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2016年

12月29日、旧山北町の北黒川集落にある秋葉山に登った。どのピークが秋葉山なのかわからなかったので、登山口探しに手間取ったが、約30分で祠のある山頂にたどり着いた。

12月10日、朝日まほろば温泉でアマチュア無線の忘年会。その前にパンフレットで発見した山北の山に登ろうと思ったが、吹雪であきらめた。沖縄へ修学旅行中の娘に雪景色の写真を送ったら、ジンベイザメの写真が返ってきた。

11月27日、クイーンズ駅伝を観る。高島が資生堂に移籍したので、デンソーの4連覇は難しいと思っていた。郵政グループは鈴木がケガで2区になったことで、「鈴木と関根だけのチームじゃないぞ」とチームが一つになったのではないか。

11月23日、寝ながら「遭難本」を何冊か読む。何度も読んでいる本だ。『道迷い遭難』は明らかに地図を見ていない遭難ばかりだ。道迷いは「迷ったら引き返す」「沢には下らない」この二つの原則を守れば防ぐことができる遭難である。ただし、道のない山を歩く場合は「道に迷った」わけではないから、このさじ加減が難しい。

11月22日、10日ほど前から風邪をひいて体調が悪い。最初は喉に来て、次はお腹になる。近所の病院に行くと、「去年も同じころ同じ症状で来てますね」と言われる。季節の変わり目、油断したのだろうか。雪が降るまでにと頑張っているつもりなんだが。

11月13日、母、息子と三人で松代へ行く。村上の畑で育てていた苗木を二か所の畑に植える。そして、墓参り。その後母の実家で昼食をいただく。土産は松之山のしんこ餅とパーキングで買った鱒ずしだ。

11月6日、息子と二人で大平山に登る。7時半出発、Bコースを登り、10時30分に下山。家でお昼を食べて、娘の同級生が娘をモデルにして描いた奨励賞の絵を観に市展に行く。後姿だが。

10月30日、山に登る人、帰る人、テントに残る人に分かれる。川を渡り、尾根に取りつく。ワイヤーの罠が2箇所残されている。稜線を辿って、山越えの道に出る。何度か歩いている道を下り、川を渡ってテントに戻る。

10月29日、毎年恒例の焚き火飲み会。「3時集合4時開宴」と案内したが、2時過ぎに会場に着くと既に焚き火が始まっている。そして全員が集まらないうちから飲み始める。焚き火の場所も開宴も早く来た者しだいなのである。

10月27日、代休を取って家内と二人の母を連れて鳴子に行き、滝の湯に入る。今時150円で入ることができる温泉は珍しい。たかはし屋で鳴子焼き蕎麦を食べる。帰りに展望台に寄ろうとしたが、平日なのにすごい車で通りすぎた。

10月22日、7月の火打・妙高以来、山に登っていなかった。とにかく山へ行きたいと二王子岳に向かった。以前のように何時間も山頂にいる登山者がいなくなったのか、登山者が少なくなった気がする。

10月18日、おもしろい本を見つけた。米山悟『冒険登山のすすめ』(ちくまプリマー新書)である。登山は本来危険なものなのに、「安全登山」なんてあるわけないというのだ。「GPSはやめましょう」など、うなずくことが多い書である。

10月9日、新潟シティマラソン。フルは13回目。去年と同じく練習不足で、4時間を切れず4時間4分でゴール。これでサブフォーは13分の7になった。その後、ラーメン屋「ことぶき」に行き、ごまチャーシューを食べる。

9月25日、新潟シティマラソンまで2週間となった。8月はそこそこ走ったが、9月になってまったく走っていない。そこで自転車の息子と一緒に要害山まで走る。息子は登山口から登山靴に履き替える。途中誰にも会わなかった。

9月14日、先日娘が受けた丙種危険物取扱者の通知が来た。法令が100%なのに、性質・消火が70%だった。娘は乙4も受けると言う。乙4だと化学的知識が必要になるのだが……。

