私の越後百山

 

越後百山は山田勲氏によって選定された越後の名山である(越後山岳第8号)。そのなかには道のない山が約3割あり、情報収集など困難なので、ぜひ完登したいと思っている。なおそれぞれの山には、「岳人604号」の会津百名山一覧にならいランクをつけてみた。ランクの基準は以下のとおり。

 超上級:登山道がなく日帰りは不可能
 上 級:登山道がないが日帰り可能、または登山道は踏み跡に近く日帰りは不可能
 中 級:登山道がある(約1500m以上の山、あるいはガイドブックにない山)
 初 級:登山道がある(2、3時間程度で登れる山)

 いずれも自分が登ったコース、時期で考えたものであり、絶対的な基準ではない。中級と初級は基準通りでない山もある。


1.巻機山(1976年6月下旬)中級
 松代高校生物部の部活動として登った。初めての登山らしい登山で、苦しくて前を歩く人の足しか見ていなかった。下りでは膝が笑う状態になったが、それ以来なったことはない。
2.白馬岳(1976年8月上旬)中級
 生物部顧問と同級生の3人で糸魚川で駅ビバークをし、翌日大雪渓を登った。その日は村営宿舎に泊り、次の日ガスのなか山頂に立った。その後雪倉岳方面に向かった。
3.雪倉岳(1976年8月中旬)中級
 雪倉避難小屋で一泊したが、次の日は大荒れで小屋で沈殿した。天気は相変わらずガスだったが、その次ぎの日雪倉岳山頂に立ち、朝日岳に向かった。
4.朝日岳(1976年8月中旬)中級
 雪倉岳から朝日岳に向かったが、相変わらずガスで何も見えなかった。朝日岳山頂からイブリ山を経由し、北又小屋に下り、小川温泉方面に歩いていると車から拾ってもらい泊駅まで送ってくれた。
5.角田山(1979年4月下旬)初級
 新潟の下宿から越後線で巻駅まで行き、巻駅〜五ケ峠〜角田山〜稲島〜巻駅と一周した。偶然その後付合うことになる先輩の広瀬正一さんと出会う。
6.五頭山(1979年5月中旬)初級
 水原駅で駅ビバークしようと思っていたら、駅員に待合室は閉めると言われ、駅前の物置小屋に泊めてもらった。翌日水原駅から歩いて五頭山頂に立った。
7.松平山(1979年5月中旬)初級
 五頭山からそのまま松平山へ縦走した。しかしこの時以来、松平山に登ったことはない。
8.粟ケ岳(1979年6月下旬)初級
 大学の先輩3人と4人で下田村のコースから入り、川原で1泊。翌日ガスのなか山頂に立ち、加茂市の貯水池に下りた。
9.焼峰山(1979年10月上旬)初級
 新潟から電車を乗り継ぎ、東赤谷駅から登る。紅葉の飯豊連峰を見る。この頃は10月10日と言えども 山頂には10人程度の登山者しかいなかった。
10.仙ノ倉山(1979年10中旬)中級 
 先輩2人と同級生1人の4人で越後湯沢駅に駅ビバークし、翌日火打峠から林道を歩き、平標小屋を経由して山頂に立った。
11.平標山(1979年10月中旬)中級
 仙ノ倉山でご飯を食べた後、平標山に登り、松手山を経由して元橋に下った。チシマザサの緑と紅葉した落葉広葉樹のコントラストがみごとだった。
12.菅名岳(1980年5月下旬)初級
 先輩と2人で猿和田駅から丸山尾根を使って菅名岳山頂に立った。その後鳴沢峰を経由して咲花温泉に下った。
13.白山(1980年6月上旬)初級
 同級生と2人で磐越西線、蒲原鉄道、蒲原バスを利用し、新屋集落から慈光寺に向かって歩き、川原でテント泊。翌日尾根線から白山に登り、田村線を下った。
14.守門岳(1980年6月中旬)中級
 単独で栃尾市の栃堀集落から歩き、たんぼのわきにテント泊。翌日保久礼小屋から大岳、袴岳に登った。帰りは大原スキー場へ下りた。
15.苗場山(1980年7月中旬)中級
 樹木分類岳実習で和田小屋から登った。帰りにヤハズハンノキにミヤマハンノキの看板がついていたので、まだミヤマハンノキはあるだろうとはずしたが、その後ミヤマハンノキは見つけられなかった。
