第2弾の150冊が来た(2002年3月7日)

 多くの人から感想をいただいています。感想のなかの(青字)は私の注です。
 自分が書いた文章ですが、人によっていろいろな読み方があるものだなあと思っています。本当にありがとうございます。
 

H書房のM社長
 『森の遠くで』の原稿を拝読いたしました。分かりやすい文章で、武田さんの心境がよく伝わってきました。登山を通した武田さんの半生記と言えましょう。 原稿内容はおおむねよく描かれていると思います。武田さんが伝えたいと思っていることが、ただしく伝わる文章だと思います。投稿してくる原稿の中には、意味がはっきりせず、読み方によっては意味がAともとれるし、またBともとれるというのが、困るのです。
 印象が強いのは「高地肺水腫、白馬岳」「ウメバチソウ咲く谷、父の遭難」「憧憬の山、矢筈岳」「あきらめた本峰、烏帽子山」「嘔吐下痢症、毛猛山」などです。道のある山から、道のない山に引かれていく気持ちの変化が分かります。登山者の気持ちがよく描かれていますので、本にする価値は十分にあると思います。

虫仲間のSさん
 「昭和62年夏 武田春代」・・・この部分は、以前に「森の遠くで」のバックナンバーをいただき拝読していましたが、何回読んでも、お母さんの思いがひしひしと伝わってくる文章です。
 「ウメバチソウ咲く谷」・・・父上が地元近くで、武田さんがフィールドにしている山域で遭難死したことはショックだったと思います。本を読んでいて、捜索活動を冷静に確実にしている・・・という印象を受けました。124pp〜125ppにかけての父上の遭難に至るまでの行動の推測は、読者を納得させるものと思います。
 「あきらめた本峰」・・・ではこの山行における武田さんの思考と判断がよく出ており、また集団登山でのむつかしさをも語っていると思います。
 「嘔吐下痢症」・・・「登ってみたい山」と「登りたい山」・・・、よくわかりました。これは虫屋の気持ちと共感するところがあり、「採ってみたい虫」と「採りたい虫」に似ています。虫は環境が破壊されるといなくなりますが。
 本の後半は、新婚まもない二人の幼児を抱える岳人としての、家庭との両立の苦悩が各所にじみ出ています。「家内が」と随所にあるのも、山を登りながら頭のかたすみに普通の人がいだいている悩みがあちこちに書きこまれており、多くの読者を共感することでしょう。

UR山岳会のTさん(本のなかで2回登場)
 「森の遠くで」ありがとうございます。ステキな本です。戴いたその日に、書きかけの原稿を放り出して半分近くも読んでしまいました。武田さんの文もさることながら、お母様の文に泣かされました。そしてお父さんの遭難の文もです。いい構成になっています。(40歳の)節目の出版として大成功ではないですか? 武田さんの文も、とても抑制が効いていて好感です。こうした良い本が、出版ベースに載せられないのは不況だからでしょうか。

新潟県のT山岳会のH会長
 ちょうど山スキーから帰ったところに、ご本が届いておりました。まだ十分に拝読しておりませんが、まず「はじめに」という前書きと、「おわりに」という後書き、そしてお父上が遭難されたという野々海池の項を読ませていただきました。すばらしい本だということが、すぐわかりました。野々海へは、私も何回か訪れたこともあり、伝説と共に情景が思い浮かぶからです。どこを読んでもすべてさわやかできりっとした文章表現で感じ入りました。あとは、ゆっくり吟味しながら読ませていただくことに致します。

羽田さんの『新潟の低山藪山』を読んで知り合った東京のIさん
 夢中で一気に読んでしまいました。素直におもしろかったです。単なる山のガイドではなく、だんだんと登り方が変化していく・・・山に対する考え方が変化していくといったところがよく表現されていて共感させられました。私も自身を見つめると近いものがあるので惹かれるのだと思います。いくつかなじみの文章もあり、また行きたい山も増えたように思います。仲間にも好評で既に手元には自分用以外残冊なしの状態です(10冊買っていただきました)。そのうち書店にも入ると勧めています。

