2014
12月31日、10時ころ外に出ると雨が降っていなかったので、いまさら走ってもしょうがないのだが、明日は元旦マラソンに向けて久しぶりに海まで走ってきた。夜は息子が打ったウドンかな。
12月28日、仕事関係者のランニングの飲み会が新潟であるので、夕方まで子供と一緒に買い物。子供を村上行の列車に乗せ、宴会へ。二次会まで行って快速で帰る。
12月7日、朝日まほろば温泉で『岳人12月号』の打ち上げ。と言っても、私は何も取材に協力していないのだが。鮭と地酒で夜遅くまで宴が続く。
11月30日、まほろば温泉から林道新保岳線に向かう。新保岳に登り、次は「タラの山」を目指す。「タラの山」は「タラノキの山」ではなく、「タ(カ)ラの山」か。もちろんお宝は山頂のアガリコ。
11月29日、まほろば温泉で無線の忘年会。無線クラブだが、「無線・パソコン・山」よりも病気の話題ばかり。過去の忘年会や移動運用の写真を見ながら、夜遅くまで飲み明かす。
11月24日、二王子岳に登る。四合目付近から雪が出てきたが、硬くなっていて歩きやすい。あまりにも寒いので、小屋で1時間休んで下る。車まで戻ったら、休憩も含めて5時間だった。
11月16日、実家の畑に昨日瀬波の畑で掘り取ったブナを植える。20年も経てば10m近くなると思うけど、それまで生きていられるか。大きくなったら、このブナの下でテントを張って過ごしたいと思う。
11月2日、娘を新発田に送り迎えする間に、久しぶりに臼ケ森山に登ろうと思ったら、林道入り口でサル予防のためか閉鎖されていた。しかたなく、新発田で買い物をして時間を過ごす。
10月29日、家内が昨日、同級生の様態がかなり悪そうなので見舞いに行った。そして今朝その同級生が亡くなった。家内は「昨日行かなければ会えなかった」と言うが、来てくれるのを待っていたのだろうか。
10月26日、5人で鈴谷山に登る。平床林道と朝日スーパーラインが合流する辺りから稜線沿いに進む。クリタケやナメコを採り、以前登った桝形山や重蔵山を見ながら藪山を楽しむ。
10月25日、息子の文化祭を観た後で、猿田川に向かう。ビールを飲みながら、たき火にする木を集める。そして、たき火を囲みながら、集まってくれた仲間と飲む。
10月19日、息子と一緒に苗場山登山。記録を調べたら、4度目で20年ぶり。湯沢町からのルートは34年ぶり。百名山は登山者が多いのと、山ガールが多いのでびっくり。長靴登山者は自分だけ。
10月18日、娘が通う中学校の文化祭。作品を観た後でライブ鑑賞。ライブは年々盛り上がっている。午後は合唱コンクール。娘のクラスは去年男子で最優秀賞だと思ったが、今年はどのクラスも男子がいい。だけど、今年は女子も良かった。だから今年も学年最優秀賞。
10月12日、新潟シティマラソン。8時30分にフルがスタート。8キロ地点でQちゃんとハイタッチ。35キロ地点でもQちゃんとハイタッチ。3年連続のゲストランナーだけど、2回ハイタッチをしたのは初めて。
10月8日、皆既月食。娘が近所の友達と観察するというので、カメラを構えながら一緒に過ごす。息子は自分の部屋から月が見えるので動画を撮影していた。
10月5日、娘を新発田市に送り迎えする間に、35年ぶりに松平山に登ろうと歩き出す。しかし風が強く雨が降りそうなので、山葵山でひきかえす。登山口に着いたら雨があたってきた。
9月28日、三面川河口でハゼ釣り。息子がイソメを触れないので、偽餌で釣ってみる。だけど、釣れるのはフグとウグイだけ。ほんとに日報の釣り情報のようにハゼは釣れるの?
