好きな樹(「山彦の会」第20回記念文集)
登山を趣味とする人ならば、自分の好きな高山植物があるだろう。それはポピュラーなハクサンフウロであったり、図鑑でしか見たことがないヒダカソウかもしれない。しかし「好きな樹は何ですか?」と訊ねられたら、咄嗟に樹木の名前を答えられる人はどれくらいいるだろうか。
昨年11月に人間ドッグで、私と同じように大学で林学を学び、現在はある中学校に勤めている人と一緒になった。彼は診察の合間に読もうと思っていた文庫本を手にしていたが、私とふたりで椅子に座っている間は森林や林業の話をしていて本を開くことはなかった。その人から突然「好きな樹は何ですか?」と訊ねられたのである。
私は「ネコシデです」と答えた。しかし彼にはネコシデがどんな植物なのかわからないようだった。私はネコシデが亜高山地帯に分布するカバノキ科の植物で、枝を折るとサリチル酸メチルの匂いがする樹であることを話した。しかし何故ネコシデが好きなのかはその時説明しなかった。
ひとりで裏巻機から三国峠まで歩いたのは20歳の1981年6月だった。新潟市の下宿を朝出発し、六日町駅から永松発電所までタクシーに乗り、五十沢渓谷の探勝路を歩き始めた。五十沢川のスノーブリッジを渡ると急な鎖場で、しばらく右岸を歩いて、またスノーブリッジを渡って左岸に戻った。30kg近い荷物を背負っての緊張の連続で、太股が痙攣を始めた。そこで十歩ほど歩いては立ち止まり太股を揉みほぐしながら、だましだまし歩いた。9合目からはガスで何も見えず、牛ケ岳山頂に着いた時には18時をまわっていた。もう避難小屋まで歩く気力はなく、山頂の池塘の脇にテントを張った。
翌日は雨だった。残雪で道を失い、残雪がなくなると登山道ははっきりしているものの、ところどころチシマザサが頭を越えるほど薮だった。桧倉山山頂の景色のなかでも腰を下ろすことなく、立ったままパンを頬張った。そしてびしょ濡れの身体で漸く清水峠避難小屋にたどり着いた時は、牛ケ岳を出発して12時間が経過していた。
その翌日もまた雨だった。二日間の行動の疲れからか出発は8時近くになった。高校1年の時歩いた蓬峠を過ぎ、一ノ倉岳の下りでふたりの女性とすれ違った。永松発電所で管理人と逢って以来、初めて見た登山者だった。さらに谷川岳の登りで7人パーティとすれ違ったが、谷川岳山頂には誰もいなかった。谷川岳でこの山行中初めて記念写真を撮り、その日は大障子避難小屋まで歩いた。
4日めになって天候が回復しはじめ、万太郎山からは歩いてきた巻機山からの道のりを確かめることができた。2年前に登った仙ノ倉山山頂には、風景指示盤が新たに置かれていた。そして平標小屋でパンを食べを、三国山に向かっている時だった。登山道脇にネコシデを見つけたのである。私は思わず枝を折って、サリチル酸メチルの匂いを嗅いだ。
ネコシデという樹を教えてもらったのは、1年前の夏の苗場山での樹木分類学実習だった。その時初めて知った樹だったが、それから1年近くも見ていないネコシデを覚えていたのは、特徴的な葉の形と枝を折るとサリチル酸メチルの匂いがすると教えてもらったせいなのかもしれない。
予定では4泊5日の山行だったが、天候が悪く急いだため4日めで三国峠にたどり着けそうだった。この山行中、丸二日間人に逢わない経験をし、身体的だけでなく精神的にも疲れ切っていた。しかし偶然見つけたネコシデは4日間の山行の労苦をねぎらってくれているような気がした。そしてこの3泊4日の単独行がその後の山行の支えとなり、それから私は山でネコシデを見つけるとこの時の山行を思い出し、枝を折ってサリチル酸メチルの匂いを嗅ぐのである。
しばらくして16年前の山行の記憶からふと我に戻り、「本当はブナなのかもしれないのですけどね・・・」とつぶやいた。すると彼は「私もそうです」と目を輝かせて、ブナへの思いを語り始めた。しかしそれは残雪のなかでの新緑の美しさや動植物の多さなど、「ブナ林が好きだ」という人が必ず口にする一般的な事象だけで、特別な思い入れがあるわけではなかった。
私は東頸城郡郡松代町に生まれ育った。冬になれば2m以上の雪が積もる緑に囲まれた田舎町である。松代町の樹がブナであるように、松代町には広くブナ林が分布している。実際私の実家の、ほとんどの窓からブナ林が見えるし、家から200mも歩けばブナ林に入ることもできる。子供の頃はブナ林が遊び場だったし、近所の子供と喧嘩した時には、ブナの幹に「○○のバカヤロー」と彫刻刀で刻んだこともあった。しかしブナという名前を知ったのは、高校生になって生物部に入ってからで、それまで自分はブナ林に囲まれながら、ブナの存在に気づかずに生きてきたのである。
大学ではブナ林の研究をした。それはブナ林という自然を研究対象としながらも、自分のふるさとを見つめ直したかったのかもしれない。しかし答えは見つけられなかった。
ブナは自分にとって、空気のようにいつもまわりにある存在だった。意識する以前からあったのである。だからネコシデのような特別な思い入れは、松代町を離れて10年以上経った今でも感じない。
新潟県内の百のブナ林を選ぶ事業にも携わった。しかしここ数年、渓流釣りや薮山登山をするようになって、百のブナ林よりも素晴らしいブナ林にいくつも出逢った。登山道脇では見たこともないツキノワグマの爪痕がたくさんついたブナも見てきた。そのようなブナと出逢う度に、いかなる理由で百のブナ林が選ばれたのかわからなくなってきた。
研究ならともかく自然を数字で切り取る作業は、自然の本質を見失うことになるのではないのだろうか。私にとってブナとは山全体であり、ネコシデは好きな山と同じ関係なのかもしれない。
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