2026年
5月19日、日本国に登ってタケノコ採りをしていたら単独男性が登ってきた。話をしていたら、日本で一番最近のセブンサミッターのようだ。知人から借りているキャンピングカーに乗って放浪しているらしい。電子書籍を数冊書いていて、講演活動もしているようだ。
5月15日、プランターに越後姫を植えたところ、何ものかに食われている。去年もイチゴをプランターで育てたのだが、こんなことはなかった。ヒヨドリの仕業だった。越後姫のおいしさはヒヨドリでもわからようだ。慌てて網をかけたら、ヒヨドリが網にかかっていた。眼をタオルで覆い大人しくさせて、網をハサミで切って放鳥した。
5月6日、高坪山を歩いた。連休最終日だったせいか登山者が少なかった。誰もいないので飯豊を見ながらオカリナを吹いた。オカリナを最初に購入したのは高校生の時で、約50年前になる。これまで持っているだけだったが、最近やっと真面目に練習するようにしている。
5月5日、家内と息子の3人で日本国の山開きに参加した。以前家族5人で登ったことがあり、家内はそれ以来25年ぶり2回目、息子は2年ぶり4回目だった。豚汁は山頂で引換券を渡し、登山口に下りてからに変わっていた。確かに山頂で豚汁を作るのは大変だと思うが、なんとなく味気ない山開きになってしまった。
5月3日、昨日、山熊田ブナ林トレッキングが行われたが、今年は申し込みが遅かったため定員オーバーで参加できなかった。そこで、今日天気が良いのでブナ林トレッキングと同じルートを二ノ俣峠まで歩いた。二ノ俣峠から月山だけでなく、鳥海山も確認できた。
4月19日、去年も遅かったのに、今年はさらに遅くなってからジャガイモを植えた。まぁ、今年はしかたない。これからネギやエダマメを蒔かなければならないし、来年はもっと早くから畑仕事に取り組みたい。
4月13日、やっと余裕ができたので、久しぶりに畑に行ったら菜の花畑になっていた。ハクサイもチンゲンサイもいただいた○○菜も「みんなアブラナ科なんだなぁ」と感心する。2年目のアスパラは個体差が激しい。去年100均資材で作った風対策のネットを設置した。
4月12日、息子の笹川流れマラソン大会の応援の後で、秘密の花園に行った。これまでで一番早い時期だったので、上木はまだ開葉していなく日本海が見えた。カタクリがわずかに残っていたし、少しずつシラネアオイが広がっているような気がする。
4月8日、十日町市に行ってきた。いつもの年よりも雪が少ないようだが、スーパーの駐車場に残っていた雪の山に驚いた。この時期にこれくらい残っているのだとすれば、最大でどれくらいあったのだろうか。
3月29日、朝、庭に出たら郵便受けに『標なき山々』が届けられていた。パラパラとページをめくると、山仲間で本名が出ているのは自分だけのようだ。「あとは責任はお前がとれ」と言われているような気がする。
3月28日、大内宿に行ってねぎそばを食べた。去年は娘がいなかったので、今年は家族4人の大内宿だ。その後、湯野上駅であし湯に入り、芦ノ牧温泉駅でネコの駅長を見た。鶴ヶ城を見て、米沢経由で村上に戻った。
3月27日、家族4人で福島県立美術館に行き、「大ゴッホ展」を観た。モデル代が払えない時は自画像を描いたり、絵が売れるようになると豊富な絵の具で色彩豊かになるなどの変遷を知った。その後、会津若松に移動し、さざえ堂を見て東山温泉に泊った。
3月25日、新しいオカリナが届いた。これまで長い間使ってきたオカリナはどうしても高い音が出にくかったが、難なく吹けた。今度は低い音だ。押さえ方にコツがあるようで、チューナーを使って正しい音が出せるようにしたい。
3月22日、浜新保集落から新保岳に登った。去年はゴールデンウイークだったので、登山道の藪化が進んでいると思い、林道を歩いて山頂に達した。その後、登山道を開設した女性が亡くなっていると知った。そこで登山道の開設起点から歩いて女性を偲んだ。
3月18日、初めて大葉沢城跡を歩いた。反時計回りに歩こうと思っていたが、普済寺の脇に道が見えたので時計回りに歩いた。畝状竪堀群に感動。山頂に設置されたテーブルに座ると、勤めていた職場が見えた。定年退職して5年も経ったんだなぁ。
3月17日、午後、車を走らせていると気温が11度になっていた。気温が10度を越えるとカタクリが咲き始める。そこで、諸上寺山〜下渡山〜臥牛山でカタクリの花を探した。諸上寺山2個体、下渡山約10個体が咲いていたが、臥牛山では見つけられなかった。やっぱり南斜面の下渡山が一番早いということか。
3月16日、お城山でカタクリを観察している。一番先に蕾をつけたカタクリが、必ずしも一番先に咲くとは限らないようだ。蕾をつけても、ある程度の気温にならないと開花しない。その間にどんどん蕾をつけたカタクリが増えてきている。一番先に咲くカタクリはどれだろうか。
