シリーズ 森林生態系保護地域 飯豊山周辺(『森林科学』32)

飯豊山周辺の概況

 1992年3月に森林生態系保護地域に設定された飯豊山周辺(図−1)は、磐梯朝日国立公園の飯豊連峰を中心とした地域である。行政地区では山形・福島・新潟の3県にまたがり、大部分が国有地であるが、一部民有地が含まれている。
 飯豊連峰はほぼ南北に主脈を走らせ、北から杁差岳、地神山、門内岳、北股岳、御西岳と続き、御西岳の西に大日岳、東には飯豊本山、三国岳と標高2000m前後の山々を連ねている。日本海に近く、冬期の季節風をまともに受けるため積雪が多く、この積雪が飯豊山周辺の地形、植生、さらに人々の暮らしに大きく影響している。
飯豊連峰は花崗岩質の隆起山脈で、西側斜面が緩やかなのに対し東側斜面は急傾斜の非対称山稜となっている。稜線はチシマザサに覆われ、夏期は雪田を縁どるように高山植物が咲く。また山麓はブナ林が広がり、ツキノワグマやカモシカなどの哺乳動物が多く、貴重な大型猛禽類のイヌワシ、クマタカも見られる。
 飯豊山にはいくつかの開山説があるが、文録4年(1595年)会津領主蒲生氏郷のときに、蓮華寺十三世宥明が再開し、社殿を造ったと記録されている。飯豊本山から御西岳にかけての民有地は、飯豊山神社の境内になっている。

世界有数の豪雪地帯

 飯豊連峰は世界的にも有数の豪雪地帯である。さらに冬期の季節風は西側斜面上部の雪を吹き飛ばし、東側斜面に大量の雪を積もらせる。そのため西側斜面が緩やかなのに対し、雪の移動が激しい東側斜面は岩盤や表層土が侵食されるので急傾斜になっている。東側斜面の沢には積雪が20mを越える場所もあり、遅くまで積雪が残る。
 白馬岳の大雪渓と並び称される石転び沢(写真−1)は、飯豊連峰の代表的な雪渓である。夏期には入門内沢出合から梅花皮小屋近くまで標高差700m、距離にして約3kmの雪渓が続く。積雪が少ない年の秋には消雪することもあるが、多くの年は初雪が降る頃まで残雪が見られる。この石転び沢はその名のとおり落石が多く発生し、2000年夏にも自然落石による負傷者が出ている。
飯豊連峰の裾野は有数の穀倉地帯でもあり、豊富な残雪は周囲に豊かな実りをもたらしてきた。また飯豊山周辺には農作業の適期を判断した馬や牛などの雪形が多く存在する。飯豊連峰北部に位置する杁差岳は、田をならす道具である杁(いぶり,えぶり)を持つ「杁爺や(杁人形)」の雪形が北面に現れることが山名の由来とされている。

ブナの大木多い温身平

 ブナ林は飯豊山周辺森林生態系保護地域を代表する森林である。なかでも山形県小国町の温身平(写真−2)はブナの大木が多い。温身平はダイグラ尾根、石転び沢、梶川尾根、丸森尾根の登山基地となる飯豊温泉から20分ほど歩いたところにある。
 このブナ林は荒川の支流玉川沿いの小規模な沖積平坦地にあり、新潟大学を中心とした調査フィールドとなっている。ブナ林植物のフェノロジー、ブナ種子豊作後の野ネズミの動態、ブナ・サワグルミ・ヤチダモの分布と地下水位との関係など多くの研究がここで行われている。
 温身平は典型的な日本海側のブナ林で、低木層にはヒメアオキ、エゾユズリハなどの常緑広葉樹が存在する。高木層はブナが主体であるが、湿地部分にはヤチダモやサワグルミが分布している。ブナは胸高直径1m、樹高30mを越える大木が多く、なかには胸高直径1.5mを越える個体も見られる。
 温身平は飯豊温泉に近く、夏期でも残雪に触れられる石転び沢への散策、野鳥観察等、飯豊連峰への登山だけでなく自然に親しむ多くの人が訪れている。

