森の遠くで(一) 自費出版

 三月に東京の白山書房から『森の遠くで』を自費出版した。定年になったら一冊くらい本を出してみたいとぼんやり考えていたのだが、四○歳で出版を決意したのは、定年を機に出版したのでは遅すぎると気づいたからである。人生を八○年とすれば、四○歳はちょうど半分だ。そこで、「登山を通した私の半生記」と副題を付け加えた。
 また、私の祖父は二人とも四○代で亡くなっている。父は五九歳で遭難死した。「本書を森の遠くで亡くなった父に捧げる」として出版したが、幼い二人の子供に今のうちに文字として伝え残しておきたいという気持ちもあった。
 自費出版にはその他にもきっかけがあった。まず、季刊『山の本』(白山書房)との出会いである。
 『山の本』は今年で創刊一○周年を迎えた。一九八三年に終刊した文芸誌『アルプ』(創文社)など一度も手にしたことはなかったが、カラー写真で着飾る雑誌に見飽きていた私には、文字を主体とした山岳雑誌は新鮮なものであった。その『山の本』に紀行文を投稿し、合計六回掲載され、何とか他人に読んでもらえるレベルであるという自信もついてきた。
 アマチュア無線を通して、たくさんの山好きと知り合えたのも要因の一つである。特に、羽田寿志さんの登山姿勢は自分に大きな影響を与えた。
 その羽田さんが自費出版をすることになった。羽田さんは私よりも先に『山の本』に何度も投稿していた人である。そして一九九八年に『新潟の低山藪山』(白山書房)を出版した。これまで登山の対象になりにくかった低山藪山に焦点を当てたこの本は、類似書がないこともあって、三年で初版の二四○○部を完売した。
 羽田さんの影響で、私とともに山仲間の佐藤レイ子さんも出版を考え始めていた。ただ私は四○歳を区切りに出版に取りかかりたかったので、一年原稿を寝かせている間に、レイ子さんは先に『越後百山』(新潟日報事業社、筆名佐藤れい子)を出版した。この本もインパクトの強い書名であることや、「越後百山」の存在を知らない人が多いこともあって重版となった。
 しかし、私が書こうとしていたものは、山のガイドや普通の紀行文ではなかった。山を知り、試行錯誤しながら、自分の山行スタイルを見つけて行く過程、白馬岳での高地肺水腫、父の遭難、新しい山仲間との出会い、出産前の家内を一人アパートに残しての雪中ビバーク、へつり道からの滑落、山から下りられなくなり翌朝上司に電話した山行、子供が病気と知りながら向かった山……。
 二六歳からの一○年の間に、自分の身のまわりにヘリコプター二回、救急車三回登場することになった人生は、十分に本にする価値があると思ったのである。