9月23日、白鷹若鮎マラソン大会。なんとかキロ5分を切るペースで走り、1時間42分11秒でゴール。練習していないから1時間40分を切ることができない。
8月31日、明日からの用意をしようと新潟へ買い物に行く。運よくモンベルのラグジャーを見つける。これでボロボロのものも含めて6着目かな。それと半袖も買う。
8月24日、娘を新発田市に送り迎えする間に、高校野球の準決勝をラジオで聴きながら荒川山(コマタ)に登る。山頂でゲームセット。結果のように雨が当たりだす。
8月13日、30年前から訪ねてみたかった大内宿へ行ってきた。最近はすごい観光地になっているらしく混むようなので、8時半に着き名物「ねぎそば」を食べる。帰りは喜多方経由でまたラーメン。
8月9日、昨晩釣った魚を持って松代へ墓参り。まず母の実家に寄り、それから実家周辺へあいさつ。お墓参りをして、母の実家でお昼。それから能舞台を経由して、実家を解体した時の写真が飾ってある「やまきわ美術館」へ。
8月8日、職場の有志で船釣り。イナダ3匹、アジ10匹、カサゴ・カマスそれぞれ1匹。立ち上がると気持ち悪くなったけど、なんとか釣れたこともあって24時近くまで元気に過ごせた。
8月4日、今日も槍穂高の展望を期待したが、ガスと風。6時にテントをたたみ、蝶ケ岳山頂で記念写真を撮って、三股へ下る。登りとは異なり、針葉樹林が複雑な構造をしていて楽しめる。10時に駐車場に着いて、温泉に入る。
8月3日、再び常念岳に登り直す。今日は槍穂高がきれいに見える。蝶ケ岳を目指して急な登山道を下る。やがて針葉樹林帯に入る。ガスが出てきて風も強い中、蝶ケ岳に着いてテントを張る。
8月2日、朝になると駐車場は満杯。5時過ぎに常念岳を目指して歩き始める。針葉樹林帯を越え、岩場を歩いて常念岳へ。それから常念小屋に下りて、テントを張る。
8月1日、息子と二人で安曇野ICで降り、イオンで買い出しをし、三股の駐車場に向かう。15時過ぎに着いたが、車は20台程度。夕立が止むのを待ち、外で弁当を食べる。
7月26日、娘の吹奏楽コンクール下越大会を家族で観に行く。金賞だったが、残念ながら県大会には出られなかった。でも吹奏楽部に入って半年くらいなのに、「頑張った」とほめてあげよう。
7月12日、新発田市のHさんと二王子岳に登った。そしてHさんに教えてもらって、初めてオオサクラソウを見た。先日の大雨にたたかれても、オオサクラソウは可憐な花を咲かせていた。
7月9日、新潟シティマラソンのフルがわずか2日で定員に達した。だが、新潟シティマラソンの評判は少しもよくならない。ゲストランナーは3年連続で高橋尚子さんだが、いいかげん高橋尚子さん頼みの運営は止めてほしいものだ。
6月29日、新潟日報のSNS「アメカゴ」が6月いっぱいで終了するので、知り合った人と粟ケ岳に登ることにした。しかし生憎の雨で登らずに、キャンプ場受付で7時半からお昼まで過ごした。
6月24日、新潟日報の窓欄を見ていたら、突然自分の名前が出ていてビックリ。美人林のことを当時の松之山町役場で話したのがいつだったか忘れていたが、15年前のことだった。
6月21日、久しぶりに支部対抗駅伝に参加する。区間は4区2.8キロ。5位でタスキを渡され、一人に追い越されるもののキロ4分10秒ペースで走る。結局アンカーが2人抜いて4位だった。
6月13日、『渓流夏号』を買う。パラパラをめくっていたら、ゴールデンウイークに穂高で亡くなった本図さんの姿があった。昨年末、高桑さんの出版記念会で一緒に飲んだことを思い出した。
6月8日、3年ぶりくらいにイヌツゲを剪定した。8時から12時までの4時間の作業。暑くならず時々風が涼しかった。ただしもうちょっと高い脚立が欲しい。
5月25日、息子と再び鷲ケ巣山に登る。残雪はほとんど消え、無事に山頂に立つ。ただ山頂にはすごい数のブユがいて、顔や腕がひどいことになった。
5月4日、息子と一緒に鷲ケ巣山を目指す。しかし、息子の体調が悪そうなのと残雪があり、前の岳で登山を止める。そんなわけで7時半から山で寝ていた。
