喜助峰集中

 佐藤レイ子さんから「喜助峰に登りたい」というメールが届いた。どうやら羽田寿志さんにも同じメールを送っているようだが、羽田さんは三面小屋経由で登るつもりらしい。確かに地形図を見れば三面小屋から三面川右岸沿いに喜助峰まで一番近い道が続いている。しかし尾根への取り付き地点まで三時間以上かかるだろうし、さらにそこから喜助峰まで三時間かかるだろう。三面川右岸沿いの道も一般登山道ではなく、どのような状態かわからない。
 それならば泥又川経由のほうが楽なはずだ。泥又川へは一時間で山越えできるし、さらに四時間もあれば喜助峰山頂に立てるだろう。唯一不安なことは泥又川左岸の取り付きが岩の記号で印されていることだ。
 レイ子さんに「泥又川から登ったほうが早い」と主張したが、羽田さんを説得できないようだ。レイ子さんは羽田さんと一緒に三面小屋から登るようなので、私は一ノ瀬潔さんを誘い、泥又川から登ることにした。
 予定よりも三○分以上遅れて石黒沢駐車場を出発した。私は猿田川と泥又川の二回の渡渉に備えて、渓流シューズを履いてきた。しかし、一ノ瀬さんは渡渉用の靴がないので、渡渉はスニーカーですませるつもりだ。
 猿田川の渡渉を終えて、一ノ瀬さんはスニーカーから登山靴に履き替えた。これから一時間の山越えで泥又川に至る。この山越えは五回目になるが、登山が目的の山越えは初めてである。
 泥又川が近づいてきたので、できるだけ下流側に下った。対岸が急な岩場なら取り付き地点を探すために一○○メートル以上泥又川を下らなければならないだろう。ところが、対岸には簡単に取り付けそうな斜面が見える。さらに渡渉も猿田川よりも楽そうだ。一ノ瀬さんはスニーカーを履くのが面倒なので、裸足で泥又川を渡渉した。
 ガスに被われたブナ林を登り始める。左側が急な斜面なので、赤布も少なくてすむ。
 「こういう人の匂いがしない山はいいね」
 一ノ瀬さんが少し興奮気味に話す。ところがそれからわずかでブナの切り付けを発見した。最初に泥又川への山越えをした時に見た「人の下にタ」の印だ。後で一ノ瀬さんが仕事仲間から聞いたところ、十数年前に亡くなったあるマタギの切り付けらしい。
 一ノ瀬さんより先行しながら、赤布を付けていると「武田さん、カメラ持って静かに来てごらん」と一ノ瀬さんに声をかけられる。何だろうと思ってそっと近づくと、ブナの根元に小さなノウサギがいる。薄茶色で少し白くなり始めている。ニメートルほど離れて写真を撮り、さらに近づくと逃げてしまった。
 六○七メートル峰に着き、ここで進む方向がわずかに変わり少し下る。ガスのなか目指す方向を確かめてから休憩にする。ミカンを食べているとガスが薄くなり、一瞬喜助峰らしい山頂が見えたが、すぐにガスに被われてしまった。
 細い尾根を辿って行くと何に使ったのか不明な細い錆びたワイヤーがあった。これも後で知ったことだがクマを捕る罠らしい。ガスに被われている地帯を抜けると、反対側には石黒山が見えた。
 ほぼ平らな八四○メートル地点付近はどの方向に進んでいいか判断できないほど地形がわからない。おまけに低木が雪に圧されて斜立しているので、歩きにくいことこの上ない。慎重に赤布を付けながら、尾根に取り付き休む。あとはブナ林の尾根を進むだけだから簡単だと思っていたものの、ブナはまばらに生え、低木がうるさい藪が山頂まで続いた。
 稜線に辿り付き、三角点のある場所を目指して少し北上した。ところが三角点を発見できない。そこへレイ子さんの無線が聞こえてきた。手前のピークにいるということから、八八○メートル峰辺りにいるらしい。「我々は一二時半に下る」と脅すと「一三時まで待ってくれ」という返事。やはり予想通り四人一緒で我々が登ってきたルートを下らなければならなくなった。
 喜助峰は南北に細長いのでさらに北に向かって三角点を探したが、見つけられずに戻って、とりあえず乾杯した。藪のなかから冠雪した以東岳と去年登った化穴山が見える。
 一三時近くなって漸く羽田さんが山頂に着いた。再びビールで乾杯し、レイ子さんが来るまで三角点を探すことにする。するとすぐに羽田さんが三角点を発見した。長靴のスパイクがカチッと音がしたというのだ。地面すれすれの三角点の写真を撮り、少し掘り出すと以前三角点の確認に来た時のものだろうか、三角点のまわりに白いウレタンが巻かれていた。
 一三時をまわり、羽田さんよりも二○分遅れてレイ子さんも山頂に着いた。三たび乾杯し、三角点が写るようにして記念写真を撮った。一三時四○分下山開始、石黒沢駐車場に着いたのは一七時五分前だった。

(ニ〇〇一年一一月中旬)

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