16.以東岳(1980年7月下旬)中級
 同級生と2人で大鳥池にテントを張り、翌日以東岳山頂に立った。
17.西朝日岳(1980年7月下旬)中級
 その日は狐穴小屋にテントを張り、次ぎの日西朝日岳山頂に立った。大朝日岳の円錐形の姿が目に焼き付いている。
18.大朝日岳(1980年7月下旬)中級
 しかし大朝日岳山頂に着いたとたん、山頂はガスに被われてしまい、その日はカクナラ小屋まで下って泊った。
19.火打山(1980年10月上旬)中級
 笹ケ峰から登り、高谷池にテントを張った。高谷池から見えた北アルプスが印象に残る。翌朝火打山を往復する。
20.妙高山(1980年10月下旬)中級
 高谷池から再び荷物を背負い、妙高山山頂に立ち、燕温泉に下った。途中にあった露天風呂は今でも鮮明に記憶に残る。
21.日本平山(1981年6月中旬)初級
 友人に登山口まで車で送ってもらい、2人でテントに泊った。翌日ひとりで山頂に立ち、早出川ダムへ下った。
22.谷川岳(1981年6月中旬)中級
 単独で五十沢渓谷から巻機山に登り、巻機山、清水峠、蓬峠を経由して山頂に立った。発電所から谷川岳の登りまで丸二日間全く人に逢わなかった。谷川岳山頂にも人がいなかった。
23.万太郎山(1981年6月中旬)中級
 上記の山行の後、ネズミが顔の上を走る大障子小屋で泊まった翌日山頂に立った。
24.飯豊本山(1981年7月下旬)中級
 川入のキャンプ場に泊った翌日、地蔵山、三国岳、切合を経て飯豊本山山頂に立った。
25.御西岳(1981年7月下旬)中級
 飯豊本山から歩き、御西小屋にテントを張った。水場は現在と異なり、北東の方だったような気がするが、確かでない。
26.大日岳(1981年7月下旬)中級
 御西岳からピストンし、与平四郎の池にテントを張った。
27.北股岳(1981年7月下旬)中級
 与平四郎の池からカイラギ岳を経て、北股岳に立った。
28.杁差岳(1981年7月下旬)中級
 小屋の前にテントを張り、雪渓で遊んだ。翌朝山頂からの展望はすばらしかった。
29.荒沢岳(1981年10月上旬)中級
 前日ひとりで小出駅に駅ビバークし、銀山平から紅葉の荒沢岳に登った。しかし山頂に着いたとたんガスになり、展望がきかないまま灰ノ又山に向かった。
30.灰ノ又山(1981年10月上旬)上級
 ガスのなかを歩いたが灰ノ又山の手前で道を間違ってしまい、やっと自分自身の思い込みを改め、灰ノ又山に辿りついた。しかし疲労困憊で源蔵山付近の湿原にテントを張った。
31.兎岳(1981年10月上旬)中級
 雨のなかザックを下ろすこともせず、チシマザサの葉の水滴を舐めながら藪をこいだ。兎岳への最後の登りで見つけたハクサンフウロが印象的だった。
32.中ノ岳(1981年10月上旬)中級
 相変わらず雨が降り続いた。予定では中ノ岳の避難小屋に荷物を置いて、駒ガ岳を往復し、八海山に下るつもりだったが、疲労困憊のため、駒ガ岳から銀山平に下りることにする。
33.越後駒ケ岳(1981年10月上旬)中級
 雨は時折あられを混じるようになったが、漸く駒ガ岳に辿りついた。そして駒の小屋に泊ることにした。他には3人パーティ1組だけだった。翌日は白く積もる初雪のなか、銀山平に下った。
34.二王子岳(1982年5月下旬)初級
 大学4年目にして初めて二王子岳に登った。飯豊連峰がよく見える天気だったが、月曜日に登ったので登山者が少なかった。
35.御神楽岳(1983年8月中旬)中級
 十日ほど前単独でスモヒラに泊ったが、夜中に雷と大雨になった。翌日も雨はやまず、ナイフリッジの岩場で引き返した。そして今度は友人とふたりで日帰りで山頂に立った。最近室谷集落から登山道が整備された。