4月26日、「探し物が見つからないから来てくれ」と正午頃電話があり、新潟へ行く。自分が案内すると探し物はすぐに見つかった。それにしてもどうしてこんなものが、ここにあるのだろうか。
4月23日、家に帰ると、台所にスギナが生えているジャガイモが置いてあった。母が畑で草取りをしていて、スギナをひっぱたらジャガイモが付いてきたらしい。
4月13日、童子山南西尾根を登る。目的の植物は山頂近くになって、やっと現れた。下渡山まで登山道を歩き、姥ケ懐登山道の東の藪尾根を下る。
4月12日、34年ぶりに櫛形山に登った。金塚駅から願文山〜大峰山〜櫛形山〜白鳥山を縦走し、中条駅まで歩いた。電車代は820円だし、ビールも飲めるし、いい山旅だった。
4月6日、笹川流れマラソン大会。3月にひいた風邪が治らなく、ハーフから10キロに当日変更。キロ5分ペースで走って50分を切る予定が、途中で時計がリセットされてしまい、結局50分19秒でゴール。
3月29日、新潟からの帰りに諸上寺山に行ってみる。カタクリは五分咲きくらいだ。それで家に戻ってから自転車の息子と一緒に走って下渡集落に行き、下渡山に登った。こちらのカタクリは満開だった。
3月26日、全国の仕事仲間と一緒に書いた『広葉樹の森づくり』(日本林業調査会)がようやく出版されることになった。こんな本が出版できるのも地方ならではではないだろうか。
3月20日、先週に続いて高桑さんから新刊『タープの張り方、火の熾し方 私の道具と野外生活術』(山と渓谷社)が届いた。事前に「こっちの方がおもしろいかも」とメールが来ていたが、自分もこっちが好きだなあ。
3月15日、高桑さんから新刊『山小屋の主人を訪ねて』(東京新聞)が届く。昨年末の自叙伝『山と渓に遊んで』(みすず書房)の出版記念会に出席した人たちに、その時の写真と一緒に送っているようだ。
3月2日、びわ湖毎日マラソンをテレビ観戦していると、外がやたらとうるさい。玄関を出てみると屋根の上にヘリコプターが2機飛んでいる。午後3時から、平野君の出場報告会に行く。
3月1日、久しぶりに15キロを走る。最近天気が良いから昼休みに走ったりしていたせいで、そんなに苦しくはない。
2月22日、藪山ネットの顔合わせ会に出席する。日東道を走って胎内山荘へ。15名だが、県内以外に山形の米沢市から3名、東京から2名の参加もある。久しぶりの仲間と遅くまで山談義。
2月12日、準決勝には日本人は誰も出ないので、いったん家に戻って仮眠。そして2時前から再び応援。金でなかったけど、大舞台で銀メダルは立派だ。家に戻って2時間ほどまた寝る。
2月11日、学年は違うが娘が同じ中学校だし、4年後はどうなっているかわからないから、パブリックビューイングに行く。予選の1本目を見たら、「これは決勝まで見なきゃいけない」と決勝まで見ることにする。
2月2日、NHK「サキどり」を観た後で下渡山に向かう。山頂手前の平らな地形がどこまで続くのか辿ってみたら、童子山への登山道まで達した。春が近いのか、ハクチョウが北に帰っていく。
1月26日、大阪国際女性マラソンを観る。引退レースの赤羽が日本人トップであるのが悲しい。前田のように他の大学生もマラソンをどんどん走ってほしいと思う。
1月25日、午前中は天気が持ちそうだったので、ぶどうスキー場に行く。去年は営業していなかったが、スキー自体が2シーズンぶりだった。4時間だけですごい筋肉痛になる。
1月16日、今頃になって『マークスの山』を読む。初版は20年前の1993年だった。どうりでポケベルが出てくるわけだ。一家心中と連続殺人が関係あるのかと思っていたが、よくわからなく終わってしまった。
1月12日、家内の実家の集落で行われる「さいの神」に行く。旧神林村では「ほやほや」というらしい。午後1時から火を付け、その火でスルメを焼く。
1月5日、徒歩で下渡山に向かう。瀬波橋を渡り、旧道を登る。テレビ塔コースの登山道脇で1本だけ確認しているブナの写真を撮り、下渡大橋を渡って家に戻る。