偽高山帯

 飯豊連峰の稜線に至る登山道のほとんどはブナ林から始まる。尾根が細くなるとキタゴヨウやミズナラが現れるが、1500m付近から次第にミヤマナラやミネカエデなどの落葉低木林になり、オオシラビソなどの常緑針葉樹林帯を見ないままチシマザサを交えた高山的風景に変わる(写真−3)。
 このように飯豊連峰の稜線は亜高山帯の針葉樹林を欠くことが知られており、偽高山帯と呼ばれている。針葉樹林帯を欠く理由としては、冬期の季節風や豪雪などの気象的要因が指摘されてきた。その後、後氷期の温暖な時代に針葉樹林帯がブナ帯に押し上げられ、2000m前後の山岳地帯の針葉樹林帯は追い出されたまま、分布が消失したと考えられるようになった。
 ところがさらなる研究によって、最終氷期から後氷期への移行期にチョウセンゴヨウやトウヒ属バラモミ節などの主要な針葉樹が衰退したことによって、氷期においてはむしろ稀な存在だったオオシラビソがその後分布を拡大してきたと考えられるようになった。しかし地形的に緩傾斜地の少ない山岳地帯では、オオシラビソ林分が維持される立地が少なかったり、最終氷期の時点からオオシラビソさえも存在しない地域があった。現在の飯豊連峰の稜線は、このような歴史的背景で針葉樹林帯を欠くと考えられている。

イイデリンドウ

 稜線には様々な高山植物が咲き乱れるが、積雪の消える順序によって植物の配置が決まっている。最も早く積雪が消える稜線はチシマザサが優占しているが、チシマザサ群落に続いて消雪する場所では、コバイケイソウやニッコウキスゲなどの背丈の高い植物が出現する。ここよりも少し消雪が遅くなる場所では、ショウジョウスゲ、イワイチョウ、チングルマなどの背丈の低い植物になる。さらに消雪が遅くなると植生は乏しくなり、砂礫地となっている。このように稜線では残雪から離れるほど、植物の背丈が高くなっている。
 イイデリンドウ(写真−4)はミヤマリンドウの変種とされている飯豊連峰を代表する高山植物である。ミヤマリンドウと比較して、花冠がやや大きく、萼裂片が反り返らず、花冠の副片は花が開いても直立していることで区別される。イイデリンドウは飯豊本山、御西岳を中心とする一帯と地神山の北部に見られる。とくに飯豊本山周辺では、ミヤマリンドウと比較して見ることができる。
 「飯豊」を冠する高山植物は他にもイイデトリカブトがある。イイデトリカブトはサンヨウブシに似ているが、花柄に開出毛があることで区別でき、1996年に記載された。

ヒメハナカミキリ

 稜線では美しい高山植物に目を奪われがちであるが、その花には多くの昆虫が集まっていて、それらを観察するのも楽しい。とくにミヤマトウキなどの白い花にはカラカネハナカミキリ、アオジョウカイ、モモブトカミキリモドキなどの甲虫やハチ目などの昆虫が群がっている。
 また少し背丈の低いモミジカラマツやハクサンボウフウなどの花には、黄土色に黒い斑紋をもつ1cm前後の小さなカミキリムシを見ることができる。これらはヒメハナカミキリ属に含まれるカミキリムシで、カミキリムシ愛好者には属名のピドニアと呼ばれている。ヒメハナカミキリは世界で約100種が知られているが、アジアでとくに分化し、日本では40種以上が記載されている。
 飯豊山周辺では約10種のヒメハナカミキリの生息が知られており、そのなかでもトウホクヒメハナカミキリ(写真−5)は東北地方特産である。また種類によって、ブナ帯から稜線まで広く生息する種や、ブナ帯だけあるいは稜線だけに生息する種と生息地域も様々である。
 フタオビノミハナカミキリとニセフタオビノミハナカミキリは、近縁種どうしでありながら、ブナ帯と稜線に分れて生息している。これまでニセフタオビノミハナカミキリは本州中部から東北南部にかけての亜高山帯針葉樹林を中心に生息が確認されていたが、最近になって針葉樹林帯を欠く飯豊連峰の稜線と鳥海山で発見された。ニセフタオビノミハナカミキリは飯豊連峰の稜線で針葉樹林帯がなくなった後も、細々と暮らしているのだろうか。

