本名さんの旦那さん

 2000年9月21日、夕ご飯を食べている時、羽田寿志さんから「本名さんの旦那さんが亡くなった」と電話があった。9月2日に脳内出血で倒れて、今朝亡くなったのだと言う。一昨年日本百名山を奥さんである文野さんと完登した時に、「この丈夫な身体をいただいた両親に感謝したい」と挨拶していたのに。
 羽田さんの話では、私も御斎に出てほしいと文野さんは言っているらしい。私など本名夫妻との付合いも浅く、御斎まで呼ばれるほどではないのだが、きっと本名正名さんと私は大きく見れば同じ職場であり、正名さんはいろいろな意味で私に気をつかっていてくれたに違いなかった。ありがたく出席させていただくことにした。
 本名夫妻と最初に逢ったのは、1994年4月23日に角田山で行われた山彦の会の集まりであった。私は本名という苗字が珍しかったので、「本名御神楽に登ったことがありますか?」と文野さんに訊いた記憶がある。しかし正名さんのその時の記憶は全くない。
 その後羽田寿志さんと通じて、文野さんとは何度か一緒に山に登ったが、正名さんとはじめて一緒に登ったのは、私が案内した1997年11月8日の湯蔵山だった。その日は湯蔵山に登った仲間が私の家に泊り、翌日も朝日村の鷹取山に登った。その後黒崎山、麒麟山、浅間山と登り、最期は今年2月19日、私の長女の誕生祝いに登った朝日村の八ツ橋山になった。
 温厚誠実な人柄で、山頂で大宴会をしている仲間のなかでひとりスポーツドリンクを飲み、話に加わっていた。そして下山予定時間になるとまだ酒が残っていても「時間ですよ」と言って下山準備を始めるという人だった。
 本名夫妻は、山行回数では文野さんの方が圧倒的に多いため、どうしても山頂で正名さんの話題になると「本名さんの旦那さん」と呼ぶことが自然だったようだ。そのため山仲間では、本名さんとは文野さんのことであり、正名さんは「本名さんの旦那さん」であった。私は正名さんのことを「本名さんの旦那さん」と呼ぶことにずっと抵抗があったのだが、他界された今、正名さんが本当に「本名さんの旦那さん」になってしまったことが悲しい。

 

本名正名さんとの最期の山行(朝日村八ツ橋山)

撮影、写真のタイトルとも正名さん

八ツ橋山集合



 朝3台の車で私の家に集まり、朝日村の小
揚集落に車を停めた。丁度除雪中で、「営林
署の人ですか?」と訊くので、「はい」と嘘を言
い、駐車スペースを造っていただいた。

 写真は山頂での宴会が終わった後での記
念写真。本名正名さんは後列一番右に写って
いる。

武田学校



 下山しながら渡辺明美さんが樹木のことを
訊くので、自然と私が講師の冬芽で樹木を識
別する観察会になってしまった。正名さんは一
番後ろから歩いて話を聞いていた。

 

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