県境から見える気になる山へ   高安山


 一九九八年九月、新潟と山形の県境に位置する重蔵山に登った時、山頂から見えた山の中で気になる頂があった。二○万分の一の地勢図で確認すると高安山だった。二〇〇〇年一〇年に化穴山に登った時も、やはり一番登頂意欲をそそる山として高安山が記憶に残った。
 高安山に登るには、いくつかのルートが考えられる。羽田寿志さんと車の中で話しながらも、どこから登るか問題になった。結局、「武田さんが決めてください」と決断を迫られ、東大鳥ダムから四〇〇メートルほど過ぎた道路脇に車を停めた。
 取り付きの急斜面にはまだ蕾のカタクリがまばらに生えている。足の怪我が完治していない羽田さんが踏ん張りきれず、少し滑り落ちた。その急斜面を登ると、岩が現れ右にトラバースして尾根に取りついた。
 スギとブナが混交している林を越えると、再び斜面になり積雪が使えるようになる。そして尾根に出ると六〇〇メートル地点には測量に使用したのか、ポールが立ったままになっていた。
 緩やかな尾根をしばらく進むと、また急斜面になる。地形図では針葉樹の印で覆われているので、スギ林で見通しがきかないと思っていたが、二〇年くらい前にスギが植栽されたものの、急傾斜と豪雪のこの地ではうまく育っていないようだ。右側のブナ林を見ると、造林される前の姿がよくわかる。
 八六三メートル地点からは緩やかな尾根を辿り、なだらかな山頂の猿倉山に立った。目指す高安山が正面に見え、その左下には兜岩がどっしりと構えている。猿倉山一帯はやはり以前に伐採されたようで、大きなブナはない。
 少し休んで高安山に向かう。伐採されずに残ったブナが枝を失い枯れている。ブナは集団でこそ生きていける樹木だが、伐りすかされると枝先から枯れあがってしまうようだ。
 兜岩手前の一〇○五メートル峰には雨量計が設置された柱が立っていた。おそらく八久沢ダム周辺の雨量を測るために設置されているのだろう。電波でデータを転送するのか、アンテナと避雷針がついた柱も隣に立っている。
 兜岩は直登できないので、左斜面を巻くことにする。先頭の羽田さんは雪割れした兜岩の直下をトラバースして行ったが、私が単独であればもう少し下を巻くところだ。兜岩を巻き終わったところで、急斜面を登って兜岩の頂上に立った。山頂に何か設置されていることを期待していたのだが何もなく、兜岩の上から高安山の写真を撮った。
 標高一一〇〇mを越えた辺りから、ずんぐりした樹形のブナが広がる。ちょうど背丈の少し上くらいの同じ高さからブナの樹幹にコケがついている。ブナの樹幹のコケの位置で周辺の最深積雪を推定できることは知っていたが、こんなに同じ高さにコケがそろっているのを見たのは初めてだ。
 さらに、山スキーにちょうどいい斜面を登っていくと先に山頂に着いた羽田さんが「桝形山と同じように三角点が抜けたような跡があった」と言いながら戻ってきた。遅れて山頂に立つと、確かに掘り起こされたのか抜け落ちたのかわからないような跡だけがある。我々はそこからから少し離れ風を避けて並んで腰を下ろした。間近に真っ白な月山が見え、北方に鳥海山が霞んでいた。

 その翌年の九月に新潟と山形の県境に位置する桝形山に九人で登った。天気予報を信じて小雨交じりの中を雨具も着ずに登ったにもかかわらず、最後まで時々雨が止む程度の天候で、山頂はガスで何も見えなかった。ただ、羽田さんが言ったように、三角点が埋設されていたような痕跡だけが山頂で確認できただけだった。
 そのリターンマッチをしたいと、一一月上旬に渡辺明美さんと二人で再び桝形山に登ることになった。九月と違って遮るものが何もない山頂に立って、「こんなに山があったんだ」と渡辺さんは歓喜の声をあげた。しかし、周囲の山々の中でやはり私の心をつかんだのはあの高安山の姿だった。          (二○○二年四月中旬)

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