本になる前の私の文章を一番読んでいる燕市のTさん
 今まで何度も武田さんの文章を繰り返し読んでいましたが、改めて本になった文章を読んでいますと心が癒される感じです。友達と一緒の時の楽しい山ではなくて、一人で山を登っている時にふと立ち止まり、「山はいいなあ・・・」と思う時のそんな気持ちに似ています。これからも何度も読み返したいと思います。ありがとうございました。
 (以下2003年の年賀状から)
 『森の遠くで』を時々読み返しては楽しんでいます。二人の友達にも貸してあげましたら、感激しまして二度読み返したとのことでした。三条の本屋には置いてありませんでしたが、新津市の本屋で見つけました。ようや見つけて嬉しく思いました。

こりないめんめんのWさん
 いかにHさんがふだん何も考えないで山に登っているかよくわかりました。(もちろん冗談ですが、Hさんを知っている人はなぜか納得していまいます)

こんな山歩きしている人がいるんだなあと思わされた中条町のKさん
 家内の読後感。「奥さんの気持ちよーく分る」。私も、武田さん以上に家内に迷惑かけたので、この一言はきつかったです。(この本は登山をする人はもちろんですが、家族の方にも読んでもらいたいものです)
 武田さんの本を読ませてもらって、家族の絆の深さをしみじみと感じました。御両親にとって、武田さんをどんなに生きがいに思っていたか、それに対し、武田さんがどう応えてきたか、本を通じて伝わってきました。ここまで、家族のことをOpenにできる武田さんがうらやましく思います。

大学の先輩でY県の同業者のSさん
 よしや君が真剣に物を書くとすごい力があることを前から感じていましたが,外国映画の比較的シリアスな語りをよしや君が耳元でしているような,穏やかだがしっかりとした文体で心に響いてきます。
 ありがとう。 これからも,がんばって下さい。

今はある村長のHさん
 武田宏様のひたむきな山への思いがよく理解できましたし、自然体での登山は立派なものであります。私の名前まで所々のせてくださいまして恐縮しております。ありがとうございました。

ピドニア(ヒメハナカミキリ)研究家のKさん
 貴兄が山と向かい合い、人生を組み立てている。私もピドニアと向かい合い、人生を組み立てている。共通していますね。両親、結婚、家庭、子供・・・・・・大切なものです。我々の人生は、家族の理解の上に成り立つものですね。
 本を読んで、蓮華温泉の上で貴兄と母上にお会いしたのも理解できました。

祖母(母の母親)九十歳くらいか
 まちにまった本が来た。三月八日。うれしい。仏さまに上げてよろこんだ。この本、もう十年早かったら、四、五日位でよみ、すぐ宏君に手紙出したろうに、今の私泣くのがさきでなかなかまえへすすまない。
 こんなに山がよいのかナと思っていた。だんだんよんでいるうちに自分も山へ行きたいような、行ったらさぞたのしいだろうナ。自分でも山へ行っているような気分でよんでいる。春代(私の母)だってこんなにたのしんでいるんだもの、おれだってまだまだ山へ行けそうな思い何とも云えぬ感じ。
 本をよんでいるいいナ。宏君よい友だちたくさんいて、山のこともよいが友だち又山で会って人達みちをおしえたり、おしえられたり、何と人間愛と云うかなんとも云えない気持ち。いいナ大ぜいの人はなししたり、聞こえたりわかい内だよ、おおぜいの人と仲よく話合えよ、九十歳になれば、だんだん友達なくなる。はなしする者もなくなる。でも私は耳だめ、でも目がねなくとも本がよめる。これでたすかる毎日、新聞がたのしみ。
 何かかこうかなと思っても、なかなか書けない。今日三月十八日たんじょう日、お目出とう。かぞえで四一歳かね。私と同じ牛年生まれだと思って居るが、私ね四一歳の時、春代一八歳、美知十歳(母の弟)、寿子八歳、夏子七歳、愛子四歳、五人の子供、少しの田畑、金なし、口で云えなくくらいくろうした。
 春代にはすまぬと思ったけれど、春代でなければダメ、女の子を男みたいに使った私も、「やくば」でね、私が可愛そうだ「ふじょ料」うけれといってくれた。私は「父母」が有ったので、そうだんしたら父は泣きながら、「だめ」美知が大人になった時、「ふじょ料」受けたなと聞いたらどんなにかたみがせまいか、今五、六年がんばればよい、父は泣き泣きだめだめのいってんばり。
 今思い出す。また泣きたくなる。宏君、母の老後を見てやってください。さんざんくろうさせたんだ。またよんだこと書くね。
 今日これでさよなら。三月十八日 松代ばば。