カタツムリ

「森の弱者」と言われるカタツムリの仲間は日本に500種以上が生息する。カタツムリは移動能力に乏しいことから、特定の地域で分化した種が多い。新潟県糸魚川市明星山の南壁にのみ生息するムラヤママイマイなどは、そのよい例である。
 飯豊連峰には未だ公表されていないカワニシマイマイと呼ばれるカタツムリが生息することが知られていた。そこでカワニシマイマイの正体を明らかにするために、環境庁の生物多様性調査を利用して、にいがた貝友会では飯豊連峰のカタツムリ調査を行った。
 その結果、飯豊連峰北部ではアオモリマイマイに近いタイプが、南部ではクロイワマイマイに近いタイプのカタツムリが発見できた。カワニシマイマイとされて国立科学博物館に所蔵されている標本は、この両方のタイプがあるという。アオモリマイマイはクロイワマイマイの亜種なので、カワニシマイマイと呼ばれているカタツムリは、クロイワマイマイのシノニムにしても問題ないのかもしれないが、さらなる調査が必要と考えられる。
 またこの調査によって、門内岳周辺ではカワナビロウドマイマイに近いビロウドマイマイ属の不明種(写真−6)や杁差岳周辺ではマイマイ属の不明種が採集された。新潟県ではエチゴマイマイの発見以降、不明種の発見が続いている。飯豊連峰でも今後の調査によって新種のカタツムリが発見されるかもしれない。

登山者の増加と植生破壊

 全国的な傾向であるが、最近では海の日に制定された7月20日前後に登山者が集中する傾向がある。2000年7月21日の御西小屋では宿泊者を収容し切れず、さらに小屋で用意したテントにもあふれた登山者が、雨具を着て小屋の外で一夜を過ごすほどの混み合いだったらしい。
 またかつては山小屋付近以外でもテント宿泊が黙認されていたが、最近では山小屋付近に厳しく限定されている。飯豊連峰の絶好のキャンプ地となっていた天狗の庭(写真−7)は荒廃が激しいため、数年前から進入禁止になった。さらに植生の荒廃は山小屋周辺にも広がり、「何とか緑化してほしい」という声が山小屋の管理人からもある。
 登山道の荒廃に拍車をかけている要因のひとつに、登山者の増加と共に最近流行の登山用ストックがある。登山者の歩行を軽減するためのストックだが、登山道脇に無数の小さな穴ができることによって侵食を引き起こし、登山道を広げる結果となっている。
 新潟県塩沢町の巻機山では20年以上前からボランティアによって雪田草原の復元作業が行われており、植生の回復に成果をあげている。それらは現地で採取した種子を播いたり株を移植したりという試行錯誤の結果得られたもので、その後行政を巻き込んで事業化されるに至った。飯豊連峰においてもボランティアによって登山道の整備が行われているが、天狗の庭のような稜線部の雪田草原では進入禁止という消極的保全ではなく、巻機山で行われた植生復元技術が必要になるだろう。

おわりに

 本稿を著すにあたり、平田大六氏には杁差岳の雪形に関する資料をいただき、窪木幹夫氏には飯豊山周辺のヒメハナカミキリに関する知見を教えていただいた。また村山均氏には飯豊連峰に同行してもらうと共にカタツムリに関する情報を教えていただいた。ここに感謝の意を表する。

主な参考文献

小荒井実(1981)飯豊連峰 山と花.誠文堂新光社
小泉武栄・清水長正(1992)山の自然学入門.古今書院
前橋営林局(1992)飯豊山周辺森林生態系保護地域
財団法人日本ナショナルトラスト(1994)よみがえれ!!巻機山の自然 −景観保全ボランティア17年の軌跡−


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