株の周囲長は426センチだった。
2月1日、『渓流春号』を購入した。30年以上購読しているムックなのだが、もう止めようと思っていた。しかし、書店で立ち読みしていると、高桑信一さんの「源流古道」は立ち読みでは読み切れない量なので、また今年も買ってしまった。
1月28日、21キロ過ぎでペースメーカーの前に出る走りで、天満屋の前田が19年ぶりに日本記録を塗り替えた。海外ではなく、国内大会でこんな記録が出るとは思わなかった。低迷が続いていた女子マラソン界に、風穴を開けた走りだった。
1月17日、神林の大平山に登った。幸いキャンプ場まで車を入れることができ、しかも誰も登っていなかった。途中で新たに開設されていた林道を横切り、山頂で約1時間休んだ。鷲ケ巣山山頂が見え隠れしていた。下山で林道を下ってみたら、思わぬ遠回りで、登山道をそのまま下った方が良かった。
1月9日、今年2回目の家から歩いて下渡山登山。今度は反時計回りに登ろうと登山口まで行くと、ひとりの足跡が往復していた。その登山者は山頂で休むことなく、下山したようだった。山頂で1時間20分休む。東港と弥彦の間に白い山が見える。妙高火打だと思うが、次回から双眼鏡を持って登ろうと思う。
1月6日、青学逆転の秘密はシューズだった。その価格は8万円を超える。しかも耐久距離はフルマラソン1、2回分。そんなシューズを履いて走ったら、もうそのシューズ無しでは走れないだろう。でもこれって、ホワイトアウトの山にGPSを使って登ったのと同じじゃないかと貧乏人は思う。
1月4日、家から歩いて下渡山に登る。家に帰って下渡山に登った記録を調べたら、8月と9月に登ったことがないことがわかった。今年は8月と9月に下渡山に登ることにしよう。ちなみにこれまでの全月登山達成の山は臥牛山(お城山)、新保岳、二王子岳。
1月2日、箱根駅伝を観る。駒沢一強だと思っていたが、箱根駅伝は違うんだなあ。10キロの記録だけでは判断できないメンタルが重要なんだな。監督、選手、区間配置、終わってみれば、すべてがうまくいったのだが、はじめから予想することはとてもできない。
1月1日、息子が元旦マラソンを走るので、その前に村上新聞といわふね新聞を買いに行く。10時半に家を出て、元旦マラソンの応援。やっぱり応援よりも走る方が楽しいと思う。そして新潟に向かう途中、バイパスに乗る前に大きな揺れ。2018年5月に能登半島を一周し、輪島にも泊っているので心配になる。