母の妹で唯一関東に暮らしている西口
 この度は宏君の誕生日に合わせて『森の遠くで』の出版おめでとうございます(発行日は私の41歳の誕生日です)
 お父さんも喜んでいるおられる事と思います。我家では、本当に宏兄ちゃんの本なの・・・お店に売っているの・・・と大はしゃぎです。
 松代のおじさん(母の弟で兄になる)は、色々思い出し(私の高地肺水腫や父の遭難)、まだ読めないと言っていました。私は高山病にしても、野々海のきのこ狩りにしても、その他色々あっても遠くに居る事もあって、いつもある程度落ち着いてから聞きますので、この本も一気に読んでしまいました。泣いたり笑ったり感心したり、山の話では、正子さんやレイ子さん、羽田さんとお友達になって、一緒に登っている気分でした。滑ったり、ころんだり、川に落ちたり、冷汗をかいたり、やぶの中をこざいたりと、風の音も雨の音も車の音も色々想像しながら登山を楽しみました。
 でもこの重い荷物を背負い、あぶない思いをしながら、また山に登る人が多いのは本にも書いてあったように「登りたい山」があるからなんですね。どんな山でもひと休みするとビールが美味しく、登頂すればお酒も美味しいと思いますが、思いがけない事故にもあいますので、大切な家族を思い出しながら十分気をつけて下さい。
 冒険家の上村直己さんは、「どこへ行っても帰ってこなかったら冒険家ではない」と行っていたそうですが、山へ登る度に家族の人が「いってらっしゃい」と言う笑顔のうちに、どんな思いで送り出し、また帰りを待っていらっしゃるかと思うと家族の理解は大きいですね。
 「母はどんなことがあっても『もう山に行くな』とは言わなかった。家内は私が山から帰る度に『楽しかった?』といつも笑顔で迎えてくれた」と書いてありました。宏君は幸せね。たくさんのお友達とこんな素晴らしい家族と一緒で・・・もう若くないのですから(まだ41歳だぜ)、これからは無理のない登山を楽しんで下さい。
 真登君も季笑ちゃんも可愛らしく成長して、毎日にぎやかな事と思います。
 桜の開花が半月程早いと言う事ですが、変わりやすい陽気です。ご家族の皆様共々お身体にお気をつけお過ごし下さい。三月十八日。

テレマークスキーで知り合った東京のMさん
 『森の遠くで』、お母様の文、圧巻ですね。家族想いの武田家。昨今のニュースでうすら寒い思いをすることが多いですが、こんな家族がいらっしゃると広めたい気持ちです。

羽田さんの友人で福島のYさん
武田さんの本を読みました。
自分の事家族の事を本にして読んでもらう。
かっこいいですね。
今流のパパ役、夫役、親孝行をして家族を大切にしているぞ。見習え。とね。
後半は羽田さんの宣伝をしているみたい。

ひとり一人の人生、みんなちがってみんないい
嬉しさも楽しみも悲しみも苦しみもあるから人生
でも、涙のでる別れはせつないわ。でも、涙を流すくらいしか私にはできない。