9月5日、9月10日に燕市でNGT48のライブが行われる。無料で抽選なのだが、当選したチケットを売ろうとしている人間が20人くらいいる。最高額は4万円である。それを考えると、先日のコンサートは同じ無料なのに平和だったなあ。

9月4日、かみはやし穀菜(こくさい)マラソン大会で10キロを走る。たぶん気温35度くらい。3キロまではキロ4分40秒ペースで走るが、それからはキロ5分。結局49分5秒でゴール。筋肉よりも内臓にダメージが残る。

8月28日、渡辺真知子、床野真代、太田裕美の3人が村上にやって来た。3人とも40年前の変わらぬ歌声である。だから今でも歌い続けられるのだろう。コンサートが終わった後で娘を迎えに村上駅に行ったら、待合室に渡辺真知子さんがおられた。握手をして、写真を一緒に撮ってもらった。

8月13日、日帰りで墓参り。長岡で「モネ展」を観る。そして「麺や真登」でつけ麺。母の実家に寄って、お墓に行くと弟家族がいた。親戚や近所をまわり農舞台で土産を買って村上に戻る。

8月11日、関川村へ行く。村長さんから「山の日なのに、山へ行かないのか」と言われる。午前は小田さんの南極観測の話、午後は谷中さんによる藤島玄さんの『飯豊地図』と『越後の山旅』の変遷を聞く。久しぶりに谷中さんに会えてよかった。

8月10日、初めて劇場公演に申し込んだら当選したので、娘と二人で夜公演をファミリー席で観る。メンバーに娘と小学校の同級生がいて、最初の曲で目が合って観客に娘がいるのがわかったそうだ。劇場公演1回目。

8月4日、新潟日報に娘が写っていた。仕事仲間にそのことを知らせると、なんと仕事仲間の娘さんも別の面で写っていたという。なんという偶然な新潟日報であった。

7月31日、7時にテントをたたみ、下山開始。最終日になって、漸く晴れた。だが、登山道はどろんこ。息子に装着させたホームセンターで購入した500円くらいのスパッツが威力を発揮する。

7月30日、高谷池から妙高山往復。黒沢池ヒュッテから埼玉県のご夫婦と追い越し追い越されながら往復。茶臼山付近で雨が降るが、大降りにならず高谷池に戻る。

7月29日、曇り空の中、高谷池へ。途中で長岡市の中学生の集団に会う。高谷池にテントを張って、火打山往復。中学校の最後尾と一緒に高谷池に着く。午後2時。無事に下れただろうか。

7月28日、午前は病院と高校へ。午後から息子と二人で上越市のイオンで買い出し。そして夕方笹ヶ峰へ。雨宿りをしながら夕食。夜は星空が見える。

7月18日、息子の登山用ズボンを買いに行く。息子は青学の「山の神」とほぼ同じ体型である。だから男性用のSサイズでも大きい。ふと女性用を見ると、サイズが小さいだけで全く変わりない。そんなわけで7号のサイズを購入。

7月17日、「洋上風力発電は村上を元気にするか」の集会に行く。再エネバブルで儲けようとする話に乗ってしまったのだろうが、観光協会だけでなく漁協も賛成しているらしい。瀬波海岸の2キロ沖にお城山の高さを超える風車が30本以上もできていいのだろうか。

7月2日、再び朝日岳に登り直し、栂海新道を下る。22年前は記念写真だけの記憶しかない。気持ちいい湿原を歩くが、黒岩岳から細い尾根道になる。白鳥山の登りで疲れ果てたが、なんとか15時半に坂田峠に下る。

7月1日、22年ぶりに蓮華温泉から五輪尾根を歩いて、朝日岳に登る。そして40年前に通過した朝日小屋にテントを張った。夕食を小屋で食べることになったため、夕食前に乾杯、夕食で乾杯、夕食後に乾杯で飲みすぎた。

