『新潟の低山藪山』の紹介
このコーナーは、私の友人である羽田寿志さんが著した『新潟の低山藪山』(白山書房)の紹介です。愛読者カードには、「本の中に著者が登場していないところが、読む人の興味をそそっていい」と言う人と、「著者の顔が見えなくてつまらない」と言う人がいたそうです。そういう人のために、私が『新潟の低山藪山』を紹介した文章から、羽田寿志さんの横顔を垣間見ていただきたいと思います。
道なき山へのいざない(新潟日報1998年11月29日付け)
「登山道から外れた時、山の世界が無限に広がり始める」とは登山の書物でよく目にする言葉である。しかしこの言葉を実感している登山者は少ない。
最近は何度目かの登山ブームで、ガイドブックに載っている山はどこも登山者で大賑わいである。しかし新潟県内には2万5000の一の地形図に山名が記されているだけでも約1000の山がある。つまり県内の多くの山は人が訪れることの少ない静かな山なのである。本書はそのような登山道が整備されていない、低山薮山を歩いた紀行文である。
私の山仲間の女性が「はじめから道がわかっている山なんて、答えを見てから問題を解くようなものだ」と言ったことがある。それはまだお互いが著者と知合う前だった。
登山道がないと思われている山でも、必ずゼンマイ道やナタメなどの山頂に至るヒントが隠されている。それらのヒントを探しながら達した山頂の感激は、ただ漫然と登山道を歩いて登った山頂とは比べものにならない。それは「自分だけの山の発見」と言ってもよいだろう。
著者の羽田寿志さんはそのような登山を得意としている。そんな著者の魅力に引かれて集まった仲間や単独で登った新潟県内と隣県の山が108山紹介されている。
登山道から外れた山登りをしてみたい人には本書は良い指南書になるであろうし、それが無理だと思う人でも地図を見ながら本書を読むだけで未知の山に踏み込んだ気持ちになれるであろう。
本書には地図、写真、データが付されており、その山に登るための参考になる。しかし著者の意図するところは、著者の模倣ではなく、自分で地図を見て山を探し、実際に山中で迷いながら山頂に達した時の喜びを知ってもらうことだろう。
著者が歩いたルートには著者が付けた赤布などの目印は全くない。全て取り去りながら下山するからである。山には何も残さない。それが著者の山とあとから登る人に対する礼儀である。
なお本書は108山の紀行ガイドとなっているが、著者が案内する109番目の山は表紙のなかにある。
(会津の大嵐山に向かう車のなかで「新潟日報の書評のコーナーに書いてくれ」と羽田さんに頼まれ、本ができる前に書いた文章です。最後の一文は、大嵐山山頂でビールを飲んでいた時に、思いつきました。)
雪中ビバークへのいざない(愛読者カードの綴りから)
「登山道から外れた時、山の世界が無限に広がり始める」とは登山の書物でよく目にする言葉である。しかしこの言葉を安易に信じて山に入ってはいけない。
最近は何度目かの登山ブームで、ガイドブックに載っている山はどこも登山者で大賑わいである。一般の登山者はそのような大勢人がいる山に登っていれば安全である。間違っても登山道を外れてはならない。
しかし私の山仲間の女性が「はじめから道がわかっている山なんて、答えを見てから問題を解くようなものだ」と言ったことがあった。それは著者と出会う不幸の前兆であった。
登山道がないと思われている山でも、必ずゼンマイ道やナタメなどの山頂に至るヒントが隠されている。しかしそれらは遭難へ罠である。そのようなヒントを利用して山に登ろうとする者は、必ずビバークセットをザックの中に用意しておかねばならない。
著者の羽田寿志さんはそのような登山を得意としている。そんな著者の安請合いにそそのかされて集まった仲間や単独で登った新潟県内と隣県の山が108山紹介されている。
登山道から外れた山登りをしてみたい人には本書は良い指南書になるであろうが、それが無理だと思う人は買わない方がいい。
本書には地図、写真、データが付されており、その山に登るための参考になる。しかし著者が単独で歩いたデータだけはあてにならない。このデータを参考にして、山に向かえば遭難するだけである。それでも本書をたよりに山に登りたい人は、日帰りでも常に50リットルのザックを背負うなどの訓練を心がけるべきである。
著者が歩いたルートには著者が付けた赤布などの目印は全くない。全て取り去りながら下山するからである。東吾妻で遭難があった翌年は、中途半端に付けられた「けいさつ」の赤布に対する批判が吾妻小屋での話題になっていた。自分達だけの目印の赤布なら山に残さないことである。
なお本書は『新潟の低山薮山』というタイトルであるが、著者は三年後に『会津の低山藪山』を著すつもりでいる。
(羽田さんは赤字の部分に疑問があり、あとでじっくり反論したいと言っていますが、こちらのほうが私の本音です。羽田さんの友人は、みんなそう思っています。)
『新潟の低山藪山』を読む(TAJニュース1999年2月)
最近の登山ブームで登山道が整備された山は、休日ともなれば黒山のような人だかりである。そのような登山者に「なぜ山に登るのか」と問えば、「そこに登山道があるから」ということになるだろう。
しかし昔から越後の登山界には、「藪は道なり」という言葉があった。浦和浪漫山岳会の高桑信一氏のいうように、「登山道は、自然のただ中に深深と食い込んだ文明の延長線であり、紛れも無く、人間の作った自然破壊の一つである」のであれば、藪に道を見いだすことこそ登山の本質ではないかと最近思うようになった。
新潟県と隣県の低山藪山を歩いた紀行ガイド『新潟の低山藪山』の著者、羽田寿志さんは二年前に知り合った私の友人である。山の嗜好が同じだったのか、それからよく山行をともにするようになった。したがって本書には私も登場する。ここでは本書に書かれていない裏話を紹介しよう。
新保岳〜蒲萄山の日帰り縦走で、長時間の宴会をしてしまった我々を待ち受けていたのは、吹雪とホワイトアウトだった。そして進むべき方向がわからなくなり、無線連絡もできないまま雪中ビバークを行うハメになった。家には出産を一ヶ月後に控えた家内が、ひとりで私の帰宅を待っていた。
鹿森山では、山頂で酒を遠慮していた私だったが、余っていた酒を下山の途中で飲まされてしまった。そして前後不覚に陥った私はヘツリ道で足を滑らせ、丸太のように転がりながら暗やみのなかに消えていったそうだ。見ていた者は「死亡、よくて骨折」だと思ったそうである。しかし私は幸運にも低木に引っ掛かって止まり、全身打撲とわずかな傷だけで済んだのだった。
酔っ払い集団「テレフォレスター」の一員が、スキーを離れても酒から離れられない様子がうかがえる本書は、自費出版である。みんな買ってくれ〜!
1999年3月27日の妙高スキーラリーのウェルカムパーティーで、マダムが「みんな買ったよ」と言っていました。本当でしょうか。おかげさまで完売に近づいているようです。