36.浅草岳(1983年10月上旬)中級
 司馬遼太郎の「峠」を読み、八十里越えを歩いてみようと思ったが、それだけではもったいないので、ついでに浅草岳に登った。山頂でオコジョを確認した。
37.鬼ケ面山(1983年10月上旬)中級
 浅草岳から鬼ケ面山を経由して六十里峠に下り、田子倉駅まで歩いた。
38.米山(1984年4月中旬)初級
 大学の先生と学生で残雪の米山を登った。
39.下津川岳(1984年4月下旬)上級
 同級生と二人で巻機山から中ノ岳に歩いた途中の山である。岩っぽい場所を越えた山頂でその頃は名山と知らず、記念写真もない。
40.丹後山(1984年4月下旬)中級
 その日は本谷山でテントを張った。しかし次の日は越後沢山から完全なチシマザサの藪になり、丹後山の避難小屋で泊ることになる。
41.平ケ岳(1986年7月中旬)中級
 松代から車に乗り、単独で山頂付近にテントを張って一夜を過ごした。その次の日平ケ岳山頂に立った。
42.鷲ケ巣山(1987年4月下旬)中級
 4月から村上に村上に住むことになり、最初に登った山である。その年は体調不良だったため、山頂まで5時間もかかってしまった。
43.光兎山(1987年4月下旬)初級
 鷲ケ巣山がとてもいい山だったので、光兎山にも登ってみた。今のように登山口がはっきりしていなかったが、地形図をたよりに田んぼの道を歩いた。最近は標識が多くなり、寂しい山になってしまった。
44.小蓮華山(1987年8月上旬)中級
 体調不良の年を物語る山行になってしまった。単独で栂池から白馬大池にテント泊。翌日小蓮華山から白馬岳に登ったが、こんなことになろうとは……。
45.新保岳(1988年5月上旬)初級
 上記の山行から久しぶりの山であった。この時山頂でアマチュア無線をしている人を初めて見た。
46.菱ケ岳(1988年7月中旬)初級
 母と2人で松代から安塚町に向かった。登山口から1時間くらいだった。帰りは不動滝を見た。最近は地すべりでこの登山口まで行けないらしく、スキー場から登るしかない。
47.日本国(1988年12月下旬)初級
 山頂には30cmくらいの雪が積もっていただろうか。こんな日に他の登山者はいなかった。
48.雨飾山(1989年10月下旬)中級
 友人と二人で梶山新湯に泊り、次の日雨飾山に登った。帰りは小谷温泉に入り、バスと大糸線を使って糸魚川市に戻った。
49.弥彦山(1990年6月中旬)初級
 小学校の修学旅行でロープウェイを使って登ったような気がするのだが、確かな記憶がない。スカイラインから車を使って登る。
50.八海山(1990年8月中旬)初級
 母、弟の三人でゴンドラを使って登る。その後高倉沢を登って八ツ峰を通過したり、水無川から越後三山を一周したりしている。
51.明星山(1991年10月中旬)初級
 集落から公社造林地を抜けたところに車を置いて、一時間ほどで登った。山頂の岩場でムラヤママイマイを探したが、みつけられなかった。
52.駒ケ岳(1991年10月中旬)初級
 6時頃公社造林地から登り始めた。ちょうど台風が通ったあとで、ブナの大木がたくさん倒れていた。その後鬼ケ面山に向かった。
53.鋸岳(1991年10月中旬)中級
 鬼ケ面山を経由して、鋸岳に着いた。途中のキレットのはしごが壊れていたため、岩場をトラバースした。山頂には鋸の刃があった。その後雨飾山に登り、午後3時半には梶山新湯の風呂に入っていた。
54.鉾ケ岳(1991年10中旬)初級
 島道鉱泉の娘さんから棚口集落まで送ってもらい、権現山を経由して山頂に立った。山頂で一緒になった人と二人で島道鉱泉に下ったあと、その登山者を棚口集落まで送ってあげた。
55.刈羽黒姫山(1992年5月上旬)初級
