2026年
9月30日、去年、鳥海湖を一周し千畳ケ原を往復、その後笙ケ岳に登る予定だった。しかし、鳥海湖から千畳ケ原を見たら、登り返しが辛そうなので千畳ケ原をあきらめた。そこで今日は千畳ケ原だけを目指した。出会った登山者から仙人平を教えてもらい、仙人平からも千畳ケ原を眺めることができた。
9月26日、胎内市の石切り場見学ツアーに参加した。以前は登山道だったが、崩落の危険があるため、現在の登山道になったらしい。櫛形山脈を初めて歩いたのは1980年だが、これまで石切山ルートは歩いたことがなかった。
9月25日、櫛形山に登って樹木を調べた。93種だった。見逃しがあるとして、どの山も100種を超えるくらいの樹木が生えているのだろう。4つの山に共通する樹種は約60種だった。標高約500mでコブシを発見して、驚いた。
9月22日、息子と二人で日本国に登った。3区間に分けて樹木を調べたら、84種だった。外国人が数人いて、しかも犬を連れていた。鳥海山や月山で外国人を見るが、日本国まで外国人が登っていることに驚いた。
9月19日、高坪山を6区間に分けて、五頭山と同じように樹木調査をした。全部で106種だった。五頭山と合わせて、登山者に覚えて欲しい樹木を30種選定したら、「多すぎる」という反応があったので、25種に減らした。近いうちに日本国でも同じ調査をして、25種を確定したい。
9月17日、どんぐり橋から五頭山前一ノ峰を6区間に分けて樹木を調べた。全部で83樹種。見落としがあるので、おそらく100樹種を超えるくらいになるだろう。これから何度か通い精度をあげるのか、あるいは別の山で同じようなことをしたらいいのか考えて、とりあえず後者を選ぶことにした。
9月16日、新発田に行き図書館に入ったら、『二王子岳の動物と植物』(1989)を見つけた。半分以上コピーできないので、植物リストだけにした。これで五頭山や櫛形山などの植物はほとんどカバーしているはずだ。
9月12日、関川森林公園から時計回りで櫛形山を歩いた。山頂に着いたら登山者が一人いたが、すぐに下山し、それから1時間も一人で過ごすことができた。下山してすぐにマルバカエデ(ヒトツバカエデ)を見つけた。櫛形山脈に何箇所か生えているが、タネを付けているマルバカエデを初めて見ることができた。
9月10日、山形県長井市で開催される白ツツジマラソン大会の県外参加賞にもらったアヤメのタネから育てた苗を隣の畑との境に植えた。その後、瀬波海岸を散歩していたらウンランの大群落を見つけた。今まで歩道側のウンランばかり見ていて気付かなかったのだ。
9月1日、あれから2年が経った。去年の今日は座りながら越後平野が見たくて、五頭山に登った。今日は明日のことがあるので、あまり体力を使いたくない。そこで、去年余って冷凍しておいたホタテの貝紐を餌にハゼ釣りに行った。
8月21日、竹久夢二展が前期と後期で少し展示が変わるので、また新潟市美術館に行った。その後、新津美術館に行き、「絵本ミユージアム」を観た。幼い子供連れの母親が多かったが、我が家にある絵本も多数展示されていて楽しかった。できればこの2倍くらいの展示が欲しいと思った。
8月14日、松代へ墓参り。その後で美人林へ行ってから、土産の志んこ餅を購入。お昼ご飯を食べて、親戚によって村上に帰る。途中のサービスエリアで鱒すしを買う。お盆になるといつも富山の嫁いだ祖母の妹が土産に持ってきたので、自分にとってはお盆の味だ。
8月8日、昨日夕方から未明にかけて雨になったが、行動中は降られずにすんだ。乗鞍岳からは前日登った白馬岳方面が見えた。初めて白馬岳に登ってから50年目で、合計で6回山頂に立った。50年前に歩いた三国境〜朝日岳をもう一度歩きたいと思っていたが、もう無理だし、これで白馬岳も最期だと思う。