1月3日、家内の実家に年始に行った後で、自転車で下渡集落へ。旧道を下渡山頂に向かう。写真を撮った後で、テレビ塔コースを下る。途中から茶畑コースを通って集落に戻る。
1月2日、恒例の大峰山登山。列車が強風のため約40分遅れ、金塚駅に到着。山仲間の車で桜公園の奥まで送ってもらい、チェリーヒュッテで宴会。願文山経由で帰る。
1月1日、早朝から雷鳴が響く元旦。それでもスタート時点には雨も止む。元旦マラソンは年々苦しくなる。今年も1キロから、もう辛い。一周すると嫌になる。47分28秒でゴール。
12月31日、10時ころ外に出ると雨が降っていなかったので、いまさら走ってもしょうがないのだが、明日は元旦マラソンに向けて久しぶりに海まで走ってきた。夜は息子が打ったウドンかな。
12月28日、仕事関係者のランニングの飲み会が新潟であるので、夕方まで子供と一緒に買い物。子供を村上行の列車に乗せ、宴会へ。二次会まで行って快速で帰る。
12月7日、朝日まほろば温泉で『岳人12月号』の打ち上げ。と言っても、私は何も取材に協力していないのだが。鮭と地酒で夜遅くまで宴が続く。
11月30日、まほろば温泉から林道新保岳線に向かう。新保岳に登り、次は「タラの山」を目指す。「タラの山」は「タラノキの山」ではなく、「タ(カ)ラの山」か。もちろんお宝は山頂のアガリコ。
11月29日、まほろば温泉で無線の忘年会。無線クラブだが、「無線・パソコン・山」よりも病気の話題ばかり。過去の忘年会や移動運用の写真を見ながら、夜遅くまで飲み明かす。
11月24日、二王子岳に登る。四合目付近から雪が出てきたが、硬くなっていて歩きやすい。あまりにも寒いので、小屋で1時間休んで下る。車まで戻ったら、休憩も含めて5時間だった。
11月16日、実家の畑に昨日瀬波の畑で掘り取ったブナを植える。20年も経てば10m近くなると思うけど、それまで生きていられるか。大きくなったら、このブナの下でテントを張って過ごしたいと思う。
11月2日、娘を新発田に送り迎えする間に、久しぶりに臼ケ森山に登ろうと思ったら、林道入り口でサル予防のためか閉鎖されていた。しかたなく、新発田で買い物をして時間を過ごす。
10月29日、家内が昨日、同級生の様態がかなり悪そうなので見舞いに行った。そして今朝その同級生が亡くなった。家内は「昨日行かなければ会えなかった」と言うが、来てくれるのを待っていたのだろうか。
10月26日、5人で鈴谷山に登る。平床林道と朝日スーパーラインが合流する辺りから稜線沿いに進む。クリタケやナメコを採り、以前登った桝形山や重蔵山を見ながら藪山を楽しむ。
10月25日、息子の文化祭を観た後で、猿田川に向かう。ビールを飲みながら、たき火にする木を集める。そして、たき火を囲みながら、集まってくれた仲間と飲む。
10月19日、息子と一緒に苗場山登山。記録を調べたら、4度目で20年ぶり。湯沢町からのルートは34年ぶり。百名山は登山者が多いのと、山ガールが多いのでびっくり。長靴登山者は自分だけ。
10月18日、娘が通う中学校の文化祭。作品を観た後でライブ鑑賞。ライブは年々盛り上がっている。午後は合唱コンクール。娘のクラスは去年男子で最優秀賞だと思ったが、今年はどのクラスも男子がいい。だけど、今年は女子も良かった。だから今年も学年最優秀賞。
10月12日、新潟シティマラソン。8時30分にフルがスタート。8キロ地点でQちゃんとハイタッチ。35キロ地点でもQちゃんとハイタッチ。3年連続のゲストランナーだけど、2回ハイタッチをしたのは初めて。
10月8日、皆既月食。娘が近所の友達と観察するというので、カメラを構えながら一緒に過ごす。息子は自分の部屋から月が見えるので動画を撮影していた。
10月5日、娘を新発田市に送り迎えする間に、35年ぶりに松平山に登ろうと歩き出す。しかし風が強く雨が降りそうなので、山葵山でひきかえす。登山口に着いたら雨があたってきた。
9月28日、三面川河口でハゼ釣り。息子がイソメを触れないので、偽餌で釣ってみる。だけど、釣れるのはフグとウグイだけ。ほんとに日報の釣り情報のようにハゼは釣れるの?