6月27日、職員の地域対抗駅伝。メンバーが足りなくて駆り出された。5位でタスキを受け継いだものの、3人に追い越され8位となる。しかし、4区、5区のランナーが一人ずつ追い越し6位入賞。なんとか3年連続で入賞し胸をなでおろす。

6月19日、関川マラソン。去年は鳥海ブルーライン登山マラソンとまったくの同タイムだったが、今年は2分ほど上回った。だが、キロ5分ペース。だんだんと普段走らなければ遅くなることを実感する。

6月11日、去年に続き2回目の鳥海ブルーライン登山マラソン大会。十六羅漢駐車場から海抜1000mの大平山荘までブルーラインを駆け上る。去年よりも1分ほど遅いタイムだったが、10キロ地点からゴールまで10人近いランナーを追い越した。

6月4日、西俣尾根から頼母木山に登る。頼母木山の南側で風を避けながら昼食。頼母木小屋方面に下ってハクサンイチゲを確認する。ピークは先週だったようだが、まだまだきれいだった。

5月22日、息子と倉手山に登る。7時から登り始めたのに、もう下山する登山者がいる。他に誰もいない山頂でラーメンを作っていると次々に登山者が登ってくる。今日は50人以上が登っただろうか。

5月15日、飯豊道の駅で山仲間に高桑さんの『源流テンカラ』を渡して、白つつじマラソンへ。行きかえりと2箇所の峠越えがあり、数人のランナーと追い越し追い越されながら走る。タイムは48分25秒。最近は50分を切るのがやっとになってきた。

5月14日、母と松代へ行く。もうウドは遅いが、フキが採り頃だった。松之山のキョロロへ行き、「『雪里のブナのめぐみ』を買いたい」と言うと、「入館した人に無料で差し上げている」というので入館料金を払って冊子をいただく。

5月13日、仕事を終えてから息子と一緒に岩船港に向かう。さすがに金曜日の夕方である。港には釣り人が多い。そこで先週確認しておいた、いつもとは反対側の港で釣ることにした。カマスとアジで60匹を超える釣果だった。

5月1日、昨夜から雨で朝食も食べずテントを片付ける。仙台市うみの杜水族館へ向かう。「イルカと人間のパフォーマンス」や「スパークリング オブ ライフ」を観る。そして「仙台市体育館」へ。

4月30日、鳴子温泉街を散策する。そして鬼首の間欠泉と地獄谷へ。地獄谷の遊歩道では数分おきに温水が噴き出す。タイミングが悪ければ大やけどだ。陶芸の里ゆーらんどキャップ場に向かう。

4月29日、ゴールデンウイーク初日。アラレが降る。「こんな日は山で遭難が起きているはずだ」と家内に言うと、「えー」と答える。思った通り山では遭難が多発しているようだ。

4月17日、2年ぶりの温海さくらマラソン。風邪が完治せずDNSの可能性もあったが、雨の中スタート。「3時間を切れればいい」と思っていたが、2時間45分を切るタイムでゴール。

4月10日、午後から神林の大平山に登る。大平山のあがりこを確認するためである。山頂近くになると登山道から20mくらい離れた場所にあがりこブナが現れる。登山道からBコースを下るとさらに大きなあがりこが待っている。

4月9日、胎内のブナの「あがりこ」を案内してもらう。鳥海山麓の「あがりこ大王」よりも立派なブナだ。それから単独で胎内道の駅から高坪山を往復。初めて歩いたコースだが、ブナが開葉したらまた歩いてみたい。

4月3日、笹川流れマラソン大会。暑さのせいだけではないのだが、昨年記録したハーフワースト記録をさらに更新する。1時間50分を切ったのがせめてもの救いか。

3月21日、山仲間のIさんから14時半頃電話が来る。「藪がすごい」という内容だ。昨日の山行を誘ったのだが、年度末の疲れか「アスムリ」というメールが来ていた。それで前日の我々の足跡を辿ったようだ。

