朝日連峰北部の隠れた名峰 化穴山

 「またビバークしてしまいました」という件名のメールが、十月上旬に羽田寿志さんから届いた。なんでも国道三五二号線に接続する林道中ノ岐線からハコジョウ沢左岸尾根を灰ノ又山まで登ったものの、下りで時間切れになったらしい。しかもハチにも刺されたと記されてあった。何も藪こぎで登らなくても羽田さんの体力なら銀山平から登山道を簡単に往復できるのにと思ったが、メールの最後には「今月中に化穴山に登りませんか」と付け加えてあった。ビバークしている最中でも考えることは次の山行なのだろうか。全く懲りない人だ。
 しかし私自身も化穴山は以前から気になっていた山だったので、すぐに返事を送った。さらに職場の同僚の岸本隆昭さんを誘うと「ぜひ行ってみたいですね」と答えた。岸本さんはキノコに詳しいので、大鳥池でキノコ汁を食べようという算段である。
 大鳥池でナメコ、クリタケ、ナラタケなど約十種類のキノコが入った汁を一人六杯も食べ熟睡した翌朝、三角池手前の斜面から尾根に取り付いた。前日岸本さんが大鳥池までキノコ採集をしている間、羽田さん、佐藤レイ子さんの二人と一一八○メートル地点まで下見をしておいたので、付けておいた赤布を追いかけるだけだ。
 一一八○メートルの小沢の源頭部で休憩し、歩き始めると尾根が細くなった。帰りに気づいたのだが、この細い尾根のブナに「イセキシラベ」という切り付けがあった。朝日軍道の調査なのだろうか。しかしこの切り付け以外に鉈目が全くないのが不思議だ。
 再び尾根が広い急斜面になったので、後ろを振り返りながらマーカーを付けて登った。時々ブナハリタケの独特な匂いが鼻をつくが、キノコには目もくれず県境を目指す。
 一四○○メートル峰からは藪が低く尾根もはっきりしているので、マーカーはほとんど必要なくなる。すると急斜面が始まる手前に小さな池があった。表面には水がなかったが、履いていた長靴で掘り返すと直径五ミリほどのニホンマメシジミを一個体発見した。羽田さんは
 「どうしてこんな所の池にいるの」
 と訊くが、うまく答えられない。ただニホンマメシジミは氷河期の生き残りと言われており、ときどきこんな山のなかの小さな池で発見されると答えた。
 県境の一四四六メートル峰に着くと大鳥池が以東岳からとは少し違った形で見えた。以東岳山頂はガスで見えないが、反対側の化穴山は良く見える。藪は低そうだから、あと二時間もあれば化穴山に着くだろう。
 一四四六メートル峰から県境の稜線を下り始めると、雪圧で横になったミヤマナラが密生していて地面に足を着くことができない。そのためゆらゆら揺れる不安定なミヤマナラの幹の上を歩かざるを得なかった。しかも帰りにこの藪をこいで登らなければならないと考えるとうんざりする。
 化穴山との鞍部まで下り、再び藪を登り始めると一四二○メートル付近の稜線には、赤い実を付けたナカカマドの低木が二○メートルくらい続いている。そのナナカマドを前景にした化穴山の写真を撮って、羽田さんに追いつくと小さな草原で腰を下ろして待っていた。
 さらにチシマザサと低木が混ざった藪を登っていくと先頭を歩いていた岸本さんが右斜面の草原に下りて行った。稜線の藪をこぐよりも、草原を登った方が少し速いようだ。草原で以東岳を振り返ると、以東岳の山頂を被っていたガスも少しずつ上がってきている。
 山頂直下で再び稜線に戻り、わずかに藪をこぐと、傾いた三等三角点がある山頂に着いた。その脇には群大ワンダーフォーゲルのブリキの標識が針金でくくり付けてある。山頂はツツジ科植物がまばらに生えている程度で、座っていても三六○度展望がきく。
 早速ビールで乾杯したが、アマチュア無線で交信しても、誰もこの山を知らない。
 化穴山の記録はほとんどが残雪期に登ったものであるが、雪のない山頂に立ってこそ化穴山が朝日連峰北部の名峰だと確信できる。やがて朝日連峰のガスもあがり、大朝日岳までの展望が広がった。
 その後この化穴山が、ある山岳雑誌でマイナー名山に選ばれてしまった。しかし同じマイナー名山に選ばれた矢筈岳が山頂に大きな標柱が建てられ、メジャーなマイナー名山化している中で、化穴山だけはいつまでもマイナーなマイナー名山でいてほしいと思った。

(ニ○○○年一○月下旬)

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