書店で本を買ってくれて最初に感想をメールでくれたIさん
 このたびは、著作を発表いただき、楽しく読まさせていただきました。
 山での家族の遭難の文章は圧巻でした。お互い山では遭難したくないですね。山に行くためには、家族の理解が一番、これは私も同感です。
 藪山は熊との遭遇のないようなところを登っていますが、はまりそうな感じです。特に、秋の落葉後はいいですね。これからも、藪山の良さをアピールしてください。
 それから、武田さんと、羽田さん、佐藤さんの本を平行して読むと、それぞれのお考えが見え隠れして面白いですね(失礼)。佐藤さんの本を読むと武田さんが高所恐怖症というふうにはとても考えられなかったのですが、この本で自分で言ってしまうなんてたいしたものです。私にもこんな勇気があればなと思います。これからも、ホームページで勢いのある紀行文を投稿してください。期待しております。

T自然同好会のYさん
 てっきり山の紀行集とばかり思っていたのですが、予想を覆し私小説的文学作品なので驚きとともに感激しているところです。私も山歩きが好きで近くの野山を楽しんでいますが、貴方の山に対する思いや、その深さには到底及びません。更にほのぼのとした家族愛が感じられ、そのやさしさが山に対峙する姿勢にあらわれている好著と感じたところです。

無線とインターネットの知人Gさん
 武田さん一家は、山に生きそして生かされている。というのがよく伝わってきてとてもすばらしい本です。
 私の父も山、特に巻機山が好きだったので、山に行くときは亡父がどこかで見ているような気分で登っていますが、武田さんもそうなのでしょうね。そうそう、きえみちゃんの「き」は巻機山の「き」でしたね(真登の「ま」も、巻機山の「ま」だぜ)。3代で家族登山楽しみですね。自然に対峙し、自然のことば、霊力というのだろうかを感じて登る山。これからもお気をつけて。

本にも登場するM先生
 いただきました『森の遠くで』を大変面白く、また有意義に読ませていただいております。「高地肺水腫」と「ウメバチソウ咲く谷」は圧巻ですね。本当に貴重な体験と言ったらよいのでしょうか。武田さんの文章は実に自然に書かれていて失敗談を臆する事なく披露されていて、ためになりました。次は何が起こるかという期待感がもてて、いつの間にか引き込まれてしまいます。これからも慎重に続けてください。

時々無線で話すYさん
 「ウメバチソウ咲く谷」−−私はこの文章が見たくて本を購入したと言っても過言ではありません(「高地肺水腫」などは、以前ホームページで読んでいる人です)。貴方がお父さんという最愛の人を山で亡くしても、なぜ山に登るのか・・・?
 結果が見えてるだけに、悲しみが文章の端、端に漂っていて、読んでいて苦しかったです。あんな苦しみを乗り越えて、なお山に向かうって事は−−。やっぱり、山が好きだからなんですね。他にいいようがないようです。お母さんが、武田さんが山から帰ってくると、必ず楽しかったかいって聞くんだってね(「楽しかった?」と訊くのは家内です)。素晴らしいお母さんですね。いつまでも元気でいて欲しいものですね。
 「真登が生まれて」−−「ウメバチソウ咲く谷」の後で読んだだけにとっても優しさが溢れていて素晴らしかったです。やっぱりお母さんは詩人ですね。
 今日は武田さんの本を読んでいろいろ余計なことまで書いたようですね。すみません。これからも、楽しんで山行してください

ある病院の院長で高地肺水腫の研究では第一人者
 最初から通読させていただきました。先ず、わかりやすい文章で名文と思いました。文章を読むと読者もその場面にいるような感じでした。観察記録と著者の感性がよく調和しているように思いました。第2に一つ一つの山行と観察が丁寧に記録されていて感銘を受けました。第3に高地肺水腫の母上様の詳細な入院記録に驚嘆するとともに、医師の言葉の重みに責任を感じ、あらためて身の引き締まる思いをしました。高地肺水腫の記述に問題はありません。