9月23日、白鷹若鮎マラソン大会。なんとかキロ5分を切るペースで走り、1時間42分11秒でゴール。練習していないから1時間40分を切ることができない。
8月31日、明日からの用意をしようと新潟へ買い物に行く。運よくモンベルのラグジャーを見つける。これでボロボロのものも含めて6着目かな。それと半袖も買う。
8月24日、娘を新発田市に送り迎えする間に、高校野球の準決勝をラジオで聴きながら荒川山(コマタ)に登る。山頂でゲームセット。結果のように雨が当たりだす。
8月13日、30年前から訪ねてみたかった大内宿へ行ってきた。最近はすごい観光地になっているらしく混むようなので、8時半に着き名物「ねぎそば」を食べる。帰りは喜多方経由でまたラーメン。
8月9日、昨晩釣った魚を持って松代へ墓参り。まず母の実家に寄り、それから実家周辺へあいさつ。お墓参りをして、母の実家でお昼。それから能舞台を経由して、実家を解体した時の写真が飾ってある「やまきわ美術館」へ。
8月8日、職場の有志で船釣り。イナダ3匹、アジ10匹、カサゴ・カマスそれぞれ1匹。立ち上がると気持ち悪くなったけど、なんとか釣れたこともあって24時近くまで元気に過ごせた。
8月4日、今日も槍穂高の展望を期待したが、ガスと風。6時にテントをたたみ、蝶ケ岳山頂で記念写真を撮って、三股へ下る。登りとは異なり、針葉樹林が複雑な構造をしていて楽しめる。10時に駐車場に着いて、温泉に入る。
8月3日、再び常念岳に登り直す。今日は槍穂高がきれいに見える。蝶ケ岳を目指して急な登山道を下る。やがて針葉樹林帯に入る。ガスが出てきて風も強い中、蝶ケ岳に着いてテントを張る。
8月2日、朝になると駐車場は満杯。5時過ぎに常念岳を目指して歩き始める。針葉樹林帯を越え、岩場を歩いて常念岳へ。それから常念小屋に下りて、テントを張る。
8月1日、息子と二人で安曇野ICで降り、イオンで買い出しをし、三股の駐車場に向かう。15時過ぎに着いたが、車は20台程度。夕立が止むのを待ち、外で弁当を食べる。
7月26日、娘の吹奏楽コンクール下越大会を家族で観に行く。金賞だったが、残念ながら県大会には出られなかった。でも吹奏楽部に入って半年くらいなのに、「頑張った」とほめてあげよう。
7月12日、新発田市のHさんと二王子岳に登った。そしてHさんに教えてもらって、初めてオオサクラソウを見た。先日の大雨にたたかれても、オオサクラソウは可憐な花を咲かせていた。
7月9日、新潟シティマラソンのフルがわずか2日で定員に達した。だが、新潟シティマラソンの評判は少しもよくならない。ゲストランナーは3年連続で高橋尚子さんだが、いいかげん高橋尚子さん頼みの運営は止めてほしいものだ。
6月29日、新潟日報のSNS「アメカゴ」が6月いっぱいで終了するので、知り合った人と粟ケ岳に登ることにした。しかし生憎の雨で登らずに、キャンプ場受付で7時半からお昼まで過ごした。
6月24日、新潟日報の窓欄を見ていたら、突然自分の名前が出ていてビックリ。美人林のことを当時の松之山町役場で話したのがいつだったか忘れていたが、15年前のことだった。
6月21日、久しぶりに支部対抗駅伝に参加する。区間は4区2.8キロ。5位でタスキを渡され、一人に追い越されるもののキロ4分10秒ペースで走る。結局アンカーが2人抜いて4位だった。
6月13日、『渓流夏号』を買う。パラパラをめくっていたら、ゴールデンウイークに穂高で亡くなった本図さんの姿があった。昨年末、高桑さんの出版記念会で一緒に飲んだことを思い出した。
6月8日、3年ぶりくらいにイヌツゲを剪定した。8時から12時までの4時間の作業。暑くならず時々風が涼しかった。ただしもうちょっと高い脚立が欲しい。
5月25日、息子と再び鷲ケ巣山に登る。残雪はほとんど消え、無事に山頂に立つ。ただ山頂にはすごい数のブユがいて、顔や腕がひどいことになった。
5月4日、息子と一緒に鷲ケ巣山を目指す。しかし、息子の体調が悪そうなのと残雪があり、前の岳で登山を止める。そんなわけで7時半から山で寝ていた。
4月26日、「探し物が見つからないから来てくれ」と正午頃電話があり、新潟へ行く。自分が案内すると探し物はすぐに見つかった。それにしてもどうしてこんなものが、ここにあるのだろうか。