8月7日、4時45分に白馬岳に向かって出発。9時前に山頂に着き、頂上宿舎の診療所に向かったが、白馬山荘から少し過ぎたところであきらめた。頂上宿舎にまったく人気がなかったことと、登り返す体力に不安を感じたからだ。2010年に息子と登った時はガスだったが、よく晴れた白馬岳山頂だった。
8月6日、栂池高原駅からゴンドラとロープウエイを使って、白馬大池に向かった。蓮華温泉の駐車場に止められない不安があったからだ。1997年にに栂池から天狗原を通過し、蓮華温泉にスキーで下っているが、夏道を歩くのは高地肺水腫になった1987年以来だ。
8月1日、十日町に行った。川西の小嶋屋に開店5分前に着くと、21番目だった。川西で食べるのは20年ぶりくらいかもしれない。それから実家跡や田、畑跡地をまわり、美人林に行った。そしてやっと目的地へ着いた。
7月25日、陸上自衛隊中央音楽隊鶴岡公演に行った。席はあらかじめ指定されていて、前から4列目で全体を見ることができない場所だったが、やっぱり生公演はいい。最初の「東京オリンピック〜オリンピックマーチ」から涙が出てきた。アイドル公演のような撮影タイムや抽選会などもあり、楽しい公演だった。
7月20日、去年、福島県立美術館で40年ぶりに竹久夢二の「青春譜」を観た。あれが最期だと思っていたが、今年新潟市美術館でも竹久夢二展を開催したので、2年続けて「青春譜」を観ることができた。特別企画「夢二と新潟」では十日町の明石ちぢみのポスターを描いていたことを知った。
7月15日、今年初めて五頭山に登った。最近はスキー場コースから時計回りに一周するようにしている。登山靴を車に積み忘れ長靴で登ったこともあり、体中が熱かった。熱中症でへたり込みそうになりながら、なんとか下った。
7月10日、村上市文化財保護審議会があった。瀬波で空き家になった蔵の古文書を調べたところ、「大峠を利用して山形に塩を運んでいた事実を発見した」と報告があった。これまで大峠が「塩の道」だというのは言い伝えだったらしい。
7月4日、10年ぶりに会ったHさんと高坪山に登った。親の介護をしながら自分自身の病気と戦い、そして手を結びながら登山を再開している姿を確かめたかったからだ。ブナ巨木、千手ブナにも立ち寄りながら、時計回りに一周した。
6月28日、1年前に道の駅飯豊でユリの球根を5つ買った。開花を調整してある球根だったので、1箇月くらいして7月下旬から次々と咲き出した。そのユリが今年は通常の6月下旬から咲き出した。そこで、22年ぶりに飯豊町のどんでん平ゆり園に家族で行ってきた。
6月25日、月山のクロユリがどうしても見たくて、また月山に登った。クロユリは先日探した範囲で見つかった。以前は登山道脇にたくさん生えていたものの、現在ではかなり減少しているらしい。おそらく数年後には登山道脇のクロユリが無くなるのではないだろうか。
6月20日、月山八合目まで開通したので、山頂のクロユリを見たくて月山に登った。しかし、クロユリが生えている場所をよく調べていなかったので、山頂付近を探したのだがわからなかった。帰りに鶴岡市立図書館に行って、高館山の植生を調べた。
6月19日、約3週間ぶりにお城山(臥牛山)に登った。眼の高さでケンポナシが咲いていた。去年、七曲りで落ちていた花をあとでケンポナシだと気づいたが、眼の高さでケンポナシの花を見るのは初めてだ。これからどのようにしてナシ?になるのか確認したい。
6月15日、要害山自然観察会の下見に参加した。オオバクロモジ、アオハダ、タカノツメなどの樹種は頻繁に見つけられるが、カマツカ、シナノキ、オオバボダイジュなど樹種はピンポイントで場所を把握しておかないと見過ごしてしまう。