さいたま市在住の読者
 武田さんの『森の遠くで』を拝読!心楽しく頁をめくりました。生物部、林学、藪山・・・南会津・・・只見・・・川内山塊となんと私と共通点があることか・・・とびっくりしています。ただ、山の技量が私は少々低めではありますが・・・。私も中学校から登りはじめ、高校では生物部、大学で林学を学び、ワンゲル部にいました。そして今は理科の教員をしています。南会津や只見にひかれつづけていますが、年をとってきてままならず。北上山地や阿武隈でぶらぶらしていますが、新潟の山々にはひかれつづけています。1970年に丹後〜平の稜線に踏み入り藪と格闘、敗退なんてこともありました。
 私も時々『山の本』に投稿しています。楽しい本ですね。武田さんのこれからの良き文章を期待しています。

水原町の女性
  『森の遠くで』を拝読しました。『越後百山』(佐藤れい子さん)と共に興味深く、楽しく、読ませていただきました。
  私の山歩きはまだ始めたばかりなのですが、山への気持ちと家族への思いやりにとても感動しました。いつか家族で楽しい山行きができますようにお祈りしています。

父の恩師で、本にも登場するN先生
 幽谷大滝有声呼 梅鉢草一華香凛(幽谷の大滝に呼ぶ声有り 梅鉢草一華凛として香し)
 最初は小学生の文章だと思ったが、途中から「おやっ」と思った。読めば読むほど家族愛に溢れた本である。

無線仲間の友人
 夕食前まだ時間があったので、武田宏さんの本を読んでました。「ウチバチソウ咲く谷」のところを読みました。お父さんが山で遭難したところです。ついつい読み終えて涙してしまいました。私も、15歳の時、父と永久の別れをしたので、彼の気持ちを、感じる事が出来ます。

新潟日報の窓欄でおなじみの松代町のTさん(Tさんとは実家が同じ集落)
 この『森の遠くで』の著者、武田宏氏は、松代町千年の「よしや」の息子さんです。父君、武田泰雄氏が浦田の深山で遭難死したり、自分自身も「肺水腫」という高山病の一種に罹り、死の寸前を経験しながら、淡々たる筆致で記述して感動を呼びます。また母親の武田春代さんの息子に対する看病記もまた、母性愛溢れるもので、感動を呼ぶとともに、記述能力の優れた片鱗を窺うことが出来る、母子の共著に近い作品です。
 私の同郷の千年集落の生んだ、若き学究の成果を誇りに思い、是非ご一読をお薦め致します。

関川村山の会と中条山の会の合同研修会で逢った駒の会のNさん
 一番良かったのは、奥さんが「寒くない」と訊いたところです。うちの家内なら、「寒いから窓を閉めて」と言うだろうな。(人によって色々な印象があるのだなあと思います)

おばさんのアイドル・S本さん
 『森の遠くで』、しみじみと読ませていただきました。
 『山の本』がとうとう10周年を迎えました。池袋の怪しげなスナックの酒と煙草の煙の中から生まれた雑誌ですが、武田さんをはじめとする方々に支えられ天細々ながら発刊を続けることができました。心から感謝申し上げます。

隣の課の課長補佐のKさん
 武田君、読んだよ。感動しました。家庭不和をつくるなよ。

誰かから借りて読んで、もう一度読んでみたいと本を買ってくれた村上市の女性
 先日の「里山遊びの安全教室」ではありがとうございました。お金も持たずにお願い事を致しまして申し訳ありませんでした。
 山歩きをはじめてまだ年数は浅いですが、自分には出来ない体験を本で感じさせていただき、山の怖さ、やさしさを知りました。
 私は私なりの山歩きで、これから先も山にふれあい、山を楽しみ、心をいやしていけたらと思っています。
 遅くなりましたが、本代二人分ご査収ください。

