走り始めた理由 その一(2006年9月30日)

 何も突然走ろうと考えたわけではない。ランニングシューズは十年前に買っていて、昼休みには時々走っていたのである。
 職場では昼休みに運動をする習慣があって、ほとんどが野球の練習であった。しかし、出張が多い職場であるため、毎日野球の練習ができるほど人がいるわけではない。そこで、人数が集まらない時には一人で走っていたのである。正面の門から職場を出て、裏門から戻る約千五百メートルの周回コースや、六キロ弱の農道を走ったりしていた。
 ところが、新潟の職場に異動となり、昼休みに走ることができなくなってしまった。朝五時半に起き、六時に朝食、七時の電車に乗る。残業が月の半分以上あり、二十二時過ぎに帰宅。風呂に入り、メールをチェックすれば、二十四時近くなる。とても昼休みに走る気力など起きるはずもなく、昼休みは毎日フロアの片隅に銀マットを敷き、横になって身体を休めていた。一週間で一番気が休まるのが金曜日の夜で、土曜日になれば「あと一日しかない」と滅入ってしまう一週間の繰り返しだった。
 新潟の職場に勤めて二年目になる平成十五年五月に亀山東剛さん、皆川修さんと三人で朝日村の堀切峰に登ることになった。猿田川を渡渉し、山越えして泥又川に下りる。泥又川を渡ってからは藪こぎとなる。しかし、鉈で刈り払いしている前の二人に追いつけないのである。これほどまで体力が無くなっていることに愕然としてしまった。秋には高桑信一さんとの山行が計画されていた。そこで、初めてお会いする高桑さんに無様な姿を見せるわけにはいかないとエアロバイクを購入したのである。
 それから、時々しか使わないエアロバイクであったが、秋には体力も回復し、高桑さんとの楽しい山行も無事に終わった。そして、平成十六年四月には元の職場に復帰することになり、昼休みのランニングが復活したのである。