走り始めた理由 その二(2006年9月30日)

 平成十七年八月に神林村で開催された第七回穀菜(こくさい)マラソン大会の二キロの部に長男の真登(小三)を出場させることにした。何事にも気が散りやすく長続きしない性格なのだが、特別走るのが速いわけではないものの走るのを嫌がらないし、親としてちょっとマラソン大会にでも出させてみようと考えただけだった。
 正月には村上市元旦マラソンがあり、家内と真登が二キロのペアマラソンに出場した。神林村の穀菜マラソンが小さな小学校の運動会規模だったのに対し、村上市の体育館は村上市民総アスリート状態と勘違いするほどランナーとその家族がひしめき合っていた。しかし、私自身といえば、前日の大晦日の昼から酒を飲んでおり、元旦は完全に宿酔い状態だった。
 体育館で近所の五歳くらい若い男性が話しかけてきた。十キロに出場するのだと言う。どう見ても私よりは身体がしぼり込まれていない。しぼれていないからといって、走るのが遅いとは限らないが、少なくとも走るための練習量は足りないはずである。それでも参加するのである。
 ペアマラソンが終わって、家に戻る途中で、十キロを走っている真登が通う小学校の教頭先生とすれ違った。教頭先生は穀菜マラソンも走っていて、その時撮影した写真を撮ってあげたところ、「ダイエットを目的に走り始めたのだが、今では走るのが病みつきになってしまった」と丁寧なお礼の手紙をいただいていたのである。
 そんなこともあり、子供を走らせるだけでなく親も走らなければならないと考え、四月の笹川流れマラソン大会に出場することに決めたのだった。ただし、五キロでは短すぎる。かといって、ハーフは長すぎる。それで十キロに出場することにした。
 ところが、平成十八年の冬は大雪だった。そのため、三月になってから漸く練習できるような状態で、笹川流れマラソン大会を迎えたのである。しかも、大会の一ヶ月前に身体に異常が起きてしまったのである。