4月23日、家に帰ると、台所にスギナが生えているジャガイモが置いてあった。母が畑で草取りをしていて、スギナをひっぱたらジャガイモが付いてきたらしい。
4月13日、童子山南西尾根を登る。目的の植物は山頂近くになって、やっと現れた。下渡山まで登山道を歩き、姥ケ懐登山道の東の藪尾根を下る。
4月12日、34年ぶりに櫛形山に登った。金塚駅から願文山〜大峰山〜櫛形山〜白鳥山を縦走し、中条駅まで歩いた。電車代は820円だし、ビールも飲めるし、いい山旅だった。
4月6日、笹川流れマラソン大会。3月にひいた風邪が治らなく、ハーフから10キロに当日変更。キロ5分ペースで走って50分を切る予定が、途中で時計がリセットされてしまい、結局50分19秒でゴール。
3月29日、新潟からの帰りに諸上寺山に行ってみる。カタクリは五分咲きくらいだ。それで家に戻ってから自転車の息子と一緒に走って下渡集落に行き、下渡山に登った。こちらのカタクリは満開だった。
3月26日、全国の仕事仲間と一緒に書いた『広葉樹の森づくり』(日本林業調査会)がようやく出版されることになった。こんな本が出版できるのも地方ならではではないだろうか。
3月20日、先週に続いて高桑さんから新刊『タープの張り方、火の熾し方 私の道具と野外生活術』(山と渓谷社)が届いた。事前に「こっちの方がおもしろいかも」とメールが来ていたが、自分もこっちが好きだなあ。
3月15日、高桑さんから新刊『山小屋の主人を訪ねて』(東京新聞)が届く。昨年末の自叙伝『山と渓に遊んで』(みすず書房)の出版記念会に出席した人たちに、その時の写真と一緒に送っているようだ。
3月2日、びわ湖毎日マラソンをテレビ観戦していると、外がやたらとうるさい。玄関を出てみると屋根の上にヘリコプターが2機飛んでいる。午後3時から、平野君の出場報告会に行く。
3月1日、久しぶりに15キロを走る。最近天気が良いから昼休みに走ったりしていたせいで、そんなに苦しくはない。
2月22日、藪山ネットの顔合わせ会に出席する。日東道を走って胎内山荘へ。15名だが、県内以外に山形の米沢市から3名、東京から2名の参加もある。久しぶりの仲間と遅くまで山談義。
2月12日、準決勝には日本人は誰も出ないので、いったん家に戻って仮眠。そして2時前から再び応援。金でなかったけど、大舞台で銀メダルは立派だ。家に戻って2時間ほどまた寝る。
2月11日、学年は違うが娘が同じ中学校だし、4年後はどうなっているかわからないから、パブリックビューイングに行く。予選の1本目を見たら、「これは決勝まで見なきゃいけない」と決勝まで見ることにする。
2月2日、NHK「サキどり」を観た後で下渡山に向かう。山頂手前の平らな地形がどこまで続くのか辿ってみたら、童子山への登山道まで達した。春が近いのか、ハクチョウが北に帰っていく。
1月26日、大阪国際女性マラソンを観る。引退レースの赤羽が日本人トップであるのが悲しい。前田のように他の大学生もマラソンをどんどん走ってほしいと思う。
1月25日、午前中は天気が持ちそうだったので、ぶどうスキー場に行く。去年は営業していなかったが、スキー自体が2シーズンぶりだった。4時間だけですごい筋肉痛になる。
1月16日、今頃になって『マークスの山』を読む。初版は20年前の1993年だった。どうりでポケベルが出てくるわけだ。一家心中と連続殺人が関係あるのかと思っていたが、よくわからなく終わってしまった。
1月12日、家内の実家の集落で行われる「さいの神」に行く。旧神林村では「ほやほや」というらしい。午後1時から火を付け、その火でスルメを焼く。
1月5日、徒歩で下渡山に向かう。瀬波橋を渡り、旧道を登る。テレビ塔コースの登山道脇で1本だけ確認しているブナの写真を撮り、下渡大橋を渡って家に戻る。
1月3日、家内の実家に年始に行った後で、自転車で下渡集落へ。旧道を下渡山頂に向かう。写真を撮った後で、テレビ塔コースを下る。途中から茶畑コースを通って集落に戻る。
1月2日、恒例の大峰山登山。列車が強風のため約40分遅れ、金塚駅に到着。山仲間の車で桜公園の奥まで送ってもらい、チェリーヒュッテで宴会。願文山経由で帰る。
1月1日、早朝から雷鳴が響く元旦。それでもスタート時点には雨も止む。元旦マラソンは年々苦しくなる。今年も1キロから、もう辛い。一周すると嫌になる。47分28秒でゴール。