『林業にいがた』の編集長のMさんによる8月号の編集後記
 本書は、前○○職員が越後の籔山へ興味をいだき、登山体験を紀行文に取りまとめたものです。山で生死の境をさまよう事から、我が子を思う母の手記等胸を打ち、また子供の具合が悪くても山に向かう気持ちなど、そこまで出来る山の魅力とは何だろうと感じます。

大学の恩師のM先生
 『森の遠くで』読ませて頂いています。お母さんの文章が特に印象に残ります。
 (以下2003年の年賀状から)
 『半生記』じっくり読ませて頂きました。藪山の魅力を、登山道のない魅力を、改めて実感しています。危険性も。

「厳冬期東吾妻スキーツアー」にも登場するKさん
 ご高著、いただきました。ありがとうございました。お礼とともに拝読した感想を述べさせていただきます。
 よくできていますね。武田さんと面識のない人にとっては、ご自身や父君の遭難事件にまず引き込まれてしまうでしょう。実際、本書における強烈なアクセントになっていることには間違いありません。しかし、何より、自分の半生を知ってほしい、ということがよく伝わって来て大変感心しました。楽しかったことを中心に時に悲しい思いも交えながら進む文章を読んでいて、武田さんの人生を感じるだけでなく、自分の半生も振り返ってしまいました。おそらく、ほとんどの読者も本を読むことで武田さんに共感し、また、自分自身を振り返ったのではないかと思います。山が趣味でない人も興味を持って読むことができるのではないかと思いました。
 あえてもう少し書いてもよかったかなと思ったところをあげるとすれば、次の二つでしょうか。一つは、今後どのような展望を持っているのか、ということです。山に行き始めてから今までのことが大変よくまとまっていますので、これからこの人はどんな山に登りたいのだろうか、家族とどのように過ごしていくのだろうか、と読者は考えてしまうのではないかと、つい思いました。二つ目は、大変難しいことですが、なぜこれからも山に登るのか、ということです。山とともにあった自分の半生を否定しないためにも、これからも山に登る、という説明では山屋の共感を得ることができても一般人には理解されないでしょう。
 この週末は親戚の集まりが土日にあってじっくり拝読するには時間が少ない状態でした。本来は時間をかけて読んでから感想をお伝えすべきなのでしょうが、今後も時間が取れる保証もないのでご連絡しました。誤読、誤解等もあるかもしれませんが、そのようなことがあればご容赦いただいた上でご指摘くださればと思います。いずれにしましても、自分にとっては最近読んだ本のなかでかなり上位にランクされるいい本だと思っています。今後、一般新聞で書評掲載、大量増刷で印税生活、なんてことになりましたら、たかりに行きますのでよろしくお願いします。(ちなみにこの人も下記の「悪い」友達の一人です)

私のテレマークスキーの先生Kさん
 本よんだし、小坂にもあげました。ので、感想を書きます。
 武田さんは、「良い」友達がたくさんいて幸せですね。どうりで最近「悪い」友達と遊んでくれなくなった理由がよくわかりました。本の中には書いてありま せんが、武田さんは「悪い」友達と遊ぶときは必ずツェルトで熱燗をしていました。「悪い」友達は、立山で酔っぱらって寝ている武田さんの鼻にピーナツを 詰め、眼鏡にマヨネーズで丸を描いてビデオに撮ったりしました。そのせいで武田さんは再び高山病になり夜中に「俺は寝たら死ぬ」と言いました。「悪い」 友達は武田さんが寝ないように、寝ずの番をすることになりましたが、「飲まないと寝ちゃう」と言ってビールを飲み、やっぱり寝てしまいました。でも、次 の日の朝一番のバスに間に合うように武田さんを連れてスキーと荷物を担いでバスターミナルに行きました。今度、浅草岳を奥只見側に滑りたいと考えている 「悪い」友達とも、たまには一緒にテレマークスキーをしてもらいたいです。(「悪い」友達は、「厳冬期東吾妻スキーツアー」に登場します)