6月12日、かなり前から鶴岡市の高館山のブナ林を見たいと思っていた。昼前から雨が降りそうだったので、朝早くから登った。標高50mの低地からブナ林が確認できた。山頂で三角点を探したが見つからなかった。下山してから埋設三角点だとわかった。雨はすぐに止んだので、荒倉山にも登って山頂付近のブナ林を確認した。
6月6日、弥彦山の大平園地で、『標なき山々』の出版祝賀会が行われた。弥彦神社から登ったが、ロープウエイや車で来る人もいた。11時に集合し、誠意を見せて多宝山登山。大平園地に戻って、宴会。体はだんだんと動けなくなるが、口だけはまだまだ元気な仲間たちだ。
5月25日、「要害山の観察会もお願いします」と観察会の終わりに言われたのだが、要害山の観察会は下見に参加するだけにして、参加しないでいようと思う。そこで、下見の下見に要害山に登ったところ、これまで登山道から少し離れた場所でブナを2箇所確認していただけだったが、登山道脇のしかも眼の高さにあるブナを発見してしまった。
5月24日、どんな観察会をしているのか知りたくて、高坪山自然観察会に参加した。しかし、主催者は私のことを知っていて、観察会の主たる講師になってしまった。そのため、観察会に参加した目的を達せずに終了した。
5月19日、日本国に登ってタケノコ採りをしていたら単独男性が登ってきた。話をしていたら、日本で一番最近のセブンサミッターのようだ。知人から借りているキャンピングカーに乗って放浪しているらしい。電子書籍を数冊書いていて、講演活動もしているようだ。
5月15日、プランターに越後姫を植えたところ、何ものかに食われている。去年もイチゴをプランターで育てたのだが、こんなことはなかった。ヒヨドリの仕業だった。越後姫のおいしさはヒヨドリでもわからようだ。慌てて網をかけたら、ヒヨドリが網にかかっていた。眼をタオルで覆い大人しくさせて、網をハサミで切って放鳥した。
5月6日、高坪山を歩いた。連休最終日だったせいか登山者が少なかった。誰もいないので飯豊を見ながらオカリナを吹いた。オカリナを最初に購入したのは高校生の時で、約50年前になる。これまで持っているだけだったが、最近やっと真面目に練習するようにしている。
5月5日、家内と息子の3人で日本国の山開きに参加した。以前家族5人で登ったことがあり、家内はそれ以来25年ぶり2回目、息子は2年ぶり4回目だった。豚汁は山頂で引換券を渡し、登山口に下りてからに変わっていた。確かに山頂で豚汁を作るのは大変だと思うが、なんとなく味気ない山開きになってしまった。
5月3日、昨日、山熊田ブナ林トレッキングが行われたが、今年は申し込みが遅かったため定員オーバーで参加できなかった。そこで、今日天気が良いのでブナ林トレッキングと同じルートを二ノ俣峠まで歩いた。二ノ俣峠から月山だけでなく、鳥海山も確認できた。
4月19日、去年も遅かったのに、今年はさらに遅くなってからジャガイモを植えた。まぁ、今年はしかたない。これからネギやエダマメを蒔かなければならないし、来年はもっと早くから畑仕事に取り組みたい。
4月13日、やっと余裕ができたので、久しぶりに畑に行ったら菜の花畑になっていた。ハクサイもチンゲンサイもいただいた○○菜も「みんなアブラナ科なんだなぁ」と感心する。2年目のアスパラは個体差が激しい。去年100均資材で作った風対策のネットを設置した。
4月12日、息子の笹川流れマラソン大会の応援の後で、秘密の花園に行った。これまでで一番早い時期だったので、上木はまだ開葉していなく日本海が見えた。カタクリがわずかに残っていたし、少しずつシラネアオイが広がっているような気がする。
