飯豊連峰日帰り環状縦走
羽田寿志さんと知り合った時、数年前に飯豊本山近くで会った日帰りで飯豊連峰を環状縦走していた人かもしれないと思って訊いてみた。しかし羽田さんは、「そのコースは日帰りで何度も歩いているけど、その日は飯豊に行っていない」と答えたのである。「何度も歩いている」という返事にも驚いたが、日帰りで環状縦走をしている人は他にもいるのである。
飯豊も一○回以上になると主なルートはほとんど歩いてしまう。自分にも日帰りで環状縦走ができるだろうか……。そう思いながら数年が過ぎた。
飯豊温泉の駐車場に二時半に着き、林道を歩き始めた。温身平は大学の先生のフィールドであったし、多くの学生も調査地にしていた懐かしい場所だ。月の光がブナ林に差し込み林道を照らしている。
林道終点から登山道に入って少し歩くと川原に出た。ダイグラ尾根は一度下っているが、登るのは初めてだった。川原をヘッドライトで照らすと吊り橋のワイヤーが見えた。
これからの長丁場を焦らないように身体にしみ付いた時速四○○mの速さで登る。月明かりで時折登山道も浮かび上がって見える。
四時をまわると明るくなってきたので、ヘッドライトを消した。九二六m地点でザックを下ろして休もうとすると蚊が足に寄ってくるので、すぐにまた歩き始めた。
休場ノ峰に着いて、オニギリを一個食べた。五月に登った鍋倉山がほぼ同じ高さで東側に見える。飯豊本山は見えないが、宝珠山が鋭く尖っている。
ここからアップダウンを繰り返すが、一時間歩いても一○○mしか登っていないのに愕然とする。宝珠山への登りで初めてふたり連れの登山者が下りてきた。
宝珠山を過ぎたところで、オニギリを二個食べた。予定どおり六時間程度で飯豊本山に着くだろう。ところが一九○○m付近の急登で、いつもの膝上の筋肉痛が走った。まずい、これでは飯豊本山往復で終わってしまう。しかし薬を塗ると筋肉痛がしだいにおさまってきた。
飯豊本山には団体の登山者が見えた。自分が山頂に着く頃にはいなくなってくれればいいがと願っていると御西岳の方に向かって歩き出した。
飯豊本山山頂に着くと登山者が五人休んでいた。そして粟島を指差して、「佐渡が見える」と言っている。飯豊本山に登ると必ず粟島を佐渡島と間違えている人がいるがおかしい。
御西岳までは緩やかな下りだが、前の集団登山者に追いついてもなかなか道を譲ってくれなかった。ふつう一番後ろを歩いている人がリーダーで、後ろから登山者が追いついた場合は、「道をあけろ」と指示するものだが……。何とか追い越すが、暑いせいか喉が乾く。ザックから水を取りだし、手に持ちながら御西岳を目指す。
御西小屋で、水を補給することにした。飯豊本山までで2リットル、御西岳までさらに1リットルの水を飲んでいた。3リットルの水を用意しておいて良かった。
御西岳に一○時までに着かなければ、大日岳往復は省略する予定だったが、一○時一五分前だった。体調も悪くないので、大日岳に向かうことにした。
一○時に北股岳にいる貝沼文彦さんと交信することにしていたので、無線で呼ぶとすぐに応答してくれた。しかし歩きながら交信していたために転んでしまい、大日岳に着いたら再度交信することにした。
大日岳の標識のまわりには数人が休んでいただけだったが、西大日岳方面には数十人が雪渓と戯れていた。標識をバックに記念写真を撮ってもらい、ひとり離れて北股岳にいる貝沼さんと交信した。
汗で靴下が濡れていたので、靴を脱いで乾かした。そしてビスケットを食べた。大日岳が最長の休憩になるだろう。三○分近く休み、大日岳を後にした。
御西小屋についても適当な休む場所がないので、さらに一五分ほど歩いて雪渓の脇で休むことにした。オニギリを二個食べ、シェラカップに雪を入れて水を冷たくして飲んだ。
侵入禁止になった天狗の庭の脇を通り、御手洗池を過ぎて烏帽子岳の登りになった。烏帽子岳でも数人が休んでいたが、立ったまま水を飲んで通り過ぎた。
カイラギ小屋で水を補給し、北股岳に向かった。まだ体調は良かった。北股岳山頂には二人の登山者が休んでいたが、ひとりはいびきをかきながら寝ている。ふと自分とどちらが山を楽しんでいるか考えてしまうが、今日の目標は日帰り飯豊一周なのだと自分に言い聞かせる。そして最後のオニギリを食べ、地神山に向かってラストスパートだ。
門内岳、扇ノ地紙では休みをとらず、地神山に着いた。予定していた時刻よりも三五分早い。とにかくできるだけライトを使って下りたくなかった。今の時刻なら一九時からライトを使ったとしても、一九半には飯豊温泉に下れるだろう。
最初の浮石がある登山道は慎重に下ったが、樹林帯になってからは早足になった。幸い空が明るく一九時をまわってもライトは必要なかった。
一九時二○分を過ぎてライトを取り出した。地神山で合わせてきた高度計を見れば、飯豊温泉まであと二○○mを切っている。慎重にキタゴヨウの急な道を下っていると飯豊温泉の屋根が見えてきた。長い一日がやっと終わった。
(一九九九年七月下旬)