広い雪原に大きな窪みが走る   堀切峰

 亀山東剛さんを紹介してくださったのは、まだ関川村村長になられる前の平田大六さんだった。残雪期に関川村の黒手ノ峰に登ったが、その後山頂が刈り払われているという情報を聞いた。そこで、黒手ノ峰の登山道の状況を関川村山の会の会長である大六さんに手紙で訊ねたところ、「それなら亀さんだ」と亀山さんを紹介していただいたのである。ところが、亀山さんは以前から私のホームページを見ていたらしく、大六さんから連絡を受けた亀山さんはご自分が歩いたルートや黒手ノ峰の刈り払い状況をすぐにメールで教えてくださった。
 その後、亀山さんには新潟の藪山情報を交換しあうメーリングリストにも参加してくださり、多くの山行記録を報告していただいている。そして、現在亀山さんは新潟県北の地形図に記されている山を全部登ろうと企て、その九割以上を訪ねているのである。
 「身体を悪くして五十代半ばで退職した」と最初にいただいたメールに記されてあったのだが、一体どういうことだろうか。ぜひ一度でいいから亀山さんと一緒に山を歩いてみたいと願った。そして、その山は堀切峰に決まった。
 亀山さんとコンビニで待ち合わせ、皆川修さんの車に同乗して、猿田野営場に向う。皆川さんは昨年結婚されたばかりの好青年だ。中条町在住だが、関川村山の会に入っていることから中条山の会と関川村山の会の合同研修会という名目の結婚祝賀会が行われ、私が講演を亀山さんに依頼されたという経緯がある。
 猿田野営場で準備をし、戸立沢から入ろうと朝日スーパーラインを少し歩いて猿田川を渡渉する。釣り人に迷惑がかからないように猿田川左岸を上流に進むが、なかなか戸立沢が現れない。地形図で確認すると、どうやら戸立沢出合よりも上流で猿田川を渡渉してしまったようだ。
 そこで左岸の斜面を這い上がり、二人に遅れて尾根まで辿り着くと、尾根には踏み跡があった。以前はゼンマイ採りに利用されていた道が、今では釣り人によって維持されているようだ。先頭の亀山さんが藪で迷っていると、皆川さんが後ろから指示を出す。
 大きなブナの倒木に腰掛けて休むと、泥又川の対岸に堀切峰が見えた。これから一旦泥又川に下り、堀切峰までのあの斜面を登り直さなければならない。
 七六二メートル峰のトラバースを終え一気に泥又川に下りると、ゼンマイ小屋跡には五人用くらいのテントが張ってあった。主はイワナ釣りの人たちで、上流に向かったのか誰もいない。
 川原で腹ごしらえをして、対岸の急斜面に取り付く。キタゴヨウの尾根に乗ると、鉈目はないが明瞭な踏み跡がわかる。キタゴヨウの林がブナに変わってくると、幹に切り付けが多くなる。小屋に寝泊りしながらゼンマイ採りをしていた人のものだろう。残雪が所々に現れ始めたので、その残雪を利用しながら歩く。
 九五○メートルを越えると、さらに大きなブナ林になった。堀切峰の隣の喜助峰が低木の藪だったので、堀切峰は大きなブナ林に覆われているのかと期待してしまう。
 一足先に山頂に達した亀山さんの「雪原だ」と言う声がする。その後に「これじゃ三角点は雪の下だ」と続いた。広い雪原の中央に大きな窪みが走るまさに「堀切」峰である。しかし、雪面の高さは地面とほとんど変わらないようなので、雪の下の地面は見える地面よりも低いはずだと、雪原脇の地面を注意深く探していたら、三角点標石が頭を出していた。
 山頂からは笹原山が正面に見えた。亀山さんが登っている県北の山で、残った朝日村の山はあと三座、笹原山もそのひとつであった。亀山さんと皆川さんは笹原山の相談をしていたが、私には笹原山がすごく遠い山に思え、会話に加わらず後ろから静かに二人の姿を見ていた。
 猿田野営場に戻って着替えている時に、亀山さんの臍の上に手術の痕が見えた。いつか酒を酌み交わしながら、「仕事にいつまでもしがみついていないで、好きなことをして生きる方法なら、いくらでも話ができる」と話していたことがあったが、その手術の痕を見て、亀山さんが早期に退職した理由とその後の山行の勢いがわかったような気がした。

(二○○三年五月下旬)

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