3月20日、無線仲間を誘って「あがりこ女王」に会いに行く。山に登る人だが、一緒に登るのは初めてだ。この「あがりこ」を発見したのは去年の明日だから、丸一年で4回訪れたことになる。

3月14日、白山書房から『山の本』春号が届く。米ケ山登山での「あがりこ発見記」である。先日会った長岡市のTさんの「ネコブ山・下津川山」など他に新潟の山が3山載っている。

3月13日、名古屋国際女子マラをンを観る。35キロ過ぎから田中と小原の一騎打ち。世界陸上選考でもめた「第一生命VSてんまや」の構図である。小原を応援していたが、世界陸上選考の悔しさからか田中の意地が勝った。

3月6日、胎内山荘から歩いて牟礼山を一周することにした。道路を歩いて、途中から尾根に取りつき登山道と合流。先行者のトレースがある。下山してきた先行者と言葉を交わし、牟礼山へ。下山は別ルートを選択し、道路を歩いて宿に戻る。

3月1日、娘の小学校の同級生がNGTになった。最近ペットボトルの飲み物にNGTのステッカーが付いているのだが、その同級生のステッカーだけは村上市内では入手困難である。そんなわけで、大学時代の同級生に頼んでやっとゲットした。

2月29日、『日本森林学会誌』の表紙の一枚に「あがりこ女王」が採用された。これで平成28年の6冊に「あがりこ女王」が登場することになる。

2月20日、「あがりこ女王」の真冬の姿を見てみたいと思っていたが、雪はすっかり春のようだ。カンジキはわずか10cmしかもぐらない。駐車場から往復2時間。1年で3回このあがりこの森を訪れた。

2月13日、弘山晴美さんが瀬波温泉に来られたので、講演「3度のオリンピックを経験して」に行く。「トラックからマラソンへ」。福士の前を行く存在だったのだろう。福士がリオ五輪に出場すれば、福士がオリンピック4回になる。

2月3日、「あがりこ女王」メジャーデビュー作戦第一弾が成功し、第二弾の知らせが今日入った。第二弾は『山の本』春号の「静山紀行」の掲載である。2月中にあがりこ女王の真冬の姿を見たいものだ。

1月31日、大阪国際女子マラソンを観る。「マラソンはイージー」と臨んだ8年前の初マラソンは何度も転びながらゴールした。その姿をまだ昨日のように思い出す。子供のように嬉しさを身体全体で表現する福士節をオリンピックでも聞きたいものだ。

1月23日、1月1日にお城山に登った時、以前下ったことがある元羽黒への道を思い出せなかった。「お城山自然ガイドマップ」を見直し、山頂から元羽黒へ下り、八幡山に登る。「今度は元羽黒から登ってみよう」と思いながら、登山口に戻る。

1月22日、村上の山仲間と二人だけの飲み会。一次会は割烹M、二次会は○○亭。○○亭のマスターは昨年11月に家内と舞踊発表会で共演した人だ。「マロンおばさん(家内の役)に渡してください」とお土産をもらって帰った。

1月17日、都道府県対抗女子駅伝を観る。愛知の大逆転に終わったが、京都は二年連続でアンカーが逆転された。東京マラソンの前でもっとも身体が重い時期らしいが、奥野には東京マラソンで結果を見せてほしい。

1月3日、去年に続いて1月3日に二王子岳に向かう。去年は天候が悪く六合目で諦めたが、今年は雪も少なく頂上を目指す。油こぼしから上はガスでホワイトアウト。でもなんとか山頂到達。これで新保岳に続き、二王子岳も全月登山達成。

1月1日、元旦マラソンにエントリーし忘れたので、午前は応援。やっぱり応援よりも走る方がいい。午後は家から歩いてお城山に登り、羽黒神社に初もうでをして山居山を登って家に戻る。ちょっと歩いただけなのに、脚が痛い。