3月11日、またキュンパスを使って東京に行った。キュンパスは2週間前に予約しなければいけないから、当日の天気が読めない。だから、先月登った高尾山の予備日で、もう一日分確保しておいたのだった。それでサンシャイン水族館やトキワ荘を観てきた。
3月7日、午前だけ天気が良さそうなので、昼過ぎに下山できる大平山に登った。キャンプ場の数百メートル手前で車を止め歩き出す。山頂までツボ足で登れる。スコップを持っていかなかったが、山頂標柱のまわりが窪んでいて腰かけるのにちょうど良かった。
3月5日、去年お城山のコシノコバイモ密生地に気づいたので、今年は花が咲く前から注目している。昨日登ったら密生地に立ち入らないように棒が立てられていた。すでに蕾をもたげているのが数個体。カタクリの開花よりも少し早いかも。
2月27日、JR東日本のキュンパスを使って高尾山に登ってきた。20年以上前に高尾駅近くで研修を受けていた時に、研修前の早朝に登ったことがあるからだ。しかし、山頂風景の記憶はあるものの、写真は無いし、道中の景色をまったく覚えていないので、「自分巡礼」の終活で再び訪ねてみた。
2月25日、家内と二人で映画「ほどなく、お別れです」を観てきた。残された遺族のためでなく、故人のための葬儀であることを教えてくれる映画だった。
2月21日、人がいない場所を探して、テレマークスキーで南大平集落から林道岩船東部線を門前谷方面に向かって歩いた。登山道を横切る場所を過ぎると蒲萄山地がよく見える場所があった。人とは会わず、キツネ1頭、カモシカ2頭の姿を見ることができた。
2月20日、山熊田集落でプレオープンしているカフェに行った。シナノキの花のお茶を飲みたかったからだ。シナノキの花は、山形県の関川集落で採ったものらしい。樹皮を採取する時に同時に採ったのだろうか。お茶と一緒に栃餅もいただいた。
2月18日、午後から天気が崩れる予報なので、お昼過ぎに下山する予定で能化山に登った。日本国と同じようにまだ2月に登ったことがなかったからだ。だが山頂付近まで雪がなく、まるで3月の能化山だった
2月15日、2月に登ったことがない日本国に向かった。誰も登っていないと思ったのに、登山者に4人会った。やっぱり雪山で他人のトレースをたどるのは、とんでもなくつまらない。山頂は少し風があり、スコップで風よけを作って1時間半休んだ。
2月14日、平野歩夢選手の五輪ハーフパイプ決勝の応援でパブリックビューイングに行ってきた。子供たちと同じ中学校出身で、12年前のソチ五輪の時は娘の1学年上の中学3年生だった。あれからハーフパイプのレベルがものすごく上がっていることを実感させられた。
2月12日、関川村で「磐梯朝日国立公園 特別講演会」があった。山岳・アウトドアライターである高橋庄太郎さんは、講演「私が飯豊・朝日に引かれる理由(ワケ)」で「飯豊・朝日は低標高ながら高山的な景色が見られる」ことを話していた。亜高山帯でオオシラビソなどの針葉樹林を欠く地帯を「偽高山帯」というので、ぜひ高橋庄太郎さんに多くの雑誌でこの言葉を使ってもらいたいと思った。
2月4日、午後から天気が悪くなりそうなので、要害山に登ることにした。登山口の駐車場は積雪で侵入できないので、少し離れた場所に車を止めて、山頂を往復した。山頂で風よけの壁を作り、カップ麺を食べコーヒーを飲んだ。頭上のウソは人間なんて気にしないで、サクラの芽をついばんでいた。
1月27日、昼前から天気が悪くなるので、三面集落の神社から物見山に登った。しかし、神社のどこから登るのかを忘れてしまったため、5分の藪漕ぎ。物見山から七湊集落へ下り、山居山から羽黒神社まで歩く。お城山と違って誰も歩いていない雪道は楽しい。
1月26日、自宅から下渡山に登った。山頂は横殴りの雪で、少し下山してテレビのアンテナ施設の陰でご飯を食べた。それからお城山に向かったが、断続的な風雪が続いた。お城山山頂で知人に会って話し込んだため、山居山はあきらめた。
1月10日、最近、登山記録がアップされていないので、誰も登らないだろうと日本国に向かった。予想通り、たった独りの山頂を堪能した。下山途中で単独行の男性をすれ違うと、ラジウム清水で雪崩跡があった。20分くらい早く下山していたら、この雪崩に遭ったかもしれない。
1月7日、能化山に登った。最初に登ったのが1996年1月だから、30周年記念登山だ。カンジキを持ってなかったので、ツボ足膝上のラッセルで、2時間かかって山頂に着いた。30年前と同じように粟島がきれいに見えた。イノシシ2頭を目撃した。
1月3日、新潟日報の投書欄に、「2025年の山じまいにふさわしい人」と自分のことが書かれていてビックリした。でも、自分よりも20歳も年上で、現在でも一人で山に登り、しかも日々読み書きして努力を続けている投稿者の方が羨ましい。
1月1日、ここ数年は息子だけが元旦マラソンに出場しているので、親は応援に行っている。今年は雪が降りつける過酷なコンディションだ。でも、参加者はみんな笑顔で控室に戻って来る。村上の1年のはじまりだ。