 父と一緒に登山口に向かったが、父は以前登っており、あまりいい印象がなかったのか、車で待っていた。山頂付近で小千谷の仕事仲間と逢う。
56.未丈ケ岳(1992年8月中旬)中級
 弟と二人で登ったが、弟が途中でバテてしまい、ひとりで山頂に立った。山頂からしばらく下ると弟が登ってきたので、二人でまた山頂に登りなおした。
57.光明山(1992年9月中旬)初級
 エチゴマイマイ探しの山行で友人と二人で登った。しかしクロイワマイマイの死殻の破片を発見しただけだった。山頂はすり鉢の底にある山のようで素晴らしかった。
58.狢ケ森山(1992年9月下旬)初級
 同じくエチゴマイマイ探しの山行だったが、ブナの樹幹に三匹もかたまって仮眠しているエチゴマイマイを発見して驚いた。
59.金城山(1992年10月中旬)初級
 高倉沢から八海山に登った翌日水無コースから金城山に登り、滝入コースを下った。
60.風倉山(1992年12月上旬)初級
 学生時代、鹿俣川の渡渉地点がわからず登れない山だった。鹿俣川には橋ができ、難なく登れた。
61.青田南葉山(1993年6月上旬)初級
 キャンプ場からわずかである。
62.金北山(1993年9月上旬)初級
 白雲荘でお昼を食べ、防衛庁の道路を歩き山頂に立った。そのままガスのなかドンデン山まで歩いた。
63.大源太山(1993年10月下旬)初級
 新潟日報社の「新潟五○山」最後の山だった。今度は七ツ小屋山から歩いてみたい。
64.青海黒姫山(1993年11月上旬)初級
 青海電化のバスに乗り、二時間で山頂に着いた。山頂には一番に着いたので、しばらく無線を楽しんだ。
65.石黒山(1993年11月上旬)初級
 三角点の先から村上方面がよく見えた。この時期はナメコ採りが多い。
66.相模山(1994年7月下旬)中級
 三度目の朝日連峰縦走の時に寒江山に荷物を置いて歩いてみた。ガスでどこが山頂かわからなかったが、時間的に山頂を踏んだのは確かだと思う。
67.犬ケ岳(1994年8月上旬)中級
 友人と二人で蓮華温泉から登り、栂海新道とぶつかった雪渓の脇でテントを張った。日本酒とワインを一升ずつ、缶ビールを八本(当然500ml)を持って登った山行だった。次ぎの日栂海新道を下り、犬ガ岳山頂を通過した。
68.白鳥山(1994年8月上旬)初級
 白鳥山の避難小屋で泊るつもりだったが、友人がバテてしまい、黄蓮山のテン場にテントを張った。翌日白鳥山直下の水場が枯れていて、水不足のまま親不知に下った。
69.鍋倉山(1994年9月上旬)初級
 母と二人で登ったが、父は直江津港に釣りに行った。その一ヶ月半後父が事故で亡くなった。
70.経塚山(1994年9月下旬)初級
 越後百山に選ばれていたので、地形図を頼りに登ってみたが、車からわずかだった。
71.葡萄鼻山(1995年3月中旬)中級
 大石ダムからスキーで登り、梁山泊で一緒になった登山者と二人で葡萄鼻山山頂に立った。帰りは藪山テレマーカーとなった。
72.高陽山(1995年8中旬)中級
 アマチュア無線仲間から教えてもらった情報をもとに登ったが、途中はかなりの藪であった。現在はいい登山道ができているらしい。
73.大地山(1995年9月下旬)初級
 虫仲間が「大地山に登った」と言っていたので、登山道があると思い探し歩いた。山頂まで一五分くらいか。
74.大境山(1995年10月上旬)中級
 登山道の情報を手に入れ、仲間と登ってみた。10月10日という年に山が二度賑わう日の一日だったが、他に誰もおらず、展望も申し分なくいい山だった。
75.五剣谷岳(1995年11月上旬)上級
 佐藤レイ子さんと2人で2泊3日で山頂を目指したが、思わぬ降雪で3日目にして漸く山頂に立った。しかし最終日に登れたのも、新雪上の我々の足跡が帰りを確保してくれたからだろう。
76.赤津山(1996年8月上旬)中級