大学の恩師のK先生
 (2003年の年賀状から)
 本ありがとうございました。面白かった。『林業にいがた』の連載も読みました。

大学の後輩のYさん
 (2003年の年賀状から
 昨年、『森の遠くで』を買って読みました。支えてくれる家族のいること、幸せですね。また「やぶこぎ」の山行について、はじめて知りました。

家内の小学校の担任で昨年偶然お城山で家内と会ったIさん
 (2003年の年賀状から)
 ご主人の本を読ませていただきました。私も十年くらい山登りをしているので、とても感動をもらいました。
 肺がんの手術後、きつい山は行けませんが、のんびり、ゆっくり登り続けています。またお城山で会いましょう。

大学で同じ研究室だったKさん
 やっと入手して読みましたよ。
 ちょっと独善的な気持ちの運び方がよしやらしいなぁ
 なんて思いながら楽しく(内容によっては悲しくもあり)
 読ませてもらいました。
 もう少し新潟弁があるともっとよかったかも。

新潟市のSさん
 私は今、残胃全摘出手術で入院中の身です。
 武田宏さんの『森の遠くで』は、最初のうちに有田克博さんから持って来ていただき、感動して読みました。心にやさしく沁み通りました。私の登った山も沢山出てきますし、佐藤レイ子さんも同じ山岳会で知っています。羽田寿志さんの本やレイ子さんの『越後百山』も持っています。手術後も本を読まれるようになった今このハガキを見つけました。
 『森の遠くで』を読み返してみて改めてこの本が読み終わっても心地よい本である事を感じました。病院に持って来て正解でした。そして山に出逢う人達って何て素晴らしい人達なんだろうとうれしくなりました。治ったら今後は低山をゆっくりと思います。

上越市のAさん
 新聞で本書を知り、読みたくて書店を探しましたが、見当たらなくて注文して、あとは夢中で読みました。著者が地元松代の方と知り、より親近感を覚えました。また、私達の山岳会の数名が新発田市で講演を聞いたと知り、また私の職場長が著者と身内だと聞き、改めて世の中の狭さを知りました。
 最愛の父を愛する郷里の山で亡くされ、山と植物を愛する著者の胸のうちはいかばかりかと思います。文中にある野々海峠は訪ねた事はありませんが、山の仲間と行って見たいと思っています。ヤブ山登山の経験はあまりありませんが、山へのあこがれがよけい強くなってきました。
 大げさかもしれませんが、著者の本の印象が強かったのでしょうか、今は他の本を読む気が起こらないのです。著者のこれからのご活躍をお祈り致します。

福島県のSさん
 5月27日から31日まで著者と同じ研修を受け、武田さんは304号室、私は305号室と隣どおしで同じ屋根の下で勉強しました。
 この本も武田さん自身から話を聞き、入手したものです。ハラハラする場面が多く、本人談も多少聞いていたので、ドキドキしながら読みました。
 今年の5月は私にとって、武田さんと本に出会ったことは大きな宝物でした。
 ちなみに、プロフィールをお聞きしたところ、私と同学年でした。

三条市のKさん
 若くて元気な頃、1箇月に5〜6回は山歩きで過ごし、深田百名山も漸く半ばを過ぎた時に、内臓二箇所全摘出手術を受け、継続不可能となりました。
 本書を読んでいると当時の思い出が溢れ出てきて喜んでいます。
 近くの低山を2倍の時間をかけて時折楽しんでいます。
 本当に楽しい一冊でした。

水原町のSさん
 『越後百山』の本で、武田宏という名に「オヤ?」と思い、本を購入しました。(息子さんが「宏」という名前なので、覚えてくれていたのです)
 思ったとおりの内容で、特に1998年10月の烏帽子山の項は、『越後百山』の方が中途半端で、とても気になっていましたが、内容(アクシデント)がよくわかり納得しました。
 山への気持ち、家族への愛がとても共感が持てました。