4月8日、十日町市に行ってきた。いつもの年よりも雪が少ないようだが、スーパーの駐車場に残っていた雪の山に驚いた。この時期にこれくらい残っているのだとすれば、最大でどれくらいあったのだろうか。
3月29日、朝、庭に出たら郵便受けに『標なき山々』が届けられていた。パラパラとページをめくると、山仲間で本名が出ているのは自分だけのようだ。「あとは責任はお前がとれ」と言われているような気がする。
3月28日、大内宿に行ってねぎそばを食べた。去年は娘がいなかったので、今年は家族4人の大内宿だ。その後、湯野上駅であし湯に入り、芦ノ牧温泉駅でネコの駅長を見た。鶴ヶ城を見て、米沢経由で村上に戻った。
3月27日、家族4人で福島県立美術館に行き、「大ゴッホ展」を観た。モデル代が払えない時は自画像を描いたり、絵が売れるようになると豊富な絵の具で色彩豊かになるなどの変遷を知った。その後、会津若松に移動し、さざえ堂を見て東山温泉に泊った。
3月25日、新しいオカリナが届いた。これまで長い間使ってきたオカリナはどうしても高い音が出にくかったが、難なく吹けた。今度は低い音だ。押さえ方にコツがあるようで、チューナーを使って正しい音が出せるようにしたい。
3月22日、浜新保集落から新保岳に登った。去年はゴールデンウイークだったので、登山道の藪化が進んでいると思い、林道を歩いて山頂に達した。その後、登山道を開設した女性が亡くなっていると知った。そこで登山道の開設起点から歩いて女性を偲んだ。
3月18日、初めて大葉沢城跡を歩いた。反時計回りに歩こうと思っていたが、普済寺の脇に道が見えたので時計回りに歩いた。畝状竪堀群に感動。山頂に設置されたテーブルに座ると、勤めていた職場が見えた。定年退職して5年も経ったんだなぁ。
3月17日、午後、車を走らせていると気温が11度になっていた。気温が10度を越えるとカタクリが咲き始める。そこで、諸上寺山〜下渡山〜臥牛山でカタクリの花を探した。諸上寺山2個体、下渡山約10個体が咲いていたが、臥牛山では見つけられなかった。やっぱり南斜面の下渡山が一番早いということか。
3月16日、お城山でカタクリを観察している。一番先に蕾をつけたカタクリが、必ずしも一番先に咲くとは限らないようだ。蕾をつけても、ある程度の気温にならないと開花しない。その間にどんどん蕾をつけたカタクリが増えてきている。一番先に咲くカタクリはどれだろうか。
3月11日、またキュンパスを使って東京に行った。キュンパスは2週間前に予約しなければいけないから、当日の天気が読めない。だから、先月登った高尾山の予備日で、もう一日分確保しておいたのだった。それでサンシャイン水族館やトキワ荘を観てきた。
3月7日、午前だけ天気が良さそうなので、昼過ぎに下山できる大平山に登った。キャンプ場の数百メートル手前で車を止め歩き出す。山頂までツボ足で登れる。スコップを持っていかなかったが、山頂標柱のまわりが窪んでいて腰かけるのにちょうど良かった。
3月5日、去年お城山のコシノコバイモ密生地に気づいたので、今年は花が咲く前から注目している。昨日登ったら密生地に立ち入らないように棒が立てられていた。すでに蕾をもたげているのが数個体。カタクリの開花よりも少し早いかも。
2月27日、JR東日本のキュンパスを使って高尾山に登ってきた。20年以上前に高尾駅近くで研修を受けていた時に、研修前の早朝に登ったことがあるからだ。しかし、山頂風景の記憶はあるものの、写真は無いし、道中の景色をまったく覚えていないので、「自分巡礼」の終活で再び訪ねてみた。
2月25日、家内と二人で映画「ほどなく、お別れです」を観てきた。残された遺族のためでなく、故人のための葬儀であることを教えてくれる映画だった。