 仲間から得た登山道の情報通りに登ってみた。西ノ峰付近に残雪があり、そこから少し藪になった。山頂からはガスで飯豊連峰を望むことができず、帰りは土砂降りになった。
77.棒掛山(1996年10月中旬)中級
 アマチュア無線で知り合った5人と新谷集落からの林道終点から登った。残雪期の山だと思っていたのに、踏み跡が山頂まで続いていた。
78.大兜山(1996年11月上旬)上級
 田中さんご夫婦、佐藤レイ子さんの4人で建設省の施設から藪こぎで山頂に立った。自分にとっては初めての藪こぎらしい藪こぎ登山だった。
79.蒜場山(1997年8月中旬)中級
 以前から踏み跡があるルートに下越山岳会によって登山道が開設された。正式な開設はこの年の秋のことである。
80.山毛欅ケ平山(1997年10月上旬)初級
 新潟大学の演習林からゲートの鍵を借りるとわずか10分で山頂に立てる。山頂から井坪山方面に踏み跡が続いていたが、井坪山山頂では山毛欅ケ平山方面への踏み跡を確認できなかった。
81.中の又山(1998年4月中旬)超上級
 羽田寿志さんとふたりで山頂に雪洞を掘って泊った。中の又山だけだったら、冴えない山頂で終わっていたが、翌日に登った毛無山からは立派な山に見えた。
82.矢筈岳(1998年4月下旬)超上級
 羽田寿志さん、佐藤レイ子さんの3人で笠堀ダムからヒバコの頭まで踏み跡を利用し、それから残雪の上を歩いた。日帰りのつもりだったが、帰りには大ドンデン返しが待っていた。
83.頭布山(1998年5月上旬)上級
 5人で田麦集落からの林道終点から登る。山頂付近までかなりの踏み跡が確認でき、残雪の脇には三角点も発見した。
84.烏帽子山(1998年11月上旬)超上級
 6人で飯豊川を渡渉し、急斜面を登ってオーサンカイ尾根に取り付いた。1200m付近でテントを張り、翌日烏帽子山に登った。
85.烏帽子岳(1999年9月上旬)中級
 糸魚川市の林道谷根線と造林作業道を経由して、道路終点から登った。これまで残雪期にしか登れないと思っていた山であったが、山頂まで良い道があり拍子抜けした。
86.金剛山(1999年10月上旬)初級
 白瀬川沿いの登山口から登る。途中のコナラ二次林は美しい。山頂には神社があり、越後百山に恥じない展望だった。
87.毛猛山(2000年4月下旬)超上級
 末沢集落から国道を歩き、吊り橋を末沢川左岸に渡って尾根を登る。当初登る予定だった桧岳は天候が悪くあきらめ、太郎助山に荷物を置いて、毛猛山を往復してテントで泊る。下山は別尾根を国道に下った。この尾根を利用すれば、日帰りも可能だろう。
88.二ツ峰(2000年7月下旬)上級
 胎内ヒュッテから胎内尾根を登る。数年前までは廃道だったが、ボランティアによって刈り払われている。しかし一の峰からは藪であり、何とかニの峰まで辿り付く。その後門内岳まで登り、大石山から足の松尾根を下った。
89.化穴山(2000年10月下旬)超上級
 タキタロウ小屋に泊り、三角池から尾根に取り付く。1400m峰までマーカーと付けて登るが、その後はほとんど必要ない。山頂は1m以下の植物に被われていて、座っていても360度見渡せる。朝日連峰北部の隠れた名峰と言えるだろう。

残りの山

 青里岳(矢筈岳よりも登りにくい山か?)
 景鶴山(東電小屋から踏み跡があるらしい)
 佐武流山(2000年秋に秋山郷から登山道ができた)
 白砂山(登山道がある)
 斑尾山(スキー場から登山道がある)
 大毛無山(これもスキー場から登山道がある)
 焼山(一応登山禁止の山だが、みんな隠れて登っている)
 阿弥陀山(早川方面から登山道があるが、取入口高地からも登れる)
 昼闇山(無雪期の記録もあるが、残雪期が一般的)
 金山(登山道がある)
 高妻山(言うまでもなく、日本百名山)