清水市のIさん
 友人(男性)はキリマンジャロ、ヒマラヤを登山したアルピニスト。私は健康のため、山登りをしている者で、山を通じてお知り合いになり、年1回くらいご一緒して2000m級程の山に家族ぐるみで登っております。
 彼も貴方同様、何もかもわかっていながら週1回の山登りはかかせないようで、新潟県境の冬の山へ藪こぎの山に行くとのこと。
 御書を読ませていただき、はじめて彼の気持ちがわかるような気がしました。私ども里山歩きにはとても及ばない心境を理解しました。

川崎市のSさん(『山の本43号』の「読んでみました」から)
 武田さんの『森の遠くで』には家族とのかかわりがでてきます。
 山行の魅力の一つは非日常的なところにあるのですが、趣味で山に登るには、気づかないところで家族に負担をかけているかもしれないと思い至りました。しかし、山行中に心配されていると考えたことはほとんどなく、読んでから少し反省させられました。

あるホームページで見付けたKさん
 山が人生の中心のような人。山で死にそうになった話や、実際に父が山で死ぬ話が載っている。 それでも、この人は山に戻って行く。山をどうしても捨てることが出来ないのだ。話の間に母親の文章が 入っている。第三者から自分の死んだかもしれない場面を書かれる気持ちはどんなものなのだろうか。 遅くして山行きをはじめた私にはまったく無縁に思える話ばかりであるが、山へのこだわりの少しは 分かるような気がする。

T山岳会のFさん
 記録文的なものが多い中、作者の文才(ない、ない)と内容の濃い経験で最後まで一気に読める。母上の日記も心の動きが読み取れて感動させられる。身近な方の著書だけに必読の一冊である。 

村上市の女性
 いつも地図に記されている登山道を歩いている私にとって、山そのままの自然の姿をありのままに受け止めての山行に、「ヘェ、こんな山行はあるんだ!」と新発見でした。また、こんな身近にこんな人がいるんだ、ということも重ねてビックリでした。でも、例えば主人がこの山歩きにはまったら、ちょっと心配してしまうかもしれませんね。だって、ハプニングだらけに思えるもの・・・。

八王子市に住む叔母の義弟
 この本を読んで先ず感じたことは、山を真から愛する人はとてもやさしい心を持っているということでした。家族愛っていうのでしょうか。お父さん、お母さん、弟さん、奥さん、子ども達を愛していることがストレートに伝わってきました。特に「ウメバチソウ咲く谷」のところで、お父さんが遭難した箇所の文章には胸がつまりました。「真っすぐ登る」「真登が生まれて」の文は、お子さんの誕生、心温まる文章ですがすがしい気分になりました。
 山中間の皆さんはすぐれた体力や気力もさることながら、相手を思いやるやさしい心がいっぱい。しっかり結び合っているので読んでいて心が和みました。所々笑いながら読んだ部分もありました。
 『森の遠くで』の発行元八王子高尾町の近くに住む私は、山と言えば「高尾山」ぐらいしか登ったことがありません。でも、こんな私でさえ、この本に出てくる山々の数々は、空気とか風の状況、花の色とか香りを運んでくれ、情景が目に浮かんできました。書き手の筆の確かな力がそうさせたのだと思います。
 びっくりしたのは道なき道を踏破する残雪があるから登れる山のこと、標識があったり、ガイドブックに載っている山に登ってもそれは楽しくないこと・・・。
 危険と紙一重の場所にいとも簡単に入り込んでいく姿勢、フットワークのよさには驚嘆しました。
 何かの折に春代さんや宏さんのお話を伺えればと心待ちにしております。

どこのどなたか存知ませが・・・
『森の遠くで−登山を通した私の半生記』(武田宏)を読んでみた。前からずっとよんでみようと思って読むことができないでいた『森の遠くで−登山を通した私の半生記』。ようやく読んでみたわけだが、読了後の最初の感想は「素晴らしい!!」の一言に尽きる。やはり武田宏の描くものは一味違う何かを持っている。これは非常に説明が難しいのだが、この本を読んだ方なら理解できると思う。是非手にとって頂きたい一冊である。


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