2月21日、人がいない場所を探して、テレマークスキーで南大平集落から林道岩船東部線を門前谷方面に向かって歩いた。登山道を横切る場所を過ぎると蒲萄山地がよく見える場所があった。人とは会わず、キツネ1頭、カモシカ2頭の姿を見ることができた。
2月20日、山熊田集落でプレオープンしているカフェに行った。シナノキの花のお茶を飲みたかったからだ。シナノキの花は、山形県の関川集落で採ったものらしい。樹皮を採取する時に同時に採ったのだろうか。お茶と一緒に栃餅もいただいた。
2月18日、午後から天気が崩れる予報なので、お昼過ぎに下山する予定で能化山に登った。日本国と同じようにまだ2月に登ったことがなかったからだ。だが山頂付近まで雪がなく、まるで3月の能化山だった
2月15日、2月に登ったことがない日本国に向かった。誰も登っていないと思ったのに、登山者に4人会った。やっぱり雪山で他人のトレースをたどるのは、とんでもなくつまらない。山頂は少し風があり、スコップで風よけを作って1時間半休んだ。
2月14日、平野歩夢選手の五輪ハーフパイプ決勝の応援でパブリックビューイングに行ってきた。子供たちと同じ中学校出身で、12年前のソチ五輪の時は娘の1学年上の中学3年生だった。あれからハーフパイプのレベルがものすごく上がっていることを実感させられた。
2月12日、関川村で「磐梯朝日国立公園 特別講演会」があった。山岳・アウトドアライターである高橋庄太郎さんは、講演「私が飯豊・朝日に引かれる理由(ワケ)」で「飯豊・朝日は低標高ながら高山的な景色が見られる」ことを話していた。亜高山帯でオオシラビソなどの針葉樹林を欠く地帯を「偽高山帯」というので、ぜひ高橋庄太郎さんに多くの雑誌でこの言葉を使ってもらいたいと思った。
2月4日、午後から天気が悪くなりそうなので、要害山に登ることにした。登山口の駐車場は積雪で侵入できないので、少し離れた場所に車を止めて、山頂を往復した。山頂で風よけの壁を作り、カップ麺を食べコーヒーを飲んだ。頭上のウソは人間なんて気にしないで、サクラの芽をついばんでいた。
1月27日、昼前から天気が悪くなるので、三面集落の神社から物見山に登った。しかし、神社のどこから登るのかを忘れてしまったため、5分の藪漕ぎ。物見山から七湊集落へ下り、山居山から羽黒神社まで歩く。お城山と違って誰も歩いていない雪道は楽しい。
1月26日、自宅から下渡山に登った。山頂は横殴りの雪で、少し下山してテレビのアンテナ施設の陰でご飯を食べた。それからお城山に向かったが、断続的な風雪が続いた。お城山山頂で知人に会って話し込んだため、山居山はあきらめた。
1月10日、最近、登山記録がアップされていないので、誰も登らないだろうと日本国に向かった。予想通り、たった独りの山頂を堪能した。下山途中で単独行の男性をすれ違うと、ラジウム清水で雪崩跡があった。20分くらい早く下山していたら、この雪崩に遭ったかもしれない。
1月7日、能化山に登った。最初に登ったのが1996年1月だから、30周年記念登山だ。カンジキを持ってなかったので、ツボ足膝上のラッセルで、2時間かかって山頂に着いた。30年前と同じように粟島がきれいに見えた。イノシシ2頭を目撃した。
1月3日、新潟日報の投書欄に、「2025年の山じまいにふさわしい人」と自分のことが書かれていてビックリした。でも、自分よりも20歳も年上で、現在でも一人で山に登り、しかも日々読み書きして努力を続けている投稿者の方が羨ましい。
1月1日、ここ数年は息子だけが元旦マラソンに出場しているので、親は応援に行っている。今年は雪が降りつける過酷なコンディションだ。でも、参加者はみんな笑顔で控室に戻って来る。村上の1年のはじまりだ。