ブナ林を構成する主要樹種−リョウブ
1994年10月25日、私は叔父たちと一緒に行方不明になっている父を捜していました。父は前日仲間二人と長野県栄村野々海のブナ林にキノコ採りに入ったのですが、待ち合わせ時刻までに現れなかったのです。
野々海は筆者の学生時代のフィールドでした。ブナ林を構成する樹種の分布と地形との関係を調べることが目的で、実家から両親や弟を野々海に連れて行って調査の補助をしてもらっていました。野々海が位置する関田山脈は、新潟県側が急峻であるのに対し、長野県側は平坦であるものの小さな沢が入り組んでいます。調査値には最適でしたが、地形が複雑なため、しばしば山菜採りの遭難事故が発生しており、調査中にも二件の行方不明騒ぎに遭遇していました。父は私の調査の手伝いに何度か野々海のブナ林を訪れていたので、野々海の地形をよく知っていると、過信していたのかもしれません。
リョウブは野々海のブナ林を構成する主要樹種で、樹高2メートル以上の本数では、23%を占めています。そして、図のように凹地形を避けて凸地形上に分布する傾向がありました。
リョウブはヤシャブシなどと同じように土地条件のよくない場所に先駆的に侵入し、よく成長する樹木です。足尾山地では銅生産のための伐採や山火事、二酸化イオウを含んだ鉱煙の排出などにより森林の荒廃が進みましたが、その復旧対策としてアカマツやニセアカシアなどとともにリョウブの植栽が行われ、成果をあげています。リョウブは土壌が厚いところでも地表近くだけにしか根茎を伸ばさないことからも、乾燥に耐性がのある樹種と考えられます。
父の捜索では、前述のように県境付近で大きく地形が変化するので、特に日当たりがよくリョウブが密生していて困難を極めました。しかし、大勢の捜索にもかかわらず、沢で倒れていた父が発見されたは3日目でした。
父が亡くなってから10年が経ち、今年もお盆に母と野々海のブナ林に行きました。猛暑が続いた今年の夏でしたが、ブナ林の中ではリョウブの白い花が涼しげに咲いていました。あれほど捜索の障害となり憎らしく思ったリョウブですが、今では、お盆の遭難現場を訪れる家族の心を癒してくれる花となっているのです。